32 白いアヒノレとワルツを
「クロイツは、君に平穏に生きて欲しいから、望んではいないのだけれど……でも、私は君の記憶が戻るといいと思っている」
俺は「シヲン」と出かかった名前を飲み込んだ。この人はシヲンではなかった。ペンダントをなくさないように大切に首元にしまいこみ、彼女の顔を見る。
「名前、エスタ」
俺の言いたいことを察してくれたのか、聞くよりも先に答えが帰ってきた。薄い唇がわずかに震えている。
「エスタ」
エスタ。俺はそれを反芻する。
「何もかも忘れてしまうこと、君が望んだことじゃないから。でも、とても悲惨な記憶。出来ることなら、忘れていたいと誰もが願うような、記憶」
「それでも思い出したい。俺が生きてきた記憶。そして、エスタたちと生きた記憶だ」
「思い出したらきっと、知りたくなる。君を地球に送った後、封域がどうなったのか、クロイツに何があったのか。だから、よほどの覚悟がない限り、忘れたままの方が、いいのかもしれない」
「言いたくないようなことが、あったのか」
「……牢獄からの救出の際に彼を久々に見たとき、よく生きてたなって思った」
改めてクロイツを見てみた。痩せて傷だらけになった体。それでも目だけはぎらぎらと異様な光を放っている。俺は早くに、あの傷にも痩せた体にも気がついていた。なのにそのことに何の疑問も持たずに、電波を飛ばしまくる奴をただ疎ましく思っていた。
あいつはただ俺の幸せを願ってくれていたのに。俺とエスタが話をしてる間、おまるはじっと俺たちの話に耳を傾けていた。
俺たちの無遠慮な視線に気がついたのか、クロイツが俺たちを振り返り、居心地が悪そうに叫んだ。
「おいシオン! 余計なことしゃべんなよ」
「必要なことしか、喋ってないよ」
クロイツはまだ何かを言いたそうに口を尖らせていたが、じとっと俺を睨みつけると、すぐまたこちらに背を向けた。
「始まるよ~」
そよそよちゃんがこちらに飛んできて、俺の肩にとまった。
「何が」と聞くよりも早くクロイツを取り巻く空気が細かい粒子のように、キラキラと光を放ち始める。
「これは……」
「魂送りだよ」
精巧な純銀細工のようにクロイツの髪の毛が銀色に輝き始めた。急に辺りを吹き抜ける風が生ぬるくなる。クロイツの足元に横たわっている男たちの身体が、徐々に緑色の光を帯び始めた。
やがてその光はよりはっきりと浮かび上がり、煙のように男の身体から立ち上ってきた。
「あれは魂。命の根源」
「綺麗だ」
「一般的な魂送りって、魂を輪廻の輪に還す儀式なんだけど、今回はちょっと特別。せっかく新鮮な死体があるんだから、お仕置き、とか言ってた」
クロイツの体が光を受けて夜に浮かび上がった。緑青に照らされたその姿は神々しくさえあった。彼がその光を導くように手を差し伸べた。光はクロイツのまわりをくるくるとまわりながら、キラキラと輝く光のかけらをちりばめて細い筋のように延びていった。
そして導かれるままにゆるゆると、その手のひらに乗せてある、ハムスターとセキセイインコへとそれぞれたどり着いた。
魂は柔らかな光を発しながら、ハムスターとセキセイインコを自らの光の中へと包み込んだ。やがて、男から濃い煙のように立ち上った魂は、納得したように光を弱めながら、小さな体の中に吸い込まれていった。淡い光はまだ消えずに、無数の小さな蛍のように空気中に漂っている。
あのハムスターとセキセイインコが死んだら、その魂は解放されてまた輪廻の輪を廻るのだろうか。でも、魂を消滅させられてしまったら、もう何も残らない。モルモルにもなれないし、生まれ変わることもない。
クロイツに魂を消されそうだったあの男、寸での所で消滅せずには済んだが、もしかしたら魂に損傷を受けたかもしれない。そいつに殺されそうになったりしたが、何故だろう、そいつの魂が無事なのか、少し不安になってしまう。
「綺麗ですなぁ。体が踊り出しますじゃ」
突然おまるが俺の腕から飛び出して、尻を振りながら男たちの体に近づいていったと思ったら、通常の1.3倍でかい尻をいっそうはげしく振り始めた。そして、翼を羽ばたかせ、首を上下に振りながら軽快なステップで踊り始める。タンチョウの求愛行動の様な動きだ。
「そよも~」
それを見ていたそよそよちゃんも、おまると一緒に歌い踊り出す。
そよそよちゃんの歌声はまるで小鳥のさえずりのようだった。澄んでいてどこまでも響いてずっと聞いていたくなる、心地よい歌声だ。
「思い出さないかな」
「ん? なにが?」
「君、一緒に踊ってた。昔、おまると」
「ブハッ」
吹いたぞ。突然変なこと言うな。俺が踊っていただって? あの鶴の舞みたいな小踊りを?
「とても優雅にね、ステップを踏んで、ターンをして、すごく上手だった」
いったいどんな風に踊っていたのだろう。何だか非常に恥ずかしさを覚えるな。顔が火照る。フィギュアなら得意だがアイスダンスはやったことないしな。社交ダンスもしたことないな。鳥と社交ダンスってどういう風にやるんだろう。しかも相手は可愛いが爺さんだ。
「君は踊るのが好きだった。フィギュアスケートじゃなかったけどね。シヲンもよく見惚れてた。踊っている君は、王子様みたいだって」
「ブハーッ」
さらに吹いた。王子ってか。
「魂送りを見ながら、シヲンも一緒に踊りだして、さらに誰かが歌いだしたり、笛吹きだしたり、銀眼人種じゃない私たちも参加したりして、いつも最後はチンドン屋みたいになってた」
この魂送り、扱うのは死体だったり魂だったりすることから、俺にはとても厳かな儀式に感じられるのだが、そうでもないのだろうか。死体を囲んで笛を吹くとかどこのハーメルンだ。こいつらもしやラテン系民族か。
「幸せだった」
昔を懐かしむように微笑みながら、彼女はようやく聞き取れるようなか細い声で呟いた。




