27 適度に適当 適当で面倒
「俺とお前は、持つ者と持たない者、対の双子、って言われてて……、いや、やっぱもうこれ以上はいわねぇ。つか、喋りすぎたぜ」
クロイツが突然立ち上がり、こちらに背を向けた。そんな背中に追いすがるように、届かないと分かっていながら俺は彼に向かって手を伸ばした。
「なんでだよ。俺はまだまだ聞きたいことがある」
「だから、何もかも話しちまったら、記憶を消した意味がなくなるだろうが」
ズボンについた小石を両手で払いながら、クロイツはうんざりしたように俺を睨んだ。
「俺はもう自分が地球人じゃないって、知ってしまったんだ」
「だぁかぁらぁ。これでもう仕舞いだ。おにいちゃんでもなんとでも呼びやがれ」
おれは精神的暴力には屈しないと、クロイツが両手で隙間なく耳を塞いで、大げさに頭を振った。
お兄ちゃんなんて言わないっての。言った俺にも精神的苦痛が跳ね返ってくる、諸刃の刃だと気がついたからな。
けど、どうして教えてくれないんだ。かすかな苛立ちを覚えたが、問いただす勇気なんて俺にはない。あの時思い出した恐ろしい記憶がそれをさせない。
あれは戦争だった。いや、一方的な虐殺行為にすら見えた。そして俺は死体を抱いていた。きっととても大切な人だ。そのうえ、この手でさらに死体を増やそうとした。しかもこいつの……兄弟のだ。心の奥底では、その記憶が事実だと分かっている。だからこそ聞けない。記憶の全てを肯定されるのが怖い。
なあ、クロイツ。どうしてお前はそういう風にふざけて笑っていられるんだ。
何もかもがもどかしくて、俺は痛みを感じるほどに強く唇を噛んだ。だが、そんな俺の苛立ちに気がつかないふりをして、クロイツがシオンの元に歩み寄っていった。そして、彼女の足元にいたおまると視線を合わせるようにしゃがみこむと、その頭に手を載せた。
「アガスティアも悪かったな。非常食だなんて言って」
「ファ~ファッファッ……ごほごほ。なあにこれしきのこと」
……。
だれだ。
今誰が喋った。
「それと今わしは『おまる』ですじゃ。アガスティアという名はあの星に置いてきた」
「そうか。そうだな、おまる。ずっとオマタの傍にいてくれたんだよな。礼を言う。ありがとうな」
「兄上殿も苦労なされたようですな。良くぞ生きていてくれたですぞ」
クロイツとおまるが、再会を喜び合う友人のように、互いにいたわりの言葉をかけている。おまるの首が蛇のようにくねくねと左右に動く。喜んでいるときにする仕草だ。その動きに合わせて、フラッシュピンクのリボンが首もとで可愛らしく揺れている。
おまる。アヒルそっくりのアヒノルとか言ってたが、今はそんなことどうでも良い。喋ったことに衝撃だ。いや、それもこの際どうでも良い。
爺さん言葉だったことに衝撃だ。
今もそうだがおまる、俺、おまえにふわふわピンクのリボンとかつけたり、ひらひらイエローの服とか着せたりしてたぞ。
……そうか。
爺さんだったのか。
黒曜石のように黒く艶やかな丸い瞳。思わず抱きしめたくなるもこもこの羽毛。撫でまわしたくなる尻。顔を埋めたくなる尻。
爺さんだったのか。
まるでアフレコ失敗ミスキャストだ。
口をあけたまま一言も発せないでいる俺に向き直り、おまるがそのキラキラとした目で俺を見上げてから、おじぎをした。
ああ。相変わらず仕草は可愛いんだよ。仕草は。
「オマタ殿すまんのう。騙す気はなかったんですじゃ。だが記憶がない以上、アヒルが喋りだしても腰を抜かすと思っていたですじゃ。兄上殿も突然現れるものだからとっさに言葉が出ず……」
「はあ、確かに、そうでございますなぁ……」
ここは敬語を使うべきなのだろうか。この仕草、口調、俺より格式高いよな。教養もありそうだし。なによりかなり年上っぽいな。
困惑している俺を見て、困ったように首を傾げるおまる。ピンク色のリボンがふわりと揺れる。
ごめんな、俺のせいで困っているよな。
おそるおそるおまるを抱き上げると、腕の中で嬉しそうにぐわぁと声を上げた。どうやらアヒル語が癖になってしまったようだ。
声と喋りは犯罪だけど、見た目の可愛さは変わってないから、あまり気にすることでもないか。男は細かいことを気にしてはいけないのだ。ちょっと、いや、かなりだが、仰天しただけだ。嫌いになったわけじゃない。
俺はよしよしをしながらおまるをぎゅっと抱きしめた。おまるの体温が頬を伝って俺の身体に染み込んでくる。
でも、どうせならせめて爺さんよりも婆さんの方が良かった。風に揺れるピンクのリボンを見てほんのりそう思った。
「そよそよもな、記憶をなくしたお前が心配で、こいつと一緒に地球に付いていってくれたんだ。監視ではないけれど、お前が地球で困ったことにならないように、草葉の陰から見守っていてくれたんだぞ」
そうだったのか。帰ったらそよそよちゃんにお礼を言わなくちゃな。クロイツの言葉に俺は深く頷いた。
「ところで、シオンはおまるのこと知らなかったのか」
俺はシオンに向き直って問いかけた。
「知ってたけど、一緒に来ていることは知らなかった。私は君を地球に逃したとき、その場にいたわけじゃないから」
何故か気まずそうに、シオンが目をそらした。これ以上追求してはいけない雰囲気もあって、俺もそれ以上なにも訊かなかった。
「ところで兄上殿、母上殿は」
相手の様子を伺うような口ぶりで、おまるが縮めていた首を伸ばしてクロイツを見ると、クロイツはおまるをまっすぐに見たまま首を横に振った。
殺された、ということか。まるで無表情の顔つきが、悲壮感をさらに際立たせる。
おまるが小さく「そうであったか」と呟いた。
つまり、俺の母親が死んだってことだよな。でも、これもまたいまいち実感が涌かない。まるで自分には全く関係ない人の話をしているみたいだ。
「母親ってどんな人だった? 俺の記憶に少しだけあるこの思い出は……」
恐る恐る聞いてはみたものの、そこには俺の記憶に対する不安があるだけで、母親に対する想いは自分でも驚くほどに希薄だった。まるで他人の母親のことを聞いているみたいだ。
「変わってる、が褒め言葉の、正真正銘変わった母親だったよ。幼い頃の母親の記憶は本物だ。いじってねぇ」
特に支障はないから、残しておいたのだとクロイツは言った。母親の残像を思い出し、少しだけ懐かしい気持ちになった。糸くずのように細くて短い記憶の中にかろうじて残っている母親が、俺に微笑んでいる。俺は思わず熱くなった目頭を押さえた。
「他の記憶は? 大学に入るまでの」
「大部分はテキトーにアマチュア無線で受信したどこかの地球人の記憶をテキトーに拝借した」
適当か。
「どうして地球を選んだんだ」
「メンドーだったから、テキトー」
面倒か。
「人間あぶり出しは」
「あれはちょっと遊んでみた」
俺は熱く高鳴る想いそのままに、爽やかに微笑むクロイツめがけて、笑顔で殴りかかったのだった。




