23 びんぼっちゃま
「その技だけは一流ですね! さあ、次はあの銀眼人種の正体を暴き任務を遂行しなさい!」
ヒステリックにアサオが叫ぶ。彼の言葉にモリモルゥが眉間に皺を寄せつつナイフを構えた。おまるを精神的に葬ったナイフ。研ぎ澄まされた氷のように鋭く光るそれは残虐さすら感じられる。
一瞬、モリモルゥの目線が俺からアサオへと滑るように移動したその直後、握りしめた凶悪なナイフが太陽の光を受けて怪しく光り、弧を描くように空中に舞った。俺を狙ったにしては距離がありすぎるが、もしやカマイタチのように風を生み出して服を切り刻めるのだろうか。
それは危険すぎる。だが、とっさに体を丸めて腕でガードするよりも早く、ナイフが鮮やかに空気を切る音がした。
裸はまずい。脱いでもすごいんですって言える自信がない。とかそんなことよりも社会的にまずい。チキウでまっとうな地位を築いている弟に怒られる。
切り裂きルネの攻略法として十分な距離をとっていたはずなのに、それすら無駄だというのなら、もうどうすることもできない。俺は覚悟を決めて目を堅く閉じた。
ちくしょう。おまると二人仲良く道ばたにまっぱだかで転がっておるなんて恥ずかしい最期はいやだ。
これからの人生をややあきらめる覚悟を固めつつ、身を堅くしてその瞬間を待った。のだが、いつまで経ってもそれらしい衝撃は来ない。まさかこれほどまでに何も感じさせずに裸にするとは、予想以上だった。
あらゆる全ての覚悟を決めて、ゆっくり目を開けて見てみたが、俺の衣服に別段の変化はなかった。足下のおまるは相変わらず出荷直前の鶏肉だったが、後ろを振り向いてもそよそよベコナもおまるのように丸裸になっているわけでもなし。
なにも起こらなかったとはどういうことだ。まさか失敗したのか。先ほどあんなに華麗におまるを剥いたその腕が。
なにがなんだかわからず、動揺してモリモルゥの顔を見たのだが、彼はなにもなかったかのように、じっとナイフの先を見つめていた。その表情からは感情が読みとれない。
冷静というよりは無表情といった様子のモリモルゥとは反対に、アサオは顔を赤くして怒りのせいか、体を小刻みに震わせている。
「モリモルゥあなた……、たまに誉めたらこうだ! 必殺技すら失敗ですか。あなたは本当になにをやらせてもだめですね!」
それにしてもこいつ、さっきから口動かしているだけで、なんもしてねぇよな。
そんなやつに罵声を浴びせられたところで、モルゥの表情は変わらない。とうとう口だけアサオの怒りが爆発し、殴りかからんばかりの形相でモルゥの肩をひっつかみ振り向かせ、胸ぐらを掴んだその直後、二人の足下にはらりはらりと白い布切れが刹那に舞い落ちた。
「あっ」
「なっ」
「わぁっ」
俺とそよそよ、そしてベコナが一斉に声をあげた。だが、怒り心頭に発しているアサオには聞こえなかったようで、顔を真っ赤にしてモルゥの首を締め上げにらむばかりだ。
それにしてもまずい状況になった。いや、むしろいい状況なのかもしれない。つまりこれって……。
俺は改めて彼らの足下に落ちた服を見た。おそらく多分きっと絶対落ちた布のその形状と色からして、これって、うん、はい、アサオのだ。
そしてさらには、アサオが正面をこちらに向けている体勢ではわからないが、少しでも体の角度を変えると、とんでもない惨状になっていることを、俺たちは知りたくないが知ってしまったのだ。
モリモルゥはというと、こちらに背中を向けているので表情まではわからないが、首の角度からすると、きっと素知らぬ顔で小鳥飛び交う空に浮かぶぞうさんの形をした雲を見上げているのだろう。
「どうする、この状況」
振り返ると、そよそよとベコナはどうもこうも、と呟いてしばし目を閉じた。
「うん……そうだね、一応教えてあげた方がいいと思うんだよ。自分だけ知らない状態は不憫だよ。ただ……」
そよは教える役やだ。
そう冷たく言い放ち、彼女はアサオの足下に落ちている寂しいボロ布を遠い目をして眺めた。
うん。俺もやだ。
だが、わいせつな物を外界に陳列させるのも時間の問題だ。それだけはどうにか阻止しなければ。俺は意を決してアサオに呼びかけた。
「あの、もしもし」
「モリモルゥ、なんとか答えなさい!」
アサオは己の状況を理解しないまま怒っている。
「お忙しいところすみませんが、あの、ちょっといいですか」
「なんですか!」
モルゥから手を離して今度は俺を叱りつける。勘弁して。こいつ絶対高血圧だよな。
「えっとですね、お前、多分、びんぼっちゃまみたいになってるぞ」
「なんですかそれは」
親切心で教えてあげたが、アサオはいらだちの隠せない顔で俺すらもにらんできた。
びんぼっちゃまを知らないのか。オマタの家においてあったマンガに出てくる人物で、後ろが、その、あれだ。
「とにかく、アンタ後ろ見てみろって」
「後ろ?」
背後を確認しようとしたアサオがくるりと180度回転してこちらに背を向けた。もちろん同時に汚い尻もこちらをむく。
「わぁ~。きたねぇもんこっちにみせんな」
桜の木にとまっていたスズメたちが、世界の終末を彷彿とさせる叫び声をあげて一斉に飛び立った。枝が揺れて擦り合う葉が津波のような音を立てる。
「ハレンチだよ」
「ぐべなぁ~」
スズメの大群が太陽を覆い隠す中、俺たちも一斉に顔を被った。
「後ろを見ろといったのはあなたでしょうが」
不機嫌な声をあげてアサオがゆっくりとこちらを振り返った。
かっこいい角度でこちらを見るのはいいが、残念ながら、彼の服は背後が綺麗に切り裂かれていた。しかも、前面がはらりと落ちてこないように、襟は首回りだけをぐるりと残してあり、ズボンはベルト部分のみが胴を守るように残っていた。つまり、後ろがほぼ裸だ。尻も丸見え。丸裸よりも始末が悪い。モリモルゥの悪意が前面に押し出されている作品だ。
しかし、アサオの尻にも背中にも、傷一つついていない。そして、それ以上に驚いたことには、アサオ自身背面の服を切り裂かれたことに気がついていないことだった。
相手に気づかれないように、刃先が肌に触れることなく服のみをパンツ込みで切り裂く。こうなるともう技だかルネだか正直わかんねぇけど、モルゥの腕は本物だったのだ。これ以上なく敵に回したくない人間というやつだ。
未だ状況を把握できないでいるらしいアサオが業を煮やしたのか、なにやら意識を集中し始めた。周りの空気が変わる。なんらかのルネを発動させようとしているらしいところを見ると、こいつもルーンだったのか。
「モリモルゥはもういい! どうせあなたが目当ての銀眼人種なことは十中八九間違いがない。後は力づくでも連れ帰るのみ!」
アサオがさらに声と脚に力を込める。悲しいことに自然と仁王立ちになる。
「よせっ、脚を広げるなっ」
色々まずい。
そのとき、地べたで寝転がっていたおまるが泡を吹いてぶるぶると震えだした。見えないものを見ようとして股の下をのぞき込んだと言われても仕方のないその角度からだと、色々見たくないものまで見えてしまっているに違いない。
「ぐわっ、地獄の大穴が……しげみの奥に……秘密の花園……ギャランドゥ越え……ぐぐぐ、わっ……がくり」
「おまるー!」
度重なる敵の非道な攻撃により、おまるの精神は完全に崩壊したのであった。




