生沼
翌朝、ゲンは生沼に向かった。時刻は辰の刻。
空人に見られないように高く飛びあがる。光が散らないように感情を押し殺す。
考えてみれば夜より昼の方が目立たない。少しぐらい光が降ったところで、地に着く頃は粉々で光なのか埃なのかわからないものだ。そうやって空の神の思いも知らぬ間に空人に降りているのかもしれない。
昨夜はどの村も統制が取れない状態だった。かなりの被害があったはずだが数はわかっていない。今日の夕方までにはわかるのだろう。そしてまたコウシが淡々と報告をするのだろう。当然のようにそう思ってしまう自分が嫌だった。こうやって「慣れ」ていくのだろうか。
それにしても昨夜のやみひとは、誘導役が予想したように小者ばかりだった。誘導役に従って行動し、「浄」の札を使いこなせてさえいればなんとかなる大きさだった。事実、勝手に出歩いても「浄」の札を自在に使えた者たちは助かっている。それだけが救いだった。
しかし、あいつの力には効力がなかった。北麓の中枢、土橋の避難所であいつによる被害があったと聞いた。今回は十頭の羽犬がやられた。
あいつは急速に力をつけている。十頭も一気に瞬間移動させることができるようになったということだ。しかもあいつは、祓い師や誘導役は逃げ出した者たちを追って、避難所をおろそかにしていることさえも見透かしている。
このままでは埒があかない。
でも、どうすれば。
三方の山がひどく近く見える。
緑が鮮やかすぎる。また、雨が降る。
それにしても美しい山々だ。ここを管理している山の神はきっとこの山のように美しく深く大きな心を持っているに違いない。
ここはコウいわく「やみの持ち物」である。とすれば深く大きな心の持ち主は「やみの神」か。
深く大きな心を持っていることは必ずしも人に優しいことではない。
人もただの生物の一種である。種族保存の本能に駆られてこの地で生きようとしているのは他の生物と同じだ。いや、ほかの生物よりはよっぽど図々しい。しかし、それは決して傲りではなく、ただの懸命であろう。
懸命。
すべての生き物は懸命である。その結果お互いを殺し合わねばならないこともある。
それは美しい行為だ。
命がけで命を喰っているからである。
例えばコウの中にはいくつものやみひとの命が存在する。その命のそれぞれが命がけなのである。
それをすべて抱え、受け入れ、コウも命がけで闘うのだ。
もちろんコウだけではない。オレも、空人も、モトン族も、・・・そしてたぶんやみひともそうなのだろう。
やみひと。
コウはやみひとを浄化させるとき、哀しくて寂しくてたまらなくなるといった。オレの光に当たればやみひとは即死らしいので、その哀しみをオレが感じることはない。
だが、オレは違う哀しみを感じている。
オレの怒号に従って降りてくる光はとてつもなく哀しい。あれは空の神の哀しみなのではなかろうか。
オレはやみの性を持たない。だからやみひとのことはわからない。わからなくてもいいとは思わないが、オレという存在は違う哀しみを感じるべき存在なのだ。
コウがやみひとの思いを哀しいと感じるのであれば、コウはやみの神の哀しみを受け取ることができる存在であろう。さらにコウには光も降りてくる。ということは空の神の哀しみも感じているのだろうか。
やみの神も哀しいのだ。その思いがあの得体の知れないやみの粒子一つ一つである。
空の神の哀しい光の粒子のように。
お互いが大きく広がって我々を包みこむ。我々は立場も位置も考えも価値観も違う存在でありながら、共に同じ時代を生きている。殺戮の中でお互いを認め合いながら。
懸命に。
西山の奥に入る。
ゲンは考えを巡らしながら、かなり感情が高ぶっていたので、そろそろ感情を抑えなければならないと思った。
(嫌な予感がする)
沼のほとりにはすでにガガがいた。後ろには、テテ、キキ、リュリュ、ブブ、ララ、それにもう一頭いる。その羽犬は白と黒のまだら模様で白の毛がふかふかしているように見える。首にかけた数珠は桜色の珊瑚。雌犬だがテテとは違った、どこか線のほそい羽犬であった。
(たしか南麓村の長補佐、イツキの羽犬だ。名前はええと、そうそう、ピピ)
「待ったか」
「いや、俺達もいま来たところだ」
羽犬たちはゲンにかなり友好的なそぶりだ。リュリュに至ってはゲンのからだはもはや研究対象のようで「あれ? 光が出ていないね。 何をしたの?」と、ゲンのからだをなでまわす。ゲンは一昨日、ゲンのからだをなめるように見ていたガクウの弟子たちを思い出した。
(リュリュの主はガクウだからなあ。ま、こいつに解剖されることはないだろうけど)
そのなかで、テテだけは相変わらずゲンをにらんでいる。そのようすを横目で見ながらガガが口を開いった。
「あ、こいつは」
ガガはリュリュの隣にいるい羽犬にあごを向けた。ゲンはうなずいた。
「ああ、知っている。ピピだな。イツキの羽犬だろ」
ピピは恥ずかしそうに視線を伏せた。隣にいたリュリュがまじめそうに声をかけた。
「良かったね、ピピ。知っているんだってさ。ほら、あいさつ」
ピピはぺこりと頭を下げた。
「こ、こんにちは」
リュリュがまたまじめそうに説明した。
「こいつ、僕の妹なんだ。ゲンさんのこと、かっこいいってずっといっててさ。どうしてもついてきたいっていうからさ」
「きゃあ、兄さん、やめてよお」
ピピはリュリュの後ろに隠れた。テテが「ちっ」と舌打ちをしてピピをにらみつけた。
「けっ、なーにが『きゃあ』だよ」
「テテさん、怖~い」
ピピは甘えた声を出した。テテはますますイライラして、
「ばかか、おまえは」
と吐き出すようにいった。
ガガは叱るような目つきでピッピとテッテを見た。ピッピは、
「ガガさん、ごめんなさ~い」
と得意の甘え声を出すと、テテは、ふんっと首をそらせた。ガガは話しはじめた。
「早速だが、俺らの仲間にククというのがいる。テテの姉なんだがな、サクの羽犬だ」
サク、という名前を耳にしてゲンは胸がどきっとした。昨日のコウの姿を思い出した。
「サクがいなくなってからククは落ち着かなかった。いや、その前から妙だった。で、サクが消えた次の日ククも消えたんだ。俺たち羽犬は結束が固い。仲間に何もいわずにいなくなるということはまずない。そういうことがあるとすれば消されたとしか考えられない」
「消された? 誰に」
「コウだ」
「えっ」
ここでテテがガガに抗議した。
「またおまえはそんなこといって。勝手に決めるなよ」
「テテ、もともとはおまえが見たといったんじゃないか」
「そりゃ確かに見たさ。でもコウが消したなんていってないだろ」
「どうだかな。俺は前からコウが気に入らないんだ。いつもガンザンをこきつかいやがって」
ララがくすっと笑ってガガをたしなめた。
「はいはい。ガガ、そこまで。もー、コウのことになるといつもそうだ。おまえが好きか嫌いかは関係ないだろ? ほら、テテ、ガガのことは無視して、何を見たのかゲンに説明して」
テテはいまいましそうに舌打ちをした。
「わかったよ。あれはサクがいなくなった次の日の戌の刻だ。コウがククに乗って西山の奥に入っていった。私はおかしいと思ってあとを付けた」
ゲンは思わず、
「それで」
と、テテに質問してしまった。ゲンはテテがにらんでくるかと思ってドキドキしたが、テテは気にするふうでもなく、
「ククを見失った。いや、消えたんだ」
と、あっさり答えたのでほっとした。ゲンは調子に乗って、
「どこで」
と、さらに質問した。
「この、生沼だ」
テテの声は沈んでいた。ゲンは納得して
「なるほど。だから生沼を指定したのか」
と独り言のようにつぶやくと、ガガが応えた。
「ああ。あれから毎日この時間にここにきて探しているんだ。あの日、ククの臭いもここで消えた。最期にククと一緒だったのはコウだ」
皆、その話をすでに知っているようすで同時に視線が落ちていく。
どうやら、羽犬たちは空の神への信仰とか巫女への信頼とか、そういうものは持ち合わせないらしい。だが、自分の飼い主が信頼している巫女コウが、自分たちの仲間を消したのかもしれないという疑惑が彼らを落ち込ませるのだろうか。
テテの表情は暗い。
「私は気付かれないようにここから退散して、西山麓に一足早く戻った。西山麓近くでコウは指笛を鳴らした。私がコウのそばに行くとククはいなかった。ククはそれから姿を見せない。臭いもしない。ここで消えたとしか思えない」
テテは黙った。ゲンは同情した。
(コウ相手ではおまえも苦労するよな)
そこでキキが弱々しく反論した
「だけどさ。僕、何回もいうけど、コウがククをどうにかしたって、誰も見てないでしょう?」
今度は勢いをつけてララが同調する。
「そうそう。コウがククを消したとかどこかに連れてったとか、ガガの思い込みだろ」
ガガが口をはさんできた。
「じゃあ、臭いがここで消えてその後ククの臭いが全くしないのはどう説明するんだ? おまえたちもその時からククの姿どころか臭いも感じないっていってただろ」
皆、黙ってしまった。リュリュは隣にいるピピと顔を見合わせた後、目を伏せて黙っている。
ゲンも含め羽犬たちは鼻が効く。臭いを感じることが存在の証でもある。
テテがゆっくり口を開いた。
「私はね、コウがククを消したとか殺したとか、そんなこといってるんじゃないんだ。いってるのはガガだけだよ。まったく」
テテはガガを一度にらんでから続けた。
「コウはね、あいつはね、全部ひとりで抱え込んで自分ひとりで苦しんでいる。いつも、いっつもだ。 今度もなにかで苦しんでいるんだ。おまえたちの主もそうだろうけど、ここ最近忙しすぎるし、このままコウは過労死するんじゃないかって思うほどだ。そんで・・・」
ここでテテはゲンを激しくにらんだ。ゲンは不意をつかれてぎょっとした。
「そこの旦那がきてからもっと悪くなった。コウは考え込むことが多くなってる。何か事情があるんだよ。それを知りたいんだ。そしてククは・・・。本当に変だった。サクがいなくなる数日まえからだ。なにを聞いても答えてくれなかった。あいつも、何か私にもいえない事情があって苦しんでいたんだと思うんだ。助けたいんだ」
テテは泣きそうな顔になっている。ゲンはことばが出なかった。
(オレのせいだといいたいんだろうな)
ガガはため息をついた。
「そういうわけで、ゲン、おまえに頼みがある。コウから聞き出してほしい」
ゲンはとりあえず頷いた。
「聞くのはいいがコウがあっさり答えるとは思えん」
「確かにそうだ。しかしどんな情報でもいいんだ。コウの胸の内などどうでもいいが、とにかくククが無事なのかを聞き出してほしい。無事だとしたらなぜ姿を現せないのか。なんとかしてあげたい。ククは俺たちの仲間なんだ」
ガガは必死にまくし立てる。まわりの羽犬たちも嘆願するような顔つきであった。
この熱い情にゲンは弱い。
(いかん、いかん。昨日、コウに「個人の情に合わせてどうする」といわれたばかりなのに)
しかし、
「わかった。探ってみよう」
と、戒めとは裏腹にことばが出てしまう。
「頼む。助かる」
ガガが頭を下げた。羽犬たちは一同ほっとした顔を見せた。テテも少しは表情が和らいだ。対照的にゲンの表情は硬くなった。
(ああ、無責任な返答をしてしまったか。自分に嫌気がさす。羽犬たちに気に入られようとして返事をしたのではないか。情に弱いとかいいながら、本当はただ嫌われたくないだけではないか)
ゲンが心の中で悩んでいると、ピピがおずおずと声を発した。
「あのぅ、実はあたしぃ、そのあとぉ、ククさんの臭いを嗅いだの」
「ええっ」
全員がいっせいに驚きの声を上げた。
「なんだと? いつ、どこで」
ガガがピピを責めるようにして問いただした。ピピは甘えるでなく、淡々と話しはじめた。
「えーと、一回目は」
今度はララが責めたてた。
「おい! 一回目ってなんだよ! 何回もあったのか」
ピピは「ひっ」と肩をすくめて目をぎゅっと閉じ、
「ごめんなさ~い。二回なの」
と甘えてみたが効果はなく、ガガがさらにとげのある声で急き立てた。
「で? いつだっ」
ピピは片目を少しあけてようすを窺い、首を斜めにかしげ、上目使いで甘えた声を出した。
「ガガさん、怒らない?」
「・・・」
ガガは無言で顔をしかめた。ピピはさらに首をかしげてもう一回甘えた。
「怒らないよね?」
ガガは我慢の限界だったらしく、がううっと吠えた。
「うるっせええ! もうとっくに怒ってるんだ! 早くいえ!」
ピピだけではなくまわりの羽犬たちもびくっとからだをひきつらせた。
ゲンだけは面白く観察していた。が、次のピピのことばでゲンには余裕がなくなった。
「一回目は犬が淵なの」
(なんだって?)
ゲンは嫌な予感がした。
「ホシナさんのとこで、あたしたちの仲間が呑まれたでしょう?」
「ああ」
羽犬たちは暗い顔をした。
「あたし、イツキさんと一緒に兄さんより早めに犬が淵に着いたの。被害があってすぐって感じでね。そしたら、かすかにククさんみたいな臭いがしてぇ」
ここでリュリュが口を出してきた。
「僕、そのあとすぐにガクウさんと犬が淵に着いたんだけどさ、そのときはもう臭いはなかったんだよ」
ブブが不満そうな声を上げた。
「ピピ! なんでそんときすぐにいわなかったんだよ! バカ!」
「だってぇ、かすかにしか感じなくてぇ、自信なかったんだもん。でも兄さんにはちゃんといったもん」
そこでララがリュリュを責めた。
「おいおい、リュリュ。なんですぐにいわなかった? 一昨日は一緒にいたじゃないか」
リュリュは冷静な顔つきでいった。
「物的証拠もなく個人の頼りない感覚だけで公にするほうがおかしいよ。でもちゃんと今日こうして連れてきただろ? 伝える時期は間違ってないと思うけど?」
「リュリュに口では敵わないよ」
キキはぼそっとつぶやいた。
ガガは目を左右に流した。声が低かった。
「で、ネネにはちゃんと聞いたのか」
ゲンはネネを知らない。
(名前からして羽犬なのだろう)
「もちろんよ。でもねぇ、なにもいわないの。見てないともいわないのよ。ほら、ネネってとってもきさくじゃない? 私とは仲良しだしぃ、なんでも話してくれるの。だからきっと見たんだと私は思うの。そして、それはククさんだってわかったんだと思うわ。だってククさんのこと知らないはずないもの。ほら、ククさんとテテさんって有名じゃない? 『巫女付き』だしぃ、『乱暴』だしぃ」
テテはがうっと吠えた。
「誰が乱暴だって? このアホ女!」
「きゃあ! ほらあ、そうやってぇ」
ピピは身をすくめた。女たちのやりとりにガガは反応せず、
「つまりホシナが隠している、ということか」
「ええ。たぶん」
あたりはしんと静まった。ゲンは焦って促した。
「で、ピピ、次はどこで、いつ?」
ピピはゲンから声をかけられて、うれしそうに答えた。
「二日まえの夜にぃ、あたし、イツキさんと一緒に蒲生に行ったんですけどぉ」
今度はゲンが怒鳴った。
「なんだと? おまえたち、あそこにいたのか!」
ピピは驚いて細い声を出した。
「は、はい」
ゲンはさらに声を上げた。
「あれほど来るなといっただろう! ガクウはいったいなにやってんだ!」
ゲンはおさえていた怒りをおさえられなくなった。
「いやだなあ、ゲンさん。ガクウさんのせいにしないでよ」
リュリュは自分の主を名指しで責められたので、あきらかに不機嫌な顔をした。ピピがはらはらしながらふたりを見比べ、焦って弁解した。
「ゲンさん、ごめんなさい。だってぇ、ガクウさんのお弟子さんたちが蒲生に向かっていたの、イツキさんが見ちゃったんだものぉ。止めるためだったのよ」
ゲンは怒りをおさえようとしたがどうしようもなかった。
「いいか! 無事だったから良かったものの、無茶するな! 見ただろう! 呑まれるようすを。あいつは、あいつは・・・」
しかしそれ以上いえない。ゲンは大きく息を吐いた。
(物的証拠はない。個人の頼りない感覚で公言はできない、か)
ピピは表情が暗くなった。
「ええ。怖かったわ。はじめてだった。あんな・・・」
羽犬たちは固唾を呑んだ。ピピは声を落とすようにして続けた。
「近くに寄ろうとしたとき、いきなり光が叩きつけられて目が一瞬見えなくなったの。ゲンさんが飛び込んできたのね。私、驚いちゃって動けなくなって。だから敵の姿は見えなかったの。でもあれはククさんの臭いだったわ」
ガガが意を決したようにゲンに向き直った。
「それで、ゲン。おまえは見たのか」
「完全に見たわけではない。あいつも消えた。その直前、一瞬だ」
「どんなヤツだった」
「羽犬だ」
場の気がきりきりと緊張した。ガガは息を飲んで聞いた。
「色は、見たか」
ゲンはコウの反応を思い出した。
(ククは黒い羽犬なんだな)
ゲンはいいたくなかったが仕方なく、
「黒だ」
とつぶやくようにいった。ああ、という絶望的なため息が漏れた。
ゲンはララとブブに向きなおった。
「昨夜、おまえたちは土橋にいなかったのか」
「ああ。私たちは飛びまわっていて」
「誰か見た者はいなかったのか」
「見てれば生きてないよ」
ララが吐き捨てるようにいった。
ゲンはもどかしい思いを隠せなかった。そのもどかしさを消すような勢いでガガが強くいいきった。
「まず、そいつはククに間違いない。とにかく後はゲンに任せる。どうしてそんなことになったのか、コウが関わっているのか、聞き出してもらうしかない。ククを助ける方法を考えるのはそれからだ」
羽犬たちはうなずいた。テテも神妙な顔をしてうなずいた。
(こいつら、いくら人と心でつながっているといっても会話ができないんだ。コウから聞き出すのはオレしかいない。しかも羽犬の中身があいつだとしたら、コウどころか関わっているのはこのオレなんだから)
そのとき、ゲンは激しい悪寒を覚えた。




