『リート』3 もうあきらめて主婦になる
時刻は朝九時。そんな感じで本日も洗濯機をまわしながら、スーパーの広告とにらめっこ。あ、もやしがすげえ安い。三袋五十円。激安だよ。買う。
チラシに赤ペンで丸印をつけていると、ぺたぺたというリズミカルな足音が聞こえてきた。
「兄上殿」
「あ、おまる」
顔をあげると、しゃがれ声のアヒル型おっさんキメラのおまるが、尻をふりふり近づいてきた。彼の本名はアガスティア。『おまる』はオマタがつけた地球での名前だ。ある意味動物虐待だ。
おまるの体が左右に揺れるたび、フラッシュイエローのリボンが、ゆらゆらと首もとで揺れる。目も丸くてくりっとしているし、羽毛はフワフワだし、見た目は文句なしに可愛い。
しかしこのおまる、一見すると皆の幸せを考えていそうなダックだが、中の人はじいさんだったりする。
「これから買い物に行くんだけど、何食いたい?」
「地元産の小松菜をひとつ」
おまるがさっと真っ白な羽を挙げた。
「あいよ。他には?」
「それだけで十分でございますじゃ。兄上殿はもっと栄養のあるものを食べたほうがよいですぞ」
おまるが心配そうな声をあげ、先ほど挙げた羽をそのまま俺の肩に乗せた。耳元にぺふっと乾いた音とそよ風があたる。
確かに、俺は以前の星でおまるたちと平和に暮らしていた頃と比べて、見た目にかなりやつれてしまっている。こいつが心配するのも無理はない。
「昨日オマタにもそう言われて、チョコレート食ってたら鼻血が出ちまったんだよ。チキウの食いものって怖いな」
おまるが呆れたように口を大きく開け、グワアと悲しげな声で鳴いた。そして小さくため息をつき、哀れなものでも見るような目で俺を見つめた。
生意気なダックめ。そんな目で俺を見るな。丸焼きにするぞ。栄養のあるものなんて久々に食ったから、俺のデリケートな体が驚いただけだ。
俺は原動アスガルドでの生活における人権侵害的扱いで、食パン一枚で一日生きていけるような精神力を手に入れた。それでも、仲間の大部分のように、捕まって目を抉り出されてから殺されなかっただけ、運が良かったというべきだろう。
そしてその後、わけも分からずぶち込まれた天極エンピレオで、雑草一本で一日生きていけるような粗食に耐えうる燃費の良さと、燃え尽きたマッチ棒のような体を手に入れたのだ。エンピレオでの生活はアスガルドでの生活の比ではなく、吐き気がするほどに凄惨なものだった。雑草の味を覚えたのも牢獄でだ。ちなみにスベリヒユはねばねばしてて結構うまい雑草なのだが、先日スーパーに売っていてたいそうたまげた。しかも結構いい値段がしたから、驚きは倍増した。チキウ人って雑草に金払うんだ。
そういうわけで、過酷な環境下での粗食生活が長かったから、高カロリーな食べ物は俺にとって刺激が強すぎるわけだ。
どうだ悪いか説明終わり。
俺は嫌な思い出を忘れるように首を振り、肺が痛くなるほど深く深呼吸をして、肺から酸素を搾り出すように深く息を吐いた。
忘れろ忘れろ過去のことなんて。ここは平和な地球だ。たとえ、長くはいられないとしても。
「兄上殿?」
突然途切れた会話を訝しむ様に、おまるが俺の顔を覗きこんだ。俺が今までどんな目にあってきたか、こいつは知らない。言う気もない。知らない方がいいのだ。聞いて面白くなるようなことなんて、どうせ何ひとつないのだから。
俺は返事の代わりに小さく笑い、ふわふわとしたおまるの頭をなでた。柔らかく温かい感触が、手のひらから止まりかけた心の奥に沁みて、少しだけ泣きたくなった。
涙腺緩いとか、歳かな。
歳だな。
さてと遅くならないうちに買い物に行くか。
バッグに財布を入れた後、護身用の拳銃の確認よりも、先にエコバックの方を忘れずに確認する自分に気がついて、ふいに情けなくなった。俺はいつからこれほどまでぬるい人間になってしまったんだ。
この身はお尋ね者で、逃げた先が地球であるということも、全宇宙にばれているのだ。つまりはいつ命を狙われるか分からない立場にあるということだ。平和ボケした俺はいまならもれなくあっさりと捕まってしまうだろう。いつ来るかわからないからこそ、それ相応の準備をしておかなければならないのに。いや、それ以前に、本来ならここにずっといるべきではないのだ。
ピンクのゾウさんと黄色のフラミンゴが踊るファンシー柄のエコバッグを握り占めると、自然とため息が漏れた。もし俺が追手に殺されて、遺留品はエコバックです、ってことになったとしたら格好悪すぎる。しかもそれにネギが一本入ってみろ。全宇宙の笑い物だ。
何かあったときのために、拳銃と小型ナイフは肌身離さず持っている。と言ったらオマタに逮捕されそうになった。ニポンでは一般人が拳銃とかナイフなどを持ち歩いてはいけないらしい。
それでも俺は賞金首だし、命を狙われているわけだしと、なんとか拝み倒して凶器の所持を許可してもらった。弟は拳銃もナイフも俺から奪い取ったりはしなかった。
だが、家の中にいる時ですら、怪しげな物音がすると反射的に拳銃に手をやってしまう俺を見る時の、アイツの悲しそうな目が忘れられない。その目を見て苛立ち、そして思う。お前が思っているほど、俺は可哀想なんかじゃねぇと。
だが、その言葉が口をついたことはない。




