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空の子  作者: そうじ
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雷山の里

 雷山の里はその名の通り、普段から雷がよく落ちる。

 しかし、ここ今日の雷雨は異常であった。

 雷雨は、先日の忌まわしい出来事を執拗に洗い流しているのだ。そう信じることで、雷山の人々は不安を打ち消していた。

 雨は、空人にとって悪いことではない。雨は「お空さまの奥方さま」と信じられ、うえから浄めて、やみひとの力を失わせる。

 そして雷は救いである。激しい雷であればやみひとは一挙にたたかれる。そのことを知っているのか、雷の激しい日にやみひとは出現しない。

 しかし雷山の長老リキは、この雷雨が大きな異変を示していると感じていた。

 (また、からになろうとしている)

 雷山の地はやせている。北の泉谷の隣に位置し、泉谷と同様に山の中腹に段々畑を何年もかかって作る。そうして作りあげた田畑は雷雨により崩され、山肌を削られ、形さえ変える。断続的に雷が落ち、大木も焼かれる。雷山の人々はそれをすべて受け入れた。「浄め」である。人が欲を出して作り上げたものを守ろうとしても、神がすべてを「お浄めになる」ことがあるのだ。

 リキは七十歳になる老婆である。雷山に生まれ、雷山に育ち、雷山を守って生きてきた。雷光、雷鳴とともにこの世に存在してきた。

 それだけに、この雷雨はいつもと違うことがわかっていた。

 あれは私が八歳の頃、同じような雷雨があった。当時の大巫女さまはジュウさま。巫女さまがトウさま。トウさまのお子、タイさまがまだ十歳になられたばかりだった。

 まだ小さくて泣きながら怖がる私を、母が強く抱きしめてこういったのだ。

 「これはお空さまのお浄め。こうしていちど、すべてからになるの。新しくなるのよ。そして強い国に生まれ変わる。だから、どんなに愛しているものでも手放さなければならないときがあるのよ。リキ、この雷雨を覚えておきなさい」

 そして翌日、リキの家は土砂崩れに遭い、母は命を落とした。リキは母のふところに守られ、一命をとりとめた。

 それから空の国のようすが一変した、とリキは感じていた。

 確かに母がいったように「新しく」なった。

 各村から有力な祓い師が次々と現れ、その者たちは村同士の結びつきを強くし、ゆっくりではあったが確実な実りがもたらされた。

 巫女タイは「中央」の建設を行ない、たくさんの祓い師を育てる足がかりを作った。さらにライを産み、ライはいままでの巫女をしのぐ力を持っていた。

 リキも雷山の有力な祓い師として育てられた。リキの一族は昔から能力者が生まれる家系であり、代々雷山の里長を務めてきた。リキも里長を務め、リキの息子センキは現在の雷山の里長である。

 リキは、もうひとつ変わったと思っていることがあった。

 長になる男性が増えたということである。

 リキの年代は、西ではヨク、北のテルイ、南のサキイ、ヨキイをはじめとして、里長も雷山ではリキ、泉谷はノセ、田野池のケイリなど、女性の長は六割程度であった。その前の年代については、長の九割が女性であったが、リキの年代になって、北のソウイ、浜のギンカが村長、里長では小河原のキユウ、川端のセグル、牛飼山のセイガイというように次々と男性の長が立った。

 いまはどうであろう。祓い師や役についている女性は多い。それについては昔より増えているかもしれないが、長はほとんどが男性である。村長は四人とも男性。里長は猪野口のトオリだけが女性だ。

 そして巫女さまはコウさま、おひとり。巫女は三人いるのが常であった。これはいったいどういうことであろう。

 サクさまは生きていると皆、信じてはいるが、やみに入っていったまま、もう六日が立つ。すでにお命はなかろう。もしかしたら、空の国において「巫女の時代」が終わるのではなかろうか。

 リキにはそう思えてならなかった。

 巫女の始祖がこの国に降りたのが二千年前。そのころの古文書はほとんど残っていない。巫女の時代が始まってより、女性の長が増え始めたといういい伝えがある。それ以前は主に男性が村長となっていた、らしい。大昔はさておき、この国では女の力が重要である。巫女はもちろんだが長となる者も、自覚があるかは別として、空の神の啓示を受けることになる。男より女のほうが素直に受け入れることができるのである。

 空の神から直接啓示をうける時代。それが終わるのではないだろうか。

 予言の書か。

 いまとなっては、それが形ある物として存在しようとそうでなかろうと、そんなことはもうどうでもいい。現に私の心の中には確信に似た予知が存在する。予言の書とは、皆の潜在意識に植え付けられた、空の神のことばなのかもしれないのだ。神は常に皆に啓示を送っているのではなかろうか。

 新しくなる、と。

 それよりも。

 リキが子どもの頃からずっと疑問に思っていたことがある。

 巫女さまは、人か。

 「はは。人であられるはずがなかろう」

 幼いころ、父から得た答えである。「空の子」であるというのだ。「神」なのだと。

 しかし、現象だけを見て考えれば、これこそ恐ろしいことはない。

 からだは我らと変わらぬ。しかし、十五歳になられて「受胎」という儀式が行われ、男と交わることなく身ごもり、三か月後に子が産み落とされる。しかも男が生まれることがない。

 (もし、巫女さまが神さまでなかったら?)

 と心の中で問うたが、もちろん父に問い返すことなどできなかった。

 もしも巫女が神でなければ。人ではなく、神でもない。姿かたちは人であり、中身はなんだというのだ。

 化け物か。

 得体のしれない物体を見るような気がして怖気がしたことが何度もあった。

 大人になってもリキの感覚は修正されなかった。

 しかし、ライがこの里に通うようになってリキは考えが変わった。ライはあまりにも人間的であった。リキはライを信じることでやっと「空人」になれたのであった。

 リキは別の仮説を立てた。

 巫女は「人」である。空の神の力を行使できる、肉体を持った「人」である。が、空人ではない。つまり「巫女は空人とは別の人種」である。

 では、その「別人種」はどこからきたか。

 巫女の始祖を当時の空人はすんなりと受け入れた。どこから来たのかとか、何者かという疑問を持つものもいたであろう。しかし、あっさりと巫女としてあがめた。それだけ、やみの出現にとまどっていたことはわかる。いまとて同じだ。だからこそ空人は一様になんの疑問もなく受け入れている。

 もともと「空人とはどこから来たか」ということさえ明らかではない。この地にいたのはモトン族である。古文書には「空人」の祖は、ここ雷山の向こう側から雷に導かれてきた、という記録がある。

 雷山の向こう側に、三方の高山の向こう側に、いったいなにがあるのか。

 しかし、行ってみたいとは思う空人はいない。

 いや、それは違う。羽犬に乗って山を越えようとする者はいる。しかし、羽犬が戻ってきてしまう。したがって、羽犬と共に「クニ抜け」はできない。羽犬だけではない。牛や馬も同じであった。「クニ抜け」を断行すれば、その主を置いて獣たちはさっさと戻ってしまうのだ。空の国の家畜たちは、あくまでも「空人」のための家畜として空の神から遣わされた存在であり、空の国から出ようとした人間は「空人」ではなくなる、ということなのだろう。

 それでも「クニ抜け」をする者はいる。とうぜん徒歩になる。そこに「生」はないと知りながら、何人も挑んでいったではないか。私にはその勇気がなかっただけだ。

 クニ抜けをすれば、結果、当人は山奥でやみひと、もしくは獣の餌食となり、誰のモノともしれぬ肉塊が発見される。それが誰のモノかわからない以上、果てしない道を歩き続け、果ての果てにたどり着いた者がいるかもしれないではないか。そこに豊かな国があり、やみに侵されることのない、安住の地に暮らしている者がいるかもしれないのだ。

 そういう地があると私は信じる。行けるか行けないかは別として。つまり、巫女の始祖はそのような地から来た別人種ではなかろうか。

 ここまで考えて、リキはばかばかしくなった。

 たとえその仮説が正しいとしても、始祖さまから現在のコウさまに至るまで、巫女さまと呼ばれる方々が我々を助けるためにお空さまから導かれてきたことになんの違いがあろう。その時点ですでに「神」たる存在なのだ。

 そしていままさに、巫女の時代が終わろうとしている。新しく強く、この国が生まれ変わるのだ。それをこの雷雨が示唆しているに違いない。

 先ほどから、ひゅうひゅうという音を立てて風は細く入っている。その音は、ごうごうといううなり声に変わる。締め切った窓の隙間から見える木々は翻弄されながら、ゆさゆさと揺れている。しっかりと固定されているはずの窓や戸口が、ぴしぴしと悲鳴を上げている。

 稲妻が一瞬で夜の闇を払って、鮮やかに辺りを照らしつける。

 リキは、ライの光を思い出した。美しく懐かしい光。

 ライさま・・・。

 今宵はライさまの光を存分に味わえる。

 雨脚が強くなるにつれ、すきま風の音がやみ、木々の揺れが止まった。

 と、大地を裂かんばかりの雷鳴がとどろいた。

 普段、雷鳴に慣れているはずのリキも、はっと身を正すほどの音であった。

 しめきった部屋はいつもなら蒸し暑くなるはずだが、今日は、寒い。

 激しく屋根を叩く雨の音と、大地が震えるような雷鳴で、余計な雑音が消え、そこはいわば静寂な空間であった。リキは誰にも邪魔されることなく、じっくりと考え込んでいる自分に気づいた。

 (こんなことはなかったな)

 思わず笑いがこみあげてきた。大異変のさなかにあって、子どもの頃から温存していた疑問と向き合い、そして答えを得た。

 (私も新しくなるのであろう)

 リキは、やみと闘った後に亡くなったケイリのことを思い出していた。ケイリとは同い年であり、親友でもあった。お互いに里役の家系に生まれ、祓い師として働き、里長になった。境遇が似ていた。ケイリは祓いの力もすぐれていたが、長としてもすぐれていた。しかし、自分を誇示することは決してなかった。無口で目立たなかったために、時として下役からは物足りないと感じられることもあった。が、リキにとってケイリは尊敬できる長であり、彼女のようにありたいと願い、ケイリにとってもリキは、唯一無二の親友であった。

 ケイリは眠るようにして息絶えたと、イクリが報告に来た。

 そしてコウがこの里に来たとき、わざわざリキを訪ね、

 「ケイリはいい顔をしていた」

 といった。

 (ケイリも雨に打たれ、新しくなったのだ)

 ケイリは常に私の一歩先を行った。リキは常にケイリの後を追った。リキは、また一歩遅れたと思った。だが、自分がもうすぐケイリと同じ舞台に立つことを予感した。それはリキにとって喜ばしい予感であった。志半ばにしてやみひとに呑まれるのではなく、人として幸せな「死」を迎えることができる。巫女、長老、長、家族に見守られ、静かに海の藻となることができるのだ。母のように。

 

 「母さん」

 息子、センキの声であった。リキは現実に引き戻された。

 「センキか」

 「はい」

 「うむ。伝令が来ていたな。コウさまはなんと」

 「はい、それが・・・」

 「どうした」

 「至急、里の全員、ひとり残らず、中央に避難させるように、と」

 センキは興奮を抑えながらことばを発していることが、リキにはわかった。

 「そうか。では行くか」

 リキはさっと立ち上がり、部屋を出た。センキはリキについて部屋を出た。

 「母さん」

 「なんだ」

 (またか)

 リキは、センキの戸惑いをわずらわしく思った。

 センキは決断力に欠けるところがあった。巫女から指示があればどこの里長も即実行する。だがセンキはすぐに動かない。あれやこれや余計なことを考える。決断できないのは、巫女の指示を即座に理解できないことが原因である。すぐに疑問を持ち、自分なりに分析をする。その点はリキから受け継いだ性格であろう。しかし理解力では、センキはリキに劣っていた。リキの分析は迅速であり、正確であった。

 センキが深く理解をするためには時間がかかった。リキの夫センゲンがそうであった。リキはその都度説明せねばならなかった。

 センゲンもセンキもいったん納得さえすれば、すさまじい行動力を持って物事に当たる。その点はリキとしても認めている部分ではあったが、それまでが面倒なのだ。

 しかし、センゲンには決断力があった。また、里の原動力としてのその存在は頼もしく、彼がいるから皆がまとまった。わが夫の大きな背中を見つめては惚れ直していたものだった。

 ところが、センキには夫センゲンが持っていた頼もしさが感じられなく、からだは大きいくせに存在感がない。

 さくさく歩いて進むリキに、センキは大きいからだを丸く縮め、懇願するようにしてことばを投げかけてくる。

 「ひとり残らず、といわれたのですが、里に残るものがいませんと」

 センキは納得がいかないようだ。

 「よいか。センキ。おまえは理解が遅い」

 「はい」

 センキも同じやりとりが始まるのはわかっていた。厳しい説教が始まる。が、自分がどうしても聞きたいことは説教を聞き終えた後だ。おとなしく聞くに限る。

 「おまえがどんなに考えても、判断が浅い」

 「はい」

 次にくることばはわかっている。

 「だったら阿呆になって動くしかない」

 「はい。わかっております。ですが」

 リキもセンキのことばがわかっている。何十年も同じやりとりをしてきた。

 「納得できなければ動けないというのであろう」

 「はい。数名でも残らないと、里の状況を把握できません」

 「おまえごときが考えるのは無駄じゃ。とにかく動け」

 リキは厳しい顔を見せた。わざと、ではない。常に厳しい顔をしていた。常に疑問を持ち、深く理解しようとしているからこそ、とセンキは知っている。母の顔はこういう顔なのだ。

 その顔で常に叱られながらも、センキは負けずに喰らいつく。

 「そういわれましても」

 「動けばわかる」

 リキは横目でセンキをにらみつけた。が、心の中ではそういうリキが快かった。迅速に理解できず、決断もできない、鈍な息子よ、と何度もあきれた。罵倒したことも数多い。しかしセンキは、自分自身をよく理解しているからこそ、どんなに叱られても決して妥協しない。いい加減に返事していればいいものを、それをしない。

 だから、また同じことをいわねばならないというわずらわしさを持ちながらも、つい、説教してしまう。リキはそんな自分を感じる度に「甘い親だ」と自嘲する。

 (こやつ、私がいなくなったらやっていけるのだろうか)

 そう感じながら幾度も甘い親に成り下がってしまう。

 「間違っていれば、即やり直せばよい。おまえにこのことを何度いってきたか」

 「それはそうですが」

 「ふう。だからな、・・・」

 リキはやっと説明する気になったようだ。センキはぐっと身を乗り出して全身で受け止めようとしていた。

 「コウさまが里に誰かを残すよう、指示されたか」

 「いいえ」

 「コウさまのことばから事態を把握せよ」

 「はい」

 「つまり、里の状況を見る必要がないのだ」

 「といいますと」

 「里を捨てるのだ」

 「なんですって!」

 「コウさまは里を捨てよ、とおっしゃっている」

 「そんな・・・」

 「この雷雨からわからんか。おまえ、何年雷山にいるのだ」

 「確かにこのような激しい雷雨ははじめてで・・・」

 「いままでの雷雨でも地形が変わるほどであったろう。この雷雨ではもう雷山の里はなくなるだろうよ」

 「は・・・」

 センキの目が泳いでいる。

 「おまえが動揺してどうするか。未来に心煩わすでない。いまやるべきことをせよ」

 「は、はい」

 「急ぐぞ。しまってかかれ。ここから中央に移動するだけでも至難だ」

 「はい・・・」

 「案ずるな。雷雨はお空さまの恵みだ。たとえ途中で息絶えようとも、行き着くのはお空さまのもとだ。そうだろう、センキ」

 リキが微笑んだ。

 センキは母の顔から目が離せなかった。あの厳しい母が笑っている。久しく見なかった、母の笑顔。いや、いままでに見たことのない笑顔。

 (この人は、死ぬのか)

 全身でそう感じた。笑顔のなかに死相が見える。これほどまでに恐ろしく神聖なものか。センキは返事もできなかった。その代わりに、ぐっと奥歯をかみしめて、早足で母の前に進み出た。

 センキはリキに背中を向けたまま返事をした。

 「わかりました。里の全員を誰一人残すことなく、中央に連れて行きます」

 「うむ」

 センキはくるりと振り返り、叱るような目をして母を見た。

 「あなたもです、母さん」

 リキは気圧されて返事ができなかった。リキの返事を聞かずにセンキはまた前を向いて歩いた。

 リキはセンキの大きい背中をしみじみと見つめた。かつて夫の背中を見つめたように。

 (センキよ。その存在だけでよい)

 リキは黙ったまま、センキの背中を、とん、とはたいた。


 雷山の「道場」は、リキの屋敷のすぐそばにある。リキ一族が管理してきた場所であり、昔から人々が集まり、大人は祓いを学び、子どもは読み書きを学ぶ。

 空の国のまつりごとの中心、御前谷は雷山の南隣である。が、里の境は山で遮られ、そのため雷山から御前谷に行くためには、いったん、平地が広がる田野池まで降りて、それから御前谷に向かわねばならない。

 雷山の北隣にある里は泉谷であり、管轄は北麓村である。しかし、その境も高い山が存在し、簡単に越えられない。従って雷山から泉谷に行くには、山々が少し低くなっている小河原まで降りて向かう必要がある。

 雷山はいわば孤立した場所であった。

 したがって、呑み込みによる被害が大きいときも、御前谷からの救援が来るには時間がかかり、間に合わないことが多い。そのため助けに頼ることなく、自分たちだけの力でなんとかするという心意気は強かった。

 そして、ここ雷山には昔から常に雷が落ち、豪雨に見舞われる。人々はいやおうなく家や田畑や家畜を捨てねばならなかった。必然、ものに対する執着は少なくなる。つまり「別れる」ことに慣れていた。

 しかし六日前からは、明朝我が家に帰れるという前提で、この道場に避難してきた。そしていままでは明朝になれば帰れた。それが今夜は、豪雨と雷で壊れかけている家を、流されている田畑を、瀕死の家畜を、置き去りにして中央に行くのだという。

 「よいか、皆の者。コウさまの御達しがあった。これから中央に移動する。先日、この里に忌まわしい出来事が起きた。そして今日の異常な豪雨と雷だ。雷山に住んできた我々には里がどうなっていくのか、周知のことだろう」

 人々は察していた。そして、センキの鬼気迫る表情と緊迫した指示で、絶望を確信した。どよめきさえ起こらない。絶望を押し殺し、こぶしに涙を落としながら、受け入れるしかなかった。暗く沈む気の中で反論するものはいなかった。

 リキが静かに声を発した。

 「皆、よく我慢してくれとるのう。それでこそ雷山の里人じゃ。わしは誇りに思うぞ」

 すすり泣きの声があちこちで聞こえた。そのとき、凛とした声が聞こえた。

 「この地は新しくなる! そして我々も新しくなるのだ!」

 皆がはっとして顔を上げた。声の主はセンキであった。

 そのなかで、リキの驚きはもはや感動であった。

 リキは「新しくなる」などと、ひとこともわが子センキにはいったことがなかった。絶望を与える可能性もあるからであった。しかし、センキははっきりといった。「新しくなる」と。そして、そのことばは決して絶望を与えなかった。リキは、小さい時から鬱々として考えこんでいた、背信とも思える自分の考えが、いま空の神に認められた気がした。

 (お空さまの声を、たったいま、センキはまっすぐに受け取った)

 「この地が新しく変わったときに、我々も新しくなって戻ろうではないか!」

おお、とうめくような声、しかし、確かなひらめきの声が上がった。

 「だから、ひとりでも命を落とすことは許さぬ! 病気やけがで動けない者、年を取っている者、子を孕んでいる者は、羽犬に乗せる。歩ける者は歩け。強い者は弱い者を守れ」

 人々の顔は決意の表情に変わった。

 ひとり、ふたりと、立ち上がった。そして全員が立ち上がった。そのなかで、一人の若者がさっと前に進み出て、入り口に置いてある蓑笠を皆に配り始めた。老人を支えて歩こうとする若者もいた。羽犬を連れた里役が、羽犬に乗せる者達を選定し、どの道順で飛ぶかを打ち合わせている。皆が進む方向は決まった。

 センキが大声で指示をした。

 「泉谷川を避けて通る。そのためには、田野池から稲塚に続く道を歩く。稲塚の豪雨による被害は少ない」

 「センキさん、はぐれたら、とにかく東南の方向へ行けばいいんですね」

 一人の里役が慌ただしく声をかける。質問することで皆に示唆するつもりだったのだろう。しかし、センキは首を振った。

 「月も星も出ない夜だ。方角で考えては迷ってしまう。だから」

 人々はしんとなってセンキのことばを待った。

 「竹林だ」

 「ああ」

 人々の顔がぱっと明るくなった。

 「竹林を目安にするのだ」

 北麓村の樹木は、杉、楠といった樹木が多く、竹は自生していない。また、泉谷川の土手には川の氾濫を防ぐために楠が植えられている。対して、西麓村は竹林が多く自生している地であった。

 「竹林を頼りに歩けば、たとえ中央にたどり着かなくても、稲塚か、もしくは御前谷に着く。そうしたらゲンさまのお札をしっかり握り、呪文を唱えながら歩くのだ。雷雨が激しくないところには、やみひとが出る」

 場に緊張が走った。

 「恐れるな。稲塚と御前谷だ。優秀な祓い師が見まわっている。ヨクさまとガンさんの弟子ばかりだ」

 センキは笑って見せたが緊張は解けなかった。

 (とはいえ、その祓い師のいるところに行き着くことができるか)

 全員が同じことを感じていたに違いない。

 そのとき、センキの着物をひっぱる者がいた。

 「これこれ、センキさんよ」

 にやにやした小さな男女が四人、センキを見上げていた。誘導役の者達であった。

 「あ、スメアルさん」

 スメアルと呼ばれた男は、にっと笑った。

 「オンマエダンの山なら知り合いがおるでの」

 センキは一瞬とまどったが、すぐに「オンマエダン」が「御前谷」のことだとわかった。しかし「知り合い」とは・・・。

 「そいつらがモノノケが出らん道をよう知っとるでの。のう、みんな」

 スメアルと他の三人は一様にうなずいた。

 「どうするかの? センキさん、オンマエダンの山ぁ、越えるかの?」

 知り合いとはおそらく「やまんと」のことだと、ほとんど全員が理解した。場が少しざわついたがすぐに静かになった。里長、センキに決断をゆだねるしかないのだ。そして、答えは決まっていることも、皆、わかっていた。

 「はい、お願いします」

 センキは深く頭を下げた。すると他の者たちも頭を下げた。

 「うんうん。まあ、安心してついて来なされ」

 四人の誘導役はなにやら打ち合わせをしている。

 皆、息を呑み、祈るようにして四人の行動を見ている。

 誘導役の四人を、こんなにまじまじと、しかも好意的に見たのは、ほとんどの者がはじめてだったろう。好意的どころか崇めるような思いであったに違いない。

 小さく汚い恰好で、どことなくにやついた顔をしてどんぐりまなこをぎょろつかせているので、なるべく目が合わないようにしていたものが多かった。誘導役としてこの里に来て数日、確かにやみの出現しない場所へ誘導してくれたし、それで助かった者たちもいる。しかし、ゲンさまの力が籠められたお守りももらったし、わざわざ「うみんと」に誘導されなくとも逃げ切れる、という気持ちもあった。

 四人の汚い恰好は蓑笠に覆われて見えなかったが、顔はやはり汚かった。しかし、その顔が精悍に見えた。小さなからだが大きく頼もしく見えた。

 スメアルが目を光らせてセンキに向きなおった。

 「もう行けるかの?」

 「はいっ。みな、よいか」

 センキは皆を見渡した。全員がうなずいた。

 センキは入り口の戸に手をかけ、勇ましい声を放った。

 「さあ、行こう。新しい自分のために!」

 扉が開かれた。

 四人の誘導役の中でいちばん若い男が、さっと飛び出した。

 ごうっと音をたてて、激しい風雨が人々の全身に降りかかった。人々はぐっと膝に力を込め、重心を低くして嵐のなかに入っていった。


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