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逃走のフェリデスラシルと、廻天列系における輪廻の格律  作者: 鳥 移転準備
逃走のフェリデスラシルと、廻天列系における輪廻の格律
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5 逃走のドッペルゲンガーと、田舎における逮捕の確率

「アンタ」


 立ち尽くしたまま一言も発しない俺に向かって、ドッペルゲンガーが俺を捕まえようと手を伸ばしてきた。その手は俺よりも遙かに細くて暗闇でもわかるくらい白い。まるで幽霊のようだ。


 んん? 健康体の俺とは似ていない? ドッペルゲンガーって頭のてっぺんから尻の穴まで一緒なんじゃなかったっけか? 


 疑問が恐怖を凌駕せんとしたその時だった。ドッペルゲンガーの背後で、黒い影がゆらりと揺れた。


「見つけたぞ!」

「えっ?」


 ドッペルゲンガーの背後に目をやると、はっとしたように彼も即座に振り返った。そして、その顔がさっと青ざめた。


「くそっ!」


 分けがわからず立ち尽くす俺の横を通り抜けて、ドッペルゲンガーが舗装のされていないガタガタの砂利道を一目散に走っていった。


「逃げたぞ、捕まえろ!」


 黒づくめの男たちがこちらへ向かって走ってくる。彼らは顔を隠すためなのか、サングラスまでかけていた。

 あれだ、『逃走中』に出てくる、出演者を捕まえるあいつらに似ている。やたらと足が速いあいつら。走っても走っても息切れをせず、出演者を捕まえたあとも涼しい顔をして、何事もなかったように歩き出すあいつら。スーツでサングラスのあいつら。ちょっと格好いいあいつら。


 その逃走中が二人、こちらへ向かって走ってくる。


 逃げなければ。何故か瞬時に思った。すぐさま俺もドッペルゲンガーの後を追うようにして、走り出した。


 逃げるドッペルゲンガー、訳も分からずなんでかその後を追う俺、その後を追いかけてくる逃走中。

 なぜか大きなカブを抜く歌が、俺の頭に回り出した。


 しかしさすが逃走中、足が速い。カブを抜いている場合じゃない。はっきり言ってものすごく怖い。以前、下着泥棒を捕まえようとした時、逆切れして、ブラジャーをこん棒のように握り締め振り回す犯人に追い掛け回されたことがあった。

 そのときと同じくらい怖い。


 ドッペルゲンガーの足は遅かった。本当に俺のドッペルゲンガーなら、走る速さも俺と同じはずではなかろうか。こいつ、偽ものか。

 俺と逃走中の距離は縮まらないが、俺とドッペルゲンガーの距離はみるみるうちに縮まっていく。


 砂利道は走りなれていない奴にはきついだろう。下手をすれば足を取られそうになるし、うっかり底の薄い靴を履いていると、尖った砂利に土踏まずを刺激され、気づかぬうちに体力を削られることになるのだ。走り方の知らぬものが、無闇に走れば走るほど、足裏は刺激され衰弱する。だが、この界隈は毎日巡回しているから、俺の庭も同然だ。野良猫すらも知らない道だって知っている。


「なんでテメェまでくんだよ、こっちくんな!」


 距離を詰められたドッペルゲンガーが大声で喚いた。


「ちょ、待てって。なんで逃げるんだよ」


 俺は奴の後ろ姿に手を伸ばし、腕を掴んだ。俺の手を振り払おうと、ドッペルゲンガーがぶんぶんと腕を振る。さらに走る速度が落ちる。


「追いかけられてるから逃げてんの!」


 声が震えている。どうやら半泣きのようだ。俺はとうとうドッペルゲンガーの隣に追いついた。


「お前、俺を捜していたんじゃないのか?」


 走りながら尋ねると、ドッペルゲンガーは息を荒くしながら、俺を横目で見た。口は半開きで、眼にはうっすらと涙が浮かんでいる。すでに余裕はなさそうだ。


「なんでっ、それを……」

「やっぱりお前か。どうして俺を捜していたんだ」

「いやっ、俺はっ、お前をっ、ちょっっと見るだけでっ、よかったっからっ! はぁっ、あっ、会話とかっ、求めてねぇからっ!」


 息も切れ切れに彼が叫ぶ。


 なるほどストーカーか。


「ちょっと署までご同行願おうか」

「なんでだよ!」


 徐々に大きくなる足音に振り返ると、もうすぐそこまで二人の逃走中が近づいてきていた。 


「追われてるのか」


 ドッペルゲンガーは答えない。俺を睨みつけるように横目で見ただけで、またすぐに正面を向いてしまった。答えられないといった方が正しいのだろう。いつ倒れてもおかしくないほどに顔は青ざめており、食いしばった歯からは荒い息が漏れる。これは普段から運動していないタイプだな。


 ぽつぽつと民家の建ち並ぶ海沿いの道路を走る。六時も過ぎた田舎の夕方、すれ違う人は誰もいない。

 逃げるドッペルゲンガー、追う黒づくめのサングラス。彼らの間になにがあったのかはわからない。だが、見た感じサングラスの方が悪役だ。


 そう思いめぐらせていると、かしゃん、と砂利道になにかがぶつかる音がした。はっとしたようにドッペルゲンガーが後ろを振り返り、速度を落とす。


「おい! 立ち止まったら捕まるぞ!」


 立ち止まり逆走しようとする彼の腕を慌てて引いて、走り続けた。ドッペルゲンガーの足がもつれて転びそうになる。だが、俺は走るのを止めなかった。


「ちょ、待てっ、離せっ、止まれっ」

「どうしたんだ」

「落としたんだよっ」


 ドッペルゲンガーが泣きそうな声で訴えて、後方を指差す。薄暗くてよくはわからないが、彼が指差す方を見ると、砂利の上になにか金属の塊が落ちているのが分かった。片手に乗る程度の大きさだ。


「大切な……、はあっ、ものっなんだっ」


 彼の声は切実だ。


「大切なものならどうして大切に持っておかないんだ。そんな簡単に落とすなよ」

「鎖がっ、切れたんだよっ、ぶはっ」


 しかし、背後からは逃走中のサングラスが迫ってきている。なんだかよくわからないけれど捕まりたくない。俺は警官。捕まえる方だ。


「いいから今は走れ。俺が取ってくるから」

「取ってくるって……」


 ドッペルゲンガーが困惑した眼で俺を見る。俺が深く頷くと、彼は一瞬首を左右に振りかけたが、それより先に俺が首を振ると、諦めたように頷いた。再び前へと力強く走り始めたのを確認してから、俺は掴んでいた腕を離した。


 右曲がりの大きなカーブを抜けた先に、土地勘の知れた人間しか使わない小道がある。砂利道で走りにくくそのうえ周囲には草が覆い茂っており一歩間違えば獣道だが、そこを使えば逃げることができるだろう。


 俺は併走するドッペルゲンガーの背中に手を当てながら、サングラスたちに聞こえないように、耳元で囁いた。


「このカーブを抜けた先の左手に、舗装のされていない小道がある。その道へ行け」

「お、おう」


 俺は最後にドッペルゲンガーの背中を押してから、後ろを振り向き、急に立ち止まった。ドッペルゲンガーが驚いて速度をゆるめる。


「いいから行け!」


 戸惑ったような表情を見せていた彼だったが、しばし逡巡した後、素直に頷いて薄暗い中を走り去っていった。それを見届けてから、俺は落とし物を捜すべく、今来た道を引き返した。


 どこだ。どこに落ちている。それほど小さいものではなかったはずだ。


「戻ってきたとな!」


 逆走してきた俺を、サングラスの男たちが驚いたように見る。俺は落とし物探索をいったん諦め、息を切らしながら必死でカバディした。


「どけっ!」

「邪魔をするな!」

「どかないし邪魔をする! 市民を守るのは警察官として当然の行動だ!」


 カバディカバディ。


「なにも知らないなら邪魔をするな!」

「邪魔をするなら容赦しないぞ!」

「どうしてあいつを追いかけているんだ! 喧嘩か?」


 カバディカバディ。


「ん? お前?」


 ドッペルゲンガーを追うのを諦めたのか、サングラスの一人が立ち止まり、俺の顔をのぞき込んだ。あまりに近く顔を寄せられたので、俺はカバディの姿勢のまま、顔を背けた。


 暗いのにサングラスかけていたら、なんにも見えないんじゃないのか? と訊こうと思ったら、やはりあまり見えてなかったらしく、男たちがサングラスを外した。外してみると、それほど悪そうな人間には見えなかった。でも、決して柔和ではなく、厳つい顔をしており、要人の護衛官、もしくは軍人といった、厳しい雰囲気を醸し出している。


 男二人が左右から俺を挟み込み、眉間に皺を寄せて、舐めるようにじろじろと顔を見る。気味が悪いというか気持ちが悪い。


「な、なんだよ」


 俺は交互に男たちを睨んだ。


「もしかして?」

「いや、まさか?」


 なんだってんだ。一歩後ずさると、男たちも一歩踏み出す。


「いや、やはり」

「こいつは」


 突然男が俺の腕を掴んだかと思ったら、ぎりぎりと捻りあげてきた。激痛に酸っぱい唾液が舌下に溢れ出す。


「いっ、てぇ!」


 瞬間、俺は男の鳩尾に膝をめり込ませ、続けざまに腕を掴み返して、一本背負いで投げ飛ばしていた。盛大な音を立てて、男が背中から砂利道に沈み込んだ。もう一人の男が目を丸くして俺を見る。


「貴様っ!」


 もう一人の男がグーで殴りかかってきた。それを拳で受け止めて足払いをすると、奴はあっさりと横倒しになって、地面にめり込んだ。倒れ込む二人の男。見下ろす俺。


 まずい。やってしまった。全身が凍り付いた。警官なのに市民に暴力を振るってしまった。これって、正当防衛になるのだろうか。減俸か、休職か、免職か。

 あわあわしている俺の足下で、男の一人がゆらりと立ち上がった。


 あ、よかった。どうやら彼らはなかなか丈夫なようだ。


「こいつっ!」


 途端、男が叫び出し、腕を振りあげて掴みかかってきた。反射的に手をはねのけ逃げ出す俺の足。

 いや、逃げちゃまずいのかもしれない。俺は警官だ。しかも相手を投げ飛ばしてしまったのだ。この場をなんとか収拾せねばならん。だが、俺の足は言うことを聞かない。脳からの信号を完全無視して走り続ける。


 仕方のない俺のワガママボディめ。ここは君に従おう。


「待て~」

「待たない」


 後ろから聞こえてくる足音も声もだんだんと遠くなってゆく。どうやらうまくまけたようだ。息を切らし走りながら、俺は勝利を確信した。


 運のいいことに、逃げる途中でドッペルゲンガーの落とし物を発見した。懐中時計に似ているがそれよりもふた周りほど大きい。鎖が切れているし、これに違いない。

 うむ。ここでひとつ、問題が発生した。


 これ、どうやってドッペルゲンガーに返したらいいんだろ。

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