空の国
この国は「空の国」という。
その人口わずか二千人程度の海辺の小さな貧しい国である。北、南、西の三方を高く険しい山に囲まれ、東方は海に面し、四方にしたがって四つの村がある。その生業は主に農業・漁業・林業である。それぞれの村には村役が配置され、巫女に護られながら子孫を残してきた。
国の人々は「お空さま」という神を崇め、みずからを「空人」と呼んだ。
空人は、昔から「やみひと」の恐怖に怯えて生きていた。
やみひとは実体がない意識体だけの存在であり、その正体は不明である。彼らは「やみ」から湧き出て、人、動物、ものを「呑み込み」、やみに消えていく。その先には「やみの国」があるといい伝えられる。
呑み込み。
人々はそう呼んで恐れていた。
そのやみひとを祓えるのが巫女であり、巫女によって国は存続している。
巫女は、満十五になって最初の月のない夜に受胎をする。空の神、つまりお空さまから力をいただき、身ごもるのである。
身ごもるのは一生でいちど。生まれる子はすべて女。
生まれた子は「空の子」と呼ばれ、真の巫女となるべく母と祖母から教育を受ける。
巫女は同時に三代まで存在する。自分の子が子を身ごもると、祖母になった巫女は「大巫女」と呼ばれ、その孫が子を身ごもると命が尽きる。
巫女は空の国を統べる。
統率力はもちろん必要だが、特に必要なのはやみを祓う力である。
巫女は肉体は人であるが、内なる力そのものが光である。そこにいるだけでやみは近寄れず、巫女が祈りを捧げるとやみが祓われる。巫女の力が弱いとやみが蔓延し、一家まるごと呑み込まれることさえ珍しいことではなかった。
空人にも生まれながらに祓いの力を持った者がいる。人々から「能力者」と呼ばれ、彼らは巫女から「祓い」を学び、巫女に認められれば「祓い師」となり、国を護る存在となる。数としては全体の一割ほどであった。
能力者でなくとも、祓いの型を学び、また、巫女から与えられた「祓い具」を使うことによって一時的に力を発揮することはできる。しかし、いずれにしてもその力は小さい。
とはいえ、巫女の統治以前、やみを祓う道具は「火」しかなかった時代と比べれば、格段の違いがあった。
サクの母は「ヨウ」、祖母は「ライ」といった。ヨウもライも、いままでの巫女とは比べものにならないほど強い力を、空の神より与えられていた。
代々、巫女はそれぞれの「星」を持つ。
例えば、ライは「雷」、ヨウは「陽」、サクは「策」であり、コウは「光」である。
巫女の星は、受胎の夜に空の神の力とともに降りてくる。それを名にし、常に発声することで与えられた力を発揮する。音は天に通じ、みずからの肉体を支配し、内なる力にあふれる。また、人々が巫女の名前をそれぞれ発音することで、国全体に巫女の力がゆきわたる。
いわば、巫女を媒介として空の神の治世がおこなわれてきた。
ライが産まれた頃は、その母、祖母の力が弱く国はすさんでいた。しかし、ライ、ヨウの力が強く、その治世でやみの力をおさえることができていた。
ヨウはサクを産んだ。サクにはライやヨウほどの祓いの力がなかったが、ライ、ヨウが確立した治世を引き継ぐには充分であった。
ところが、サクの受胎の夜、事件が起こった。
ヨウが変死したのである。原因は不明であった。
ライは、サクがコウを身ごもったことですでに命が尽き、国内にその姿はなかった。当然、国を守るのはサクのみになり、なんとかひとりで国を守ってきた。ライとヨウとサクの三代で作りあげた制度が功を奏し、被害を最小限に食いとめてはいたものの、最近になってやみの力が増大し、呑み込みの被害が増えてきた。
ここまで話すと、サクは苦しそうに息をついた。
「私に母や祖母ほどの力がないために、国の人々には申しわけないと思っています。唯一の望みはこの子に力があることでした。巫女は内なる力が光。そのうえ、この子に与えられた星は光でございますので、強い祓いの力を持っております。コウは一歳の頃から、そこにいるだけでかなり広い範囲のやみを祓っておりました」
サクはそれから目を伏せてしばらく黙り込んだ。
ゲンは改めてコウをみた。しかし、彼女は眠そうな顔をしてゲンの脇腹に寄りかかっているだけである。ゲンにはひどく間抜けな子どもに見えた。
「だったら、コウがいれば問題ないだろう」
サクは首をもたげてゆるくかぶりを振った。
「このところ、やみの力が急激に増してきているのです。私に力がないことをやみひとも察しているのでしょう。本来ならば三代の巫女がいて国を守るのですが、さきほどお話しましたようにいまは大巫女がおりません。コウにいくら力があっても、しょせんはまだ受胎前の十二歳の子ども。巫女は、受胎を終えれば力が格段にあがるのです。この子が受胎を迎えるまえに決着をつけようとしているのでしょう」
その顔は憂えて弱々しいが、青い瞳がときどき美しくきらめく。サクの力は消して弱くない、とゲンは本能で感じた。
謙遜しているのか。
「コウは、この子は明るく強い子でございます。それに、伝説の仙獣を呼ぶ力を持っておりました。それがゲンどの、あなたなのです」
伝説といわれても、ゲンにはまったく覚えのないことだった。
きっと別の仙人の意識体がこの肉体に入り、それなりの仕事をしたんだろう。
「オレは今日初めてここにきた。なんのことかわからん」
「無理もございません。二千年ほど前のことといい伝えられていますので。歴代の巫女でさえ、くわしく存じてはおりませんでした。ただ、言い伝えは残っております。そのお話をいたしましょう。私ども巫女の始祖の話でございます」
そういってサクは、伝説について話しはじめた。
二千年ほど前のこと。
空の国は、まだその名もない小さなムラだった。
海、山の幸に恵まれ、細々と暮らしていたが、漁や猟というのは暮らしが安定しない。そこで、田畑を作り農業を営みはじめていたという。
ところが、時を同じくしてやみが現れはじめムラを脅かした。次々に呑み込まれ、人々は恐怖で心もからだも病んでいた。
そんなある日、美しい少女がこのムラに降りてきた。白い仙獣に乗り、その姿は神々しいばかりであったという。少女は空から村人にいった。
「私は天から遣わされたものです。やみを祓い、あなたがたを助けます」
そういって、仙獣とともにやみを祓ったのだという。
サクはふうと息をついた。
「その仙獣がゲンどのでございましょう。しかし、その名も姿も働きも、誰もくわしくは知りませんでした。ただ」
「ただ?」
「この子がはっきりというのです。それはゲンだ、ゲンならば空の国を救える、私はゲンの力を知っている、と。なぜ知っているのかときいても、わからないというだけでございますが」
だったら、その力とやらをオレに先に教えてほしいぐらいだ、とゲンは思った。
このからだはいままで使っていた仙術が使えるのか、それ以上の特別な力があるのか。
サクがコウを見やる。その目は我が子を見る目とは思えなかった。手に負えないとあきらめているのか、畏れを抱いているのか。いや、コウの力をはかりかねている、といったところか。
コウは・・・。コウは相変わらず眠そうで、焦点の合わない目でぼんやりとしている。なにを考えているのか確かに簡単にはかれそうにない。
巫女という存在は特殊であるだけに、普通の家族愛はないのかもしれない。母子とはいえ対等の位置にいる。お互いの星が違い、力の質が違うことはわかっていても、どこかで嫉妬をおぼえ、故に自己の能力を高めるということもあるのだろうか。
目の前にいるふたりを見比べながら、ゲンはそんなことを考えた。
そのとき。




