葛原の里
葛原に向かってしばらくは、サイナとゲンはひとことも口をきかなかった。お互いにさきほど感知した「得体の知れないモノ」のことを考えていたからであった。
山間が多く、ところどころに集落と思われる場所があったが、灯りもなく息を止めてひっそりと身を固くしているように見えた。人々は非難所に強制収容されているのであろう。誰かがいるとしても、盗人か「やまんと」か。いずれにしても姿を現すことはない。
「ゲン、葛原ってはじめてよね」
やっとサイナが口を開いた。そのことばでゲンははっと我に返った。ずっと考え事をしていたせいか、その時間はひどく長かったように思える。
「葛原どころか南麓村がはじめてだ」
「そうね。葛原は南の中心地ってところね」
「中心地ということは村長のガクウがいるのか」
「ええ。長のガクウ、それから長老のサキイ、ヨキイ。南の有力者の里ね。南って家畜が多いのね。馬とか牛とか。山羊に鶏に、そうそう犬ね。だから昔から獣医がが多いの。サキイとヨキイは獣医の家系。ガクウは主に人間を診る医者の家系。どちらも空の国には欠かせない名医。でもその性格は全く違ってて、でも同じ村役をしている。葛原は興味深いわ」
「興味深い?」
「そ。興味深い」
サイナが普通の少女の表情になっていたので、ゲンもほっとした。
「サキイとヨキイって泥臭いおばあちゃんたちなのよ。いっつもふたりでああでもないこうでもないって走りまわって、その割には報われないのね。要領が悪いのよ。でも人気がある。特に貧しい人には代償なく薬をあげたりするからよ」
「ほう。殊勝な」
「そう? 私はどうかと思う。好意は好意として認めるけど、薬に使われたいくつもの命となにより自分に失礼しているのよ。命は神さまからもらっているのよ。ということは、いま生きているこの時間は自分のものではない。神さまからいただいた時間をただで呉れてやることになる。それはおかしいと思うのよね」
「困っている人を助けたいという気持ちは自然のものだろう」
「そこよね。本当に困っている人なのか見極めができていればそれでいいの。でもたいていの人は見極めができないのよ。それだけじゃない。困っている人を助けたいと思ってやっているのか、困っている人を助ける『いい人』になっている自分に陶酔したいのか。そこさえあいまいなのね」
「そこは難しいところだろう」
「ふふ。それを難しいっていうなんて、ゲンもその部類ってことよ」
(くっ。いちいち生意気な娘だ)
ゲンはことばが少なくなっていった。代わりに勢いがついたサイナはくるくるとよくしゃべった。
「サキイとヨキイもそういう部類の人間なの。その一族も含めてね。彼らが『いい人』といわれるために行動しているとまわりに甘えが出てくる。利用する人もいる。しかも利用する人も自分が利用しているとは気づかない。そうなっちゃうのよ。だから『いい人』は『報われない』。報われないことでもう少し学んでくれたらいいんだけど、『いいこと』やっているんだからいつか報われる、なんて勘違いしてやり続けてまわりをだめにしているのね」
「ううむ」
「たとえば、そうねえ。サキイが貧しいと判断した人に無償で薬を上げたとする。最初はその人はサキイの善意に感謝する。拝まんばかりにね。でもそれが二回、三回と続くとあたりまえになる。『サキイさまはいい人だから代償なんて求められない。代償を払うと返って失礼になる』なんてね。たとえ支払うことができても『いまは食糧に少し余裕がある。米もある。トウキビも収穫できた。代償を求められれば払えないことはない。だけどうちだって家族がいる。蓄えておかないといつ食べられなくなるかわからない。サキイさまはそのことを十分にご存じだ』って思っちゃうのよ」
「ふむ」
「そんな人がひとりでもいれば、その人はサキイの後ろにおいでになる神さまに失礼しているの。サキイ本人が気にしていないからいいっていう問題じゃない。サキイに命とからだと時間をお与えになった、神さまに失礼していることになるのよ。そしてサキイも神さまに失礼しているのよ。どちらも無意識にね。そんな罪がごろごろしている」
「だから代償が必要だといいたいのか」
「そう。コウちゃんや村役たちや、ゲンもそうでしょ? 畑を耕してもいないしなにかを生産しているわけでもない。でも、食事も寝るところも不自由はしていない。それはこうやって人々を護るために働いているから人々が代償を払っているの。神さま、この国では『お空さま』が背後においでになるから、そのことに感謝の気持ちを表しているわけ。それが自然なのよ。神さまがこしらえた摂理なの。だから、それを無視してはいけないのよ。もちろん、その摂理を利用して必要以上に多く取ろうとするのもいけない。まあ、それはガクウの家系代々のやり方なんだけどね」
「ほほう」
ゲンは少し面白くなってきた。
「ガクウの家系って高飛車でいけすかないやつばっかりで、医者としての腕はいいけど村人からは嫌われてたのね。まあ、サキイたちは別として、医者ってたいていそうじゃない? ガクウを見ればだいたいわかるでしょ?」
(ははあ、あんな感じか)
ゲンは思わずうなずいた自分に気づいて苦笑いをした。
「サキイたちはみずから貧しい人たちのところに直接飛んでいって家畜のけがや病気を治していたのね。で、ついでに人間も診てたってとこね。サキイ一族は代々能力者が生まれる。あの二人は能力者で祓い師なの。だから少々山奥に出向いてもモノノケの気配を感じて祓うこともできた。だけどガクウの家系は先祖の代から出向かない。能力者の家系ではないのよ。下手に出歩くとモノノケに呑まれる。実際に優秀な人材が呑まれたこともあったんじゃない? だけど能力者の血を家系に取り込もうともしなかった。自分たちの血を乱されるのが嫌だったってとこかしら。つまり矜持が高いのね。でも腕がいいから評判になって他の村からも病人がわざわざ訪問してくるの」
ゲンはカツアがいっていたことを思い出した。
(そういえば、ガクウは祓い師だが能力者ではないっていっていたな)
サイナは話し続けている。
「裕福な人たちが病気やけがで訪問し、たくさんの食糧やものをまるで献上するように置いていくから、それがあたりまえになっちゃった。傲慢になったのね。だから貧しい人を診なくなった。でも、巫女や各村の有力者のところには往診に行く。それで人に嫌われるようになったのよ。お互いに同じ医者でありながら、サキイ一族とガクウ一族は疎遠になる。そしてガクウは一族の期待を寄せられる長男として生まれたの。その力は優れていたし、一族どころか空の国全体の期待を背負った。そのガクウが」
「ガクウが」
「サキイの弟子になった」
「ほう」
「ね? 面白いでしょ? 弟子だけじゃなく養子縁組もしたのね。ガクウが九歳の時に自分からサキイの家に行って嘆願したのよ。もちろんガクウの両親も親せきも猛反対! でも押し切った。そしてガクウはサキイの養子になり、空の国全体の医者の力を底上げした。はっきりいって医術としてはガクウ一族のほうが優れているのよ。でも一部の人間しか診ていなかった。それに対してサキイとヨキイは空の国全体に出向いて人々や家畜の面倒を見ていた。他の村にその弟子も多い。ガクウはそこに入り込んで直接指導し、空の国の医療を統一しようと考えたの。九歳でそこまで考え、二十数年経ったいままさに実現している。しかも」
「しかも?」
ゲンは、サイナの話に引き込まれた。
「サキイの娘をお嫁さんにしたのよ。ガクウよりずいぶん年上よ」
「ほほう」
「年上の女性を猛烈に好きになってどうしても結婚したくて、それで反対を押し切って養子縁組までしたのよ! 素敵よね! 愛があれば年の差なんて!」
「は?」
「って話ではないのよね」
「早くいえ」
「あはは。ガクウは自分の子孫に能力者の血を入れたかったってこと。確かに能力者が生まれ、医術も優れていれば自由に動ける。で、子どもは半分が能力者だった」
「良かったじゃないか」
「まあね。でも子どもたちが次々とモノノケに呑まれてしまう。そして妻は原因不明の病気で死んでしまう。ガクウはそれを助けることができなかったの。ガクウの哀しみはさぞ深かったことでしょうね。それから彼はいままで以上にかたくなに呑み込みの研究をはじめた。彼の喜怒哀楽はすべて研究という形で表現されるのね。それも興味深い」
ゲンはここで疑念を持った。
それはコウがいっていた。サクが一部の役と研究していたという、あれか。しかし、それは昨日の朝にはじめてコウが明かしたはずだ。なんでサイナが知っている? だいだい十二歳の少女がどうしてそこまでサキイやガクウの家系に詳しい?
「おまえがそこまでサキイやガクウに詳しいのはなぜだ」
「調べたの」
「なぜ」
「仕事だから」
(コウの密偵というところか)
ゲンが妙に納得するとサイナは人差し指を唇にあてた。他言するなということだろうとゲンは判断した。 サイナは声をひそめていった。
「ガクウはね、弟子たちにからだを集めさせているの」
「からだ?・・・死体か」
(まさか生体実験ではなかろうな)
「そうよ、死体」
「そうか」
(生体ではなかったか)
サイナはしばらく沈黙のあと、ぽつりといった。
「ふうん。驚かないのね」
「医者や研究者であれば当然の行為だろう」
「ふうん」
サイナは大きな目をさらに大きくしてゲンを見つめた。黒い瞳がぎらっと光った。
「やっぱりあなた、ここの意識体ではないのね」
(いかん。生体実験どころではなかった。この国では死体を研究に使うなど許されていないのだろう。勉強不足だった。簡単に答えてはいけなかったのだ)
ゲンは焦りながらもとりあえずとぼけた。
「なんのことだ」
「私はジャクルみたいに甘くないの」
ゲンにはそのことばの意味を考える暇がなかった。サイナの鋭い目がゲンを突き刺すようであった。射殺されるような視線。前かがみの体勢。いまにも飛びかかろうとしている獣のようであった。ゲンの意識体を見極めているのであろう。
(すごい殺気だ)
ゲンはその殺気を受け止めるために、丹田に力を込めなければならなかった。すると一気に丹田から背中に力がめぐり、頭に血が上りそうになった。どうやら獣である肉体のほうが本能をおさえられず、戦闘態勢に入ろうとしているらしい。ゲンは意識を一歩うしろに下げる努力をした。手綱を引くような感覚を覚えた。
長い時間に思えた。ぞくぞくするような興奮がこみ上げてくる。その感覚におぼれそうになる。からだ全体に気がめぐる。「闘え」という命令が全身になされている。気が充実してくる。熱い。必死でおさえ、おさえてはこみ上げ、
(ああ、もうだめだ)
と思った瞬間、サイナがふっと殺気を解いた。
「ま、いいか。コウちゃんに危害を与える存在ではないみたいだし」
(助かった)
ゲンはふうっと力を抜いた。
「あたりまえだ。オレはコウに引っ張り出されたんだ」
「確かにね。疑って悪かった。それにしても」
サイナはふふっと笑った。
「もう少しで私、ゲンに殺されるところだったみたいね」
「なにをばかな」
ゲンは平静を装ったがからだじゅうがまだ熱い。その熱が少しずつ冷たい汗になって流れていく。
「ゲン。そのからだ、制御できてる?」
(こいつ、ただの少女ではない?)
ゲンは問いただしたい気持ちにかられたが、それをしてしまうとサイナのいうことを認めることになる。
「おまえがなにをいいたいのかオレにはわからん」
「ふうん」
(オレの肉体と意識体をどのように理解したのか)
サイナはなにもなかったかのように話を続けた。
「ガクウはね『山つき』の墓を次々とあばいたの」
「墓を」
ゲンは用心深く相槌を打つ。
「ええ。『海つき』は死体を海に葬るの。空人も同じ。でもね、『山つき』は土葬。『山つき』の墓をあばくのって手っ取り早くからだを手に入れる方法としては間違っていないのよ。でもね、ここの神さまはお許しになっていない」
ゲンは再び気まずい思いをしたが、サイナはゲンを見なかったのでほっとした。
「『海つき』や空人の死体も、浜辺にときどき戻ってくることがあるのよ。・・・ま、あれはもう死体とはいえない。からだじゅう魚に食い荒らされた無残な肉塊。手足の一部、髪の毛が巻きついた頭部、内臓が飛び出た胴体、だったりね。しばらく砂浜に放置するとウジが沸いてくるし、空人はそれを気味悪がって近づかないし。で、必然的に片づけるのは日出浦の仕事になっているわけ。そのモノをガクウの弟子たちがこっそり受け取りにくることもあるらしいの。それだけじゃないの。山奥でひっそりと死んでいるものも少なくないのよ。それも人知れず回収している」
「それが呑み込みの研究なのか」
「そうらしい」
「ガクウの妻が病死してから死体研究をはじめた、ということか」
「正確には違う。墓を暴いて死体を切り刻んでいたのはもっと以前からよ。医者や研究者であれば当然の行為、なんでしょ?」
(こいつ・・・)
ゲンは決まりの悪い顔をした。サイナはゲンを見てくすっと笑った。
「やってはいけないことって魅力あるのよねえ。ガクウも自分をおさえられなかったんでしょう。病気の治癒のためとかなんとか正当化してやってたんじゃないかしら? それがいまじゃ、呑み込みの研究のためという名目に変わったんでしょうけど」
「そして、巫女であるサクが禁断の行為を許した」
「ご名答。ゲン、とりあえずバカではないのね」
(いちいち腹がたつ)
とゲンは思ったが話を先に進めた。
「巫女が許したということは、つまり空の神が許したということか」
「そうかもね。巫女はそれぞれ独自のやり方で空の神とつながっているから。時の巫女のやり方がつまり、空の神のやり方なのよ」
「でも公言はしなかったんだろ。いくら空の神からの啓示だといっても、サクもガクウも少しは後ろめたいと思っていたのじゃないか」
「ガクウはそうかもね。サクは・・・」
「サクは?」
サイナは目を伏せたがさっと顔を上げた。
「どうだろ。巫女の本心ってよくわからない」
(確かに)
ゲンは納得した。
「昨日、呑み込みの研究がなされていることをコウが会議ではじめて口にしたらしいのだが、サクとガクウ、そしてごく一部の役しか知らないことだとコウはいっていた。なぜおまえがそれを知っている」
「私がその、ごく一部の役なのよ」
「研究を手伝っているのか」
「とんでもないこといわないで! 墓を暴いて死体を切り刻むなんて普通の人間のすることじゃない! 空人もモトン族も普通はそんなことしない。サクとガクウの極秘情報だったのよ。それをコウちゃんに教えたのが私ってこと」
「コウも知らなかったのか」
「そ」
(サクだけが知っていた)
ゲンは一昨日のサクのことを思い出していた。やみのなかに入るときの強い表情。
サイナがふと気づいたようにいった。
「そういえばガクウたちはゲンのからだに興味津々なのよねえ」
「えっ」
「捕まえられて切り刻まれるかもね。ま、気をつけてね」
サイナは意地悪に笑った。
「まさか」
ゲンは笑いながらサイナの次のことばを待った。が、サイナはなにもいわず、しばらく沈黙が漂った。ゲンは「?」と思ったが、とりあえず間を持たせるためにさきほどから疑問だったことを聞いた。
「『山つき』はどれぐらいいるんだ」
サイナは首をかしげた。
「さあ?」
「知らないのか」
「いわないのよ」
「なぜ」
「今日の仕事は終わったの」
「は?」
「あそこよ」
「え」
「だからー、葛原に着いたんだってば! もう、にぶいやつ!」
遠くに灯りが見えた。
近づくとずいぶん立派な屋敷である。北麓の「御館」のような端麗さはないが厳格な感じを受ける。中央に大きな縦長の建物がでんと構え、いわゆる診療所なのであろうと思われる。また、さらに奥にも獣を収容する建物もあるようで、奥から時々鳴き声も聞こえる。松明の灯りだけではっきりとは見えないが、奥にも折り重なるようにして簡素な造りの建物が並んでいる。
(まさか、あの奥で死体の解剖をやってるわけではなかろうが)
ゲンはふとサイナのほうを振り向くと、いない。すると上から声がした。
「私、帰るねー」
「え」
「ひとりでいけるでしょー?」
「おい」
「楽しかった! じゃあねえ!」
サイナは夜空高く飛び上がった。
ゲンは葛原に降り立った。人の臭いと獣の臭いを嗅ぎつけたが血の臭いはしない。というよりは臭いが消されているといったほうが的確なのかもしれなかった。
ここは診療所であろうが建物が多すぎる。いくつもの屋根が重なり、おそらく二十はあろうかと思われる。ひとつの建物にいくつかの松明がぽつり、ぽつりと揺らいでいる。
地の落ち着き、木々の静けさ。時折聞こえる獣たちの声。たくさんの人と獣がいる気配はわかるが、重たい。
昨夜の犬が淵の被害によるものか。
ここで行われていることの影響か。
ゲンがゆっくりと降りると幾人かの村人がすっと近づいてくる。いちばん前に位置していたのはガクウであった。後ろにはサキイもいる。ガクウは低い声でいんぎんに礼をとった。
「ゲンさま、葛原にようこそおいでくださいました」
ガクウは顔を上げると少し斜め上の方向を目だけで追って、
「あれは、サイナでございますな」
といった。
ゲンもその方向を振り返ると空高く浮遊しているモノが見えた。目では誰なのかわからないぐらいの位置であるが、ゲンの嗅覚ではシャシャに乗ったサイナだとわかった。
「よくわかるな。サイナはもう帰るそうだ」
ガクウは右頬を少し動かした。ゲンはガクウが笑ったのだと判断した。
「さようでしょうな。あれはここに降りることはいたしませぬゆえ」
「降りない?」
「はい。少なくとも日中は、でございますが」
すると後ろから叱咤の声が聞こえてきた。
「これっ、ガクウ、控えよ」
サキイであった。ガクウは顔を少し斜めに落としたが、ゲンに向き直った。
「ゲンさま、大変失礼致しました。お気になさらず」
(どうも、こいつは苦手だ)
ゲンは戸惑ったが、気にしている場合ではない。
「ところでガクウ。蒲生のことだが」
ガクウはまっすぐにゲンの顔を見て答えた。
「はい。心得ております」
「そうか。やみの大きさはさほどではない。しかし」
「はい。昨夜と同じモノがいるそうで。その場所には誰も行かぬようにと誘導役から聞いております」
「そうか。安心した。油断せずに待機してくれ」
「かしこまりました」
そばにいた五人はしっかりと礼をとる。
と、屋敷の影から視線を感じた。好奇の目、いや、殺気とまではいかないがそれに近い。
ゲンがその方向を見ると、青黒い作業着らしき物をまとった者たちが二十人ほどたむろして皆が一様にゲンを見ている。上から下までなめるような視線であった。
「あ」
ゲンはサイナがいっていたことを思い出した。
(解剖)
心の中でぞっとした。
(冗談じゃない)
ガクウが作業着の者たちを見とめた。と、作業着の者たちはすごすごと屋敷の裏に退散した。ゲンは、そのガクウのほうがもっと不気味だと感じた。
「あれは」
「獣の生態の研究者たちでございます。白狼犬、いえ、ゲンさまのおからだが珍しくつい見ていたのでしょう。研究者の性と思ってお許し下さいませ」
ガクウはまた右頬を少し動かした。
ガクウが嘘もつかず、いいわけもせず、あっさりと肯定したことで、ゲンはガクウ自身にこそしみついている研究者の性を思い知った。
(つい見ていたという視線ではなかったぞ)
ゲンはちょっと考えてガクウにたずねた。
「誘導役は昨夜のモノをどう説明したのか」
後ろではサキイ、ヨキイが顔を見合わせている。ガクウはゆっくりといった。
「はい。やみひとと獣が一体になっている、と」
「そうか。研究者たちはその性とやらを抑えらえずに蒲生に行ってそのモノを見ようとか、まさかそんなことを考えてはいまいな」
(あれがあいつだとしたら絶対に近寄ってはならない。絶対に)
ゲンは焦っていたが反対にガクウは落ち着いたようすで答えた。
「誘導役から固く止められております。コウさまからの指示は、誘導役に従えとのこと。逆らうことは、私が許しません。・・・それよりも」
「それよりも?」
「ゲンさまご自身が蒲生に行こうとお考えなのでは」
「そうだが」
ゲンはわざと何か問題があるか、といういいかたをした。
「危険だとサイナは申しませんでしたか」
「ああ、サイナはそういった」
「でしたら、いくらゲンさまでも」
「ガクウ」
ゲンはガクウのことばをさえぎった。
「はい」
「オレは皆に大事にされるためにこの国に来たのではない」
「それは」
「オレの意思はたとえコウであっても邪魔はできないのだ」
声が低く響いた。ゲンは自分で声を出しながら少し意外な気がしていた。
「・・・」
ガクウは完全に威圧され、黙ってしまった。
「ならばサイナのいうことを聞く理由がないだろう」
「はい」
「コウにはおまえから報告してくれ」
「かしこまりました」
「急ぎ向かう。他の者は絶対に近寄らせるな」
「誓って」
ゲンは蒲生に向かった。