気になるから。
それから彼は、私にとって『なんだか気になる霊』になった。
本当は気にしてはいけないって分かっていても、どうしても目で追ってしまう。買い物で近くまで行った帰りには、あのカフェに行くんだと自分に言い訳しながら、気がつけば私はあの交差点を眺めるようになっていた。
いつか波長があって憑かれたら、引っ張られたらどうするんだと思うのに止められない。その意味で私はもう充分に、影響を受けているのかも知れなかった。
ただ、そんな私の思いとは裏腹に、彼が私に気付く事はない。目線があうことすら、ない。
いつ見ても彼の瞳は虚ろで、誰も何も映してはいなかった。陽炎みたいに揺らめいて、何の感情も発する事なく佇む彼を見るのはなぜだかとても悲しくて、いつも胸がきゅっと狭くなる。
彼の瞳に光が宿るのは、この横断歩道で誰かが危険な目に会う、そんなあまりにも稀な瞬間だけだ。
おばあちゃんが時間内に渡り切れなくてオロオロした時。仔犬が突然飛び出してきた時。子供が何かに気をとられていきなり走り出した時。彼は、急に息を吹き返したみたいに颯爽と動きだす。
彼らを、守るために。
足元がふらつく人には、渡りきるまで付き添って。子供が走れば弾かれたみたいに走りより、腕を引いて押し留める。よそ見運転の車の前に飛び出した事すらある。
誰もが違和感を感じてキョロキョロはするものの、結局彼が見えている人なんかいなかった。
誰にも見えない。
お礼なんか言われる筈もない。
彼は誰かを助けようとする度にいちいち話しかけてるように見えるのに、誰一人、彼に応えてくれてはいなかった。
なのに、どうしてそんな事続けるの?
どうして、そんなに満足そうに笑うの?
そして彼が笑う度、血糊は少しずつ薄れ、彼は少しずつ綺麗になっていくようだった。
たまらず私は、あの交差点で過去に起こった事故を調べ始めた。すでに彼を初めて見かけてから、かれこれ5年が経過した秋の事だ。我ながらよく我慢したと思う。
彼……田代保があの交差点で事故にあったのは、もう20年も昔の事だ。居眠り運転で横断歩道に突っ込んできた車から、小学生の男の子を守ろうとして飛び出したって……全く、なんとも彼らしい。
それでも、ノーブレーキで突っ込んできた車の勢いを、彼一人の肉体で相殺できるわけもなく。彼も、その男の子も亡くなってしまった、なんともやりきれない事故。当時この交差点は、手向けられた花でいっぱいになったらしい。
それでもきっと、彼の心は慰められなかったんだろう。
ねえ、もしかしてその男の子を助けられなかった事、悔やんでいるの?
だからこの交差点に縛られて、あなたは誰かを助け続けているの?
そんなの、あなたのせいじゃないじゃない。
そう言ってあげたくても、彼の目は私なんか見てもくれない。彼の目はいつだって、困っている誰かしか映しちゃいないんだから。
……私が転べば、もしかして彼の目は、私を見てくれるんだろうか。
ふとそう考えてしまった時、私は、自嘲の笑いをこぼすしかなかった。
ばかみたいだ。
純粋な善意で動いている人に、どうしてわざと転んでみせる事ができるって言うの?
ばかみたいだ。
もはや生きていない人に……地縛霊と呼ばれる存在に、少しだけでも私を見て欲しいだなんて。
ばかみたいだ。
彼の名前ひとつ分かった事が、こんなにも嬉しいだなんて。
……ばかみたいだ。
私は。私は多分、どうしようもなく報われない恋をしてしまった。