23 やっぱりな げんこつ麻酔は 効果なし
「俺、トリップしてた」
「そうみたいだね。すごい勢いで眼球だけ動いてた。気、狂ったかと思った」
俺は辺りを見回した。拳銃を持った男と対峙するクロイツ。俺の前には……シオン。傍らにはおまるもいる。そして、腕から流れ出る血液。痛みと熱さ。こっちが現実だ。
「俺、何か思い出してた。たくさん人が死んで、俺は両目に眼球のない女の子を抱えていた」
シオンの動きが一瞬止まった。それは瞬きをするくらいのほんの少しの間だったが、その意味ありげな空白は、確かに今までの俺の記憶が妄想でなかったことを表しているに違いない。
「それから俺はクロイツを殺そうとした」と、喉元まで出かかった言葉が、吐き出されることはなかった。
この記憶が嘘ではないなら、この行為も真実ってことになる。
クロイツはまだ生きているから、多分未遂で終わったのだろう。だが、やはり言えない。そんな恐ろしいこと。本当にそれをしたかどうか確かめる勇気なんて、俺にはない。
虚ろな目で手のひらをみつめた。薄い皮膚、その奥の骨、食い込む指先、徐々に熱くなる体温。やけに生々しい感触だった。
「とりあえず、止血しよう」
まるで今までの俺の言葉が聞こえていなかったかのように話の流れを無視して、シオンはどこからか一枚の羽を取り出した。目玉に似た孔雀の羽の模様がついている緋色の羽。日に照らされてキラキラと光っている。
それは何だと聞こうとするよりも早く、彼女が口を開いた。
「少し、熱いけど」
「えっ?」
「我慢できるよね」
「おぎゃああああああ」
俺の答えを待つ気はないのか、「我慢でき」と言った辺りで、彼女はその細い指を大きく開いた傷口にねじ込んで、素早く弾丸を取り出した。撃たれたときよりも激しい痛みが俺を襲う。
恐ろしくいてぇ。規定値を越えた痛みに俺はもんどりをうった。尋常じゃないほどの涎が口の端からだらだら溢れてくる。痛すぎて舌が抜けて食道が裂けて胃がひっくり返りそうだ。失血する前に痛みで死ぬ。狂痛で痛死だ。
あまりの痛さに俺はオオカミのようにホウコウし、反射的にシオンの腕を振り払おうとするも、彼女はげんこつ麻酔を俺の脳天に直撃させると、怯んだ隙に緋色の羽を傷口に押し付けた。
俺は一瞬で何をされるか理解した。
「種も仕掛けも」
「よせっ」
「ございません」
「うっうおおおおおおお」
途端、羽から炎が立ち上った。どんなマジックだとか聞いている場合じゃない。ぱんっと音が皮のはじけるしてから黒い煙が立ち上り、序でじゅ~っと肉の焼けるニオイが鼻をついた。嗚呼、俺の肉がこんがりと焼けている。
続いて、血の焼けるニオイなのか、鉄臭さが辺りに漂った。そのニオイに胃液が逆流しそうだ。哀しいかなしばらく焼肉は食べれそうにない。どうやら患部を焼いて血を止めたようだが、ドクター、これは正しい判断か。
もう痛みとかも麻痺してきた。意識もおかしいくらい鮮明だ。一命は取り留めたのかもしれないが、なんでだろう。素直に感謝できないな。目も異様にぎらぎらする。毛細血管が切れたのではと思うほど眼球がかぴかぴしている。
ネジ式時計のネジを限界まで巻いておきながら、さらに巻こうとして、壊れちゃった感じ。臨界点を超えたかな。
「クロイツ、大丈夫だから。オマタは大丈夫だから」
すっかり焼きあがった傷口を確かめるように診ていたシオンが、俺をというよりも、クロイツをなだめるように声をかけた。
俺が大丈夫かどうかは、まず俺に確認してくれないか。
いやほんと俺大丈夫かな。見た目、さっきよりも酷くなった気がするけど。
クロイツがこちらに視線を向けずに、無言で男を見据えた。
「クロイツ」
シオンが切羽詰まったような声で彼の名を呼ぶ。
「テメェらが」
クロイツにシオンの声は届かない。
「クロイツ」
もう一度呼ぶも、彼は泣きそうな顔をして歯を食いしばっていた。
「テメェらのような人間のせいで俺たちは」
クロイツの目が一瞬銀色に輝いた気がした。それを見たサングラスがはっとして手にしていた拳銃をクロイツに向かって発砲した。だが、どういう仕掛けかはわからないが、彼の周りに一瞬風が吹き荒れてそれが弾道を変えた。軌道を変えられた弾丸がどこかへと飛んでいった直後、鈍い音とともに、背後の木がぱらぱらと数枚葉を落とした。
「特殊能力ルネを発動させての戦い方なら教わった」
クロイツが静かに言った。雰囲気が先ほどとは違っている。何故か分からないが、俺はクロイツに言い知れない恐れを感じた。
それ、できるならさっさとやってろよ。俺が片腕撃たれた意味は一体何だ。とか思ってみるも、なんか怖くて言い出せない。
サングラスが息を飲んで一歩後ずさる。だがすぐに表情を弛めて笑って見せた。
「また虚勢か。だが今のお前は銀眼人種のちからは使えない。先程はこいつが」と男が死体を顎でしゃくった。「お前の虚勢に慌てて逃げ出したようだが、俺にその手は通用しない」
「試してみようか」
両手を広げて、クロイツが見惚れるほど優しい笑顔を見せた。俺でもどきりとするような美しい笑顔。男とか女を越えているような、無機物的なその微笑みに思わず息を飲む。素直に綺麗だと思った。
しかし、醸し出す雰囲気はその顔の優しさとはほど遠く、笑顔の奥底には何処か残虐さすらも感じられた。冷たい凍りついた頬笑み。
それは、とても、美しすぎて残酷な。
「クロイツ、だめ! そいつの言う通り、今の体では無理!」
シオンが叫ぶ。だがクロイツは振り返らない。
「ほら、目を逸らすなら今のうちだけど?」
目の前にいる男から目を離すことなく、薄い笑みも崩さない。その場の空気が瞬時に凍りつく。
男は本当に凍り付いてしまったかのように、引き金に指をかけたまま動けないでいる。
「死と無は違う消滅」
クロイツが静かに目を瞑る。睫毛が銀色だとか、思わず摘まみたくなるほど長いとか、こんな時に場違いな想いを抱く。
そして、俺の考えなんてそっちのけで、彼はゆっくり目を開いた。
「思い知れよ」
クロイツが呟いたそのとき、その目が銀色に輝きだした。それに合わせて、燃え残った灰のようだった髪色も、鏡面に磨き上げられた銀糸のように輝き始める。
木々がざわざわと騒ぎ出す。その枝で羽を休めていたカラスが、危険を察知したように一斉に飛び立った。石を投げ入れてもいないのに、田んぼの水面に波紋が広がる。陽炎のように空気が揺らぐ。まるでクロイツの周りだけ空気が圧縮しているかのようだ。何が起こっているのか理解できない。
痛かった肩はもちろんのこと、息をするのさえすっかり忘れて、俺はその光景にただ見入っていた。
「嘘だ、その体で、ルナーが残っているわけが……」
サングラスが大きく首を振ってサングラスを吹っ飛ばしながら叫ぶ。その目は驚愕に見開かれている。そんな相手をクロイツは無言で見つめている。
彼の周りの空気は、ますます密度を増しているようで、その姿は既に輪郭がわからない程にゆがんでいる。
「使えるはずがないっ、その、体で、無尽蔵か、お前は……化け物か!」
男の顔が苦痛にゆがむ。まるで閻魔様を見たかのような形相だ。地獄の業火に焼かれているかのような声で、男が叫び声を上げだした。大地が震えるほどに、低く激しい叫び声。まるで獣の雄叫びだ。人間が出すような叫び声ではない。俺は思わず恐怖で耳を塞いだ。
シオンもおまるですらも苦しそうな顔をしている。彼女はおまるの頭を両手で守るように抱えこんで身を屈め、歯を食いしばって何かに耐えている。
なにが起こっているのだろう。叫び声が尋常でないのはわかる。わかるが、俺には男が叫び声を上げている理由も、シオンたちが背中を丸めて何に耐えているのかも、さっぱりわからなかった。確かに男の叫び声は凄まじいものがあるが、歯を食いしばってまで必死に耐えると言うほどのものでもない。これだったら、黒板に爪を立てた時の音の方がよっぽどつらい。
まるで、みんなには俺の聞こえない音が聞こえているかのようだ。
歪んだ空気の向こうでクロイツの体がより光を強くする。俺は目を細めて彼に手を伸ばす。
「おい、クロイツ……」
声が届かないのか、クロイツは振り返らない。叫ぶ男の声が徐々に悲痛なものになっていく。
「ふぎぇああああ、やめ、やめろぉ、やめてくれええあああああああ」
口からだらだらと涎を垂らしながら髪をかきむしる男に恐怖を覚える。なにをされているわけでもないのに、苦痛に歪む男の顔を見ているだけで、この世のものとは思えない拷問を受けているかのようにも思える。




