喧噪アパート
題名 喧噪アパート(けんそうあぱーと)
筆名 河鹿有海
二月。会社決起まぢかの季節外れに、おれは出向を命ぜられた。
決算時に会社にいては立場が悪い事をしでかしたとか、左遷だとか噂が流れたが、本人のおれは一切わからない。つまり末端はいつも会社の駒でしかない、ということだ。
実際のところ、後から聞いた同期の友人の情報だと、本来行くべき役職の人がいたのだが、とにかく嫌がり大の男のくせに涙を浮かべて
「どうしても今回の出向に行けというなら……死にます」
とまで言い切ったので仕方なく他の者をと……白羽の矢はおれに当たった。
一か月の期間で住むアパートは会社ですでに契約済みらしい。費用も会社負担だというのでありがたい。駅から徒歩十五分という徒歩圏内に微妙に引っかかる距離だが、仕事先の工場までは五分。そのとなりにコンビニもあり一か月なら問題なく住めそうだ。おれは一週間分サイズのスーツケースに下着と着替え、日用品と忙しくて読めなかった文庫本数冊詰めて出向先に向かった。
工場へ明日からよろしくお願いしますと挨拶に行くと、本社の技術屋がきたと温かく迎えてくれた。住まいを聞かれたので上司から渡されたメモをポケットから取り出しそこに書いてあるアパート名を告げると一瞬、怪訝な顔をしたように見えたがすぐに笑顔に戻って
「いろいろ大変だろうが期待しているよ。明日からよろしく」
と言ってくれた。
歩いて五分。アパートが見えてきた。最近の建築風ではなく一昔前風である。
なにか違和感があると思ったら妙に縦長なのだ。二階建てで長方形。ドアが十五、規則正しくならびドアとドアのあいまに小さなテラスがあってこれまた規則ただしくエアコンの室外機が並んでいる。テラスが小さすぎるのか、どの部屋も洗濯物を干しておらず、カーテンもなく殺風景だ。だがそんなことはどうでもいい。疲れたおれは早々に部屋にはいり荷物を広げコンビニで買った夕飯を食べ風呂に浸かった。冷えた体は温かい湯に癒され湯船でうとうとしてしまったが、隣の部屋のドアを乱暴に閉める音で目覚め風呂を出た。
寝るまえにのんびりと読書をしていると廊下がうるさい。酔っ払いが帰って来たようだ。それも数人でどやどやと足音、鼻歌混じりや、歌う声。音程が外れていて聞くに堪えない。上の部屋からは子供が走り回り母親の叱る声。ああ、子供よりお母さんの方がうるさいぞと天井を睨む。右隣には友人が来ているらしく数人の男女の声に時おり歓声が混じり耳に障る。パーティかどうか知らないが、ここはワンルームだ。壁も薄そうだし騒ぐなら外でやるのが常識だろと壁をドン! と叩こうとしたが引っ越し初日なので今日だけは仕方ない、大目に見てやろう。全体にこのアパートは常識しらずの奴が多いと忌々しく思う。
寝ようとベッドに入るとき明日の朝のためにアラームを、と思い携帯電話を探したが、ない。ああ、しまった! 案内されたロッカーの棚に置いてそのままだ。迷ったが工場を見ると、まだ灯りがついている。徒歩五分。走れば二分で行けそうだ。携帯電話がないと目覚ましがない。夜中に誰かが連絡してくるかもしれない。思い切って行くことにした。両隣、上の部屋はあいかわらずうるさい。
憤慨しつつ部屋を後にして何気なくアパートを振り返った。
灯りがついているのは−−おれの部屋だけだった。




