16 罪なき笑い声の罪
昨日の晩飯時には心にもない返事をしてしまった。なにかしようとしてもオマタは呼ばない。俺が一人で解決する。そうしなければならない。あいつはチキウ人として生きなくてはならないのだ。チキウ外人同士の戦いに巻き込むわけにはいかない。
先日は思わず逃げてしまったが、今日は対策を考えてきたからもう逃げはしない。
奴への秘策。それは、
すっごく距離をとること。
これしかねぇだろ。むしろ他にあんのかって聞きたい。
服を破られたら局部を隠すために手足が固定され、全ての動きを封じられるも同然だ。その後全裸での帰宅方法も考えてたら脳味噌だって封じられたも同じこと。
なので、どうあってもやつの必殺技だけは発動させてはならない。
今日は白髪のじいさんたちがわんさか集まりそうなパークゴルフ場に来た。ここで一日はっていたら、やつも現れるだろう。
クラブ片手にじいさんやばあさんたちが、見慣れない顔の若者がいると仕草だけはひそひそしながら、50メートル先まで届くだろう声を発してじろじろ俺を見る。
非常に居辛い。すでに強き心が消失しそうだ。帰ろうかな。
「あれ、あんた」
そんな中、一人の初老の女性がそろりそろりと俺に近づき、声をかけてきた。
「もしかして、おまわりさんとこのお兄さんかい」
「おまわりさんって、えっと」
女性の言葉に俺の周りに人だかりができはじめる。どうやら尋問が始まるようだ怖い逃げたい。
「アラヤダ、もしかしておまわりさん似のストーカーで噂の」
「あなたちょっと、実は兄弟だったらしいわよ」
「アラヤダ、兄弟なの? どっちがどっち? あんたが弟さんかい」
「いやだからこっちはお兄ちゃんの方だってあっはは」
「あの……」
「アーラ、あっははは。お兄ちゃんかい。確かに苦労している頭してるわ。若白髪なんて大変ねぇうふふ」
「なーに、言ってんの、これは染めてるのよねぇ。若い子だものねぇ! ピアスだって開けちゃってまぁ」
「それにしてはおまわりさんと似てないわねぇあっははははは」
「こんなガリガリでちゃんと米食べてるんかあはは」
「双子って本当? なんかアレな話だけどさぁ」
「あ、それはほ……」
「ちょっとアンタおまわりさんよりも背が低いじゃない! 本当に双子かい」
「だからあなたなに失礼なこと言って。おっほほほ。でも確かに小さいし横から見ても平べったいねぇ」
「アーラ、アンタひゃっはっはっはっはっは」
痛い。笑いながら叩かれる腕や背中が痛い。べしべしと青い空に無慈悲な暴力音が響く。ひときわ強く二の腕を叩かれ、べぼき、とカルシウムの足りてない骨がどうにかなる音がした。
「ちょっと! パークゴルフしてくかい」
「若いからすぐ上手くなるべ」
「おまわりさんを誘ってもなかなか来てくれなくてねぇ。こんのにくたらしい」
いつの間にかクラブを握りしめたご婦人だけではなく紳士も集まってきた。そして、もとより俺の返事を求めていないのか、俺を中心にしながらも俺不在の俺の話題が続く。
「ゴルフクラブは? ない? 大丈夫、レンタルのあるから」
「これさ、レンタルなのにニタックスなんだわ。すごいっしょ」
「なんもなんも、こっちなんてホンマだよ。ちょっと古いけど問題ないっしょ」
「いや、ゴルフをしにきたわけではなくて……」
「アーラ、じゃなにしに来たんだい」
ようやく本題。今更か。言いたいことは色々あったが、俺は静寂の泉に心を沈めて、今なすべきことだけをすべきだと、強く心に誓った。
「えっと、最近服を切り裂くとか言う男がい……」
「あら、そうそう、本当に物騒な人がいるもんねぇ! なに! アンタおまわりのお兄さんのお手伝いかいちょっと! えらいねぇ」
「いえ、兄はお……」
「そういえば、白井さんとこのじいさんも被害にあったらしいわよ」
「アレな話しだけどね、真っ裸で国道沿いを走ってたって」
「ンマー」
突如一人が声を潜めると、周りにいたみんなが声を潜め始めた。どうしてご婦人たちは別に声を小さくする必要のないところで、突然ひそひそ声で話し始めるのだろう。
「あのじいさん前にスコアちょろまかしたから天罰だで」
「おしいわ。私がいたらあそこ割り箸で摘んでやったのに」
「アーラマッ。ちょっといやだわあっはっはっはっは」
ひそひそ声は天をとどろかす笑い声で終わりを告げた。だが、話自体は終わりそうにない。
とんでもない魔境に迷い込んでしまった。
どうすることもできず、笑い声が幾重にもこだまする空を見上げると、ベコナのようなもこもこした白い雲が、素知らぬ顔でゆっくりと頭上を流れていった。




