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空の子  作者: そうじ
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巫女の墓場

 ぎい、と音を立てて異界への扉が開いた。

 ゲンは緊張したまま足を踏み入れた。

 (今日は寝ない)

 堅く決意をしてずんずんと歩いた。

 鬱蒼とした奥山。薄く差し込む透明な光。怪しく清らかな場所。大木の根元にある、美しい髑髏・・・。

 二日まえと同じ景色がゲンを包んだ。ゲンは前に進むことをためらって、脚を止めた。

 あそこには近づかない。扉近くでじっとしてるんだ。

 ああ、しかし、きれいだ。

 コウは?

 コウもぼうっとしている。

 さっきの闘いで、かなり体力を消耗しているはずだ。

 あいつ、大丈夫かな。

 ああ、コウも光にあたってぼんやりと見える。

 すべてが美しい。

 あれ?

 コウの向こうに誰かいる。

 誰?

 巫女の墓場にどうして?

 あれは誰?


 「ふーん、今度は見えるんだ」

 いきなり横から声がした。ゲンがはっと振り向くと白狼犬が白く輝くからだを横たえている。ゲンはぼうっとしてその美しさにしばらく見とれていた。

 ゲンは白狼犬が首にお札を下げていることに気付いた。黒い数珠を施され、その間から四角いお札が五枚、下がっている。真新しい木の匂いがぷうんとしている。

 (似合っているじゃないか)

 ゲンはそのお札をぎゅっと握りしめたい気持ちになった。少しひずむぐらい、ぎゅっと。

 ゲンはお札に手を伸ばそうとした。

 「おい」

 白狼犬が不機嫌な声を出した。

 「えっ」

 ゲンはびくっとして手を引っ込めた。

 「おいおい、また忘れたのかよ」

 「え」

 「俺だよ、俺」

 「あ、シロ」

 ゲンはとっさに自分の手を見た。人の手。

 「まったくもう。あんたってさあ、成長しないよねえ」

 「ば、ばかにすんな。忘れてなんかいない」

 とはいったものの、ゲンはいま思い出したところだった。シロは白く長い毛を風になびかせなから眠い顔をしていた。

 「ま、いいか。今日はあれが見えるってんだから少しは成長してるか。前回は自分のことで精いっぱいで見えなかったみたいだし」

 「あれはコウの」

 「そう。コウの心のなか」

 「二日前もオレの近くにコウの心象があった、ということか」

 「そういうこと。いつだって他人の心象は見えるもんなのさ」

 「いつだって?」

 「ああ。必要であればね」

 「ふむ。ではコウもオレの心象を見ているのか?」

 「コウがあんたの心象を見る必要はないだろ」

 「え、なんで」

 シロはため息をついてゲンを見た。

 「自分で考えれば?」

 ゲンはシロが呆れていることに気づいているのかいないのか、次々と質問する。

 「オレはコウの心象を見る必要がある?」

 「そうさ。だって見たいんだろ?」

 「うん」

 「だったら必要なんだよ」

 「ふむ。で、あの向こうにいるのって、誰?」

 「それも自分で考えてよ」

 シロは神々しいその姿に似合わない意地悪い笑顔を浮かべながら、なんどか目をしばたいた。黒い瞳が丸くきらきらしていた。

 ゲンはその目がかわいいと思った。手を伸ばしてシロの目の上をそっと撫でると、シロはすとんと力を抜き、目を閉じた。

 「まあ、あれ見てなよ。せっかくだからもう少し見せてやるよ」

 シロは仕方ないという表情をしたが、どこか満足げに片目を薄く開けていった。

 「見せてやるって。この現象はおまえのしわざか?」

 「さあねえ」

 シロはくつくつと笑った。ゲンはコウを見た。と、コウの近くにシロがいる。

 「ん? あっちにもシロ」

 妙につるんとしたからだだなと思ったら、首にお札をかけていないのだった。横を見るとこっちのシロは首にはお札をかけ、一枚の札に頬をもたれかけるようにして寝ている。ゲンがまじまじと見ていると、面倒そうに片目を開けていった。

 「はあ、まったく。わかんない?」

 「なにが」

 「あれ、二日前のこのからだ」

 「へ?」

 「もちろん中にあんたもいる」

 「ははあ」

 ゲンがとぼけた返事をしたので、シロは再び不機嫌な顔をした。

 「シロ、おまえ、そのお札があったほうがかっこいいな。うん、似合ってる」

 ゲンは何気なくつぶやいた。シロは機嫌を直したらしく、尻尾をゆるゆると振り、今度は両目を開けた。

 「あんた二日前、コウが見たっていう情景を自分も見たいって思っただろ」

 「うん」

 「だから見えてるのさ。ほら、せっかく見えてるんだからちゃんと見なよ。俺、少し寝るから」

 シロはあくびをして目を閉じた。

 「あ、う、うん」

 ゲンはシロの閉じた目を見つめ、そのまぶたを撫でた。撫でながら顔を上げるのをためらった。コウの心象を見るのが怖いような、それでいて見たくてたまらない。掘り当てた宝箱をいまから開けるような気分だった。

 ひらひらと光が舞ってきた。

 (ああ、蝶か)

 と思ったとたん、胸がどきどきした。

 ゲンはコウの心象のなかに入り込んだことを察し、おずおずとコウを見た。


 コウは頭をふらふらさせながら作業をしていた。瞼はつぶれかけ、なんども気を失いかけた。やっとの思いで作業を済ませ、ふとゲンを見てみると、大木の根元で気持ちよさそうな顔をして眠りこけている。

 (ふん、ばかなヤツ)

 コウが笑ってゲンのそばに寄ろうとしたとき、白い光がひらひらとコウの目の前を横切った。

 (あ)

 紋白蝶であった。するとぷうんと懐かしい匂いがしてきた。

 足元にしろつめ草が咲いている。はっと気づくと、無造作に並んだ髑髏はどこにもなかった。どこまでもどこまでも遠くまで、しろつめ草が敷き詰められていた。

 (扉は)

 なかった。ゲンは大木の根元ではなく、しろつめ草にうもれていた。暖かな陽を受けて死んだように眠っている。ゲンの白い毛がさわやかな風になびいた。

 そのとき、背後に人の気配がしてコウは振り返った。

 女性の後姿。

 柔らかな陽だまりに包まれて、長い、濡れ羽色の髪が重たく揺れている。

 白い長着に紫の袴。

 (母上? ああ、母上だ。こんなところにおいでになった。やみの国に行かれたのではなかったのですね。良かった。さあ、早く、私とともに帰りましょう。母上・・・)

 女性がゆっくりとコウのほうを振り返ろうとしたとき、

 「うえええん!」

 幼な子の泣き声がした。

 (母上の横顔が見える。ああ、母上、そのような優しい穏やかなお顔)

 サクは微笑みながら、幼な子の頭を撫でていた。

 「コウ、ほら、おまえの好きな紋白蝶だ。だから、もう泣くな」

 (コウ、だって? ・・・ああ、あれは私。幼い私だ。覚えている。そうだ。紋白蝶が野原一面にいっぱいいて)

 一匹の蝶が小さいコウの腕に止まった。コウは急に泣きやみ、目を丸くして蝶を見た。が、その蝶がひらひらと飛んでいってしまうと、思い出したようにまた泣き出した。

 「母上え。えええん、えええん」

 小さいコウはサクにしがみついて泣きじゃくっていた。

 (はは。ばかだな、なにを甘えて)

 しかし、そう思ったとたん、コウの胸がきりきりと痛んだ。目から涙があふれた。

 (なんで涙が出るのだろう。なんで悲しいのだろう)

 サクはコウを抱き上げ、いとおしそうに頬ずりをして歩き出そうとしている。

 (ああ、止まって! その先に行かないで)

 コウは声を出そうとしたが、声は出ない。

 (待って、母上、行かないで! 行ってしまったら、もう)

 幸せそうな母娘は紋白蝶に包まれながら歩いていく。

 (行ってしまったら、もう、戻れない。母上・・・)

 ・・・と、サクが勢いよく振り向いた。

 「コウ、逃げるな」

 厳しい、恐ろしい顔であった。サクの視線はコウの胸を射抜いた。コウは心臓を槍で突かれたような衝撃を受け、どん! と後ずさった。


 コウは、はっと目を覚ました。

 がばっと半身起こし、手は胸を押さえていた。手に涙がぼとぼとと落ちた。

 しろつめ草の野原も、蝶たちの群れも消えていた。

 大木の根元にコウは座りこんでいた。薄い木漏れ陽がちらちらと降り注がれていた。コウは座り込んだまましばらくじっとして、膝近くにある髑髏を眺めていた。

 背中がじんわりと温かい。首をゆっくりとひねってみると、ゲンのからだがそこにあった。どうやらコウは、ゲンにもたれかかるようにして眠っていたらしい。しばらくゲンのからだをじっと見ていたが、そのまま再びもたれかかった。立ち上がることなど考えもしなかった。

 ゲンの体温は体中の毛をまったく温かくしていた。コウはその毛に顔をうずめ、力なく目を閉じた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・


 コウとゲンは祠を出て、御前谷へと向かっていた。ふたりは急がねばならなかった。御前谷で数珠を配る約束で、すでに役の者たちは集まっている時刻であった。

 コウは疲れているのか口数が少ない。

 ゲンも同じく黙ったままであったが、ゲンの場合、理由はただ悔しいからであった。

 今日は寝ないと思ったのに。またしてもコウに起こされた。屈辱だ。しかも、なにか重大な事実を告げる夢を見たはずだがまったく覚えていない。前回は白い玉を見たことしか覚えていなかった。今回は・・・。

 「紋白蝶、だったか」

 ゲンはぼそっと口にした。

 「えっ」

 いままで黙っていたコウが驚いたように返事をした。

 「どうした」

 「いま、おまえ」

 「ああ。紋白蝶、といったんだ」

 「どうして」

 「どうしてって。さっき夢に出てきたから」

 「見たのか」

 「うん。たぶん」

 「たぶん?」

 「よく覚えていないんだ」

 「そうか」

 コウは息をついた。

 「おまえも見たのか」

 「あ、うん」

 「どんな夢だったんだ」

 「・・・覚えていない」

 コウは目を逸らした。 

 雨が降り出している。

 昨日まで乾いていた土地が砂埃をあげて、土の臭いをプンプンさせていた。木々もさわさわと揺れ出した。竹林を見下ろすと、痛いほど鮮やかな緑が目に飛び込んできた。


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