2 譲れないもの
「そろそろさ、機嫌直してくれよ。俺が悪かったって」
「あぁ?」
雲一つない青空が広がり、真夏の太陽が差し込むリビング。換気もかねて窓を開け放つと、まだ少しだけ涼しい朝の空気が室内に流れ込む。
そんなすがすがしい空気の中で、振り向きざまにドスの利いた声で俺を睨んでくるひとりの男がいた。
居候。
脱獄犯。
不法滞在者。
見確認生物宇宙人。
そして俺の双子の兄、クロイツ。
いつもなら、怒り出しても三歩歩けばすぐに忘れる口が悪いだけのほぼ無害な人物なのに、今回はえらく機嫌も悪い。理由は分かる。
あれだ。
先日、俺がクロイツの大切にしていたカップを割ってしまったからだ。それからというもの、謝ってもずっとこんな感じ。
クロイツには我が家での無銭飲食住の代わりに家事全般をしてもらっている。今回の喧嘩中だっていつものようにお弁当を作ってくれた。そのこともあり、はじめはそんなに怒っていないのかな、と思ったのだが、それは大きな間違いだった。
いつもなら数時間で終わる喧嘩が今回は珍しく長い。そして昨日、腹の立つことにお昼の弁当箱の蓋を開けると、わざわざ白米の上に海苔で「ハゲ」と書いてきやがった。
ありえん。
俺はハゲてなどいない。
頭皮はまだまだ柔らかい。
ありえん。
一昨日は「あほ」。
みつをみたいなへたうまな文字ならまだ腹も立たないだろうが、パソコンでプリントして鋳型でも作ったのか、ありえないほどに海苔文字が達筆であったので余計に腹が立った。
今日はお弁当どころか朝ごはんからさらに悪くて、ごはん茶碗にコンドロイチンとグルコサミンのサプリメントが合計七粒。コンドロイチンが三。グルコサミンが四。
悪化している。
ありえん。
俺はそんなに軟骨成分が不足なんてしていない。
ありえん。
はじめは何をそんなに怒っているのかカップひとつで、と思ったのだが、怒りの理由をよくよく考えてみると、どうやらそう簡単なことではないらしい。
問題のカップというのは、たまたま立ち寄った百貨店の特設催事場で開催していた手作り作家展で見つけて2700円で購入したもので、世界に一つだけしかないそうだ。手作りだから確かにそうなのだろう。ダイソーのマグカップを使っている俺にとっては、カップひとつに2700円はささか高いと感じるが、手作り一点モノだし、いいものなら長く使えるし、なにより購入者が気に入って納得しているのなら問題ないと思う。一生ものの2700円のカップにガーガー言うほど俺は心の狭い男ではない。出資者は俺だけど。
まぁ、そこまではいい。問題は、いくら世界にひとつしかないものでも、形あるものはいつかは壊れるってことだ。クロイツだってそのことくらい理解しているはずだ。
本題はここからだ。




