『ティンパン』 でも生きてる
もう何日太陽を見ていないだろう。朝も夜もわからない。一日中薄暗い中、もぐらにでもなった気分だ。痛みに軋む体を持ち上げてわずかな光を探していると、長い通路に響く靴音が静けさに慣れた鼓膜を揺らした。ゆっくりとしてどこか威厳のある靴音。それが独房の扉の前で止まった。扉が開き、軍服を着た数人の男が入って来る。
またか。今日はあと何度やつらのストレス発散の相手をすればいいのか。今なら手足のない殴られるだけのサンドバックの気持ちがわかる。動かすことの疲れた脳みそでぼんやりと考え、自然と体が硬くなる。だが、男たちは床に転がる俺を見降ろしたまま、近付いてくる気配はない。
いつもなら下品な言葉を吐きながら、すぐにでも頭を蹴られるところなのだが、今回はいつもと様子が違っていた。
「これ、生きているんですかね。おーい」
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
「この様子……。封域戦で被害の多かった103歩兵科中隊の仕業らしいですが。これは少しやりすぎでは」
「原動アスガルドの軍人というものが、情けねぇな」
バカにしたような、おどけたような、余裕のある声。なにをしに来たのだろう。彼らはいつものように暴行を加えてくる奴らとは少し雰囲気が違っていた。
「こんなものの管理を任されても困るな」
なんの感情も含まない冷たい声。聞き覚えのあるその声に体が震えた。確信を持ってゆっくりと顔を上げると、何度も頭の中で殺したあいつが目の前にいた。戦場で見たあの男。俺の大切な人を殺した人間。ハガラズ。熱を忘れていた体が怒りに燃えるのがわかる。
「なんだ。生きていたのか」
目が合った瞬間に男が笑った。殺したい今すぐに。奥歯を噛みしめると脳みそがしんと鳴った。
だが悲しいことに、俺はこいつに叶わないと本能でわかった。今の俺には何も出来ない。こいつは危険だすぐに逃げろ、と脳が命令するが、体は氷のように固まったまま動かない。嗜虐的な金色の瞳をした男は、まるでつまらないものでも見るような顔をして俺を見下ろしている。
「これから印を押します」
鎖に繋がれ床に転がる俺に言い聞かせるように、ハガラズの隣に立つ男が言った。言われた意味が分からずに眉根を寄せると、男は持っていた鉄の棒を俺の眼前に振り下ろした。先端には人差し指程度の長さの文字版のようなものがついている。
ごくり、と喉が鳴った。これは焼き印だ。一瞬にして頭が真っ白になる。
「これを押すことで、一応ですがあなたはここからは解放される。自由になったとは違いますが、まぁ、いつまでもここにいるよりいいでしょう」
焼き印の使い道はひとつ。皮膚に押して印字をすること。熱された鉄の塊を、だ。
恐怖で体が震えるのに、眼は烙印に吸いついたまま離れない。
「やめろ……」
声は情けないほどに震えていた。
「やめたらここから出られませんが? 大丈夫、すぐに終わります。わき腹、背中、内股、二の腕、あとは……首の計五つ。誰のものかを識別するための印ですので、すぐに消えないようしっかり焼かなくちゃなりません。それでは少尉、この中では特殊能力は使えませんので、烙印を熱するのは牢の外でお願いします」
「分かった」
棒を持った男と、もう一人の男が牢の外に出て、炎の特殊能力を発動させた。鉄棒の先端が炎に熱せられて見る間に赤く色を変えていく。
軍服達が事務的に話を進める中、ハガラズは無言で俺を見下ろしている。俺は呆然としたままで首を左右に振るしかない。
五つって、そんなにたくさんバカか。しかも全部皮膚の薄いところじゃねぇか。死ぬ。痛さで死ぬ。考えただけで脳が錯覚して全身の神経が痛みを訴えだした。口の中には唾液が溢れ、胃が痙攣して吐き気がした。
「無理だ、よせ」
恐怖の中かろうじて発した声はみじめなくらいに震えていた。
「ここで永遠痛めつけられるのに比べたら一瞬だろうが」
「まずわき腹からいきますか。がっちり押さえておけばいいかな」
「はい。ありがとうございます。おい、銀眼人種、動くなよ。ずれたらまたやり直しだからな」
熱された鉄は近づくだけで焼けるように熱く、薄い皮膚が水分を失い徐々によれていくのが感じ取れた。もう数センチというところで体中から汗が噴き出した。男達が押さえずとも、体は恐怖で硬直したまま動かない。俺は床に仰向けになって押さえ込まれたまま、誰に向かってともなく懇願した。
「や、お願いだ、やだ、やだやめてく……」
「やれ」
今日三度目に聞くハガラズの声は、やはり冷たくてなんの感情も読みとれなかった。
自分の叫び声で目が覚めた。
柔らかく暖かい布団の中にいたことで、記憶と感覚がかみ合わず混乱しかけるが、瞬時にここが地球であることを思い出して、遅いとは分かっていながら俺は反射的に口を塞いだ。このアパートの壁は薄い。オマタに聞かれはしなかっただろうか。
夢か。どうして今更こんな夢を見るんだ。
確認もかねて布団の中で少し体を動かしてみると、夢の中で感じたような痛みはなかった。どこも痛くない。暗闇を見つめたまま、ほっとして息をつく。
だが、分かっている。夢ではあったがこれが真実だということに。そして、そっとわき腹に触れた。指先にうっすらとよれた皮膚があたり、今度は手のひらでよれた皮膚の全体をさする。烙印。一生消えない傷跡。わき腹、腕、首元……ひとつずつ烙印を確かめていく。
すっかり冴えてしまった眼で暗闇を見渡す。まだ慣れない天井。眼をこらして枕元の時計に眼をやると、三時を少し過ぎたところだった。日の出にはまだ少し早い。けれども眠気など微塵もない。仕方なく体を起こし布団から這い出してカーテンを開けた。当たり前だがまだ暗い。
俺は遠くの空が白んでくるまで、じっと空を見つめ続けていた。
 




