ガクウ
ガクウは自らの診療所にナツイの亡骸を持ち帰った。
診療所の一番奥にある建物に向かって、ガクウは一人で亡骸を抱きかかえて歩いていた。亡骸は白い布でぐるぐる巻きにされている。
ガクウの足取りは力強かった。表情にはさきほどの悲痛さが微塵もなかった。希望に満ちた表情である。
さきほど泣いたその気持ちに嘘はない。しかしいま、心の底から湧き立つような喜びがそこにある。死んだものはそれまでだ。いつまでも悲しんだところでなんの意味があろう。
だからこそ、亡骸に意味をもたせようではないか。
そう、それは悲しむことではない。水葬することでもない。
研究するのだ。
研究対象となってはじめて未来への可能性となるのだ。将来への希望だ。これはすばらしい証拠だ。やみに呑まれたものが死なないことが立証された。
やみひとがからだを喰っていたと、ガンザンはいった。つまりさっきまでやみひとに喰われていたからだなのだ! これほどまでに新鮮な死体と事実が手に入るとは。
いままでも山奥で食い荒らされた死体はあった。しかし腐敗が進み、いったい獣に喰われたあとなのか、カラスにつつかれたあとなのか、まったくわからなかった。
いま、ここにある事実。これでいままでの推測が真実になるのだ!
やみひとのなかに肉体を喰う者がいる。これはサクさまと研究を続けるなかで、仮説の域を超えることがなかった。
しかしいま、ここに希望が横たわっている。
なんとすばらしい!
ガクウは子どもの頃、強く決意したことを思い出していた。
ガクウは自力で祓いの力をつけた祓い師であり、能力者ではない。しかしガクウは別の意味で能力者であった。医術である。
当時、空の国の医者はサキイの弟子がほとんどだった。ガクウの一族は優秀な医者が代々続いていたものの、空の国全体の医療を担うというつもりはなかった。
そのサキイ一族にガクウ少年が弟子入りを申し込んだ。弟子というよりは養子縁組をしてほしいと嘆願したのである。ガクウ、このとき九歳である。
五歳の頃から、ガクウは父に連れられて中央の学び場に通いはじめた。医師として最低は動けるよう祓いの学びは必要だと、ガクウは父に常に諭されていた。
そこには自分と同じように家族に連れられて来る子どもがたくさんいた。そこで幼い子どもたちは家族の学びが終わるまで一緒に外で遊ぶ。五歳を超えると別の「小部屋」に連れていかれ、「先生」と呼ばれる人に祓いの型を教えてもらう。
この「先生」というのは大人ではなかった。十歳から十五歳ぐらいの祓い師見習いの子どもである。つまりは子守りの延長線であった。無駄にその辺りを駆けまわっているよりは祓いの型だけでも覚えさせた方がいいし、祓い師見習いにとっては良い勉強になる、といったところだろう。
そこでガクウは、ガンザンとウルクに出会った。ガクウとは同い年である。
このふたりは能力者であり、祓いの力もすでに十分で「先生」に教えてもらう必要などなかった。五歳とはいえ、本人と家族の希望があれば祓い師見習いとして見合った教育ができるのであるが、ふたりはそれぞれ違った理由で「小部屋」のなかで「先生」につくことになっていた。
ガンザンの家族はガンザンを祓い師見習いとしての教育を望み、祓い師たちもそれを進めた。しかし、ガンザン本人がかたくなに断った。理由は「基礎から学びたい」という強い意志であった。五歳でありながら「小部屋の先生」たちより祓いの力が強く、にもかかわらず基礎から学ぶというのである。生真面目なガンザンの大真面目な意思であった。本人は無意識なのだが「先生」たちにとっては嫌みである。迷惑な話であった。
ウルクは本人が祓い師見習いとして学びたいと望んだ。しかし家族は反対した。家族だけではない。親せき一同、村役一同、祓い師一同、祓い師見習い一同が反対した。どうしようもない悪ガキだったのである。とにかくいたずらが好きで、仲間も巻き込んで大人をからかうことを楽しみにしていた。「小部屋の先生」たちにはガンザンの存在よりも迷惑な話であった。
ガクウにとってこのふたりとの出会いは衝撃的であった。
ガクウは三歳になるとすぐに医師になるための教育を施され、父や母、兄や姉とともに医師になることがすでに決まっていた。五歳という年齢で、薬草の種類、からだのしくみなどを知ることが面白く、それ以外に世界はなかった。父の意向で「小部屋の先生」に祓いを習うことになったが、実際は祓いに興味がなかった。家で薬を調合していた方がよほど楽しかった。
ともあれ、ガクウは五歳でガンザンとウルクと出会ってしまった。ふたりは正反対の性格のように見えてひどく似ていた。それはお空さまへの信仰、巫女さまへの忠心、人への愛情という点であったが、一番似ていたのはふたりとも「わがまま」という点であった。
「わがまま」、つまり「自分の意思を持って行動する」ということである。
五歳のガクウはそれを「わがまま」と判断した。
(父さんや母さんから「わがまま」はダメ、といわれてきたけど本当はいいんだな。ぼくもふたりのようになりたいな)
ガクウはすぐにふたりと仲良くなり、影響されていった。ガクウの信仰心、愛情の深さ、そして「わがまま」な性格というのはこのときに植え付けられた。
しかし、その付き合いも年を経るにつれて少しずつ変わってくる。ガクウはガンザンとウルクが持ち合わせる能力に嫉妬を覚え始めた。
ガクウが九歳になったころ、ふたりへの嫉妬で狂いそうになった。
どんなに努力してもガンザンとウルクには敵わない。祓いの力で劣っているとは思わない。しかし、やみの察知ができるのとそうでないのでは出発点が違う。これはどうしようもないことだった。
ガクウは毎日毎日、思い悩んだ。
(お空さまはいじわるだ。ぼくをふたりに合わせて、ぼくを悩ませて喜んでおられるのだ)
ガクウはふたりを妬み、空の神を恨んだ。果たしてガンザンとウルクに勝つことがガクウの一生の目標となった。
ガクウ少年は考えた。
ぜったいにふたりより上に立ってやる。自分にできること、そしてふたりにできないこと、それは医術だ。国の医療を仕切ってやる。ガンザンは西麓村の長になるだろうし、ウルクは北麓村の長になるだろう。
でもそれまでだ。ぼくも南麓村の長になる。しかし、ぼくが南の長になるころには、国に存在する医師をすべて仕切り、管理する存在になってやる。ああ、なんとすばらしい思いつきだ!
ガクウは胸がうち震えた。心の底から熱い興奮が沸き立つようであった。
ガクウの命が目覚めた瞬間であった。
それは激しい嫉妬から出た力であったが、嫉妬とはそういうものである。相手を攻撃して傷つけるというような無駄使いで、嫉妬のエネルギーを発散させる短絡的な者もいよう。しかし、そのエネルギーは自らの力を増幅させ、持って生まれた使命を果たすのが本来の働きである。
ガクウは短絡的ではない。嫉妬エネルギーの方向性は決して間違っていなかった。しかし、極端に粘り強く、思慮深く、陰湿であった。
そのころ、南麓の長はサキイ、妹のヨキイが長補佐をしていた。サキイ、ヨキイの弟子は各村に多く存在している。そこを利用しない手はなかった。
土台はできている。そこを体系化、組織化する。また、サキイ一族の医術はガクウから見れば質が低い。質を底上げするために直接指導する存在にならねばならない。
そうして、ガクウは「すばらしい思いつき」をした日から三日後にサキイ一族に養子縁組を申し出たのである。
サキイは涙を流さんばかりに喜んだ。昔からガクウの一族とは疎遠であったが、その優れた医術をなんとか学びたいと思い、何度も交流を申し出ていたのであった。が、矜持の高いガクウの一族からは無下に断られてきた。その一族の期待の子ガクウが自分から望んできたのである。断る理由はなかった。
ガクウはナツイの腐ったからだを大事そうに抱えながら感動にむせていた。
すでにあの頃の思いを果たした。私はいまや医療では空の国の権威となった。
そして、私は今宵さらなる幸運を手にした! それはナツイの最期のことば。それは私にだけ与えられたのだ。私は選ばれた。お空さまは私をお選びになったのだ。ガンザンでもウルクでもなく、この私を!
ガクウは目を輝かせて奥の建物の重い扉の前に立った。そこだけが一段と暗く、深い溝でもあるようなへだたりが感じられた。
ぎぎ、と音を立ててゆっくりと扉は空いた。扉の前を重く覆っていた暗黒がゆるりとガクウを受け入れた。そこには若く美しい女性が立っていた。しかし、顔色が悪く、目の下にはひどい隈がある。からだには青黒い、例の作業着を纏っていた。白い肌がねっとりと暗闇で光っているようであった。
「エイリ。我々が待っていたものが来たのだ」
「はい。父さん」




