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空の子  作者: そうじ
43/74

ヨクとテルイ

 時刻は午。

 中央。

 雨脚が強くなっていた。

 中央には全く違う「気」が存在している。つまり、世界が違う。新天地ともいうべき場所であり、重要な役に就いている者たちにとってはいまや日常であったが、貧しく、村を出ることがまれな者たちにとっては非日常の世界であった。あこがれと感じるか、雲の上の存在とあきらめるか、または妬みから忌まわしいモノとするか、自分とは無関係と考え、無関心になるか。

 ともあれ、特別な場所には間違いはなかった。

 中央の、そのまた中央。御堂。

 中央でいちばん高いところに位置し、いちばん小さい建物。叩きつけるような豪雨につぶれてしまいそうである。

 御堂本堂。

 小さくうずくまるようにして、一人の老婆がぺたんと座っていた。雨の音が激しいながら、高い天井の上にある窓からは薄い光がさしている。その光を受けてうつむいたまま、老婆は動かない。

 老婆の静けさ。平和でせつなく、老いに任せて力もない。一切の倒錯した想いから遠く離れた心の内を、はかろうとすればあまりにも深く、ひとたび入り込めば心が見えず、感覚も、概念も、意志も、認識も、そこにあってそこにない。まさにこれが生の極み、無の入り口である。

 御堂の大きな重い扉が、ぎいと開いた。誰かが入ってきたらしい。確かに人が入ってきたにも関わらず、老婆は動かなかった。

 「ヨク」

 と声がかけられた。その声はしわがれていた。声をかけた者はテルイであった。

 ヨクは、無のまぎわから戻った。ゆっくりと振りむき、しわだらけの顔を破顔させた。

 「テル姉さま」

 泣いているようでもあった。

 ヨクのまわりにはいつもたくさんのとりまきがいる。が、このときはひとりきりであった。ヨクはぽつんと座っており、小さくしなびた、ただの老婆であった。

 ヨクとテルイは目を合わせたが、お互いの瞳が潤む前に目をそらす。決して泣きたいわけではないが、その瞳をみるといいようのない愛情がこみあげて長くもたない。

 ふたりはお互いが同じことを思っていることを感じていたが、互いにそれをいうのがはばかられた。いってしまうと、伝えてしまうと、終わってしまうと思った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ヨクは西山麓の最長老である。

 齢七十一。最長老は長老のなかの長であり、空の国の権威である。ヨクは女性でありながら、十六の時から西山麓の長を務めた。

 ヨクが生まれた頃は平和な毎日ではなかった。巫女の力が弱かったために、人々は毎夜、恐怖に怯えて暮らしていた。

 ヨクの家系は昔から能力者が生まれてきた。ヨクはその血を受け継いで、やみの察知能力、祓いの能力も優れていた。しかし、その能力ははじめから優れていたわけではなかった。

 ヨクは末娘で九人の兄姉がいた。しかし、ヨク以外の兄姉は能力者ではなかった。代々能力者が生まれる家系だというのに、子どもたちがことごとく力を持たないことで、両親を始め、西山麓の村人は不安であった。そこに能力者として生まれたのがヨクである。ヨクは西山麓村の期待を一心に集めた。

 通常、能力を授けられた子どもは幼いうちからその力を発揮し、祓いの力も習得することができる。しかし、ヨクは生まれつき右足が悪く体も小さかった。また病弱であり、力がありながら、その力をうまく遣うことができなかった。そのため、自分の目のまえで家族や友人がやみに呑まれ、助けようとして助けられずに、気づいたら自分だけ助かっているということが多かった。

 そのことで、理不尽な話ではあるが、ヨクやヨクの一族は村人から恨まれることも多かった。一族からも疎まれるようになった。

 小さくて足の不自由なヨクが、例え人を助けられなかったとしても責められるものではないということは、皆、わかってはいた。しかし、やるせない怒りと哀しみをどこにぶつけてよいかわからなかったのであろう。

 ヨクは自分が恨まれていることを知っていた。

 子どもというのは残酷なもので、そのことを隠すことなどせず、いじめで表現する。ヨクは同年代の子どもからの表立ったいじめは耐えることができた。自分の力不足であることはわかっていたし、自分の責任だと自覚していた。直接文句を言われていじめられれば、それで少しでも償いをしたという気持ちになれたのであった。

 ヨクにとって耐えられなかったのは、家族や兄姉からの冷たい目であった。直接いってくるものはいなかったが、「おまえのせいで一族が迷惑をしている」という思いがひしひしと伝わってくる。そしてもっと耐えられなかったのが、皆の期待に応えることができない自分自身であった。

 そんなヨクを守り、愛してくれたのが、二歳上のレンリとテルイという双子の姉たちであった。ヨクはこのふたりに守られて育ったようなもので、ヨクにとっては唯一甘えられる存在であった。

 テルイとは、現在の北麓の大長老テルイ、である。

 西麓村のヨクの一族には優秀な人材が多い。そのなかでもレンリとテルイの力は抜きん出ていた。レンリとテルイは、ヨクに対するまわりの評価と対照的に、ヨクの力をまっすぐに信じていた。自分たちの使命はヨクを助けることだと、ふたりは口癖のように語っていた。

 レンリは双子の姉である。行動的で世話好きな女の子で、小さい子どもの頃からたくさんの取り巻きがいた。グループのリーダー的存在であり、レンリが常に面白いことをはじめてはまわりを巻き込んでいく。それは両親にとっても心強い存在であり、将来は村の重要な役に就いて村を統率していくであろうと期待されていた。

 テルイは双子の妹である。レンリがはじめる「面白いこと」は、テルイの発案によるものであった。テルイは皆が喜ぶことを考えることが得意であった。さらに手先が器用でもの作りがうまく、全体の設計をすることに長けていた。テルイもまた、両親から期待されていたが、特に当時の北麓村の長、イシキから「ぜひ養女にほしい」と切望されていた。

 北麓村はもの作りに長けた村であり、空の国の建築物から草鞋に至るまでほとんどが北麓村で作られる。村の長候補としてもテルイはどうしても養子にほしい存在であった。

 テルイは子どもながら自分を知っていた。また、村全体、国全体の将来を見通すこともできた。西には妹ヨクがいる。能力を持つヨクには、両親の期待だけでなく西麓の大人たちの期待が集まっている。そして、統率力のある姉レンリがいる。彼女がいれば西はうまくまとめていける。

 テルイは手先が器用に生まれついた。そして全体の構成を考えることが好きだった。だから、レンリやヨクと離れることは寂しいが、早めに北の長イシキの養子になることが望ましい、とテルイ自身も感じていた。イシキは建築家である。テルイは建築という大きな視点で自分の思いを形にすることを夢見ていた。早くに養子となることでこの力を発揮し、十分な研究もできる。

 

 西ではレンリとヨクが村の中心人物になるだろうから、私は北で役に就いてその手助けをする。なんといっても西は空の国の中心。西山麓の上方に巫女さまはお住まいになっていて、巫女さまとの連携は西からはじまる。いまのところ西の役は充実していて、力も連携も強い。

 しかし、北はどうもこころもとない。独創的な仕事柄だからかもしれないが、どうしても自由な気風が強すぎる。自分勝手で統一できていないのに、自分たちはそれでいいと満足している。北だけで生活が成り立っているのならそれでいいが、そうではない。空の国は四つの村があってそれぞれの役割があり、それに加えてやみひとの出現があり、いちばん大事にしなければいけない巫女さまに対しての意識が低い。自分たち重要主義ではまわりが迷惑だ。そこをなんとかしたい。

 

 テルイは常にそう考えた。

 養子に行くことに決めてはいるが、テルイはイシキが気に入らなかった。口ばかりが先にたち、どうも行動が伴っていない。もともと北はそういう傾向にある。いわゆるオタクの集団だ。

 とはいえ、テルイはその気持ちもよくわかっていた。テルイもその類であったのだから。頼りは自分の感性のみである。そこには自分の力への絶対の自信があり、それだけの努力もする。

 そう考えるとテルイは、その欠点も含めて北麓村に多大な期待を寄せる。北の役に就いている大人たちは、イシキをはじめとして気に入らないが、北はテルイの自己実現の場であった。北麓村全体が建築物であり、自らの設計通りに仕上げたい。またそうする自信があった。

 レンリはそういうテルイが大好きだったし、自慢であった。テルイはいつも熱くレンリに語る。テルイのために自分にできることはなんでもしてあげたい。もともと世話好きなレンリである。また、人の特徴をいち早く理解し、やる気を高めることも得意である。博愛精神の持ち主であり、自分の力でなんとかできることなら、それが誰であろうと助けてあげたいと思う。

 ヨクが西の長になり、レンリは村役となってヨクを助ける。レンリは巫女さまの思いにそって動き、ヨクだけでなく他の村の長を支えることも構想にあった。いまでもまわりの友達の面倒を見ているわけで、その延長上に自分の将来があり、そうなってもいまの治政よりもっとよくしていける自信はあった。

 そういう夢をレンリとテルイはお互いに目をきらきらさせて話し会っていた。

 ヨクはそんな姉たちを尊敬していた。私なんかに能力を授けないで、このふたりに授ければいいのに。お空さまもなんでこんな私に能力をお授けになったんだろうと常に思う。いまよりまだ小さい頃、そのことを姉たちにいったことがあった。するとふたりの姉はヨクをきつく叱り、二度とそういうことはいわないように、と固く約束させた。

 この三人の姉妹は仲良しで、いつも一緒に行動した。

 

 ヨクが十歳の頃の話である。

 ある日、三人はれんげ畑でれんげの首飾りや王冠を作っていた。

 テルイは技巧を凝らし、兜のような王冠を作って見せた。レンリもヨクも感動した。

 「すごーい! テル姉さま!」

 「テルちゃんってほんと、上手ねえ」

 ふたりはいつも褒めてくれた。テルイはふたりに褒められるのが一番嬉しい。へへっと笑って、照れ隠しのためにれんげの王冠をかぱっとヨクにかぶせた。

 「あ、・・・」

 「これ、ヨクにあげるよ」

 「え、いいの?」

 「うん。ヨクは西の長になる人だから」

 テルイとレンリは顔を見合わせてにっこり笑った。

 「それはレン姉さまが・・・」

 レンリはヨクの目をじっと見た。

 「長になるのはヨクだよ。私はそれを支えて、ヨクの足になって動くの」

 ヨクは目を逸らしてしまった。

 「ほら、そうやってすぐに目を逸らす。あなたはそれだけの力をお空さまからいただいているの。自信を持たなきゃ」

 「まあまあ、レンちゃん。ヨクはまだ十歳だし、仕方ないよ。焦らずにいこうよ。ね、ヨク」

 テルイは次の作業に取りかかっていた。今度は数珠を作っている。長い指でくるくるとレンゲの茎を編み込みながら、落ち着いた風で言った

 「うん、テル姉さま、ありがとう」

 そういってヨクはテルイを見上げ、にっこりと笑うと、テルイも作業の手を止め、にっこりと笑う。

 「あ。もう。テルちゃん、ヨクを甘やかしすぎ」

 レンリは冗談めかしていったが、実は焦りがあった。

 レンリは、早くヨクに自覚が欲しかった。努力をして欲しかった。三人ともまだ子どもだが、いまから自覚を持って動くか動かないかで将来の開け方が違う。

 だが、その奥にはレンリにも見定められない不安があった。なにがそんなに不安なのか理由はわからない。押し寄せる焦りで胸が痛くなることがあった。その不安があるからこそテルイにもヨクにも厳しいことをいってしまう。しかし、そのことをどう表現していいかわからなかった。

 そしてそう焦れば焦るほど、テルイとヨクは同じようなきょとんとした顔をしてレンリを見る。その時、「あ。ふたりとも私とは別世界にいる」とレンリは直感する。

 そういうことが最近多くなった。レンリは自分の考えや気持ちを決してごまかすことはしなかった。だから、意のままに伝えてきた。ところが、いつもならすぐに察してくれるふたりが、この焦りについて伝えるときはまったく理解してくれない。

 テルイはすでに豪華なれんげの数珠を完成させ、ヨクの腕につけている。ヨクとテルはにっこりと微笑みあう。頭の上にあるれんげの王冠。れんげの数珠。れんげの首飾り。背後に咲き乱れるれんげたち。五月の温かい日差し。ほのかに香るれんげの花。素朴な草の匂い。風さえもふたりをさわやかに彩る。その世界にふたりはどっぷりと浸かりきっていた。その姿は幸福を絵に描いようであった。柔らかな日差しはふたりを祝福する、お空さまの愛情のようだ。そこはふたりの世界であった。

 その時、レンリは「はっ」と気づいた。

 

 わかった。この国にはこのふたりが必要なんだ。このふたりしか必要じゃないんだ。お空さまがいま、将来の空の国を背負っていくふたりを祝福しておられる。

別世界にいるのは私だったのだ。たぶん、私はここからいなくなる。呑み込まれるのか、病気で死ぬのか、それはわからない。でも、はっきり理解した。

 恐ろしいことであるはずなのに、逆になんだか落ち着いた。そう理解した自分が嬉しい。すべてを納得した私が誇らしい。だってたったいま、お空さまから啓示が降りてきたことになるのだから。私は啓示を受け取ったんだ。

 私はみんなをまとめることができるけど、そんなのどこにでもいる。ヨクもテルイも特別な能力を持っている。私の役割はこのふたりに自覚を促すことなのだ。だから、ここにいるうちにテルイとヨクに自覚させたくて小言をいっていたんだ。

 だとしたら、本当にどうするのよ。私はいなくなるよ? あなたたちふたりで夢ばかり語ってったってだめじゃない。

 

 レンリはそう思うと同時に、心の奥からむくむくと嫉妬の思いが芽生えてきた。陽だまりの中でのんきにれんげの花と遊んでいるふたりが憎らしくなった。自ら手に持ったれんげの花を、ずたずたに割いて地面に叩きつけたい衝動にかられた。それはある種のヒステリーであろう。神の啓示をまっすぐに受け、なんの疑いもなく受け入れるのだ。平常心でいられようか。狂おしく泣きわめき、感動を全身で激しく表現してもおさまらぬほどの大いなる力が、あふれかえっているのである。その力をかろうじて抑えたが、両手でれんげの茎をぎりぎりと握りつぶしていた。

 

 あんたたちだけが生き残って、私は死ぬんだ。なのに、あなたたちはなんにも知らない平和な顔をしてれんげで身を飾っている。いい気なもんだ。あんたたちがやみに呑まれればいいんだ。私はお空さまのいうことを理解した。お空さまからの使命をいち早く悟った。私はこんなに優秀なのに。なんでお空さまは私ではなくテルイを選んだの? どうして私ではなくヨクなの? 私にヨクの能力があればヨクなんかよりよっぽど働ける。そうよ、一年まえだって、ヨクはオイカ兄さまを助けられなかったじゃないの。私が能力者だったら良かったんだ。

 私だったら、私が祓えたら・・・。

 

 「レンちゃん? どうしたの? 顔が怖いよ」

 テルイがレンリの顔を覗き込んだ。

 レンリは「はっ」としてあたりを見まわした。そのとき、畏れを抱かざるを得ない視線がこちらを向いていることに気づいた。ヨクであった。

 「レン姉さま・・・」

 そのヨクの目を見て驚いた。一瞬、巫女のトウさまに見えたのである。

 トウは寡黙な巫女であった。しかし、その視線は鋭く、トウに一瞥されたものは皆、気持ちを見透かされているような感覚になる。

 (きっとヨクは私の気持ちを察したんだ。ああ、私はなんてことを考えたのだろう)

 すぐにレンリは目を瞑り、心のなかで祈り、懺悔のことばを空の神に伝えた。

 レンリは過去を引きずらない。間違いがあればすぐに思いを改める性格であった。それはレンリの長所でもあり、短所でもあった。人に対して思うことがあればひとりで悩むことはせず、直接本人に伝え、相手の出方を見て対処する。そのほうが前に進める。

 (うじうじと考えるのはここまで)

 レンリは合理的であった。その合理性は他人に理解されないことが多々あり、テルイとヨクも例外ではなかった。

 レンリは思い切った。

 「あのね、私はここからいなくなるの」

 「え?」

 「たぶん、もうすぐ死ぬんだと思う」

 「レンちゃん、なにをいっているの・・・?」

 「これは冗談ではないの」

 恐ろしく真摯なことばが、あまりにも唐突に平然と使われていた。テルイは一瞬受け入れ、そんな自分に反発した。

 「レンちゃん、そんなはずない。私たちは三人で空の国をささえて生きていこうって決めたじゃない」

 「そのつもりだった。本当ならそうしたい。でもこれは仕方がないことなのよ」

 「レン姉さま・・・」

 ヨクは、レンリが嘘をいっているわけではない、と判断した。

 「ヨクならわかってくれるでしょ?」

 「レン姉さまにいなくなられたら、私、私・・・」

 ヨクは泣きそうになった。テルイはすぐにヨクを制した。

 「ヨク、なにいってるのよ! そんなの嘘に決まってるじゃない。ね、そうでしょ? レンちゃん」

 「テルちゃん、ヨクはわかっているわ。あなたも本当はわかっているんでしょ?」

 「わからない! わからない! そんなことない! レンちゃんにいてもらわないと私たち、なにもできないのに・・・」

 テルイも泣きそうになっている。レンリはため息をついた。

 「ほら、そうやってふたりともなんにもできないーって泣くでしょう。だから私はいなくなるんだわ。わかっているのかしら。あなたたちはお空さまから特別な力をいただいた存在だってこと」

 「いや! そんなこと言わないで」

 「私、正直にいうけど、テルちゃんの力が羨ましい。なんで私はなんの力もなかったのか、何回もお空さまに聞いたわ。でももちろん答えなんてない。だから私は自分にできることをやってきたの。人より早く行動し、人の性格や行動の癖を覚え、その人にあった役を考える。そうすることでみんなが楽になる。テルちゃんの力もそれで発揮しやすくなる。それでいいと思った。そうして生きていくって」

 「レンちゃん・・・」

 テルイは泣きながらレンリの手を握った。

 「離して」

 レンリはその手を振り払った。

 「いいえ、あなたは離さなければならないの。私という都合のいい存在を。私はテルちゃんのなんの役にも立っていなかった。あなたが一人前になるためには、私はいてはいけない」

 「わかってる! だから私、北のイシキさんとこに行くって決めたんじゃな い!」

 「なのに、いつまでもぐずぐずしているのはなんで?」

 「それは・・・」

 「私のそばにいるのが楽だからよ。あなたは考えるだけでいい。すべて私がお膳立てして行動するから、考えがすぐさま形になる。頭のなかで考えてばかりじゃ実現しないのよ。私のそばにいて楽していてもダメなのよ」

 「違う! そんな、楽だなんて・・・」

 「そうね。いい過ぎたわ。でもね。あなたは私がいるから可能性を潰されていることには間違いないわ」

 「そんな・・・」

 「そして、ヨク」

 レンリはヨクをきっと睨んだ。しかし、ヨクは泣いていなかった。レンの視線を受け止め、じっと見つめている。レンは驚いた。

 (この子、泣いているとばかり思ったら、こんなに気丈な目をして・・・。テルちゃんとは大違いね。お空さまが選んだだけのことはある)

 「ヨク、あなたはいつも私とテルちゃんに頼ってばかり。そろそろ自分が選ばれた人間であることを自覚しないといけない」

 「選ばれた・・・」

 「そうよ、わかっているでしょう? あなたはお空さまから能力をいただいているの。私でもなくテルちゃんでもない、あなたよ」

 「でも、私・・・」

 「足が悪いっていいたいの? それがなに? 歩けないわけじゃないでしょう? 足が悪いからできないっていうのはね、甘えなの。あなたはいま、甘えでできているようなものなのよ」

 「そんなこといってもヨクはまだ小さいわ」

 テルイがかばう。レンリはテルイに腹がたった。

 「じゃあ、あなただったらどうなのよ、テルちゃん。あなたが能力者だったら? 足が悪いからってなにもしない? まだ小さいからってびくびくして終わる?」

 テルイは黙った。

 そうだ。私だったら。そう思ったことはなんどもある。レンちゃんと話し合ったこともある。もしも力があればどうするか。でもそれは一回きりになった。現実的でないことをいろいろ考えるのは無駄という結論になったから。でも私はいつも考えた。私だったらどんなことでもやる。努力する。

 レンリはヨクを見ていった。

 「ヨク、あなたまだ小さいときに、私やテルちゃんが能力者だったらよかったのにっていったことがあったわね。そのとき、私もテルちゃんも怒ったこと覚えてる? まさかいまもそんなこと思っていないでしょうね?」

 ヨクははっと息を呑んだ。いつも考えている。私なんかよりレン姉さま、テル姉さまに力があればどんなに良かったろう。その方がたくさんの人を助けられる。

 「そうよ、そのとおりよ、ヨク。私だったら努力する。例え手足が不自由でもね。誰にもなにもいわせないほど努力するわ。もし私に力があればよっぽどあなたよりはうまく遣うわよ」

 ヨクは泣きそうになるのを必死で我慢して、ぐっとレンリを見据えた。

 「でもね、お空さまが選んだのはあなたなの。あなたでないといけないのよ。なのにあなたはおびえているだけ。それがどんなに悔しいかわかる? どんなにもどかしいかわかる? テルちゃん、そうでしょ?」

 テルイはうつむいたまま黙っていた。

 「いい? ヨク。悔しかったら努力しなさい。私にこんなことばを二度といわせないで。わかった?」

 ヨクはうなずくことができなかった。唇をかみしめ涙をこらえていたが、嗚咽がはじまった。それでもこらえて声を出さないようがんばっている。袖で涙を拭き上げながら、うっ、うっ、と唸っている。

 テルイはもうヨクをかばわなかった。うつむいてじっとしたまま、顔の角度も体の位置も変えることができない。ぐっと歯を食いしばり涙をこらえている。

 レンリも泣きそうになったが、

 「二人ともわかったわね?」

 と強気な声でごまかした。

 テルイとヨクはそれぞれの位置で小さくうなずいた。テルイの目から涙がすとんと落ちた。

 「じゃあ、この話はおしまい!」

 レンリは手をぱあっと挙げて手に持っていたれんげの王冠を放り投げた。

 しかし、テルイとヨクはれんげの飾り物をぎゅっと握りしめて微動だにしない。ただ風だけが、さあっとふたりの間を駆け抜けた。

 レンリはふたりを見ないようにしてすっくと立ち、くるんと背を向けた。

 「さ、暗くなるよ。帰ろう」

 と後ろにいるふたりに極めて明るい声をかけ、歩こうとするが着物がなにかにひっかかって動けない。え? と思って後ろを見るとテルイがレンリの着物の裾をつかんでいた。

 「なによ、もう! テルちゃん、なにやって・・・」

 と裾を祓おうとしたとたん、テルイがわっと大声で泣いてレンリに抱きついてきた。

 「いやだ! いやだよう! レンちゃんだけ大人になってずるいよう! ずっと一緒にいようよ、ね? 大人になんてならなくていいよ! 空の国なんてどうでもいいよ! レンちゃんと一緒に暮らせればそれでいいよう! いなくなるなんていわないでよ! レンちゃんのばかー!」

 レンリももう大人ぶることができない。その場にしゃがみ込み、テルイのからだを強く抱きしめ、大声で泣き出した。

 「私だって、私だって、いやだよう! ずうっとテルちゃんと一緒にいたいよう! テルちゃん、北に行くって決めたのもいやだったんだよ! 先に大人になったのはテルちゃんじゃない! ずるいのはテルちゃんだよ! テルちゃんのばかー。わあああん」

 ふたりの泣き声に煽られて、ヨクはその場に座ったまま堰を切ったように泣き出した。口を大きくあけ、奥歯を見せながら、わああん、わああん、と泣いた。泣きながらよろよろと立ちあがり、足をひきずりながら歩き、テルイとレンリの腕を小さな手で握りしめた。

 「レン姉さまあ。テル姉さまあ。泣かないで、泣かないで。ヨクが強くなるから、ヨクが守るから、ずっと守るからあ。二人が一緒にいられるようにするからあ。だから泣かないで、泣かないでえ。えええええん」

 陽が落ちてきた。れんげの花はすぼみ始め、色を落としながら風に揺れていた。三人は風に吹かれながらいつまでも泣いていた。


 それから数か月後、レンリは崇高な、そして壮絶な死を迎えることになる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 御堂本堂を雨が激しく叩きつけた。均一の激しい音がまるで結界のように、御堂本堂の時を止め、ふたりを別空間に閉じ込めているようであった。ふたりの老婆は音に護られたまま、ただじっとしていた。

 「テル姉さま」

 ヨクが静かに話しかけた。

 「ヨク、ふたりだけで話をするのは久しぶりじゃのう」

 テルイはやさしく応じた。  

 「はい。一年ぶりかと」

 テルイとヨクは互いの顔をみることなく微笑みあった。

 「ゲンさまの御姿、見事だな」

 「ええ。あのような立派な札が施されようとは思いませんでした」

 「ユウキには頭が下がる」

 「あの子は特別でございますので」

 「おかげでゲンさまの御力がどんどん強くなられていく。それは望むところではあるが、こうなるとこの国がどれだけ持ちこたえられるか・・・」

 「もう、それほど持ちますまい」

 「磁場の乱れがなくなるのはあと何日だ」

 「この雷雨がやめば・・・。おそらく少なくとも三日」

 「それまではゲンさまを。ヨク」

 「心得ております」

 「ゲンさまがご納得なさるかどうか」

 「ご心配には及びません。ゲンさまはお空さまの遣い」

 「だが、いまだに無自覚でおられる」

 「だからこそでございます。無自覚だからこそ、お空さまの御心に反する行動はなさいませんでしょう。このまま中央で何事もなければ、ではございますが」

 「だとすれば問題はコウさまだ。サクさまと再会なさる時も近い。その時、コウさまが先にお目覚めになるということはなかろうな」

 「コウさまに限ってそのようなことはございません」

 「だといいが」

 「テル姉さま。それよりも、いまは国の医療団をなんとかせねばなりません」

 「うむ。ガクウは行ったか」

 「惜しいものです。国の未来に彼は必要でございましたのに」

 「そうさな。とはいえ、人のやることには決して無駄はない。たとえお空さまの命に背くことがあっても、それもお空さまが意味をお持たせになる」

 「ですが、あれほどの力を持った医者は・・・」

 「エイリがおる」

 「それは・・・」

 「ヨク。心配するな。エイリにはアキの血が流れている」

 「エイリはまだ若うございます」

 「なにをいうか。既に十七歳を超えているであろうが」

 「テル姉さま。私は」

 「わかっておるわ。おまえはいつもそうだ。若い女子に弱い。はっはっは。だからこそ歴代の巫女さまにも心からお仕えできたのであろうがな」

 「そういうわけではないのですが」

 「エイリと自分とを重ねておるのだろうが、おまえとエイリは全く違うぞ。だいいちエイリは子を産んでおる。女としての一生という意味では十分ではないか。我々とは道がまったく違う。それとも、みずから選んだ道をいまさらおまえは悔いている、とでも」

 「まさか、そのようなことは。テル姉さまのおっしゃる通りです。我々がお空さまの御導きでこの道を歩みはじめたのは、十でしたから」

 「そうよのう。わしは十二であったか。遠い、遠い、昔のことのようで、昨日のことのようだ。・・・いよいよだな」

 「はい。我らの仕事もようやく実を結びます」

 「思えばあの日からもう六十年。長かったようで一瞬であったな」

 「はい。テル姉さま、これでまもなく我らもレン姉さまに会えますね」

 「そうだな。堂々と会える」

 そこで、テルイはちらとヨクをみた。

 「やはり年月を感じるのう。ヨク、おまえは子どものころは目がくりくりとして、あんなにかわいかったのになあ、いまでは」

 ヨクは笑い出す。

 「テル姉さまこそ、白い肌がぴかぴかに光ってまばゆいほどでございましたのに。それがいまは」

 テルイはかさついた手で顔をつるんとひとなでした。

 「おう、そうかの。・・・レンちゃんだけはきれいなままだ」

 「はい。レン姉さまだけはあの日のままで私を叱ってくれます」

 テルイは自分の頭の上を少しみあげ、手をかざした。ヨクも上をみあげた。しばらく二人はまぶしそうな目をして高窓をあおいだ。

 怒涛のような日常が嘘のようで、いまこの瞬間、まるでなにごともなかったかのようなこの平安が昔からつづいて未来永劫つづくかのような、そんな感覚になった。その喜びを暗黙のまま、ふたりはお空さまにお礼を告げている。

 「のう、ヨク。私はな、自分のここに」

 テルイはそういって目をつむり、自分の胸を強く押した。

 「ここにレンちゃんがおる。そしてな、いつも私のすることを否定せんのだ。 『それでいい、それでいいよ、テルちゃん』といってくれる」

 ヨクは手を口にあて、ぐうっと声を押し殺した。目からは涙があふれていた。

 「おまえはやっぱり泣き虫だ、ヨク」

 テルイは笑いながらヨクの頭をなでた。手のぬくもりがヨクの頭に伝わり、余計に涙があふれてきた。

 「おまえは強い。泣きながら前に進む。私など何度逃げようと思ったことか。ははは」

 「テル姉さま、昔からそのようにいわれますが、決してお逃げにならなかったではありませんか」

 「ああ、そうだとも。この世ではヨクが、あの世ではレンリが、私を監視して離さないのだ」

 テルイは笑って薄い光が差し込む小さな窓を見上げた。

 「ヨク、わしはな、あの、れんげの日のように三人でつましく生きていけたら、と夢のようなことを何度も思った。そうやって空想に逃げていた。しかし、それは必要のないことであった。その証拠に六十年経ったいま、思い返せばずっと三人一緒にいたのだ」

 「れんげの日からずっと」

 「そうとも。れんげの日のままで」

 「しっ」

 ヨクは目をぎょろつかせ、テルイの前に手をかざした。

 そこにソウイとギンカがそろって入ってきた。ふたりがヨクに近づいてくると、テルイはヨクの膝もとに頭を垂れ、ヨクは冷静な顔つきを取り繕った。

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