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空の子  作者: そうじ
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 蒲生がもうには多くの蒲が生息する。

 やみの気配を頼りにしばらく飛ぶと、蒲の穂群が見えた。下弦の月が天心よりやや東寄りに位置している。サイナのいう通り確かに人の気配がない。ここは池や沼が多く家を支えるには適しないのであろう。ときどきがさがさっという音がするようであるが、どうやら小動物がゲンの気配を感じて小走りしているようである。

 ゲンはやみの意識体のことを考えた。

 彼らは人体を襲う。では獣は? 動物も襲われないことはないらしい。現に飼育されている牛や馬、鶏なども呑まれている。しかし昨夜、羽犬が三頭も一度に呑まれたというのは異例だという。なんのために?

 また、下でがさがさっと音がした。見るとウサギが駆けている。ゲンの飛ぶ力で風が起こり、その風に気づいてウサギはいったん立ち止まり、長い耳をぴんっとたてたかと思うとまた蒲の穂をかき分けるようにして駆け去った。

 (こいつらもいくらかは呑まれているのだろう。ガクウは獣の呑まれる統計もとっているのだろうか)

 やみひとは、空人のからだを呑み込んでどうしようというのか? 喰う?

 いや違う。このオレと同じことをしているのだ。肉体に意識体が入り込む。あたりまえのことではないか。とはいえオレは呑み込まれたわけではない。うえの命に従って肉体に「宿って」いる。

 コウはいった。呑まれたからだは生きている可能性があると。やみひとが空人の肉体に入り込み、「憑代」として使っていることは明白ではないか。

 しかしできあがった「からだ」、しかももともと意識体が宿っている肉体に、異質の意識体が宿ることは難しい。いったん宿ってもからだがもたずに死に至ることもある。多大な恐怖に出逢い、意識体が強いショックを受けるとからだから飛び出し、そのままからだに戻らないことがある。いわゆるショック死。もしくはからだのなかに留まってはいるが、力が弱くなりすぎて機能を果たせなくなる。いずれにしても別の意識体がからになった器、またはから同然の器に入り込める。

 ここまで考えてゲンははっとした。かすかに感じていたやみの気配が強くなっている。

 獣の臭いがする。この臭いは・・・犬? 近い。もうすぐ、もうすぐ、確実な一点に至る。

 ―――なんだ、怖がってるのか?

 どこからか声がした。

 (怖いものか。オレはあいつを知っている。あいつの力も知っている。もうあいつの思うようにはならない)

 ―――じゃあ、なんで震えてるんだよ。

 (震えているだと?)

 確かにゲンは震えていた。

 (ばかにするな。これを武者震いというのだ)

 ふと我に返った。オレはいま、だれと話していたんだろう。いかん。あいつの存在を感じただけで心が乱れているのか。

 (あの蒲穂の向こうだ)

 ちらちらと姿が見える。どうやらやみを全身にまとっているようだ。

 (目を。目を確認せねば)

 確実にあいつだとわかっているのに、どこまでもこの確実な予感が外れてほしいという願いがある。決して恐れからではない。あいつがやみ側にいると厄介ことになるからだ。

 と、確実な一点に向かうまえに別の臭いがした。

 (人? まさか! 人がいる?)

 はたして人であった。月の弱い光が人間の頭を象っている。二人。横に羽犬が二頭。ゲンは作業着を見とめた。色まではわからないが、さっきゲンを見ていた研究者であろう。

 (あれだけ来るなといったのに!)

 ゲンは全速力で飛びすさんだ。

 (いかん! やつを見るな!)

 「おまえたち! オレをみろ!」

 ゲンは叫んだがことばにはならなかった。激しい吠え声になって同時に光を叩きつける。

 ぐおおおおおおおっ!

 激しい光と風がはやてのようにかけ、ざああっと蒲穂を揺らした。蒲穂の花粉がぶおっと飛んで、光と混じりあった。光が辺りを照らし、そこいらいったいが一瞬にして昼間のような明るさとなった。

 そこでゲンは見た。ふたりの作業着たちが、二頭の羽犬が、ぐるんとゆがんだ姿を。全員がしゅるっと音を立てて、渦のなかに消えていくのを。そして、その前にいたものを。

 (黒い、羽犬?)

 羽犬の体臭を嗅ぎつけてはいたが、それは空人が乗ってきた羽犬だと判断していた。黒い羽犬と思われる姿からまとっていたやみが消えていた。ゲンは全速力でその羽犬を襲った。

 うおおおおっ!

 と吠えながら首元に喰いついた。いや、喰いつく予定だった。が、黒い犬は地中に入り込むようにして、消えた。

 しゅるっと。

 渦を巻くように。

 全速力でぶつかるつもりだったゲンはすかされ、顔から地面にぶつかろうとしたために、からだを翻し、結果、背中をどおんと地にぶつけてしまった。ずさっと背中を地に滑らせてごろんっとひとまわりして転倒した。からだじゅうに蒲穂が塗りつけられ、全身の白い毛が黄色くなった。ゲンは寝転がって夜空を見あげる格好となった。

 (間違いない。あいつだ)

 黒い夜空から白い光がきらきらと振ってきた。みずからが発した光であったが見たことのない色。

 (ああ、蒲の花粉か)

 間に合わなかった。もう、ここには誰もいない。敵も味方も。跡形もない。ただ、蒲穂たちがなにごともなかったかのようにさわさわと揺れているだけであった。

 下弦の月が情けない顔をしてゲンを見ている。

 光がゆらゆらと落ちて、ときどき風に吹かれて流れる。蒲穂たちは揺れ続けた。ゲンはゆっくりと起きようとして、力が出なかった。そのまま四足をぽくりと折って伏してしまった。

 ちくしょう。オレはおおばかだ。なにが武者震いだ。スピードを緩めていただろう。

 違う! ようすをみようとしたんだ。

 嘘つけ。怖かったんだろう。あいつが怖かったんだろう。

 ああ、疲れた。手足が思うように動かない。なんかどうでもよくなった。

 ゲンはその体勢のまま、また空を見あげた。


 一方、コウは小河原に急いでいた。小河原の避難所付近にやみの気配を感じる。

 (遅れたかっ)

 コウは山間の集落の上で滞空して待つルキクをみとめた。

 ルキクは叫んだ。

 「コウさま! 小河原に父と弟子がふたり、羽犬が三頭残っています!」

 「えっ、キユウが? わかった! 詳しくはあとだ!」

 テテは風のように飛んだ。

 (あの強情っぱりが!)

 コウはテテを急がせた。

 小河原の屋敷は残っていたが、まわりにあった木材が喰われている。

 「キユウ! 返事をしろ! キユウ!」

 コウはテテを低空飛行させて丹念に探したが、人の姿は見られなかった。

 「キユウ!」

 今度は地上に降り立った。コウの声が悲愴なほどに甲高く響き、そこには誰もいないと証明していた。

 「ああ」

 コウはがっくりとうなだれ両膝をついた。急に全身がだるくなり、めまいがしてそのままばったりと倒れ込み、ごろんと仰向けになった。テテがコウのそばにより、心配そうにコウを見ている。

 (キユウ、小河原にはまだ、おまえが必要なんだ)

 山の木々が立ち込めるようにコウの視界に存在した。真ん中の狭い領域に透き通った夜空が見えた。月は東寄りの木々に引っかかるようにして半分だけ顔を出し、おずおずとコウを覗いている。

 (詰めが甘いのは、私だ)

 コウは自分の甘さを悔やんだ。わかっていながら止めることができなかった。両のこめかみを涙が伝って流れた。

 (耳の中に入りそうだ)

 とぼんやりと思った。しかし涙を拭う気力がなかった。

 コウは空を見あげた。下弦の月が静かにコウを見ている。コウは月から目を逸らし、手の甲をゆっくりと目頭にあてた。

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