ゲンのお護り
不気味な色をした朝焼けであった。
山の稜線にそって暗い茜色の空が見える。血の色のようだ、とゲンは思った。
朝焼けは雨が降るという前触れだといわれている。しかし、ゲンはそんな単純な色だと思えなかった。胸の奥がざわざわと鳴る。
(空の国の末期の前触れか)
決して声に出してはいえないことをあえてはっきりと思い浮かべ、ゆるく頭を振った。
ゲンの足取りは重かった。
昨夜も駆け通しだった。やみを消しては人を助け、次の場所に移動する。村人どころか制御すべき里役たちさえ動揺している里もあり、必要であれば念話で人々を鎮めた。そのため体力を使い、疲れていた。
しかし、いちばんの原因は伝えても伝えても手ごたえがない、ということであった。自ら発したエネルギーがマイナスとなって自分に跳ね返ってくる。そのマイナスの力が全身にぶら下がっている。
コウも村役里役も、おそらく同じだろう。思いが伝わらない限り人々は勝手な行動に出る。いくらゲンの力が籠められたお札があろうと、人は呑まれる。昨夜はチャルラの出現こそなかったが、被害はどれぐらいになっているのか、ゲンはもう考えたくなかった。
(そして、追い打ちをかけるように、あの事件だ)
ゲンは昨夜、西の稲塚で報告を受けた。
呑まれた祓い師が瀕死の状態で雷山の里に姿を現した。生きているのが不思議なほどの姿ですぐに息絶えたという。
呑まれた者が生きているということは、村役たちの間では予想されていたことではあったが、里役以下にはまだ知らされていなかったことであり、人々はさらに動揺とも興奮ともつかぬ状態になっていた。また、あまりにもおぞましい姿だったらしく、噂に尾ひれがつき、呑まれることへの恐怖に拍車をかけた。
(これからなにかが起ころうとしている)
考えれば考えるほど不安が募る。
雲は暗い茜色をさらに濁し、ゆっくりと広がっていた。
二日前の朝、ユウキと約束したのでゲンはコウの部屋の前に降り立った。が、庭には誰もいない。ゲンは胸がどきんっとした。
(ユウキ、まさか呑まれてはいまいな)
不安を打ち消すために辺りをうろうろした。
と、後ろから声がした。
「お、いたいた。おい、ゲン!」
(ああ。良かった。ユウキ、生きていたか)
ゲンはほっとして涙が出そうになったのですぐに振り向かず、涙を押し殺すようにして目を閉じた。
ゆっくりと振り返ると笑顔のユウキがそこにいた。やはり大きな袋を抱えている。中身は数珠であろう。
ユウキの明るい顔がゲンの心を救った思いがした。
「なんだよ、ゲン、返事ぐらいしろよ」
「すまない。ちょっと考え事してたんだ。おまえ、なんだか嬉しそうだな」
「へっへっへー」
ユウキは頬をいっぱいに突っ張らせて笑った。
「なんだ、変なやつだな」
「じゃーーん」
ユウキは袋からさっとお札を取り出して見せた。
「あ」
村人がつけている札ではなかった。大きめの黒い数珠がぎっしりと敷きつめられ、五つの札がしっかりと結わえられている。札がゆらりと揺れた。真新しい木の札に焼印が押されていた。
源、来、空、浄、光。
(これは)
「どうだ。かっこいいだろ」
「作ってくれたのか」
「ああ」
ユウキは得意そうである。
「うん、かっこいい。忙しかったろうに。ありがとう」
「いいんだよ。俺が作りたかったんだ。・・・兄ちゃんがね」
「ん? 兄ちゃんがどうした」
「・・・ああ。兄ちゃんが手伝ってくれたんだぜ」
「いい兄ちゃんだな」
「うん。ほら、かけてやるよ」
ユウキはゲンの背中に乗ろうとしてうまく乗れなかったので、ゲンはしっぽでひょいっと巻いて上げた。
「おまえ、なんか光が出ているぞ。この光、気持ちいいな」
ゲンが嬉しくて出していた光であった。ゲンは恥ずかしくなって
「ああ、自然と出るんだ」
とごまかした。
ユウキはしばらく黙ったまま、ゲンの光を浴びてじっとしていた。ゲンは「あれ?」と思ったが、そのままにしておいた。するとユウキが、
「なんか、元気が出てきた」
といって、ゲンの首に札をかける作業を始めた。
ゲンは首元から、かあっと熱を発しているのを感じた。いままでぶら下がっていたマイナスのエネルギーが溶けていくようであった。ゲンは心がわくわくし、さっきまでのからだの重さがうそのようで、心からユウキに感謝した。
「ユウキ、ありがとうな」
「へっ、ついでさ」
ユウキはとんっと降りて、満足そうに自分の作品を眺めた。
「おー、いいじゃん。んー、もう少し形を丸くするべきだったかな」
この小さい少年がいっぱしの職人らしいことをいうので、ゲンはおかしくなった。
「そのうちかどが取れて丸くなるんじゃないか」
「おまえって、結構いい加減だな」
「そうか? ん? この文字、呪文のことばか」
「そうさ。呪文習ったときにさ、ぴんときたんだ。これがいいって」
「ほほう。で、源ってオレのことか」
「ええっ? おまえ、知らないのか」
「いつもオレは仲間外れなんだ。コウの陰謀だ」
「ははは。コウのやつ、恥ずかしかったんだろ」
「はあ? 恥ずかしい?」
「じゃ、教えてやる。えーと、ゲンの光でやみを消す、ってな意味だ」
いきなり、後ろで笑い声が聞こえた。ふたりが振り向くとコウがいた。ユウキは口をへの字にした。
「なんだよー。笑うことねえだろ」
「いや、すまん。いかにもユウキらしい理解だったんでな」
「ふん。じゃ、講釈垂れてみろよ、巫女さまよー」
「ばかにするな。源、空より来たりて、光で浄めん。ゲンという白狼犬が空の神の遣いとして降り立ち、この国のやみを光でお浄めになる、という意味だ」
「俺、あってんじゃん」
「まあな」
(うわ。そんなことを村役たちのまえでいわれたら、オレが恥ずかしい)
ゲンはなんだかからだが熱くなった。
コウとユウキはそんなゲンには見向きもせずに会話を続けていた。
「それにしても、コウ。おまえ、今日も汚れてんなー。髪もぼさぼさじゃんか」
「ああ、ロウロウに鍛えられた」
「ふーん。そいつ、強いらしいな」
「うん。最強だ」
「へええ」
コウはロウロウの頭を撫でた。ロウロウは気持ちよさそうに目を閉じた。
「ところで、コウ、どうだ、これ」
ユウキはゲンの首にかけられたお札を指さした。コウはまじまじと見つめながら、
「まあまあだな。でも」
と腕を組んだ。
「でも?」
「なんかしっくりこないな」
「おまえもそう思うか。俺もいまさ、ちょっと手直ししないといけないかなって思ってたんだ。角を丸くするか、それとも」
「いや、形の問題じゃない」
「色か」
「大きさかな」
ゲンの前に立ってみたり横から見たりして、二人がああでもない、こうでもないと語り出した。しっくりこない理由はわからないようすだったが、ゲンとしてはどうでもよかった。首元で自分専用の札が揺れる。それを感じるだけで嬉しくてしょうがなかった。
「もういいんじゃないか。見慣れていないだけだろう。そのうちしっくりするさ」
とゲンがいうと、ユウキがあきれた表情でコウに耳打ちした。
「ゲンってこんないい加減なやつなのか」
「私もそうだとは知らなかった」
ふたりがこそこそと話していたとき、ロウロウがゲンに話しかけてきた。
―――入るべき念の問題でしょう。
―――入るべき念?
―――はい。
―――ユウキが思いをこめてつくったのではいけないのか。
―――それはつくり手として当然です。ですが、ゲンどのの首にあるべくしてあるには、この場の霊力、つまりこの場を取り仕切る神の許しが必要なのです。そのためには神の力をこめないと生きません。
―――空人が下げているお札に巫女の思いが入っているように?
―――ええ。そういうことです。
―――よくわかったよ。おまえ、さすがだな。
―――いいえ。少しだけ長く生きているので知識が多いというだけです。
―――そうか。おまえ、歳はいくつになるんだ?
―――まあ、女性に歳をお聞きになるとは。
―――それは失礼した。いや、意識体の年齢を聞きたかったんだが・・・。
―――ほほ。冗談です。意識体の年齢、ですか。生まれたのは、もう覚えがないほど昔でございます。ゲンどのは?
―――オレは三千年ぐらいになるかなあ。
―――ええ、私もその程度でございましょう。
―――ではおまえも『仙人』なのだな。
―――地球では我々のような存在を『仙人』と呼ぶのですね。
(はっ、またやられた)
ゲンは夢から覚めたような気がした。
コウがロウロウにねぎらいのことばをかけて、頭や首を撫で始めた。ロウロウは「くうん」と鳴いた。 その姿を見ていると普通の羽犬だ。この普通の羽犬にあっさりやられてしまったが、ゲンには不思議と気持ちがいいものであった。
ミノがさっと姿を現し、コウとゲンにあいさつをしてロウロウを連れていった。
コウの部屋はそう広くはない。ゲンのからだの毛で部屋がいっぱいになる。
ほどなくミノがユウキの大好きな芋まんじゅうを持ってきたが、ユウキはやはり正座してかしこまり、 コウのようすをじっと見ている。コウは例によってユウキの作品を鑑定するようにして見ている。
しばらくしてコウは満足そうな声を出した。
「うん。これは文句なしだな」
「そうかあ。ああ、良かった」
「ユウキ、腕を上げたな。ここ半年ほど文句のつけようがない出来具合だ」
「そりゃ、何年も前からおまえにダメ出しされてきたからな。あんだけ文句いわれて嫌というほどやり直ししてきたんだ。誰だってうまくなるさ」
「ははは。許せ。私自身あまりこだわりはないのだが」
「お空さまが許してくれないんだろ」
ユウキは芋まんじゅうをばくばくと口に入れながら言った。
「よくわかってるじゃないか」
「耳にたこができるほど聞いたって」
「はっはっは。確かに」
コウは大声で笑った。ユウキも笑いながら、
「コウもゲンと同じ部類だろ」
「ゲンと一緒にするな」
コウはまた笑った。
(コウもユウキも今日はよく笑う)
ゲンはふたりの笑う理由がなんとなくわかった。
つらいのだ。相当参っているに違いない。特にユウキのようすが少しおかしい気がした。ユウキは二日前のようにすぐ帰ろうとはせず、冗談をいってはコウを笑わせている。コウも急かすようなことはいわない。
ふとユウキが真顔になった。
「さーて帰るかあ。じゃな、コウ」
「ああ、また依頼する」
「おう。いつでもいえよ。ゲン、鶏もらってくぜ!」
「ふん、さっきから断りもなく食ってたくせに」
ゲンは笑って答えた。
「いいじゃんか。お札つくってやっただろ」
「ああ、感謝している」
ゲンは真顔でいった。本当は「おまえ、大丈夫か?」と声をかけたかった。
ユウキはにいっと笑うとぷいっと顔を背けて
「じゃな!」
といって窓から飛び降りた。
ミノは庭に待機していてユウキに大きな包みを渡していた。今日はミノとユウキはお互いに軽口をたたかない。
ユウキが朝焼けの空に消えて見えなくなり、ミノも部屋から下がったころ、コウはやっと口を開いた。
「ユウキの兄が昨夜呑まれた」
ゲンは「はっ」と息を吸った後、
「・・・そうか」
といったまま黙ってしまった。
ふたりは長い時間、姿勢を崩すことなくじっとしていた。まるで動いた方が負けであるかのように動かなかった。それほどショックを受けていた。
ユウキの兄が呑まれたことがショックだったからではない。ましてやユウキがかわいそうだったからでもない。残された者は哀しみを受け入れながら、明日にはないかもしれない今日の命を生きねばならないからであった。この国の全人の心の痛みをいまふたりは一心に受けていた。
東の窓一面に茜色の光が当たった。その光がゲンのからだを赤く染めた。そのようすに気づいてゲンが重い口を開いた。
「今日は雨になるな」
「そうだな」
「行くか」
「うん」
ふたりが黙ったまま庭に出るとロウロウがからだを横たえて見ていた。コウはロウロウに近寄り、黙ったまま背中をさするようにして撫で、
「ロウロウ、行ってくる」
といった。ロウロウはコウの手に頬をすりつけた。
コウはゲンの首に大きな袋を結わえた。五つの札が揺れ、数珠がかちゃかちゃとなった。
その間ゲンからロウロウに話しかけていた。
―――コウは預かる。
―――はい。お気をつけて。
ゲンはコウを乗せて朝焼けの空に向かって飛んだ。




