サクの正体
部屋に入ってほどなく、ギルはガンザンに鋭い目を向けた。
「サクさまのことだ。おそらくガクウも関わっている」
(サクさまとガクウ?)
「おまえたち、覚えているだろう? 十二年前のあの夜。南麓村でひとりの少年が奇妙な呑まれ方をした。暁方だ。少年は、弟と二人で部屋にいたのだが、弟はそばにいたのにその少年だけがやみに呑まれた」
「ああ、覚えている」
ガンザンがひっそりといった。
(あれからだ。空の国がおかしくなったのは)
三人は口にしなかったが、同じことを思っていた。
ギルは振り切るようにしてことばを出した。
「俺は・・・、その事件のふたときほど前に、授かり岩で異様なやみの存在を感じたんだ。あの夜、授かり岩の近くを見まわっていた俺は異様な匂いを嗅いだ。甘い匂い。それはユリの匂いだった」
ガンザンは驚いた。
「ユリ? そんなはずは・・・」
ギルはうなずいた。
「そう、そんなはずはない。ユリは、授かり岩から少し西側に位置する小高い丘に植えられている。授かり岩は東から海風が強く吹きつける場所。ユリの花の匂いが届くはずがない」
ウルクはギルの感覚をよくわかっていた。
ギルはモトン族の血が濃い。モトン族ほど確かな五感はないが、特に植物の匂いを嗅ぎわける能力が強い。俺たちもいままで何度もその嗅覚に助けられた。
「もしも、もしもだ。ユリの花たちが、潮風に逆らうほどの強い意志を持って、我々に危険を知らせているとしたら・・・」
ウルクはぞっとしてことばが出なかった。自身の力では感じることのできない能力をもって恐怖を思い知らされる、というのは実に気味が悪い。
「だから俺は授かり岩に向かった。そして、そして、俺は異様なやみの力を感じたのだ」
「やみだと? 授かり岩で? そんなことあるはずがない」
ガンザンはたまらなくなって、ギルの話をさえぎった。
「そうだ。確かに感じたんだ」
「ばかな! 授かり岩は清浄の地だ。不浄の意識体などとどまれるはずがない!」
ガンザンの顔が紅潮してきた。
ウルクはガンザンの肩をおさえた。
「そんなことはギルだってわかってるさ」
ギルはうなずいて話を続けた。
「授かり岩に確かにやみが存在した。存在したのだ。異様な、おぞましい力が。そして俺は見た。授かり岩の下から出て来られた、サクさまの姿を。サクさまは・・・、サクさまはうすい黒い衣を纏っておられた。しかしそれは衣ではなかった。纏っておられたのは、やみひとだった!」
ガンザンとウルクは同時に息を呑んだ。
「ま、まさか」
「俺だってまさかと思ったさ。見間違いだと思った。いや思おうとした。つまり、サクさまがいちはやくやみの力を察知して、授かり岩においでになったのだ、と信じた。いや、信じようとした。しかし翌暁方、南の少年の奇妙な呑み込みがあったんだ。そのとき俺はその事件とサクさまが無関係ではない、と直感したんだ」
「えっ」
これにはウルクもびっくりしたらしい。ガンザンはううむ、とうなって黙った。ギルは目を閉じた。
「証拠はない。場所も離れている。だからそのことは追究せん。追究したいのはそのひと月後のことだ」
「あ」
思わずウルクは口を手で覆った。ギルが目を開けてふたりを見据えた。
「そうだ。ひと月後はサクさまの受胎だ。あの夜も、あの夜もユリの匂いがした。そしてほどなくやみの力を感じた。あの、授かり岩で! 尋常ではない大きさだった! 恐ろしくて、恐ろしくて、俺は頭をかかえてうずくまった」
ガンザンは唇を噛み、ウルクは目を逸らした。
(翌朝、ヨウさまが崩御なされた・・・!)
「そのとき、松浦に祓い師は数人いた。皆、気づかないはずがない。が、すぐにギンカさまから、松浦の祓い師だけに内々にお達しがあった。神聖な授かり岩で、しかも受胎の夜にやみの出現があったということは決して口にしてはならない、とな。ギンカさまはサクさまのことをご存じだったのではないか。そしてヨウさまが亡くなられたのもそのことと関係があるのではないか・・・」
ガンザンがギルの顔を見た。
ギルは苦々しい表情をしている。ギンカ様に口止めされていることをいってしまったことに対する罪悪感か。ヨウさまの死の原因がサクさまではないか、などと、とんでもないことをいってしまったことに対する後悔か。
しかし、ヨウさまの死にサクさまが関わっていらっしゃることにまず間違いはないだろう。その夜はサクさまの受胎の夜だったのだから。あの夜いったいなにが起こっていたのか。
そして、ギンカさまがご存じだったということは・・・。
おそらくヨクさまをはじめ、七人衆と呼ばれている長老さまたちもご存じだったに違いない。
あれから十二年。やみの力は次第に強力になっていき、数日前サクさまがやみに入っていかれた。それからというもの非常事態つづきではないか。異常なほど巨大なやみの出現、チャルラという正体不明の存在、ナツイの変死。
ギルは意を決したように、再び話し始めた。
「すべての鍵はサクさまにあるのではないか? コウさまも長老さまたちもすべてご存じなのではないか? 最近の、長老さまとモトン族の怪しい行動もなにか関連があるのではないか? つまり、コウさまの指示で隠密に動いていると考えられる。俺たちにはなにも知らせずに。知らせることができないんだ。つまり、空人にとっては混乱が起こるほどの衝撃の事実、ということだ。そしてそれは・・・」
ここでギルはやはり口をつぐんだ。ウルクもことばが出ない。
「サクさまがやみひとを操っておられる、ということか」
はっきりと口にしたのはガンザンであった。
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―――サクがやみを操っている。
リュリュからそうはっきりと聞いた。
ゲンの心の中はただ一点のみを見つめていた。
しかしその事実は、重くのしかかる、などという暗いものではなかった。
(むしろ、開けた)
まさかそんな、と思う気持ちを完全に超えて潜在意識が納得している。納得は有無をいわせない。絶対にそうでしかありえないと思う。
(コウに直接確かめるしかない)
コウは指示を終えてとっくに自室に戻っている。
いつものことだが、コウは出発前一定の時間自室にこもる。毎日のことで、その時間は誰も部屋に寄せ付けない。空の神からの啓示をうけているのだろうということを空人は推察していた。巫女は自身にどのようにして啓示をうけるかなど、決して口にしない。それは巫女同士でも互いに口にしないことのようだ。
(コウが神がかっていよういまいがオレにはどうでもいいことだ。とにかくはっきりさせておかねばならない)
からだが冷たく燃えているような気がした。
コウの部屋の外でミノが待機していた。
「あ、ゲンさま。いまは・・・」
ゲンはミノを見た。ミノは一瞬で威圧され、はっと平服した。ゲンも神がかっているのであろう。ミノは引き戸の前にいざりより、コウに声をかけようとしたとたん、引き戸が開いた。
「入れ」
コウが立っていた。
ゲンが中に入り、ミノが引き戸に手をかけると、コウは
「ミノ、下がれ」
といい下した。目が冷たく光っていた。いや、冷たいのではない。ひととしても感情を持ち合わせない光であった。ミノはおののき、再び平服して返事もままならず立ち去った。
ぱたん、と引き戸が閉じられた。
部屋の中で二人はしばらく無言であった。ぴんと張った空気のなかで、互いに無言で相手を威圧しつづけていた。
コウの力がめいっぱい充満しているとゲンは思った。これほどの威圧感を持ってゲンに対するコウははじめてであった。冷たく空気が張り詰め、落ちない。コウをそのような状態にしたのはまぎれもなくゲンの威圧感であったが、そのことにゲンは気付いていなかった。
迷いの廊下での沈黙が、まるで子どものケンカのように思えた。
ゲンは自分の存在がいつもと違うと思った。
こういうことはたびたびあった。しかし、それも含めてオレはゲンだ。伝説の白狼犬なのだ。
「そろそろ、サクの正体を話してもらおうか」
声は聞きとりできないほど低かった。コウは応えない。
「リュリュが、・・・サクがやみを操っている姿を見たそうだ」
わずかにコウの顔の筋肉が動いた。
「オレがここに来てすぐ闘った、あのやみはサクが操っていたのではないか? サクはいったい何者だ? コウ、おまえもだ。おまえたちはいったい何者だ?」
コウは視線を上げるでなく落とすでなく、静かにいった。
「我らは、空の国の巫女だ」
ゲンの気が揺れ、辺りの空気が揺れた。
「しらばっくれるか」
コウは気の揺れを留めるように、凛とした声でいった。
「我らは間違いなく空の国の巫女である」
ゲンがなにかをいおうとすると、コウの視線がゲンにそそがれた。ゲンは感情のない目を見た。ありのままのコウの目。青く深い目。
「が、空の神からいただいた力が従来の巫女とは違う。先日もいったように内なる力の半分がやみだ。母上も、そうだ。その力は空人を守るためにある。やみを呼び出し、体に取り込み、光の力でやみを『浄化』する。今までの巫女は『祓う』ことしかしなかった。内臓に負担がかかるため、制御されていたというのが本当だ。しかし我々はやみひとを『消す』、もしくは『殺す』に値する力をいただいている。空の国繁栄のための絶対的な力だ。この力を使ってやみひとを全滅させることが使命だ。しかし、母上はそうは思わなかったらしい」
ゲンはすでに理解したが、認めたくなかった。コウは淡々と続けた。
「母上は、違う目的に使っている」
ゲンは目を逸らした。ここでゲンはやっといつもの自分に戻った気がした。
コウはふうっと息をついた。
「最後まで聞けよ」
「聞いている」
「私を狙っているのも、空人を呑み込ませているのも、母上だ。もう十年以上も前から、やみの国を支配しているのは母上なのだ」
コウは平然といった。




