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廻天列系における逃走の格律  作者: トトホシ
廻天列系における逃走の格律

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35 びっくりどっきりがっかりしんなり

 どれくらい時間がたったろう。気がつくとかすかなオレンジ色の光も消えていた。夜は静謐さを取り戻し、わずかな風に揺れる木々や草花はひっそりと暗闇に溶け込んでいる。俺の肩でそよそよちゃんが小さなあくびをした。


 ふと顔を上げると、エスタが無言で俺の顔を見つめていた。


「ごめんなさい。せっかく忘れているのに、つらいことを思い出させるようなことばかり言ってしまった」

「俺が望んだんだ。エスタが謝ることはないよ」

「もっとちゃんと、うまく伝えたいのだけれど、私、ずっと独りでいたから、ヒトとの会話の仕方、まだよく思い出せない」

「ずっと独り?」

 

 どこか気まずそうにエスタが微笑んだ。彼女の表情はこれ以上話を追求されることを拒んでいるかのようだった。俺は少しでも疑問を口にしてしまったことを悔やんだ。だが、彼女はそんな俺の戸惑いに気が付いているのかいないのか、ゆっくりと昔を思い出すように言葉を続けた。


「そう、そこから助けてくれたのは、君たちだった。覚えてないでしょうけど。だから、誓ったの。君たちに何かがあったら、今度は私が君たちを守るって」


 そういいながら、呆けている俺の頬にエスタの手が触れた。夜風に冷えたのか、ひんやりとした手のひらが俺の顔を包む。しかし、その内側にあるぬくもりに、俺は一瞬、記憶の彼方に埋もれた母親を思い出した。


「エスタって優しいんだな。母親みたいだ」


 ぽろりとこぼれ出た俺の言葉にエスタがきょとんとした顔をした。


 言ってしまってから俺はしまったと口を押さえた。女の子に対して母親のようだは禁句だった。


 俺があせった顔をすると、エスタはそんな俺を安心させるように笑い、そして、言った。


「私、女じゃないよ」

「ん?」

「私、女、じゃない」


 一語ずつゆっくりと発音して、エスタがにっこりと笑った。


 止まった。俺の中の時がな。


 言葉を失って固まった俺を見て、エスタがいたずらっぽく笑った。


「私はあっちでそよそよとおまると星を見てくるから、クロイツとゆっくりお話しておいで」


 別に二人きりで話すことなどないと言おうとしたが、エスタは俺の話を聴こうともせず、俺の腕からおまるをひょいと抱き上げ、そのままふわりと飛び立ったそよそよと一緒に、ここよりも少しだけ小高くなった見晴らしのいい丘へと駆けていった。


 兄弟水入らずで話でも、と言うことだろうか。別にいいのに。


 というか、女じゃないとかどういうことなんだ。突っ込んでいいところなのだろうか。そっとしておいた方がいいところなんだろうか。でも、確かに見た目は女の子だけど、女ですとは一言も言ってなかったよな。勝手に俺が女の子だと思い込んでいただけか。いや、しかしあの外見は誰だって女だと思うだろ。デラックスとかカバちゃんとかみたいにあっさり正体ばれてるような状態じゃないぞ、さらにいえばはるな愛とかちょっと悩む感じでもない。あ、でも胸はあんまりなかったような……。

 なんだ、男かよ……。先に言えよ……。詐欺だよ……。


 そう思いながらだんだんと小さくなっていくエスタの背中を見つめる。


 この言いようのない感情は何だ。夜の闇が俺を包み込んでいるせいか、どこか息苦しい。ああ、孤独だ。虚無だ。ほんのりがっかりだ。

  


 ひとりになった俺は仕方なく、クロイツの元に歩いていった。


「見た。魂送り。綺麗だった」

「そうか」


 クロイツは手のひらにちょこんとハムスターとセキセイインコを乗せたまま、男たちの消えて行った空を見上げている。俺を見ようともしない。ハムスターは物欲しそうな目で俺をじっと見ているし、セキセイインコはしきりに首を動かしたり、足で頭を掻いたりしてせわしなく動いている。


 この中にそれぞれ、あのサングラスの男が入っているのか。セキセイインコの方、なにやらぐじゅぐじゅ鳴いているが、まさかここで放送禁止用語を放とうとしているのか。

 それならそれでいい。この沈黙を破ってくれるのなら。だが、俺の期待を無視して、セキセイインコは鳥語でぶつぶつ言うだけで、はっきりと言葉を発することはなかった。


 気まずい雰囲気が俺たちを包んだ。いざ二人きりになってみると、話すことなんて何もない。聞きたいことはたくさんあったが、きっとクロイツは教えてはくれないだろう。なんとなく聞いてはいけない空気だというのもある。


 目を逸らそうとしても、奴の首ばかりが気になる。傷だらけで細い首だ。いや、細くなったのだ。幾多の戦乱の中で。あの時はこんなに頼りない感じではなかった。これならあっという間にへし折ってしまえる。

 俺がここで何もかも忘れて笑っているとき、過酷な目にあっていたのだろう。


「バクテリアになんか、なれないからな」


 突然の言葉に心臓がひときわ大きく脈を打った。俺ははじかれたように顔を上げ、緊張のあまりごくりと喉が鳴った。


「ヒトはヒトだ。そう生きていくしかねぇ」


 あの時のことを言っているのだ。


 クロイツは怖くないのだろうか。俺が。信用しているのだろうか。俺を。また同じことをするかもしれないのに。


 クロイツがこちらに向き直り、まっすぐに俺の目を見た。その瞳は揺るがない。その視線に耐えられなくて、反射的に顔を逸らした。


 どんな状況にあっても、こいつはこうやって昂然と胸を張って生きてきたのだろう。俺なんて適わないくらいに強い人間だ。

 急に自分が恥ずかしくなった。クロイツは正面から俺に接している。逃げられないのだ。このことからは。


「あの時の事、思い出したんだろ。顔にそう書いてある」


 クロイツが思いのほか軽い調子でそう言った。


「ああ。俺はお前を殺そうとした」


 平常心を保ってそう言った声は、かすかに震えていた。


「だな。殺されかけた。そういうプレイ、もうやめろよな。アナタを殺して私も死ぬの~、なんてお前に言われても気味が悪いだけだ」

「んなこと言ってねぇよ。茶化すなよ。俺はお前を本気で殺そうとしたんだぞ。なのにどうしてそうやってヘラヘラ笑っていられるんだ」

「ん? 俺笑ってた?」

「笑ってた」

「そっか」


 クロイツがはははと笑った。


「馬鹿だお前は」


 お前は無理しているんだろう。だがそれを言うのがなぜか悔しくて、俺はわざと心にもないことを言った。


「よく言われた。いろんな人から。俺は馬鹿だって」


 怒るかと思ったクロイツは意外にも、その言葉を軽快に笑い飛ばした。


「エスタから話は聞いた」 


 俺の言葉に、クロイツがおや、というように少しだけ首をかしげ、考え込むように黙り込んだ。


「エスタって名乗ったんだな。じゃあ、シヲンのことも聞いたか」

「ああ」

「他には何か言ってたか」

「え、と、自分が女の子じゃないって言ってた」

「なんだお前、あいつを女だと思ってたのか」


 クロイツが面食らった顔をした。思うだろうそりゃ。顔も声も女の子だし。


「まさか宇宙人によくある、女型アンドロイドとかいうオチじゃないよな」

「いんや、あいつは歴としたナマモノだ」 


 それからクロイツがまじめな顔をして、「言っておくが」と人差し指を立てた。


「あいつ、男でもないぞ」


 止まった。俺の中の時がな。


「宇宙人てそんなもんなのかな」


 ぼそりと呟いた言葉に、クロイツが反応した。


「そんなもんだ」


 ふーんと頷いてから、改めて正面にいる男の顔を見た。俺としてはこいつもわりと疑問なんだけど。


 口は悪いが顔は中性的だし、背が低い上に体の線は細い。やつれていて髪の毛もぼさぼさで台無しになってるけど、ちゃんとすればかなりの美形だと思う。雰囲気もなんとなく神秘的でミステリアスな感じ。俺と兄弟らしいけど、そういうとこはわりと似てない。

 粘っこい俺の視線に気がついたクロイツがなんだよ、と眉間に皺を寄せて俺を睨んだ。


「じろじろ見んな、気色わりぃ」

「あのさ、お前、男、でいいんだよな?」


 俺の質問にクロイツは一瞬戸惑ったように眼を泳がせてから、曖昧に笑った。


 おおい、まさかここまできてアンタちょっとおねぇさんでした、とかいうオチとかないよな。思わず胸元と股間に視線を向かわせる俺。だめだ。だぶついた服のせいで何が何だかわからん。


 期待と不安に震える俺の胸を拳で叩いて、クロイツは意地の悪い笑みを口の端に浮かべた。


「どっちがよかったんだ?」

「や、どっちがって、その、し、質問を質問で返すなよ」

「一応男だけど。まぁ、どっちでもいいだろ。血を分けた兄弟であることに変わりはねぇし」


 どっちでもいいわけないだろ。わりと重要な事項だと思うぞ。


 まだまだ追求したかったけれども、これ以上問いつめる雰囲気でもなかったので、俺ははぐらかされたままで、あきらめのため息をついた。どうせなにを言ったって、こいつにかかれば、全てはぐらかされるのだろう。


 俺はもう一度深く息を吐いてから顔を上げ、遥か遠く宇宙の果てを見上げた。


 白く氾濫した天の川が宇宙を横断している。星々の重なり。宇宙の中心。乳の流れ。


 クロイツもつられて顔を上げるのが分かった。


 目を閉じると、天の川に墜落した隕石がそのまま川の底を突き破って、宇宙の底に広がるそのまた別の宇宙を横断し、地球を包む大気圏に突入して、緑色の光を散らしながら、華々しく散って逝く光が見える気がした。


 その光が真っ暗な宇宙を煌々と照らして、その光のおかげで俺は出会えた気がする。隕石がひとつ死ななければ、その犠牲の光がなければ、俺たちは出会えなかった。


 そう思って眼を開けて正面にいるクロイツを見ると、彼はまだ大河を見上げていた。銀色の瞳が星の光を照りかえしている。

 わずかに唇が動いて、彼は何かを呟いた。だがその言葉は俺の鼓膜を揺らす前に、宵闇に拡散して消失した。


 やがて、俺の視線に気がついたのか、河を身飽きたのかは分からないが、彼は無言のまま地上に視線を戻し、ややあってから俺を見て、どこか哀しげに、物憂げに、微笑んだ。


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