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旅立たぬ旅人をぶち殺しに行くのだ

作者:はじ
 彼はようやく旅に出ることにした。
 旅立ちの前夜は緊張の所為で眠れず、当日朝になってようやく眠気がおとずれる。このまま旅立たないで二度寝に耽るのも一つの手だろうか。温かい布団に戻りたくなる誘惑をどうにか堪えながら、護身用のツルギを腰に下げ、食料や水が入った鞄を背負い玄関に向かった。
 寝不足の身体は他人のもののようで、靴ひもを結ぶ指先はいやに重苦しい。擦りガラス越しに染み入る朝日の爽快さは押し付けがましく、せめてもの抵抗にと、これ見よがしな大欠伸で応戦するも、出発のときは間近に迫り、あとは玄関戸を開けて外に出るだけで彼の旅立ちが始まる。
 隣人には気付かれぬよう気配をひそめて行こう。もし姿を見られたならば、お節介な差し入れと聞きたくもない激励の言葉を投げかけられるに決まっている。彼は物音を立てないように戸を半開にし、その隙間から早朝の村を見渡す。
 幸いにも人影はない。これならば誰にも発見されずに村を出ることができるだろう。そう安心しつつも、まるで自らの旅立ちは、一羽の小鳥が飛び立つほどの瑣末な出来事に過ぎないかのようで、少しばかり寂しくもある。
 まぁ、それでいいや、と彼は家を後にする。冷えた朝もやは寝ぼけた頭を目覚めさせ、動きの悪い身体をもとの調子に戻していく。さらに覚醒を促そうと彼は両手を組んで大きく伸びをする。ポキッと背骨が鳴り、その快音に続いて木に止まっていた鳥たちが一斉にさえずる。
 鳥たちの見送りに彼は欠伸で返答し、重いまぶたを瞬かせながら歩き出した。履きなれた靴で踏みしめる砂利道や、鼻腔を過ぎる湿けた大気、そこに混じる草葉の香り、簡素な家屋が軒を連ねる家並み、村を取り囲むようにしてそびえる山岳の景色を見るのも、今朝で最後かもしれないと思うと感慨深くなる。彼は自らに伝わる感覚を取りこぼすことなく記憶しておくかのように、じっくりと景色に目を這わせ、呼吸をし、感触を確かめながら歩いた。
 そして、ふと、家の鍵を閉めたか心配になった。
 思わず足を止め、つい5分ほど前の記憶をたどる。眉根を寄せて思い出そうとするも、どうしても鍵を閉めたという記憶を発見できない。途端に彼は不安に襲われ、身を翻して自宅へと駈け戻った。
 家にたどり着き、息を切らせながら玄関戸に触れると、心配をよそに戸はしっかりと施錠されていた。彼は安堵の吐息をふき出し、呼吸を整えてから先ほどと同じ道につく。数分前に見た景色には、もうなにも感想を抱かず、遅れた時間を取り戻そうと早足になって村の出入り口を目指した。
 風景から家屋の数が疎らになり、その空間を埋めるようにして田畑が増えていく。実り始めた果実のまだ若い香りと色合いが別れを告げるようにして風に揺れたが、彼は気付くことなく畦道を過ぎる。
 田畑を抜けると、道はゆるやかな下り坂になり林道へと変わる。そこは彼が子どもの頃によく木登りやかくれんぼをして遊んだ場所である。その懐かしさで気持ちに余裕がでてきたのか、彼は歩調を緩めた。もう少し行けば林が途切れ、広大な草原があらわれる。そして、いよいよ彼の旅が始まるのだ。
 待ち受けるはいくつもの困難。それは行く手を遮る魔物たち、老賢者から出される試練、砦を守る仇敵、死の危険が潜む難所などなどだ。それらの出来事に臆したのか、はたまた、ただ単純に歩き疲れたからか、視界が開けて大草原が見え始めると、彼の歩速は遅々とし、今にも止まってしまいそうになっていた。
 あと一歩を踏み出せば、草原にいたるところで彼は立ち往生する。停止したその心中では、新たな揺らぎが生まれていた。
 あれ、流し台の蛇口、ちゃんと締めたっけ?
 彼の頭中は、蛇口から流れ続ける水が流し台からあふれていく光景で占められる。そしてついに、水浸しになった家中を想像した彼は、慌てて道を引き返した。
 林道を抜け、田畑を過ぎ、生活音が聞こえ始めた家々を通って自宅まで戻る。玄関戸の鍵を開け、台所に向かう。やはりそうだ。蛇口は少しだけ開いており、僅かな水滴がぽたぽたと流し台の底を打っていた。戻ってきてよかったと、自身の行動に誤りがなかったことにほっとする。
 さぁ、今度こそ旅の始まりだ!
 意気軒昂と家から出ようとした瞬間、彼の耳に微かな風音がとどく。音は家内から聞こえてきたようで、もしかしたらどこかの窓が半開きになっているのかもしれないと思い、開いている窓がないか片端から調べていった。予想に反して窓はすべて閉まっており、それならばあの風の音はどこから聞こえてきたのだと、彼は家の隙間風が入ってきそうな場所を入念に点検していった。
 そうこうしている間に昼時を報せる鐘が村中に鳴り響く。書物机の下を調べていた彼は身を起こし、台所へと向かい簡単な食事をとって空腹を満たしてから、再び風の出所を探し始めた。
 床下、押入れ、天井裏をめぐり、便所の壁を調べているところで隣家から話し声が聞こえてきた。
「隣のあの子、ようやく旅に出たみたいね」
「やっとよね。同年代の子たちはとっくに出たっていうのに」
「そうね。がんばってほしいわね」
「うーん、臆病な子だったから、案外草原の辺りで音を上げてるんじゃないかしら」
「さすがにそんなことはないでしょ。あの子、意外とちゃんとしたところもあるんだから」
「あら、やけに肩を持つわね」
「これでも一応、あの子が生まれたときからの隣人ですからね。あの子のことはそれなりに理解しているつもりよ。あの子は、やるときはやる子よ」
 会話を聞いて気分が悪くなった彼は忍び足でその場を後にし、寝室の布団に横たわった。まだ耳の奥に残って風の音を無視して目を閉じる。布団はいつも通り身を優しく包み、その温もりに浸っているうちに彼は寝入ってしまった。
 夢のなかで彼は旅に出ている。手にしたツルギでバッタバタタと魔物を倒し、強大な敵にも屈することなく鍛えた剣術で対抗する。向かうところ敵なしの彼は、さらなる強敵を求めて旅をしている。
 夢の出来事を反映して、彼の寝息は興奮ぎみに上ずる。そしてそれは風に乗り、村から田畑、林を抜けて草原へと飛んでいく。草原を越えた地に居を構えていた一人の老賢者は、今日中に来ると予言されていた旅人がなかなか来ないことにヤキモキし、家の外で待ち構えていた。もし予言の旅人があらわれたら、時間はちゃんと守りなさいと説教の一つでもしてやろうか。老賢者は憤りながら昼過ぎの陽光に照らされた草原のなかから旅人の姿を探し続けた。
 数時間が経ち、草原に波涛をつくりながら風が吹いてきた。そこから旅人の寝息を聞き取った老賢者の堪忍袋の緒はぶっちぶちに切れ、年甲斐もなく怒号を吐き散らし、足元にあった石ころを思い切り踏んで粉砕した。
 老賢者はすぐさま支度をし、旅人を叩き起こしに向かうことにした。もうじき日が暮れてしまうが、そんなことは関係ない。玄関に置いてある緋玉のついた大杖を大急ぎで手に取り、龍の火炎をも跳ね返すローブを荒々しく着込む。杖を握った手は、怒りで小刻みに痙攣し、はめ込まれた緋玉から尿漏れのように炎がもれ出て玄関戸を少しばかり焦がす。口元を覆う白いヒゲは飛び散ったよだれでべちょべちょに濡れ、瞳孔がガッバガバに開いた双眸を携え、老賢者は草原へと突進していく。
 日暮れた草原には数々の魔物が獲物を求めて徘徊しており、老賢者の姿を見付けると、徒党を組んで襲い掛かった。
 草陰から出現した魔物たちを老賢者は杖でなぶり殺した。容赦など一切せず、怒りのままに杖を振り上げ、あまりの威容に怯えて縮み上がった魔物たちを力任せに殴打していく。転がった死骸には痰を吐きつけ、それが乾く暇も与えず緋玉から火炎を放射して焼却した。
 老賢者は目に付いた魔物を次々と撲殺焼殺しながら旅人のいる村へと向かう。通った後には魔物の焼死体が山のように積み上がり、泥のような黒煙と悪臭を広がる。死体から燃え移った火によって、草原はメラメラと音を立てながら焼けていく。その明かりに照らされた老賢者の顔面は、返り血を浴びて真っ赤に染まり、白から赤に塗り替わったヒゲから血液が滴り落ちる。わなわなと震える全身からこぼれる殺意、憤怒で歪んだ表情、修羅の如し。
 老賢者は草原を焼け野原に変え、村へと続く林道の樹木も焼いて回った。
 その頃、村では、明るい夜空を見た人々がようやく異常事態に気付き始め、自警団を偵察へと向かわせた。二十代から三十代の剛健な男衆で編成された自警団は、草原の魔物たちが調子に乗って火遊びでもしているのだろう、いっちょ懲らしめてやるか、わはは、くらいの心持ちで、泥酔し千鳥足の者までいる始末であった。
 先頭を行くのは、自警団に入団して数か月の若者であった。少しでも実績が欲しい彼は、林を燃やしている老賢者を最初に見つけると震える手でツルギを鞘から出し、雄叫びを上げて斬りかかった。老賢者は向かってくる刃を悠然とかわし、杖を若者の眉間めがけて突き出す。若者の顔はぐしゃりと陥没し、まだ死を理解していない腕が、再びツルギを振り上げようとして僅かに持ち上がった。老賢者は若者の顔から杖を引き抜き、現実を分かろうとしない憐れなその身体を蹴倒す。そして、カーッと喉元で痰を濃縮させ、ペッ、と吐きかけて引導を渡してやった。
 その様子をぼう然と見ていた他の自警団は、ようやく意識を取り戻して続々とツルギを抜いた。しかし、そこは経験豊富な彼らである、すぐには斬りかからず取り囲むような陣形を組み相手の出方をうかがった。
 燃え盛る林のただなかに、しばしの沈黙が流れる。警戒して挑んで来ない自警団のことを老賢者はあざ笑い、それならばこちらから行くぞ、という意味合いの奇声を発して杖を頭上高く掲げる。鋭く発光する緋玉を見た自警団たちが慌てて木陰に身を隠そうとするよりも早く、緋玉から炎が噴き出し、自警団たちへと襲いかかった。炎に対してなす術のない自警団たちはただただ逃げまどい絶叫するのみで、炎を消し去ろうと慌てふためき、力尽きたものたちから順々に地へと崩れ落ちていった。
 自警団の全滅を待つことなく、老賢者は村に向かってゆっくり歩んでいく。その間にも林を焼くことは忘れない。頭上の夜空は、老賢者の怒りの熱量を反映するかのように赤々と染まり、そこできらめく無数の星々は、その怒りが尽き果てぬことを暗に示す。完全に怒りに憑りつかれた老賢者は、旅人への呪詛をぶつぶつと吐き、思い出したかのように大声を上げ、その声に対して「喧しい!」と激昂、ひとりで口喧嘩をしながら進んだ。
 田畑までくると一人の男が老賢者を待ち構えていた。男が発するただならぬ気配に老賢者はとっさに杖を胸の前に上げて身構える。その判断は正しく、老賢者の行動とほぼ同時に、夜を裂くように疾駆して距離を詰めた男は、鞘から抜き払ったツルギで老賢者の胸部を貫こうとしていた。
 杖の腹でツルギを受けながら、やっとまともな相手が出てきたことに老賢者は狂喜し、口角から泡を噴き出して男の名を問うた。しかし、老賢者の言葉は既に人のものとはかけ離れていたため、男は名乗ることなく素早く後退して間隔をあけ、ツルギを中段に構えた。
 問いかけを無視されたことで矜持が傷つき、老賢者は怒り狂った咆哮を夜空に向けて放つ。炎に焼かれた夜気が鳴動し、月すらも僅かに震えた。その雄叫びに男は威圧されることなく、むしろ隙をつこうと斬りかかる。迫る白刃を老賢者は杖で打ち払い、さらに緋玉から火炎を放って、二人の間に火の壁を生み出す。突如として出現した火壁にも男は動揺せず、跳ぶように後ずさりながらツルギで横薙ぎにする。一閃された火の壁は上下に別れ、空間の残り火を介して男と老賢者の視線が交差する。
 息をのむ間もなく、ツルギと杖が交わる。男の方がやや力で勝り、刀身で押すように踏み込むと、老賢者は体勢を崩してよろめく。それを見逃さずツルギを滑らせて鋭い突きを繰り出す。寸前でかわしたが切っ先が老賢者の肩口を裂く。老賢者ははじめて身を引く。傷口から垂れる粘ついた血液を指先で拭き取り、男を睨みつける。その視線を断ち切るかのようにツルギをすっと下げ、男は下段に構える。
 焼けた木の葉が二人の間をはらと通過する。落ちる。同時に動き出す。地を滑るようにツルギが接近する。受けようと杖を上げるが、それよりも速くツルギが右腰から左脇へと斬り抜けた。
 老賢者は苦悶の声をもらして地に膝をつき、真っ二つに切られた杖を両手で握りしめ、なかなか止めを刺さない男をねめつける。燃える林の炎に照らされた男の顔は、なんとも無気力で、まるで立ったまま居眠りをしているかのように茫洋としたものだった。
 こんな男に負けたのかと、老賢者は悔しさで打ち震えながら地面に倒れて絶命する。息絶えた老賢者を見下ろした男は、興味がなさそうに大きな欠伸を残し、自宅に帰ってぐっすり眠った。
 翌日の昼過ぎ、風音で目覚めた男は、旅に出ることも忘れ、風が吹き込んでくる個所を探し始めた。


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