ギル
講堂では、村長、長補佐、里長が残り、今後の段取りを話し合っている。
各人がコウのことばを互いにひとつひとつ確認しながら方針を決めていた。それぞれの解釈にずれがあり、中にはけんか腰になって村長に議論している里長もいる。里長は村長の管轄下にあり、立場としては格下だが、一つの里をまとめる長として譲れないところもあるのだろう。なんといっても現場を直接指揮するのは里長である。
活発な意見が飛び交うなかでひとりだけ表情が固いものがいた。
ギルである。
ギルは日出浦のものたちを各村の避難所に置くことで憂慮していた。
(じーさんたち、うまくやっていけるか)
先を見すぎてしまうためにギルには心配なことが多く、それはたいていその通りになった。少しでも早くその危惧を減らすためにどう動くか。それをはっきりさせ、いち早く行動することが将来の明暗を決める。ギルにとってそれこそが子どもの頃からの課題であった。
しかし、人より細かく先を見越すということは、世間から認められず変わり者と思われることが多い。たとえ理解してもらえても「心配性だな」と笑われるか「慌てるなよ」とあきれられるか、である。
ギルは三十四歳。ガンザン、ガクウ、ウルクの一つ年上であり、東浜村の瀬戸の里に能力者として生まれた。瀬戸の里の人々はモトン族の血が濃い家系が多く、ギル一族は代々やみの察知能力が優れている。ギルはその中でも特に力が強く、モトン族ほどの察知能力は持たないが、いち早くやみひとの気配を感じる。
東浜村のいちばんの問題は「うみんと」と呼ばれるモトン族と空人の深い確執であった。互いの差別があるなかで統制がとれないまま、やみひとと闘わなければならなかった。ライの働きにより、いまでこそモトン族の里である日出浦の者たちもお札や数珠をつけているが、それ以前は悲惨であった。
東浜村は巫女の住まいからいちばん遠い。巫女がやみを察知して祓いに来るまで、かなりの移動時間を要する。そのため、呑みこみに遭うのは東浜村の人々がいちばん多い。
また東浜村は、田畑が少なく海に面している。やみは人工の田畑や建物より、自然の中で自由に動きまわり、東浜村でのやみの出現は夕方の早い時間でも多い。しかし、やみの察知能力があるモトン族の血が濃いものはかろうじて逃げおおせてきた。
そういう事情もあり、お空さまに対する信仰心、巫女に対する思いは、他の村の空人よりも薄い。授かり岩がある松浦と違って、海と山に挟まれた六の瀬や瀬戸の里では巫女に接する機会も少ない。しかも、モトン族の血が濃いことから空人に疎まれることも多かった。
そういう村をまとめるにはギルのような屈託のないまっすぐな正直者が適している。ライがその一途な性格で日出浦の者たちに札と数珠を持たせたように、ギルの一生懸命さが空人にもモトン族にも受け入れられていた。
ギルは日出浦の者たちのことが心配でならなかった。
コウさまの直轄役とはいえ、モトン族のいうことを空人が素直に聞くだろうか。
浜の者たちは、モトン族がやみの察知に優れていることを体験を通して知っている。実際に助けられた空人は何人もいて、それがきっかけで誤解がとけて交流が深まった者もたくさんいる。あいつらの誘導に従えば呑まれる可能性が少ないことは承知のことだ。
それにしてもあいつらもよく引き受ける気になったもんだ。さすがはコウさま。魔法を使われたとしか思えない。
しかし。西、北、南の者たちは日出浦の者たちの能力を頭で知ってはいても体験として知っている者は少ない。西や北、南の者たちがはたして素直に従うだろうか。
いやいや、浜の者たちだって同じだ。モトン族のことを理解する者が増えたとはいえ、やはり異民族である。根本的に感じる違和感、嫌悪感はそう簡単にはぬぐえない。
コウさまの直轄役となれば、空人もモトン族のいうことを聞くか? いやむしろ、コウさまの直轄役となったことで嫉妬が邪魔をしていうことを聞けないのではないか?
あいつらの力を近くで見て理解すれば、空人もいうことを聞くだろう。が、そのときはすでに犠牲が出ている可能性が高い。痛い目にあってはじめてわかった、いうことをきいておけば良かった、と思うだろう。そのときはもうたくさん呑み込まれました、っていうんじゃ遅いんだ。
そして。犠牲が出たらあいつらは深く傷つく。また、逆恨みされることも十分考えられる。あいつらは純粋で単純で素朴で・・・。きっと自分たちが救えなかったことを悲しむ。どんなに嫌われても悲しむ。
さらに。目の前で空人がやみを祓う行為を見る。そのときのあいつらの哀しみは・・・。やみひとはモトン族にとって敵ではなく、友人に等しい。そういう事情を空人が理解できるか。
考えれば考えるほど気が焦る。焦りがこみあげる。
それに・・・。
ギルにはもうひとつ気になっていることがあった。
「やまんと」と呼ばれるものたちである。
「やまんと」は「うみんと」と同じモトン族であり、同じくやみの察知能力がある。山奥に棲みついているから「やまんと」と呼ばれているが、人数は把握できておらず、彼らも滅多に人里に下りてこない。
「やまんと」は昔ながらの生活をしている。狩りをし、四足の動物を食する。空人は魚は食べるが、四足の動物を食するのは禁じられているため、そんな原住民たちに嫌悪感を覚えていた。
ふたつの民族の確執の原点はそこにあった。
モトン族は狩猟民族なのでそれなりに気性が激しいが、空人に対して好戦的ではなく、むしろ穏やかに接する。また、彼らはおおらかな性格であり、空人から忌み嫌われてもあまり気にしない。自分たちとは価値観が違う民族だということをわきまえている。
こう説明すると、モトン族がずいぶんと人格者ぞろいで空人だけが悪者のようだが、それがそうでもない。
モトン族は自分たちが昔から守ってきた伝統、文化を崇高なものと固く信じている。したがって、空人の気質、体力、価値観、文化というあらゆる点で自分たちより劣っている、という捉え方をしている。そのことにモトン族自体気付かないまま、親身になって空人の世話をするもんだから、空人にしてみればしゃくに障るのである。
モトン族はもともとこの地にいる原住民であるから、後から入り込んできた空人にとってモトン族が友好的なのはありがたいことであった。そこで空人は、モトン族に対して友好のしるしとして「布教活動」をした。モトン族も「お空さま」に導かれて生きていけばもっと幸せになると信じたのである。しかし、モトン族に受け入れられることはなかった。
その結果、空人にはモトン族に対する嫌悪感が残り、特に四足を食することが「野蛮な民族」の象徴として忌み嫌われたのである。
「うみんと」も四足を食するが、その地形から主に魚を食するため「やまんと」ほど嫌われてはいない。「うみんと」と「やまんと」は同族なので現在も交流があり、塩や魚といった海の幸と、四足の生肉や干し肉といった山の幸を交換しているようであるが、いつどこで会っているかは不明である。ギルやギンカがそれとなくジャクルに聞いても、ジャクルはいつもとぼけるだけであった。
(コウさまは「やまんと」をどうなさるおつもりなのだろう)
ギルはため息を何度も吐いた。こうして自分の不安と焦りの原因をひとつひとつ形にし、ため息にして出すのがギルの癖であった。そうすれば逆流してくる焦りが少しずつ消化して落ち着いていく。
しかし、今回は全く消化しない思いがあった。内から焦げ付くような焦燥感がこみあげ、嗚咽を漏らしそうになる。
(わかっている。真の問題は、・・・サクさま)
ギルのからだが一気に冷えた。冷たい汗が額から流れた。
いま、ギルはかつてないほどの焦燥感に駆られていた。以前から自分の心中だけにひっそりと押しとどめていた「疑惑」がとうとう表面に出てきてしまった、という焦燥感。
(コウさまは、サクさまのことを)
ギルの「疑惑」は、コウには口が裂けてもいえないことであった。
ギルの目はガクウを捉えた。
ガクウは冷静な顔で指示を下している。
(ガクウ、おまえはどこまで知っている)