日出浦のジャクル
カツアは御館に報告をした後、ゲンの後を追った。ゲンがいなくなった方向は北北東。おそらく川端の避難所であろうと判断した。
「カカ、急いで」
カツアは早くゲンのもとへ行かねばならなかった。南麓村と西麓村でやみが出現したというのである。至急に報告するようウルクから指示を受けていた。
川端に着いたとき、カツアは息をのみ、思わず両手を合わせた。
すでに雨が上がり空には下弦の月が天上に位置している。月はるんとした光を灯していた。その光にまわりの雲がどんよりと照らしだされる。雲の間からところどころに星がきらめく。
そして地上では、麗しい光をまとったゲンさまが人々に光を与えておられるではないか。
ゲンさまはなんと美しいお方か。
昼にみた光とはまた違う光であった。人々は月の涙に濡れているようであった。
カツアはこの光景を一生忘れまいと思った。
彼女もまた、月の涙に濡れていたことを、彼女自身は気づかないまま。
カツアが羽犬で空中に漂いながら、しばらくぼうっとその光景を見ていると、ゲンが気づいたように飛びあがってきた。
「カツア。よくここがわかったな」
「はい。ゲンさまが行かれた方向から川端だと判断しました」
「そうか」
カツアは平常心を取り戻そうとして、きわめて事務的にいった。
「ゲンさま。本来なら小河原と泉谷に案内する予定でしたが、コウさまからのご指示があり東浜村にお連れします。お疲れではございませんか」
「いや、早速行こう。他の村の情報が入ったのか」
「よくおわかりで」
ゲンはあの時、三カ所でやみの気配を感じた。一か所はここ北の川端。もう一か所は西。北と西のやみがかなり大きかったが、西にはコウがいたのでまず被害はないだろう。問題は南の方角で感じたやみである。そう大きくはなかったが、果たして祓い師だけで対処できたのかどうか。
「西はコウがいるから心配なかったが、南はどうであったか」
「・・・はい。お察しのとおりでございます。西ではコウさまがやみを祓われたので被害はございませんでした。そのあとコウさまは、すぐに南に向かわれましたが、すでに祓い師ふたりが呑まれていたということでございました」
「なんと。そう大きくはなかったはずだが。南の避難所で、ということか」
「いいえ。避難所ではございません。犬ヶ淵という里でございます」
「そこは」
「羽犬の飼育所でございます」
「そうか。羽犬も?」
「はい。数頭ですが」
「呑まれたのか」
「はい」
「コウもオレも足止めされたわけか」
「はい。ウルクもそのように申しておりました」
「浜は」
「浜には出現がなく、被害がありませんでした」
「なるほど。大きなやみを同時に出せるのは二か所、ということか」
「おそらくそうでございましょうが、明日はどうなるか」
「ガクウはそのものたちを避難所に連れて来ることができなかったのか」
「ガクウどのは強く要請しておられたようですが、羽犬の健康上よくないという理由で飼育人に拒否されたそうで、今日だけは断念して祓い師を三名派遣されたようです。しかし」
「呑まれたのか」
「はい」
ゲンは川端の人々を思い出した。
あのようすからすれば、オレかコウがいなければ簡単に呑まれることは容易に推測できる。いままでの常識では考えられないやみの出現の仕方。当惑したまま呑まれてしまったに違いない。ガクウのことだ。羽犬が狙われることを読んでいただろう。だから祓い師を三名もつけた。しかし、やみの力の強さを読めなかった。いや、読めたとしてもなす術がないということを理解しただけにとどまっただろう。
(羽犬か)
やみが羽犬を狙うことに忍び寄る不安をおぼえた。やみを操っているのはいったい誰だ。力のあるものが数体いるのではないか。
ゲンは嫌な予感を抱えたまま黙って飛んでいた。
カツアが声をかけた。
「ゲンさま。まもなく東浜に着きます」
「早いな」
「はい。川端は北麓村の東手にありますから東浜は近うございます」
下限の月がてっぺんからふたりを照らした。
時刻は子の上刻あたりか。透きとおった夜となった。激しい雨があがったあとは、木々も空気も、きらきらと輝いて美しい。ところどころに見える松明の火も、潤っているようであった。空は天井高く星々がまたたく。
この世のちりもほこりも、悲しみも恨みも、すべて雨で落とされたのだ。まさに「清浄の気」であった。
(清浄の気においてやみが力を得たように動く、か)
しばらく進むと潮風が吹いてきた。
海から吹く風は障害物もなくまっすぐに吹き、広く広がる松林だけが潮風をしっかりと受け止め、その度にざわざわと音を立てる。
月の光にほのかに照らし出されて、松林がうっすらと光っているようであった。合間に大きな岩たちも並んでいる。
ひときわ高い崖の上に大きな岩がそびえている。カツアはどうやらそこを目指しているらしい。潮の匂いが強くなり波の音も聞こえてきた。
「あの岩は『授かり岩』でございます」
「授かり岩」
「はい。巫女さまが受胎をなさる場所でございます」
「ああ、十五歳になって最初の月のない夜に受胎をする、という」
「さようで。空の国にとっていちばん大事な神聖な場でございます。東浜村の大長老ギンカさまが管理者としてお護りなさっています。ここは松浦という里で、ギンカさまのお屋敷が浜の避難所となっております」
「広いのか」
「はい。昔から皆が集まる場所でございましたので。授かり岩はお空さまのお力によって常に清浄に保たれておりますので、やみひとは近寄れません」
「常に清浄に?」
「はい。海からの強い風がいつも吹きしきっております。風はお空さまの息吹。不浄なものはそこにとどまっていることができません。ほかの里でやみひとが出現したときには、浜の人たちはみな松浦を目指して逃げたと聞いております。北の村人にも浜に近いものたちには、松浦に逃げるよう指導しております。・・・・ギンカさまのお屋敷が見えてまいりました」
屋敷は長年潮にあてられ錆びた色をなしていたが、しっかりとした大きなつくりで庭も広い。そこにはやはり松明が点在し、中央に焚き火が敷かれている。真夜中過ぎているからなのか、人は少ない。下にいる数人は見まわりの祓い師たちであろう。
ふたりはゆっくりと降りた。ゲンも音を立てずに降りることができ、駆けよってくる人もいなく落ちついた着地になった。北に比べれば静かなものであった。ゲンは拍子抜けした。潮の匂い、強い風にあたり、ざわざわと音を立てる松林。物さびしささえ覚えた。
(空人の明るさはここにはないのか)
ゲンの姿を見て、ひとりの祓い師があわてて屋敷の裏に走った。しばらくすると、ギルが慌てふためいて走り出てきた。
「うはあっ。ゲンさまあ! こんな時間に来ていただいて、ほ、ほんとうにありがとうございます。ただいま、みな、すでに就寝しておりまして、ご、ごあいさつもできずに申しわけございませんっ」
ゲンの足もとにすべり込むようにして膝をついた。すると、まわりの祓い師たちもあわてて駆け寄り膝をつく。
うしろからなにやら声がしたのでゲンは振り返った。すると屋敷の窓から大勢の空人が、興味津々の顔をのぞかせていたのである。手を振っているものもいる。ギンカやギル、そのほかの役たちが「しっ、しっ」とか「こらっ、しずかにっ」などと小声で叱っている。なかにも役の者たちがいて制御しているのだろうが、すでに効力がないらしい。いや、役のものたちも一緒になって覗いているらしかった。
明るさがないと思ったのはどうやら間違いだったらしい。
(明るさどころか熱くるしいヤツらだな)
ゲンは安心した。すると不思議なもので、潮の匂いや松林の音がこんどは温かなものに思えてくる。
玄関の扉が細くゆっくりと開いた。瞬間「きゃあ」「わあ」という歓声が聞こえた。そのなかをぬってカラが汗をかきながら苦しそうに顔をしかめ、しかし、するっと出てきた。かと思うとすぐに背中で扉をぐっと抑える。ほかの役たちも慌てて扉を押さえ、やっとの思いで錠ををかけていた。みんなではあはあと息をついている。
「カラっ、カラっ。こっち、こっち。ちょっと来いっ」
ギルがあわててカラを呼んだ。小声のつもりだろうが、息を激しく出しているのでかえってよく聞こえる。
「兄さんっ、声が大きいって」
とカラがギルをたしなめるが、同じようなよく聞こえる小声である。
カラはばたばたとギルに走りより、ギンカもそろってひそひそと話をしている。
「・・・」
「え、それは・・・」
「しょうがないんじゃ・・・」
「・・・」
「コウさまが・・・」
「・・・」
ところどころ聞こえてくることばがゲンの耳にも届いた。ゲンとカツアは顔を見合わせた。
しばらくすると、カラは着物の襟をただしてふうっと息をついた。それから、なにごともなかったかのように姿勢をただしてゲンに近づき膝をつく。
「ゲンさま、私はカラと申します。東浜村では長補佐を担当しております。ただいまお見苦しいところをお見せして誠に申しわけございません」
深く心地よい低い声。いかにも落ちついたしぐさであったが、さきほどのあわてぶりを見ると、なるほどギルの妹であった。
「では、カラどの。あとはよろしくお願いします。ゲンさま、私はここで失礼いたします。本日は誠にありがとうございました」
カツアは膝をついてしっかりと礼をとった。
「ああ、カツア、今日はありがとう」
「御用がございましたら、いつでもお申しつけくださいませ」
カツアは一礼して羽犬に乗り、きらきらとした夜の空に吸い込まれていった。ゲンはカツアを見送ったまま、少しのあいだ空の美しさを見ていた。するとなにやら酒くさいにおいが漂ってくる。
(そういえばこの国でははじめてのにおいだな)
と思いながら、ゲンはくんくんと鼻を鳴らしていた。
「ゲンさま」
うしろでカラの心地よい声がした。
ゲンが振り向くと、カラの横に老齢の男が立っている。においのもとが判明した。その老人である。
白いざんばら髪、ざんばら髭。それは潮風にひらひらとなびき、顔は潮焼けた赤ら顔で深いしわを重ねている。低い身の丈ではあるがずんぐりとしたからだつきで猫背。灰茶けたような着物もざんばらとしてまとまりがなく、だらしなくゆるんだ胸元からは胸毛が見えている。寸足らずの着物から毛むくじゃらのごついふくらはぎが見え、裸足である。眉毛も白く長くすき間からどんぐりまなこが垣間見えた。
ゲンはどきりとした。
(強い眼だ)
その男はゲンを見るなり、にっと笑った。眉毛と髭がぐいと動き、顔がしわだらけになった。そこからまた酒くさいにおいが、ぷん、とにおう。黒く欠けた歯が三本見えた。それ以外に歯はなかった。
ゲンはしばらくぽかんとして見入ってしまった。カラは落ち着いた口調で説明をした。
「ゲンさま、本来ならば私が案内を務める予定でございました。が、さきほどほかの村でもやみが出現し、南では被害が出たとのことをうかがいました。そこで祓い師はみな、待機することとなり、私も非力ながら祓い師でございますのでこの場を離れることができません。そこで・・・」
カラはちらっとギンカを見た。ギンカは眉をしかめて急いでうなずいた。
「急な変更で申しわけないのですが、代わりのものを呼んでおりまして・・・」
そういってカラは横にいる老人を軽くひじでつついた。が、老人は、にいいっと笑ったまま、
「へへへ」
と笑っているだけである。カラがたまりかねて紹介をした。
「この者はジャクルと申します。東浜村には日出浦という里がございまして、そこの長老でございます。本日、ジャクルがゲンさまの案内役をいたします。・・・ジャクルさまっ、ジャクルさまっ」
カラのひじがかなり強くジャグルをつついていた。ジャクルは目尻にたくさんのしわを寄せ、
「へへ、あんたがゲンさんかね。いやあ、美しいのー。わしゃあ、日出浦のジャクルっつうもんだ。へへ、白い毛じゃのう。わしとおんなじー。よろしゅうに」
といってぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ、よろしく・・・」
ゲンはこの老人に圧倒されてことばを失った。ギルとカラがはらはらして見ている。そこにギンカが声をかけた。
「ではジャクル。早速、羽犬を準備してくれんかの」
「ほいな。じゃ、ちょっと行ってくる。へへ、待っといてな、ゲンさん」
「あ、ああ」
ジャクルはゲンに手を振って口笛を吹きながらよたよたと歩いていった。腰にぶらぶらとひょうたんが揺れている。
カラはふうっと息をついてゲンに向き直り、声をひそめた。
「申しわけありません。あのものは酒好きでさっきまで飲んでいたようで、今日は急なことで・・・。代わりはぜひジャクルにと、コウさまからの急ぎのお達しがありまして仕方なく・・・、あっ、いえ、でもジャクルは物知りで、案内はきちんとします。しますが、その、なんというか、あれが礼を知りませんものですから、失礼な口を利くかもしれませんで、それで、えっと・・・」
カラはあきらかに慌てていた。慌て方がギルそっくりである。
そのギルはというと、横で「う!」とか「あ!」とか「そうなんですっ」とか「はいい」とか、合いの手を入れて巨体をくねくねさせている。カラのことばを補足しているつもりだろう。
ゲンは吹き出しそうになるのを我慢しながら、
「問題ない。そう気にするな」
といった。ゲンは、この老人の容貌を見たときはびっくりしたが、実はすごく気に入ったのである。
「ほーい! ゲンさーん。行きますぞー」
上から声がした。見上げると、星空を背にして羽犬に乗ったジャクルがいた。
「ゲンさま、どうぞよろしくお願いします」
ギルとカラが拝まんばかりに頭を下げていた。
ゲンはジャクルに吸いよせられるようにしてゆっくりと浮上した。屋敷のほうがざわついている。こわごわと屋敷を見ると大勢の村人たちが激しく手を振っている。と、玄関の扉の錠が壊されたのか、役の者が外したのか、人々がどどっと出てきた。
「わああっ」
「ゲンさまあ!」
「いたたた、こら、押すなよ」
「すごーい、かっこいいー」
「ジャクルじーさん、いいな~」
「ゲンさまあ、また来てくださいねえ!」
幟こそ持っていないが、これは北麓以上だ。なんと純粋な人々だろう。この者たちに、今日のやみの威力のことや被害が出たことをギルは知らせていないのだろう。ああ、できることならなにも知らないままでいてほしい。この純粋さを守りたい。
ゲンのからだから光があふれ、きらきらと輝いて人々のうえに降りそそがれた。「きゃあ」「きれいー」「わあ」という声をあとにして、ゲンはすうっと飛びあがった。
ジャクルはにっと笑ったまま上空で待っていた。
「ゲンさんはほんにきれいじゃあ。うんうん。じゃ、行きますかのう!」
そうひとこと声をかけると、ひゅううんっと飛ばした。飲酒運転だ、とゲンは思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ひょーい、ほーい、ほーいのほいっ」
ジャクルは上機嫌で陽気な歌を歌っている。羽犬も歌に合わせて踊るように飛ぶ。
「ひょおー、ほー、ほーう! よーしよし、いいぞいいぞ、ケイケイ。そうかそうか、おまえもゲンさんと一緒でうれしいのう」
ケイケイと呼ばれた羽犬は群青色の数珠を首に施し、からだはうす茶色でジャクルの着物と同化しているようであった。ジャクルと羽犬はときどきゲンを見てにいっと笑う。どうやらこの羽犬も酒を飲んでいるらしい。
ゲンはこの情景が夢の中のできごとではないかと思った。
空は透き通る黒。少し西に傾いた月は半分で眠そうな光をたたえ、星々は歌う。海は穏やかに波を打ち、映しだされた月の光を揺らす。陸では松林が手をつなぎ、風を受けてゆるゆると踊る。
この世界をわがものにして、羽犬に乗ってひらひらと舞い飛ぶ白い老人。ざんばら髪もすすけた着物も、弱い月の光にうっすらと照らされ、幽玄となる。
(こりゃ、杖でも持っていたら物語に出てくる「仙人」だ。オレなんかより、よっぽど仙人っぽいな)
そんなことを考えながら老人と羽犬に見入っていると、
「ほれほれ、ゲンさん、受けとりなされえ」
といってジャクルがひょうたんをぽんっと投げた。なにかと思ってぱくっと口で受けとめると、中の液体がどぼどぼっと口に入ってきた。酒だった。
「わ」
ゲンは思わず口を開けるとひょうたんがするっと落ちる。ジャクルはさっと手綱を操ってケイケイとともにゲンの下にまわり、ひょうたんをつかんだ。
「おおおっとー。へへへ。もったいない、もったいない。どうじゃあ、ゲンさん、この酒うまいじゃろ?」
「う」
酒はうまかった。が、ゲンはいえなかった。
「なんじゃあ? ゲンさん、酒うまくなかったんかあ?」
「いや。確かにうまかったんだが」
「もしかして、酒なんか飲んどったらまともに闘えん、とか思っとるんかいのう?」
「え、あ、まあ」
「へへっ。今夜はもう、モノノケは出てこんじゃあ」
「モノノケ?」
「やみのことじゃよ」
「ああ」
「わしらにゃあ、わかるんじゃあ」
「わかるって」
「そうじゃ。日出浦んもんはのう、わかるんじゃよー」
「なぜ」
ゲンはほわっとしてきた。
「そんなこたあ、あとじゃあ。それよりも今日はゲンさんを特別に招待なんじゃあ。のー、ケイケイ」
「招待?」
「へへ、ここはな、だーれもこん、ケイケイとわしだけの隠れ場じゃあ。のー、ケイケイ」
ケイケイは陽気にくるんとひとまわりした。
「隠れ場って、こんな広い空と海が」
「そうじゃよー。わしゃあ、ひと目でゲンさんが気に入ったんじゃあ。んで、招待じゃあ。のー、ケイケイ」
ケイケイは、ゲンのまわりをくるくるとまわった。
「そうかあ」
ゲンは酒の力も手伝ってものすごくうれしくなった。ジャクルの気持ちがうれしかったし、友好的な羽犬がいたのもうれしかったし、月が半分なのも海がきれいなのも、松林が手をつないでいることもすべてがうれしかった。そう思っているとからだから光が放たれ、老人と羽犬を包み込んできらきらと光が舞い散った。
「うおっほうう! きれいじゃあ、ゲンさんの心は、ほーんに美しいのう」
三人はしばらく踊るようにして飛び交った。ジャクルもケイケイも、ゲンも酔っていた。
ああ、この国でこんな楽しい夜があるなんて。そうだ、今度はコウを乗せて、じーさんとケイケイと一緒に飛ぼう。でも、あいつは子どもだから酒は飲めないな。コウのやつ、子どもっていうなっていっていたけど、やっぱ子どもだ。酒が飲めないんだから。あはは。オレもちょっと酔ってるかな。
「ひゃーっほおおううう」
ひときわ高い声がした。ゲンが声のほうを振り向くと、ジャクルの体は「つ」の字になってきれいな弧を描き、そう、彼は飛んでいた。月の光を受け背中がほんのり光っている。
「すげえや、じーさん!」
酔いのなかでゲンは叫んだ。
ジャクルは飛んでいたのではなく、海に飛びこんでいたのであった。若い魚のように身のつまったからだがしなりながら海に吸い込まれていく。
ざーっぶうーん
ジャクルはしばらくそのまま水中にあがって来ない。と、横にいたケイケイがゲンを見てにいっと笑い、「おまえもこいよ」といわんばかりにあごをくいっと斜めに反らした。
ケイケイはそのまま、ひょーんとひとつ高く飛ぶと海に突進していった。
ざーっぶうーん
ゲンはじっとしてしてられなかった。オレだって。
どーっぶうーん
水しぶきが高く上がった。
三人の遊戯の舞台は海に移った。
ジャクルは魚のように自由自在に泳ぐ。ジャクルのまわりにはたくさんの小魚がまとわりつき、ジャクルを引き立てるようにきらきらと泳ぐ。
ケイケイはさながら巨大なトビウオであった。羽をたてにとがらせて、潜水しては海の上に飛びあがる。まわりにはトビウオがケイケイをまるで慕うかのように集まり、踊り泳ぐ。
ゲンは魚雷のように海中を横切って突進し、海底の岩に遮られるとぐいーんと海の上に一気に飛び上がる。まるで犬がボールをキャッチするかのように思いっきり滞空し、また、
どーっぶううん
と海に潜る。夢中で繰り返しているとふたりがいなくなったことに気づいた。きょろきょろと見まわすと、ふたりは海岸に寝そべってゲンを見ていた。
ゲンはいそいそと犬かきで岸に渡った。
「いやあ、ゲンさんの威力でわしらはその波でここまで打ちあげられてしもうた」
ジャクルが笑う。
「すまん。気づかなかった」
ゲンは恥ずかしそうな顔をした。ちょっとはしゃぎすぎたと反省した。
「いいんじゃ、いいんじゃ。思いっきり遊ぶことが大事なんじゃよー」
ゲンは「?」と思った。
(もしかしたら、このじーさん、オレを癒やすためにここに連れてきたのか? とんだたぬきじじいだな)
三人ともすっかり酔いが覚めていた。
三人は浜に体を投げ出して、ぼんやり月を眺め、波の音を聞いていた。
月はかなり西に位置し、時間が四半時ほど過ぎていることに気づいた。
「じーさん、あ、ジャクル、といったか」
「じーさんでええよ」
「じゃあ、じーさん」
「なんじゃあ」
「さっきいってた、こんな夜はやみひとが出現しないということだが」
「そうじゃあ。月も星も歌いよるじゃろ? こんな夜はやみは出てこん」
「え。歌?」
「そうじゃあ。ほれ、よう感じてみい」
そういわれてもゲンにはさっぱりわからない。
「わかるものは何人ぐらいいるんだ」
「おまえさんはまじめじゃな。まあ、そう焦らんで。さ、思いっきり遊んだけんの、そろそろ行こうか」
「どこに」
「ゲンさんが行きたいところじゃよ。ケイケイ」
ケイケイはすっと立ちあがった。ジャクルはひょいっと乗って飛びあがった。ゲンもついて飛んだ。ジャクルは大声で話しかけた。
「ゲンさん、昨日来たんは西麓やったんかいの」
「ああ、そうだ。巫女の家だった。もう呑まれてしまったが」
「そうそう、コウさんが呼んだんやったの。西麓は田んぼと畑がたくさんあったやろ。あそこは、米や麦、芋なんかも上質なんが穫れる。ほかの村でももちろん穫れるがの、ほかの村んもんは西んもんに習うんじゃ。んで、さっきまでおったんが北やな」
そうだった。そこで巨大なやみが出現したんだった。すっかり忘れていた。ずいぶん昔のことのようだ。北の人々の絶望的な顔が思い出され、それを忘れて遊んでいた自分が恥ずかしくなった。
ジャクルは話を続けた。
「少しはわかるじゃろが北はものつくりの村じゃ。村の生活に必要なもんはあすこから調達するんじゃ。村々の特産物と交換するんじゃよ」
「そうなのか。じゃあ、浜は魚とか」
「それもじゃが、いちばんは塩じゃな」
「ああ。塩は東浜で作っているのか」
「そうじゃ。東浜んもんはの、主に海の恵みをもろうてそれを生業にしとる。魚や貝を捕る、塩を作る、酒を作るんも東浜じゃ。それをほかの村の特産物と交換するんじゃよ」
「ふむ」
「ついでにいうと、南麓は鶏肉とか卵とか、牛や山羊の乳じゃ。あすこは動物をたくさん飼うとるけんの、飼育についてはくわしいんじゃ。浜んもんも鶏や山羊は飼うし、南んもんに習ってするけんど、南のはやっぱ味がええの」
「なるほど」
「でな、東浜の、塩をつくったり、魚や貝を捕ったりっちゅう仕事は、全部わしら日出浦んもんがしよったことじゃ。それが浜の特産物となった。その質が落ちんようにわしらは監視するっちゅう役目を持っとる。『ソラモン』は味に疎くてのう。味だけじゃないのう、目も耳も鼻も体力もわしらに比べると劣っとる。わしらはの、『ソラモン』とはちょいと違うんじゃよ」
「ソラモン?」
「空人んことじゃよ」
「ジャクルたちは空人ではないのか」
「そうじゃ。わしらは『モトン族』じゃ。いまはもう、生粋のモトン族は少ないのう。ソラモンとも血が混じっとるもんが多いがの」
「モトン族」
「そうじゃ。わしらのことじゃ。ソラモンはわしらを『うみんと』と呼ぶがの」
「うみんと?」
「海のひとっちゅう意味じゃろ。ま、ばかにしとるんじゃて。はっはっは。まあ、わしらもソラモンっていうとるから、あいこじゃ」
「仲が悪いのか」
「まあのう。お互い別の人種やけんのう」
「別の?」
「モトン族はの、ソラモンが来る前からここにおった。わしらはその子孫なんじゃな」
「その子孫たちはどれぐらい残っている」
「日出浦はソラモンと混じったんも入っとるが、五十人ぐらいが住んどる。ほかの里ではソラモンもモトン族も、ま、もう見分けるのは難しい。住んどる地域で分けとるだけじゃ」
「じーさんのいる日出浦はモトン族の里か」
「まあ、そうじゃ。が、わしらはそんな呼び方はせん。ここは日出浦じゃ。ソラモンがこの地に来てから、勝手に文字っちゅうもんを当てて自分たちで呼び方を変えよったんじゃ。ギンカたちがおったところは『松浦』じゃ。あそこと『六の瀬』、『瀬戸』っちゅうとこがあっての、避難所やっちゅうて、わしらもどっかに避難するかってギンカがいうてきたが、わしらはここでええ。日出浦んもんはあいつらのことはようわかるでの、逃げることはできる」
「あいつら。やみひとのことか」
あいつらといういいかたが友人みたいだとゲンは思った。
「あいつらはの、大昔はあんなやつらじゃなかった」
「大昔?」
「そうじゃのー。二千年ぐらい前かの」
「え? まさか、じーさん、その頃から生きて・・・」
(ありえる・・・)
ジャクルは大声で笑い出した。
「はっはっは。まさか。代々いい伝えられとるんじゃよ。わしらは字を書かん。全部、口伝えじゃ。字を書いて残すとな、ひとは怠けもんになる。常に音で伝える。音は発するだけで天に通じる。口で唱え、それが歌となり、からだの一部となる。先祖の魂はわしらに植えつけられ、わしらの魂も子孫に植えつけられていく。そじゃからの、わしらは昔からここにおったように、昔のことがようわかる」
おそらく、同じ意識体が同じ民族の子孫に生まれ代わりを繰り返しているのであろう。伝統と文化を守るためにそういうことはよくある。加えて、繰り返し口承で文化を受け継ぐことで、通常は思い出しにくい昔の記憶を呼び覚ますことができる。
ゲンは納得したが、
「じーさんたちの文化なんだな」
とだけいった。
「そういうこった。その文化のなかにあいつらもちゃーんとおった。わしらはモノノケと呼んどる。草が草であるように、山が山であるように、モノノケはただモノノケであっただけじゃ。わしらとモノノケとは話はできん。じゃがの、お互いの存在を認めておった。一緒に月を見、星を見た夜もあったんじゃよ」
「それがなぜ」
「わからん。わしらはモノノケたちがまたもとに戻ると信じとった。じゃがもう・・・」
(取り返しがつかないということか)
「わしらはモノノケを祓うことはせん」
「祓わない?」
「そうとも。目の前に来るものはすべて必要じゃから来る。神様からの授かりものじゃ。それを簡単に祓うんはいかん」
ゲンはどきっとした。オレの力を見たらジャクルはどう思うだろう。
「やみに呑まれないのか」
「だいぶ呑まれてしもうた」
「なのに祓わないのか」
「そうじゃ。みんな意味があって存在しとる。それがわが身の災いならば、わが身に原因がある。それがわからんまま相手だけを祓うんはいかん。ソラモンはそこをよう見んで相手だけ祓いよる。でも原因がわかっとらんから、祓うてもまた目の前に来る。ソラモンは考えをやめてしもうたんじゃ。全部モノノケが悪い、ちゅうことにしての」
「逃げるだけなのか」
「そう、逃げる。まあ、うまくつきあうっちゅうことじゃ」
「だが、それでたくさんのひとが呑まれたんだろう?」
「そうじゃな」
「そうじゃなって。悲しくないのか」
ゲンは自分が否定されたような気がしていらだった。
(悲しい思いをしないために、そしてさせないために、災いを排除するのはいけないことだというのか)
「悲しいのう。うれしいこともつらいことも、恨みや嫉妬も、ともに経験し、同じ時を生きてきたんじゃ。それが急におらんようになって、いつまで待っても戻ってこん。無性に会いとうなって、でも二度と会えん。もう一回、手を握りとうなって、でも二度と握れん。声だけでも聞きとうなって、でも二度と聞けん。悲しゅうて悲しゅうてたまらん時がある」
「だったら」
「そうじゃ。そじゃから、わしらは感覚を研ぎ澄まし、モノノケの動きを読む」
「それでも呑まれたんだろう」
「生き死には神様のなさることじゃ。わしらの思いでそれを決めることはできん。わしらに与えられた場所で、与えられた生きかたで、懸命に生きて、そんで死ぬんじゃ。じゃったら、それでええ。死んだもんは生き残ったもんが思うとるほど悲しんどらん。生き残ったわしらが死んだもんを思って、いつまでもうじうじと悲しんどることがいちばん悲しいんじゃよ」
(確かにそうだが)
「のう、ゲンさん。わしらはの、空人がモノノケを祓うんも、コウさんが祓うんも、んで、ゲンさんが祓うんも・・・」
ジャクルはゲンを見る。
「なーんも否定しとりゃせん。信じる御方のもとで、その御方の思いに添って忠実に生きる姿じゃ。美しい姿じゃ。みーんな懸命に生きとる。懸命で必死で純粋で。それが愛おしくてならんのじゃ。じゃから一緒にこの世を、同じ時を生きとる同士として、わしらもわしらの生き方に忠実に懸命に生きんといかん、と思うんじゃよ」
「懸命に」
「そうじゃ」
ケイケイは優雅に飛んだ。その背に乗ってジャクルはまっすぐに遠くを見つめていた。怖いぐらい真剣なまなざしであった。それからジャクルは、ふっと笑っていった。
「じゃがのう、わしらモトン族がモノノケに呑まれて滅びるしかないとあきらめたことがあった。それが神様のお導きならしかたないと思ったんじゃ。が、それは懸命ではなかった」
ジャクルは、首に下げたお札を握りしめた。
「それを教えてくれたんがライさんじゃ」
「ライ。ああ、コウの曾祖母にあたる巫女?」
「おう、知っとるかの。ライさんが日出浦に来て祓い具を持ってほしいっちゅうたんじゃ。ありゃあ、ライさんが十二歳の頃じゃったかのう。きれいな人じゃったあ」
ジャクルのどんぐりまなこが細められた。
「それまでの巫女は日出浦に来なかったのか」
「いや、ずーっと来よったらしい。みんな心のきれいないい人じゃ、わしらは巫女さんを大事にせなならん、ちゅうて昔から教えられてきた。じゃがのう、それはお空さまを信じたり祓い具を持ったりすることとは違う」
「ライのときだけいうことを聞いたのか」
「そうじゃあ。あの人は大酒飲みじゃったからの」
「は?」
ゲンは耳を疑った。
(まさか、そんな理由で)
「代々の巫女さんたちは酒は飲まんかったらしいでの。じゃが、ライさんとわしらは夜通し飲んだんじゃ。そこでライさんは、祓い具を持つことがモトン族の考えかたを変えることにはならん、ちゅう話を何度も何度もしたんじゃよ。何度も何度も・・・」
ジャクルは黙ってしまった。ゲンはジャクルを見たがすぐに顔をそらして見なかったふりをした。ジャクルはうつむき、泣くのをがまんしているように感じたからだった。
ジャクルは再び話しはじめた。
「ライさんは、お空さまはモトン族を助けたいと思うとりなさるんじゃって泣きながらいうた。祓い具を持てばモノノケが自然と避けていく。モトン族の生きかたを変えろっちゅうとるんじゃない、それどころかそのままで生きていってほしいんじゃ、ってのう」
ゲンは理解した。
ライとジャクルたちは似ているんだ。決して相手の価値観を否定しない。たとえ自分と正反対の生き方であろうと、その人を敬い、愛しているんだ。
「わしはそんとき日出浦の長じゃった。わしゃライさんにほれた。じゃから祓い具を持つと決めた」
「反対するものはいなかったのか」
「ははは。みーんなライさんにほれたんじゃ。なんせ大酒飲んでほんとうの気持ちをいうひとじゃ」
ゲンはあきれたが、ジャクルは真剣なまなざしで続ける。
「空にも海にも太陽にも草にも岩にも・・・。すべてに神さまがおいでて、お空さまはその中のおひとりじゃ。じゃから、お空さまは大いなる御方さまじゃ。わしらのようなちっぽけなんが、大いなる御方さまに失礼をすることは決してならん。その御方がわしらのことを思うてライさんを遣わして下さった。その思いには応えんと失礼じゃ。じゃからの、わしらはいつもお空さまにお礼をいう。んで、空の国でも役に立つように働く。それがお返しじゃ。返しても返しても足りん。そんだけのものをもろうとる。そじゃから、これからもできる限りお返しをする。じゃがの、わしらはソラモンじゃないんじゃなあ」
「ふむ。わかるような気がする」
「そうか。ゲンさん、わかってくれるか。あんたはお空さまの飼い犬みたいなもんじゃ、て聞いとったからの、わかってくれんかもしれんと思うたが」
ゲンは愛想笑いをした。
(からだはそうかもしれないが、オレ自身は実際、契約しているようなもんだからな)
「わしゃ、モトン族が滅びても仕方ない、という結論を出した自分が恥ずかしゅうてのう。若かったんじゃな。まだ二十歳そこそこやったけんの。かっこつけとったんやな。ははは。わしは懸命じゃなかった。懸命というんはもっとなりふりかまわんもんじゃ。ライさんはなりふりかもうとらんかった。格好もつけず、きれいなことばも使わんで一途なおひとじゃった」
ゲンはサクの話を思いだした。
(ライ。生まれ持つ星は雷。力は雷を呼び、やみを一掃し、人々に希望を与えた。確かに「一途」という形容はぴったりかもしれない)
「それからは、ライさんはときどき遊びにきて酒を一緒に飲んでの。その度におんなじ話を泣きながらするんじゃよ。で、祓い具をみんなに配るんじゃ。んで、わしらもモノノケに呑まれることもほとんどなくなった」
「でも祓いの型を学ぶことはしなかった、ということか」
「そうじゃな。ヨウさんはしきりに祓いを学ぶよう説得においでたけんど。ヨウさんも心のきれいなひとじゃったあ。なんせライさんのお子じゃ」
「ヨウは酒を飲まなかったのか」
「ようわかるの。そうじゃ。ヨウさんは下戸じゃったのう」
(ヨウが酒飲みだったら、きっと祓いの型を学んでいたんだろう)
ゲンはおかしく思ったが、すぐに思いなおした。
いや、そうじゃない。祓いの型を学ぶ必要がなかったんだ。原住民にはやみひとの察知能力がある。祓い具だけでやみひとに呑まれずに存続できたんだ。
ライが来たときはモトン族は滅ぶ寸前で祓い具が必要だった。酒が飲める、飲めないというのはただのいいわけにすぎない。本人たちはどのように理解しているのかはわからないが。
「ヨウさん、サクさんも生まれ、この地は安泰じゃと思うたんじゃがの。いまは、ゲンさんも知っとる通りじゃ」
「そうか」
「じゃがの、コウさんがおる。コウさんはライさんとよう似とる」
(顔が? 性格ってことかな)
「コウさんも大酒飲みじゃあ」
「えっ」
「ほい、着いた」
そこは粗末な浜辺の小屋であった。が、たくさんの人々が手を振って迎えていた。
「おーい。じーさん」
「やっと着たかあ」
「なんしよったんかー、遅いぞお」
「お。連れてきよった。あれがゲンさんかいの」
「おお。美しいのう」
姿形は確かにジャクルに似ている。どんぐりまなこ、毛深くずんぐりとしたからだつき。
ジャクルは大きく手を振って人々に応えた。
「土産を調達しよったんじゃよー。ほーれ」
そういってジャクルは懐からたくさんの魚を出した。
(いつのまに)
みな、ひょう、とか、わあ、とか騒いで受け取り、がやがやとなにやら準備をはじめた。ゲンの前に来ると目をきらきらさせて、ぺこりっとお辞儀をし、また準備を続ける。
空はしんしんと夜更けを語っている。
ゲンはなにがなんだかわからなくなった。人々のようすをぼんやり眺めながら頭の中を整理していた。
もともとこの地に原住民がいて「モノノケ」と共存していた。そこに「空人」が来て棲みついた。その後なんらかの理由で「モノノケ」は「やみひと」となり、ひとを呑み込むようになった。
空人は呑み込みに悩まされながらも巫女の存在を得て、祓いの力を強め、モトン族との間に子孫を残しながら繁栄している。しかし、原住民はやみひとを祓うことはせず、その子孫はもう五十人ぐらいしか残っていない。
双方の文化は違っていたが、いまこの国の主流は空人の文化、相手を排除する文化、ということか。
ゲンはしつこく聞き込みをしたいと思ったが、そういうわけにもいかなかった。あたりがにわかに騒がしくなってきたからである。
それから朝までゲンを迎えての大宴会であった。ゲンはまた酒を飲まされ、すっかり酔ってしまった。そのうち、夜がしらじらと空けてきた。
日出浦の地名の通り、美しい日の出であった。
日出浦から空は神々しく輝き、一本の光が水平線をかたどるように広がった。陽が昇りはじめるとみな静かになり、手を合わせて拝んだ。あるものはひざまずき、あるものは立ったまま、誰も太陽から目を外さない。皆が同じ方向を向き、同じ感動を共有する。いまこのとき、われわれは一個体となった。空から与えられる神の恩賜によって。
日の出を見たあと、ジャクルに導かれてゲンは帰路についた。
ガンザンの家が見えてくるとジャクルは別れを告げた。
「ゲンさん。コウさんによろしゅうなあ。今度はコウさんも一緒に酒飲みにおいでなあ」
「ああ、それは楽しみだな」
「じゃあのう、ゲンさん」
ジャクルはケイケイとともに朝の空に消えていった。