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1月22日はカレーの日

本編より先出なので若干のネタバレはありますが、それはそれということでお楽しみください。

1月22日はカレーライスの日

「今夜はこれでいいか」

僕は大鍋に煮込まれている中身を見て呟く。今日は自宅待機の日。とは言ってもオフではない。職場で何気なく定着してしまった食堂で僕が作ったカレーを振る舞うための準備だ。明日はカレーの日。学校給食で一斉にカレーが出る日だ。

僕の職場である芸能事務所は車から15分程の距離だ。電車だと路線を乗り継いだりするのでその倍の時間は軽くかかる。基本的には電車通勤にしているが、仕事の終わりが終電を超えると分かっているときは自分の車でも出勤していた。

明日ももれなく車出勤なのだが、開いているスペースにはもれなく鍋が鎮座するというちょっと異様な光景とほんのりと香る赤ワインの匂いがいつもと違うだろう。

今日は午前中に食堂から仕入れてもらったお肉を受け取って下処理として赤ワインで煮込んでいたところだ。僕がメインで使う肉は牛筋。それともも肉のブロックを食べやすい大きさに切る。火を通した後に、赤ワインを入れて弱火で煮込む。丁寧に灰汁を取ってから更にとろ火にして煮込む。そうして出来上がったのが大鍋3つ分。それとボークカレーがいいという人向けに豚肉も下処理を加える。それと今年はなっちゃんが辛いカレーが食べられないと聞いていたので、小さ目のお鍋にチキンカレー用に鶏肉も煮込んだ。後は野菜を大きく切って煮込むんだけど、野菜の皮を煮込んでベジブロスを作ってそれも加えるため明日の食堂のおばちゃんたちはちょっと忙しい。

野菜サラダにしても、ベジブロスを作ることを前提にして作ってくれるらしい。

それを寸胴鍋で煮込んで野菜くずを取り去ると出来上がる。野菜の栄養価の高い部分がしっかりと溶け込んでいるからそれを使えばうまみが増すのだ。

僕がそのことを食堂のおばちゃん達に教えると、野菜の煮込み料理の時にはベジブロスを使うようにしているらしい。ひと手間加えるのは面倒ではあるけど、その手間で美味しくなるのならそれはいいことだと思うんだ。

僕が明日することは、おばちゃんたちが用意してくれた野菜とベジブロスを僕が仕込んだ肉と合わせて煮込んでからカレーにする。本当ならスパイスからがいいんだろうけど、それは無理だからカレールーを使う。メインで使うのは中辛のカレーだが、数社のカレールーをブレンドさせる。

このカレーは残る分を想定している。というのは、残ったカレーは翌日のランチで焼きカレーとしてリメイクされるのだ。カレーの日に食べられない人もいるからという配慮から一応裏メニューとして当日いなかった人の分だけを確保しているのだ。時計を見ると、ちょうど午後10時。いつもならこの時間に戻ってくる位。

夕飯は既に食べたから、今夜は早いけど寝てしまおうと僕は寝室に向かった。


カレーの日当日は、いつもの出勤時間より早い。8時には事務所の中の厨房にいた。今日の僕は、デニム生地のエプロンに唐草模様のバンダナ。

「おはようございます」

「澤田君、今年もよろしくね」

「いいえ、今年もお手数おかけします」

「おばちゃん達はこの日だけは楽をしているからいいのよ。それより、ひじきのサラダの試作品食べてもらってもいい?」

おばちゃんたちは、既にベジブロスを作り始めていた。本当に手際いい人たちで本当に助かってしまう。

「新作ですか?」

「春になると新ものになるからね。体にいいから積極的に食べてほしくて」

「成程。おばちゃんたちが作ってくれるがんもどき好きですけどね」

もちろん、がんもどきのレシピも貰ってある。さっそく小鉢に盛られた試作品を一口食べる。しそ風味ドレッシングを使ったひじきと人参がメインのサラダだ。

「うーん、しそ風味ドレッシングじゃなくてポン酢の方がいいかな。それと玉ねぎのスライスを入れてもいいし、さっとゆでたもやしを入れてもいいと思う」

「あらっ、それなら野菜をたくさん取れるわね。試してみましょう」

いつもだと、この時間から戦場になる厨房は今日だけは少しだけ楽になるらしい。

カレーのトッピングにチーズとヒレカツだけとなっているから、ご飯と炊き終わってからヒレカツを揚げるだけだから。野菜だって、そんなに大変じゃないわよってにこやかに言ってくれるのが、僕に対しての配慮なのだろう。


おばちゃんたちが作業をしている間に、寸胴鍋に僕が仕込んできた肉を入れる。弱火で温めていると、おばちゃんたちが出来上がったべジブロスと野菜を入れてくれる。軽く混ぜてから丁寧に灰汁と取りながら煮込んでいく。ご飯は白いご飯がメイン。サフランライスとかバターライスは流石に用意できない。その代りにこのカレーのレシピは食堂のレシピを掲示するスペースに常備されているから作りたい人は写して帰っているらしい。

トッピングもチェーンのカレー店のように増やしたい気持ちはあるけれども、社員食堂のコストを考えるとヒレカツとチーズで十分かなって思う。甘口は嫌だけど辛いのが苦手な人はチーズを入れるし、がっつりと食べたい人はヒレカツを食べている。本当はとんかつとかの方がいいんだろうけど、事務所の食堂なので多少はヘルシーな方がいいだろうという事でヒレカツになった。

作業していると、カレーの匂いに引き寄せられるように事務勤務の人たちが顔を覗かせる。

「そっか、今日はカレーの日だ」

「そうですよ。早めに食べたいと依頼にない人はいつもの時間でお願いします」

「皆も楽しみにしているよ」

「そうですか。プレッシャーですね」

食堂は十一時からの営業だけども、芸能事務所なのでそれより前に食べたい場合は前日の食堂が閉まるまでに申し出ればリクエストのある時間で食べることができる。昨日事務所から依頼があったのは一件だけで、お弁当として持っていきたいので用意してほしいという事だった。

うちの事務所は、管理栄養士も常勤しているのでかなり体にいいランチを提供してる。モデル部門になると体のラインの問題もあるので、ロケ弁ではなくて食堂のランチをランチボックスに詰めて現場入りする子もいる。

ダイエット向けのランチメニューもあるので、事務勤務の子たちも積極的に使っている。食堂の営業終了は午後八時。おばちゃんたちはシフト勤務で働いている。

残業していても、食堂が開いているので事務所にいる分には夕食に困ることはない。これは社長の方針で、体の資本は食べることという信念の元。実際に事務所の独身男性は、朝食以外は食堂で食べている人が圧倒的だろう。

それに、アイドル達も食堂に自分たちのお弁当箱を置いてもらっている。最初のうちはロケ弁も新鮮だが、飽きてくるとお弁当箱を持ち出す。自己管理ができている子は最初からロケ弁ではなくて事務所のお弁当だ。

ビビットも最初はロケ弁を食べていたのだが、最初にランチボックスにしたのは楓太。菜食主義ではないけど、野菜が多いメニューを好む。他のメンバーは冬になるとスープジャーに汁物が欲しいとその日の味噌汁とかスープを持っていく。他のアイドルも体調によってはランチボックスにしているようだ。


カレーのルーも溶かして、隠し味にリンゴジュースを入れてゆっくりと混ぜていく。

通常よりも野菜がゴロゴロと入ってかなり濃厚なルーの出来上がりだ。食堂の営業一時間前。最初に炊き上がったご飯を炊飯器に移して、小鉢を人数分取り出す。ランチには早いけど、今年のカレーの味見位は許されるだろう。

「今年の味見をしましょう」

僕がおばちゃん達に呼び掛けると待ってましたと言う声と共におばちゃんたちが小鉢に手を伸ばした。

「今年は全てのカレーを少しずつかけました。チキンカレーはナツミちゃんだけということでお願いします」

「そうね、なっちゃん。中辛ダメだものね」

「はい、流石にお子様カレーではありませんけど……今の内に食べましょう」

僕らは無言で試食をする。チキンカレーの方は、ナツミちゃんの自宅に電話をして自宅に近い風味を目指すことにした。いつものように僕がスパイスを少し使っている分自宅とは同じ味にはなっていないけどそれはそれだと僕は思う。

「これならいいじゃない。どうやって作ったの?」

おばちゃんたちは、チキンカレーのレシピが知りたいようだ。

「これは鶏肉をソテーしてから、水と白ワインで煮込んだんです。白ワインも甘いドイツワインを使いました」

白ワインも計量カップで半分位しか使っていない。本当に隠し味程度だ。

「へえ、今度家でやってみようかしら」

「ぜひどうぞ」

おばちゃんたちは基本的にパートさん達だ。事務所はパートさんでもちゃんと社会保険も労働保険も加入している。その分手取りは減ってしまうけど、いつまでも気持ちよく働いて欲しいという配慮をしたうえでだ。もちろん退職金もでるし、ボーナスも満額とは言わないけど、しっかりと支払われている。

その為か、おばちゃんたちはほとんど止めないで働いてくれる。辞める人だって、ご主人の転勤に伴っていくためとか、親の介護に専念したいというものだ。職場としては安定しているそうなので、皆さん仲良く働いてくれている。

「じゃあ、そろそろ営業の準備に入りましょうか。お手数かけますがよろしくお願いします」

「今年は完食で早く終わっちゃうのかしら?」

「どうでしょう?去年よりは多めに作りましたよ」

「最初に年に比べて人数も増えたしね」

「そうそう。食べ盛りの子は本当に多くなったから」

ビビットの結成前年からアイドル部門ができてから……事務所の人数は増えたし、男子の数も増えた。食堂はそういうところがいち早く顕著に分かるのだろう。

「でもいいのよ。気持ちよく食べてくれるのを見るのは嫌じゃないもの」

「そうそう。それにモデルの子たちも、ロケ弁よりおいしいって言ってくれるし」

「事務所でご飯食べるようになって痩せたって子は多いわね」

「それは管理栄養士さんにも感謝しないと。うちの食堂のメニューはとにかく野菜を食べることがメインだもの」

そう、食堂のメニューは野菜を使ったものが多い。他のものだったってしっかりと噛むことが必要なメニューが多い。ご飯も原則的には雑穀米と白米を選べる。ご飯がメインになる日は休みだけど。


「ビーフカレー大盛りね」

「はい、どうぞ」

ランチタイムになると、食堂は一気に人であふれかえる。一応事務所の人間はアイドル達も含めて全員は座れるだけの座席はあるのだけど、ここまで食堂が混むのはほとんどない。どれだけ今日のカレーを楽しみにしていたのだろうか。

「わー。さわっちカレーだ」

はしゃいでいるのは昌喜だな。去年は仕事の合間で事務所に寄って泣く泣くポークカレーを食べたんだよな。

「あの……甘口のカレーってありますか?」

「あるよ。はい、なっちゃんカレーね」

そっか、なっちゃんには甘口のカレーを用意するよしか言わなかったね。

「「ヒレカツつけて、それと大盛りで」」

双子……こいつら食べても太らないからって。油断はいけないぞ。

「あっ、僕ビーフカレーのルーだけでいいですか?」

「ふう君、ご飯は?」

「自宅から全粒粉のパンを焼いてきたので……それと食べます」

ふうは自宅からパンを焼いてきたのか。何気なく家事をこなすふうは、たまに玄米を炊いてきて、食堂でおかずと味噌汁を貰っていることもある。

「ふうくんは、女子力高いわね」

「そうじゃなくて。元から僕が作ることが多いから」

こいつから教わった土鍋でビーフシチューは冬の僕の家の定番だ。それにふうの作る和食は本当に優しい味がする。

「俺、チーズトッピングして」

樹はやっぱりチーズか。本当にこいつは乳製品が好きだ。そこには切実な理由があるのを知っているけど。

僕がせっせとカレー皿にカレーを盛り付けているのを見知った顔が頑張ってねっていいながらカレーを受け取っていく。

ごちそうさまって食器を片す顔は逆ににこやかだ。どうやら今年もカレーの日はうまくいったようだ。


おまけ

「あの……澤田さん、急きょ高山さんがこちらにくるそうなのですが」

「そうですか、それなら食堂でお話を伺いましょう」

急きょ高山さんがやってきて打合せを行うことになった。時間は午後二時。ランチがまだだったらカレーを振る舞えばいいかと思っていた。

「すみません。お休みかと思ったんですが」

「いいえ。マネージャーとしては休みですけど、事務所にはいますので。ところで昼食は食べましたか」

「それがまだでして。今日はカレーですか。いい匂いですね」

「せっかくですからどうですか?食べて行きませんか?打合せの後で」

「お言葉に甘えてもいいですか。今日はずっと外歩きで食べているタイミングが上手く取れなくて」

それから僕らは、バレンタイン企画の打合せを始めた。急きょ年末から始動したもので、無事にCM撮影の日程が決まったのだ。

「この日程で調整をおねがいします」

「はい、分かりました。じゃあカレーを用意しますね」

僕は厨房に戻って高山さんの分のカレーを用意した。

「そういえば、今日の澤田さんは食堂なんですね」

「いろいろありまして。どうぞ召し上がってください」

「いただきます。凄く美味しいですよ。これ」

「ありがとうございます。僕が自宅で作るカレーをちょっとアレンジしたものです」

「えっ?本当ですね。メニューに書いてありますね。料理お好きなんですか?」

「高校が全寮制の学校でしたので。最初は最低限の料理しかできなかったんですが。生活していくうちに覚えていったんですよ。今では楽しみの一つですね」

「澤田さんの引き出しはふう君もそうですが、本当に多いですね。あっ……今度の社内プレゼンでいいアイデアが浮かんだのでちょっと協力して貰えませんか」

「えっ?それって……」

「今度男が好きなお弁当ってラインを……ここまではプレスリリースしたのでご存知ですよね」

「ええ。そこまでは」

「その第一弾のメニューが決まらないので、結果的に社内プレゼンになってしまったんですよ」

「はあ」

「そこでひらめいたのが、料理男子が作るカレー。コンセプトにはいいと思いませんか?」

「ああ……それならいいですね。オムライスだったら彼女に作ってあげたい料理とかでもいいんじゃないですか?基本的にオムライスが嫌いな女の子はいませんよ」

「そのアイデアもいいですね。貰ってしまってもいいですか?」

「構いませんよ。僕が言ったのはあくまで一般論ですから」

その後も高山さんはノートを取り出して、社内プレゼンのアイデアを書き上げてから本当に押しかけてすみませんでした。ごちそうさまでしたとにこやかに帰っていった。


その数か月後、高山さんの会社から料理男子覆面座談会という企画に参加させられることになるとは誰が思っただろうか。


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