1月5日はシンデレラの日
早速スタートです。
新年の仕事を初めて数日後、今年初めての事務所待機日だ。今日は基本的に事務作業に専念する日。社員が少ないと言っても年末調整とか確定申告とかが必要なわけで、経理に専念している社員さんと一緒にその準備をするためというのが実情だ。
間にナツミちゃんの社内での打ち合わせが入っているので、そこには参加できるように里美さんには頼んでいる。そんな二人の最初のスケジュールは歌のレッスンが最初に入っていた。
年末に事務所に入ったナツミちゃんは、音楽に対しての才能はずば抜けている。ふうとの君思いマカロンではデュエットソングとして今ではオンエアーされている。クリスマスにネット配信限定でnatsuとしても活動を始めた。こちらの方が本人は楽しそうだけども、ナツミとしてのデビューもあってネットの音声の方は若干低めの加工をしてある。社長が言うにはバーチャルアイドルとの融合的な方向という事でnatsuが誰であるかという事についてはかん口令がしかれている。
まあ、そうせざるを得ないのは本人が現在学校でのトラブルが原因で不登校の状態に陥ってしまっているため。
遅れがちな勉強を教える相手に選ばれたのがうちのふうで、社長の親戚でクラシックの方の契約は以前からしてあったそうで(これはうちの経理さん以外は知らなかったトップシークレットレベルの情報)。今までの契約に今度はモデル・タレントの活動に対しての契約が追加された形になる。
ふう達は知っていたが、彼女自身はジュニアのピアノコンテストでの入賞実績があるピアニストで年に数回コンサートにジョイントという形で参加している。確かに社長管轄で海外のアーティストのクラシックリサイタルとかやっていたことを思い出す。同じ事務所でもそちらは基本的に社長室が単独で動いているので、アイドル部門の僕は詳細を知っている訳ではない。
うちの事務所は、アイドル部門と、モデル部門と社長室が運営しているクラシックの部門が主だった事業だろう。他には契約をしているタレント達向けに教養講座を行っている。一部の講座は地域の人にも開放しているので地域の人たちと有効な交流をしていると思う。
最優先で経理に提出する書類を処理してから、今年の年間予定を確認する。大まかな流れは例年通り。ビビットの活動もコンビニスイーツで各メンバーがソロでも活動の場を広げつつあるところだ。あいつら……ふう以外は芸能活動を優先していたので通信制の高校を4年通学することが確定しているので、まずは学校を卒業することを優先させるようにと記載がされていて僕は苦笑いする。
一方のふうは、春から通信制で大学に進学が決まっている。現時点で決まっていることは4月からの連続ドラマに出演。これはピアノが弾ける男子というクライアントの条件に偶然にも合致したことからオファーがやってきた。毎回違う曲を演奏すると依頼にもあったので、前もって曲をリストアップしてもらって既に練習を開始しているそうだ。普段は勉強を教えているナツミがピアノのレッスンパートナーを買ってくれた。
それと内定しているのが、4月からの国営放送でのジャズサックスを練習するという番組でのアシスタント役。こちらも中学までは吹奏楽全国大会常連の名門校でサックスを吹いていたふうの経歴からの抜擢だという。こちらは一度本人の演奏を聞きたいと言われているので、既に自主練習は始めているらしい。年末に会った時には年明けから個人レッスンつけてもらいますと言っていたので順調に調整をしていることだろう。
ちょっと物思いにふけり過ぎてしまった僕は、休憩も兼ねてなっちゃんたちがいるはずであろう会議室に向かうことにした
「里美さんは個人的にブランド品を持たないんですか?」
「そうね。仕事の時は持っていたほうがいいと思っているけど、オフの時は気に入ったものが多いわ。ナツミでも買ってもらえそうなものばかりよ」
「そうですよね。さっきまで持っていたバッグは私も持っているし」
「ナツミの場合は、いいものを見て育っているからね。私はそれらを身に着ける仕事だったから自然と覚えていっただけで、あまり興味はないのよ」
「ふうん。でもお仕事の時はケリーバッグでしょう?」
「だから一応仕事ができる女の人風に見えるかなって……ちょっとだけの見栄よ」
「そこは分かるかも。ドレスとかライトが当たった時を考えたりしますよね」
「そうね、自分の好きな色・デザインだけで済まないときもあるしね」
「でもいいな。ケリーバッグ。いつかはこういうバッグを素敵に使える大人になりだいなあ」
「それはこれからいっぱいいろんなことを経験したらきっともっと素敵な女性になれるわよ。そうしたら買ってあげましょうか?」
「本当?でも高いでしょう?」
「そういうことは気にしないの。そろそろ澤田さんが来るはずだからね」
「はーい」
どうやら僕を待っていてくれているようだ。ケリーバッグか……確かに里美さんは外に出るときは勝負アイテムとして愛用している。それにスーツ姿にも隙がない。
モデルをしていた時は、みんなの傍にいそうなモデルさんだったのだが、仕事をしているときの彼女にはそれは見られない。
モデル活動をしつつもしっかりとビジネスで使える資格はほとんど取得しているという。かつての経歴があるのでマネージャーと営業アシスタントを兼務してもらっているが、本当は社長室からも秘書としてお誘いがあったという。本人曰く、資格を所持していても私の経歴だけで秘書になったと言われるのは嫌だからなりませんとお断りしたそうだ。でも、たまにお手伝いをしているらしいけど。
僕は会議室のドアを開けた。
「今年度もよろしくお願いします」
「おはようございます」
「お疲れ様です。さっそく打ち合わせに入りましょう」
マネージャーの経歴は僕の方がキャリアは上になるのだが、業界で過ごした時間は里美さんの方が上なのでこういう時は彼女に進行を任せることにしている。
無駄のない彼女の進行のおかげで、あっという間に打合せは終了した。結果としてはなっちゃんがやりたいことを挑戦させましょう。しっぱいしたらその時に考えましょうという事だ。
「そういえば、さっきケリーバッグの話をしていたでしょう?二人とも」
「まあ……あはは……」
「いつかは欲しいという事ですって」
「そうそう、そのケリーバッグと言えばグレース・ケリーだよね」
「そうですね」
「今日1月5日は、そのグレース・ケリーがレーニエ大公と婚約したことからシンデレラの日って言われているのは知っているかい?」
僕が二人に言うと、二人は目を丸くしている。仕方ないので僕はスマホで検索をしてその画面を見せた。
「本当だ。澤田さんって本当に何でも知っているんですね」
「そりゃそうよ。私達よりもはるかに高学歴なんだから」
「高学歴だからって皆が高給取りって訳じゃないですよ。僕なんかはエリート集団からドロップアウトした存在ですから」
「そうなの?元いた業界に戻りたくないの?」
「そうですね……もう現場勤務だけは嫌でしたけど、こればかりは自分だけではどうにもなりませんね。国家公務員でしたから」
「国家公務員って……凄いエリートじゃないの?違うのかな?」
「あのまま残っていたら多少はエリートって言えたかもしれないですね。残っている同期達の活躍をたまに見かけますから」
「でも、澤田さんがマネージャーで良かったです」
「どうして?なっちゃん」
「だって、国家公務員な澤田さん……想像できないもの」
「なっちゃんははっきりと言うなあ。里美さんもそう思っているのだろう?」
「否定はしませんけど、女性にいいように使われていそうです」
里美さんの何気ない一言に僕は凍り付いた。自分の中でもとっくに過去になっていたはずのあの事件はまだ少しだけ引き摺っているようだ。
「まあ、あの当時の僕は若かったってことかな。あの頃の方が出会いは多かったかな。時間にも多少の余裕はあったし」
「澤田さんの場合は、女性のお友達を作るところから始めましょう。まずは事務所の女の子とももう少し話しましょうね。たまに挙動不審過ぎて皆が残念な人扱い始めていますよ」
「残念な人って……。僕、高校は男子校で、大学も高校の関係者ばかりがいるような大学で、前職では女性はいたけど、ばりばり仕事をしているタイプでさ……」
「要は、ドラマとかで見かける女の子との接触がこの業界に入ってからってこと?」
「分かりやすく言うとそうです」
「そういう人いるんだ……」
なっちゃんも物珍しそうな視線を寄越す。そんな目でお兄さんを見ないでくれないかな。お兄さん立ち直れなくて今夜やけ酒しちゃいそうだよ。
「分かりました。私が一肌脱いであげましょう」
里美さんがいきなり僕の存在を無視してなっちゃんと盛り上がり始めた。二人が書き込んでいるのはさっき見ていた資料の裏なんだけど、そこには大きく澤田君改造計画「リア充への道」とか書かれている。
いや、気持ちだけでいいよ。僕は別に今のままでもいいんだよ。不満は……ちょっとはあるけど仕事に対しては楽しくやっているのだから。
「まずは、もっと自然に女の子と話そうよ」
「うんうん。事務所の子にも他人行儀だしね」
僕のささやかな望みはまるで無視で二人はどんどんヒートアップしていくのだった。後日二人が建てたプロジェクトは社内の女子を中心に本格的に活動を始動させることになったことを僕はまだ知るわけがない。
今後事務所で地下組織「澤田千紘リア充プロジェクト」が誕生するのであった(とかなんとか)