9 思ったより気さくだった
こぽこぽと上品な音を立てて、二人分のカップに入れたてのコーヒーが注がれる。蒸気とともに、コーヒー豆の馥郁たる香りが部屋いっぱいに広がった。
ドッペルゲンガーはというと、どこか落ち着かない様子でソファに座り、きょろきょろと部屋を見回している。
なんだよ、言いたい事があるなら言えよ。俺もお前が何者か、徹底的に追及してやるからな。お前のせいでアキにも逃げられたんだ。覚悟しろ。
「あのよ」
おもむろにドッペルゲンガーが口を開いた。
「はいっ、なんでござりましょう」
反射的に直立不動で返事をする俺。
「さっき、落としたものなんだけど」
「あ」
忘れてた。俺はポケットから金属の塊を取り出し、確認の意味を込めて、ドッペルゲンガーに見えるようにかざして見せた。明かりの下で見ると、それは随分古びていることに気がついた。
「これでござりましょうか」
「ああ」
投げてくれ、というように彼が片手をあげたので、俺はそれをキッチンから茶の間にいる彼に向かって放った。両手で受け止めて、ひっくり返したり光にかざしたり細かく確認してから、ドッペルゲンガーがほっとしたような笑顔を見せた。
先ほどまでの険しい表情からは想像できない綺麗な笑顔に、思わず心臓が一度大きく脈打った。
「間違いない。ありがとう」
なぜだかわからないが、ドッペルゲンガーの口からありがとうという言葉が聞けると思わなかったので、俺は先ほどの意外な笑顔と相まって、うまく返事をすることができなかった。
ドッペルゲンガーにカップを差し出し、奴の正面にある椅子に座った。と、表面上はきちんともてなしてみるも、奴同様に俺も落ち着かない。
これは、その、客にコーヒーを出すのはなんというか、礼儀だからな。あと、なるべく話し合いで解決しようって言う意思表示だ。とりあえず、コーヒーでも飲んで落ち着こうな。
あと、俺、暴力とか嫌いだから。痛いのも嫌い。あー、あと、いきなり自爆とかは絶対にやめような。
俺が顔を青くしたり赤くしたりしながら、言いたいことを指折り数えていると、ドッペルゲンガーが落ち着きのなさとは裏腹に、表情だけは余裕の笑みを浮かべて、「まあ、落ち着こうぜ」と言いながら、コーヒーを啜った。こういうのは言ったもん勝ちだな。なんかいらっとする。
「えっと」
背中を丸めつつも、意を決して俺は口を開いた。
「どうして俺を捜してたんだ」
「捜してねぇ」
カップに口をつけたまま、ドッペルゲンガーがこちらをちらりと見てから、さっと目をそらした。
「でも俺に似た不審者が俺を捜しているって、町で噂になってた。不審者ってお前だろ」
「俺は不審者じゃねぇ!」
「俺のこと、後付けてたのに?」
「見ているだけでよかったの!」
ブンブコと怒りに顔を赤くして、乱暴にコーヒーカップを皿に置いたドッペルゲンガー。だが、それってストーカーだろ。不審者だ。
「なんで俺を見てたんだ」
「いや、その、別に……」
男が両手の人差し指を合わせて、もじもじ体を小刻みに揺らす。頬はほんのりと朱鷺色に染まっている。
しまった。こいつ、そっち方面の人か。そう思ったら尻の穴がきゅっと窄まった。
先ほどこいつの笑顔にドキドキしてしまった自分を恥じる。というか心底憎む。
妙な沈黙が流れる。俺は心や体といった色々な方面への危機感を抱き、なにか話題を提供しなくてはまずいと、内心激しく焦った。
「お前、どうして追われていたんだ」
「どうしてって……、どうしてだろ」
とぼけた顔でドッペルゲンガーが笑う。
「しらばっくれるな」
低い声を出すと、目の前の男は口を尖らせてそっぽを向いてしまった。奪うようにコーヒーカップをつかみ、がぶがぶと飲む。男のくせに喉仏の見えないやけに細い首が目に映った。
こうやって改めてドッペルゲンガーを見てみると、彼はとても中性的な顔をしていた。髪がボサボサで目の下にくまがあって痩せすぎていて、それらがすべてを台無しにしてはいるが、まつげも長くて顔立ちは綺麗だ。そっちの趣味はなくても、ふせ目がちな横顔とか、ちょっとドキっとする。黙っていると男か女かわからないかもしれない。でも口調が乱暴だし、俺って言ってたし、男に間違いないよな。
色が抜けて華奢になって病的になってそのうえ美人になった俺。アレ? それって俺に似てないな、というよりも、もう俺のカケラもなくないか、というよりも、完全に俺じゃねぇな。でも確かに目元とか口元とか、全体的な顔の作りとか、雰囲気はなんとなく似ているんだよな。
うーむ。どういうことだ。
「俺とお前、似ていると思うか?」
直球でそう問いかけてみた。
「え」
ドッペルゲンガーが目を丸くして俺に向き直る。
「お前を見た町のばぁちゃんたちが、俺と似てるって言ってたけど、似てると思うか?」
「そりゃ、あ、いや、全然思わねぇけど。色だって違うし」
胸の前で両手を振りつつ、同時にぶんぶんと首を振って否定を表現するドッペルゲンガーに俺も頷いた。
やっぱりそうだよな。俺も似ているとはあまり思わない。
「そういえば、さっきのサングラスたちさ、俺の顔を見て『まさか』とか『もしかして』とか言ってたけど、なんのことなんだろうな」
俺の言葉にドッペルゲンガーの顔がさっと青ざめた。え、俺、なんかまずいこと言ったか。知っちゃいけないことを知ってしまったとかそういうやつか? 彼の変わりように、得体の知れない不安が津波のように押し寄せてきた。
「あいつらが、そう言ったのか?」
ドッペルゲンガーの声が掠れる。カップを持つ手がかすかに震えている。ただならぬ様子に俺の動悸も早くなる。
「言った。俺の顔を見て、そう言った」
細い指からコーヒーカップが滑り落ちた。カップはドッペルゲンガーの膝の上でバウンドしてから、かんと高い音を立ててフローリングに転がり落ちた。わずかに残っていたコーヒーが、ドッペルゲンガーのズボンや床を濡らす。
「お前の顔を見て……そう、言ったのか」
終わりだ。と俺に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ドッペルゲンガーが呟いた。
おおおい。なにが終わりなんだ。怖すぎるだろ。