『リート』5 だけど、とにかく洗濯物が気になる
「人伝に、あなたたちが兄弟で、今は一緒に暮らしているって聞いたのだけれど」
アキが俺の様子を窺うように目を細め口を開いた。淡いピンク色に塗られた形の良い唇がわずかに震えている。緊張しているのだろうか。
「ヒトトセ、元気?」
「ああ。最近、氷の上で人が踊ってるテレビを見て血が騒ぐとか言いながら、くるくる回ってた」
「フィギュアスケートね……。ね、あなたたち、本当に兄弟なの? あのヒトに兄弟がいるだなんて、聞いてなかったわ。あの時だって、あの人あなたを見て塩をまけって言って焦っていたくらいだし」
「あー、あれです。ホレ、生き別れの兄弟ですよ……」
「まあ確かに、似ているわね」
そう言いながら、アキがかろうじて保っていた俺との距離を詰め、おかしなモノでも見るように、俺の顔をのぞき込んできた。
「目」
「へ?」
「目。カラーコンタクトね。それに髪の毛。なんでそんな色しているの? ちゃんと働いている? それじゃまともな就職先もないでしょう?」
矢継早に質問を投げかけてくるこの女。相当やっかいだな。適当に話をごまかして逃げたほうが得策かもしれない。
「あー、あれです。ホレ、ビジュアル系バンドですよ……」
「こんな火のつかないマッチ棒みたいなビジュアル系バンドなんて見たことないわ。ギターが弾けるようにも見えないし」
女が両腕を組んで、俺の全身上から下へと視線を走らせる。
こいつ、失礼にも程がある。限界まで引きつった顔の筋肉が元に戻らねぇ。思わず「俺、そろばん担当だから」とか茶化してやろうかと思ったが、やめておくことにしよう。きっとこいつは冗談の通じる人間じゃない。言った途端に眼力で風前の藁のように吹き飛ばされるだろう。
「あなた、名前は何ていうの? 私はアキ」
組んだ両腕をほどいたと思ったら、今度は腰に手をやり仁王立ちで名を名乗った。自己紹介する時ですらケンカ腰たぁどういうことだ。このやろうと思ったが、迫力に負けて思わず一歩後ずさってしまった。
だが、そうだったな。俺はこいつの名前を知ってはいたが、こいつは俺の名前を知らない。
名前か。確か俺の名前はニポン的ではないと、以前オマタにいわれたことがある。言わない方が良いのかもしれない。偽名を使うとかもあるが、まぁそこまですることはないか。めんどくせぇし。正直に名乗ることにする。
「俺はクロイツ」
「蔵市?」
この女、わざとか。
「わざとらしいほど日本的な名前ね」
アキが首を傾げながら、呆れたような顔で「クライチ」と復唱した。
この女、意外と扱いやすいかもしれん。
そんなことを話しながらも、俺は回してきた洗濯機のことを思い出して、ちょっとだけ焦り、歩みを速めた。
本日は晴天なり。この買い物が終わったら、洗濯物を干さなければならないのだ。
洗濯機の中に放置しすぎると洗濯ものがしわになってしまう。と、またまたそんなことを無意識のうちに心配している自分に気が付き、軽く舌打ちをした。
それが自分に向けられたものと勘違いしたのか、アキがむっとしたように、眉根にしわを寄せ、口をへの字に曲げた。
こんなことろで井戸端会議をしている暇はないっていうのに、この女は歩調を速めた俺の行く手を阻むかのように、進行方向に回り込んだ。
んだよまだ話があんのかよ。
俺がじろじろとアキの顔を見ていると、奴もじろじろと買い物かごの中をのぞいてきた。今度は俺がむっとして、買い物かごを隠すように後ろに引いた。人様の台所事情を覗き見するようなマネなんて、失礼にもほどがあるぞ。他人の買い物かごと冷蔵庫の中は覗いちゃいけないって、親から教わらなかったのか。
「もやしね」
「三袋五十円だ」
「安いわね」
「激安だ」
安物ばかり買ってすみませんね。
俺はアキを押し退けて、大股開きで通路を進んだ。その後をアキが同じく大股開きで付いてくる。
「クライチさん。あなた、ヒトトセがなにを好きか知っている?」
俺の背中に向かって挑むような声色で、アキが質問をぶつけてきた。
地球での好物ってことだろうか。ニザヴェリルにいたころは犬が好きだったけど。食い物ならしょうがとにんにくのきいたから揚げだったな。から揚げ弁当とか涎垂らして喜んでた。肉食系男子だ。
だが、こっちでの好物は何かと聞かれれば、確かに知らねぇな。スシとかテンプラかな。偽モノだけど、一応ニポン人だし。
「……知らねえけど」
正直に答えた。俺は正直者なのだ。
「私は知っているわ」
高飛車な声に振り向くと、どうだと言わんばかりにフフンと顎を上げて、見下したような目で人を見てくる女がひとり。
だからなんだ。お前は九十九パーセント塩化ナトリウムの安いお塩がどこの引き出しに入っているかだって、知らなかったじゃねぇか。
俺は知ってるぞ。どうだ。フフン。
 




