19 ハムスターの嫁
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俺が目を離している隙に、星外から来た男はニポンの警察によって捕まった。あっさりと。いいことなのだが、正直拍子抜けした。とんでもない必殺技を持っていたのに、やはり肝心の手を塞がれるとどうしようもないということなのか。多勢に無勢ではあったが、ルネを持った人間を拘束できたということは、ニポンの警察も案外使えるのかもしれない。
帰ってきたオマタの話によると、男は現在頃留置場とのことだったが、仮にアスガルドから来た連中であるならば、チキウの留置場などなんなく抜け出してみせるだろう。まだまだ安心はできないということだ。
そして、今それよりも重要な問題がある。モルモルのことだ。
「身重の嫁?」
夕食も終わって一息ついてから話を切り出すと、オマタは怪訝な顔をして俺の言葉を反芻した。
「ってそよそよが言ってた。アスガルドに残してきたから、会いたいんだと」
「ふうん」
おもむろにオマタが立ち上がり、アクリルケースのふたを開け、かりかりとヒマワリをかじっていたモルモルを持ち上げた。足下のおがくずがはらはらと宙を舞い、食べ途中のヒマワリがモルモルの手からするりと地上に滑り落ちる。届かないとわかっていながらも、ヒマワリにすがるように両手を伸ばし、前歯全開口半開き悲哀のこもった表情でそれを見送ってから、モルモルはおとなしくオマタの手のひらに乗った。長い髭が休むことなくひくひくと動く。
新しいヒマワリを差し出すと、モルモルは両手を天にかざし、うやうやしく受け取ってから、何事もなかったかのように前歯全開でかじり出した。
「疑う余地のないハムスターだな」
一連の動作を見ていたオマタが呟いた。
「まごうことなきハムスターだよな」
モルモルに二つ目のヒマワリをあげて、俺も頷いた。
「それが本当ならどうして身重の嫁を置いて地球になんて来たんだ。これから父親になろうってのに、あまつさえ人殺しをしようだなんて。自業自得だろう。同情の余地はないな」
正論だ。正論だが、時々オマタはとても冷たい。
「お金が欲しかったとか」
「確かに刑事ドラマとかでも人を殺す報酬って高いけど、人殺しなんて一生を棒に振るだけだ。していい人殺しなんてないって、左京さんも言ってたじゃないか」
「女房に栄養のあるもんでも食わせたかったんじゃねぇの」
「まじめに働け。それが一番正しくて確実だ」
モルモルに言ったのだろうが、なにこの言葉、俺の心にすっごい刺さる。
そのモルモルだが、元々人間だったので俺たちの言葉がわかっているはずなのだが、アホ面して五つ目のヒマワリをせっせとほっぺたに詰め込んでいた。
「一連の動きや生活週間を見てはっきり思うけど、モルモルはもう人間よりもヒマワリ大好きなハムスター寄りじゃないか。これほどまでハムスターなのに、過去人間だった自分に未練があるものなのかな」
「うん。俺もそう思う」
「ずっとハムスターの体に入っていたら、元の自分を忘れるとかそういうことってあるのか?」
「それはある」
それどころか、魂と体が癒着して、その体からは二度と出られなくなることがある。多分、モルモルは今自分を忘れかけていて、身重の女房のこともふとした瞬間に思い出したりする程度なのだろう。そよそよの話では、若干痴呆症の老人と話しているようだったと言っていた。だから、もしかすると、女房のことすらバーチャルなのかもしれない。そこは判断の難しいところだ。
「ピーチャンの方はどうなんだ」
「こいつは巨乳の彼女がいるんだって」
「そうか。じゃあ永遠このままでいいか」
正しい。正しいが、オマタは時々無情だ。
どうすればいいのか。ってたって、俺だって元の星に帰ることができないのに、モルモルを帰してやることなんでことできるはずもねぇ。ましてや今はハムスターだ。このハムスターがアンタの夫ですと差し出したところで、よほどのハムスター好き出ない限り、驚いた嫁の腹が痛み出して出産が早まるのがオチだ。
殺されそうになった相手だってのに、どうしてこんなことで悩まなきゃいけねぇんだ。いっそこのまま外に放り出しカラスの餌にでもして、なにもかもなかったことにしてしまおうか。って考えている最中に、小さな鼻をひくつかせつつ、胸の前で小さな手を合わせてつぶらな瞳でこっちを見あげるな、このハムスターが可愛いなこのやろう。
「……明日そよそよに通訳頼んでもう少し詳しく話を聞いてみるかな」
くっそー。これがイワシとかサンマだったら迷うことなく料理してオマタに食わせちまえるのに(自分はちょっと食べたくない)、殺人未遂の前科ありのくせに、可愛いってだけで随分得してやがる。
「そよそよちゃん、ハムスターの言葉がわかるんだ。すごいな」
「ベコナもわかるぜ。俺も少しわかるけど、人間には聞こえない周波数の音があるから、カタコト程度で細かいところまでは無理」
「え、クロイツお前、モルモルの言葉わかるのか……?」
オマタが若干引いた目をして俺を見る。
ホレ来た。その態度。動物の言葉理解出来るとかおかしい普通理解できない頭おかしい精神病か妄想か幻聴か中二か、理解できない俺がデフォルトです。って心の声がダダ漏れだぞこのチキウ人かぶれが。お前だって長い間サハリンにいてニポン語忘れてロシア語しかしゃべられなくなった太平洋戦争の残留ニポン人みたいなもんだからな。
「たまに外のスズメにぶつぶつ言っているなとは思ってたけど」
ホレまた来た。
「頭おかしいとか精神病だとか妄想だとか幻聴だとか思ってんだろ」
「思ってないよ。それは被害妄想だ。宇宙人だからそういうのもアリなんだなとは思う」
いまいち信じてねぇなこいつ。顔にそう書いてある。つかおまえも宇宙人だっての。
「他種間での言語ってのは、勉強しない限りは完全にはわかんねぇけど、なんとなくはわかるのが普通なんだよ。むしろおまるがわかんねぇのが不思議だ」
なんでかなぁ、とソファの上にて大音量でテレビを見て大笑いしていたおまるを見つめていたら、やつはほどなくして笑いすぎてせきこんでいた。
「ああ」
俺はひとり頷いた。
仕方ねぇよな。じいさんだからな。言葉がわかるとかわかんねぇ以前に、耳が遠いんだ。
***
モルモルのことをどうしようかと考えていたら、あまり眠れずに夜が明けた。寝たところで最近悪い夢しか見ないからいいんだけど、寝不足だと次の日がつらい。だれにも遠慮なく顎が外れそうになるくらいのあくびをしながら、モルモルとピーチャンのケージにかけたカバーを外す。
「おはよう、ピーチャン」
「ゲジャジャジャジャ」
「おはよう、モルモル」
「……」
朝っぱらから騒がしいピーチャンとひきかえ、モルモルは突然カバーを外されて驚いたのか、両手を胸の前に置いたまま、前歯全開でこちらを向いて目を丸くしていた。
このアホ面、いつ見てもなんだかむずむずする。可愛いんだか罵りたくなるんだかわからない。
「モルモル生きてる?」
五十分後に起きてきたオマタが、コーヒーカップを片手に言った。
「残念ながら生きてる」
死んでくれてたら、はいこれまでよ、と全て幕引きができたのにモルモルの体はいたって健康のようだ。
ふたりのケージの水を替えて、新しいご飯を入れる。待ってましたとばかりにご飯に食らいつく中の人はかつて人間な動物ども。うむ。モルモルは今日も元気でよろしいが、残念ながらくたばる気配はない。
ゲッチャゲチャガァガァと騒ぎ立てるおまるとピーチャンの朝のリサイタルも絶好調だ。鳥ってもっとこう、ちゅんちゅんって清々しくさえずるもんじゃねぇのか。
パンクロックをバックミュージックにオマタを送り出してから、朝刊を読む前に挟まっているチラシを吟味する。
今日はそよそよにモルモルの通訳を頼もうと思っていたが、その事案はさて置いて、とりあえず先に買い物に行こう。バナメイエビが安い。魚はまだちょっと苦手だが貝類やエビ系なら食える。しかも本日会員カードでポイント10倍。こういう日にビールを買っておかなくてはいけない。そう、ビールは腐らない。そしてすぐ消費する。
「帰ってきたら出してやるからな。そしたらそよそよたちも呼んで遊ぼうな」
買い物の支度をしながら、出せ出せコールを送ってくるペットたちを軽くいなす。それにしても、ピーチャンとモルモルと遊ぶのが日課になってる俺って一体。そして、楽しそうに俺と戯れるこいつらって一体。
忘れるな自分。中身おっさんだぞこいつら。そしてなんで俺がこいつらの世話係になってんだ。こうするほかに方法はなかったのか。お仕置きだとか言ってわざわざ小動物に入れるんじゃなかった。自分のしでかした愚行を呪う。




