22 ちょっと待て げんこつ麻酔で 目は覚めない
「あ……」
違う、この声はおまるだ。ヒキガエル似の声にはっとして目が覚めた。戦場にヒキガエルはいない。いや、いるかもしれないが、鳴き声を聞いたことのあるやつは多分いない。
顔を上げると、おまるが必死の形相で俺の頭を突いていた。
どうやら俺はどこかにトリップしていたらしい。血を流しすぎて、脳みそが幻を作り始めたのか。
震える手を強引に伸ばして、黄色いくちばしを撫でてやるが、おまるはまだ不安そうに俺の顔を覗き込んでいる。それにしても、やけに生々しいトリップ体験だった。一瞬のことだったが、俺は確かに何かを見て何かを体験していた。
これはもしかすると、失くした記憶なのだろうか。俺がクロイツの弟であることが真実だとすると、その記憶とともに消された本当の俺の記憶。
「オマタ?」
シオンが訝しげに俺の顔を覗き込む。……違う、この人はシヲンじゃない。このシオンはさっきのシヲンじゃない。無意識のうちに首が左右に振れる。そんな俺をシオンが訝しげに見ている。
どっちがシヲンなんだ。どっちが現実だ。今、俺はどっちにいるんだ。この憎しみは悲しみは絶望は、誰に向かっているんだ。
そして、その疑問がまた新しい映像を呼び覚まし、俺を記憶の彼方にトリップさせた。
シヲンの骸を抱える俺の隣で、クロイツが何かを叫んでいる。
「生き残るんだ」
何のために?
「こっちを見ろ」
何のために?
「このまま死にたいのか」
死にたい。だって、シヲンが死んだ。
「シヲンが死んだんだ」
俺はゆるゆると言葉を口にする。覇気のない声が脳味噌に響く。まるで自分の声じゃないみたいだ。
「お前は生きている」
クロイツが俺の肩を強く掴む。細い指には似つかわしくないほど強い力で。
「でも、シヲンが死んだんだ」
「でも、俺たちは生き残るんだ」
「バクテリアになりたい」
「はぁ?」
「バクテリアになりたい」
「お前、何言ってやがる。現実を見ろ」
バクテリアになりたい。殺す殺されるの連鎖から抜け出したい。生きるために殺しあうなんて嫌だ。俺は分解者になりたい。死んだ生き物を分解して土に還すんだ。土は生命を育む。そして世界を循環するんだ。
「俺はシヲンを食べて分解して土に還して世界の一部にするんだ。シヲンが世界になれるならきっと美しい世界になれる」
「オマタ、お前……」
だって、なあ、このままヒトとして何のために生きるんだ? このまま明日をどうやって生きていくんだ? もうシヲンもいないのに。もう誰もいないのに。みんな死んだ。殺された。俺たちももうすぐ殺される。
生きることを諦めるって悪いことだろうか。たった一度の人生だってそんな薄っぺらい言葉ってなんだ。ならたった一度の人生苦しまずに死なせてくれ。死ぬことの喜びを今知りたい。この生を尊んでいられるうちに。
「ッ」
気がつくと、俺は両手でクロイツの首を両側から押しつぶすように掴んでいた。足先に何かが触れたような感触がして下に目をやると、いつの間にか俺の両腕から滑り落ちた、朽ちた白樺のようなシヲンの骸が転がっていた。空洞の瞳が俺たちを見ている。
何が起こったのか理解できていないのか、クロイツが呆けたような顔をして俺を見つめている。だがさらに手に力を込めると、一瞬でその顔は苦痛にゆがんだ。大きく見開かれた目が、信じられないと無言の言葉を紡ぐ。
あいつらに捕まって見せしめのように目を抉り出されて死んでいくくらいなら、今、俺が殺してあげるから。シヲンのように恐怖と悲しみと怒りに苛まれながら、寂しく死なせることはしないから。
怖くない。あっちにはもう皆いる。ほとんど多くが、先に逝ってしまったんだから。
俺は渾身の力を込めて、クロイツの首に指を食い込ませた。柔らかい首筋に爪が食い込み、薄い皮膚に赤い線を作る。
細い首がめり、と音をたてる。声にならないあえぎ声が漏れる。目からは涙が唇から唾液が流れ落ちて、俺の手を濡らす。抵抗しようというのかクロイツの手が俺の手首を掴む。だがその力はなんの障害にもならないくらいに弱い。
手のひらが熱い。あまりの熱さに指先がじりじりする。
死んでくれ死んでくれ死んでくれ早く死んでくれ苦しまずに死んでくれ。
「オマタ!」
突如、左の頬に何か衝撃を感じたと思ったら頭が真っ白になった。そして、次第に頬が熱を持ち、痛みを訴え始めた。
「目を覚ませと」
バチコーン。
右の頬に衝撃が走る。
「言っている」
バチコーン。
再び左の頬が熱くなる。
「う、うおお……」
痛みに呻き顔を上げると、シオンが右手を握り締めて俺を睨んでいた。
「もう一発」
そう言うなり、今度は握り締めた拳の中指をちょっと出して、脳天に狙いを定めた。
「わーわー、タオルタオル!」
セコンドおまるに助けを求めるが、タオルなんぞ投げ入れてくれるわけもなく。両手をあげてひっくり返ったらようやくシオンが拳を下ろした。
「正気に戻ったか」
「おう! おかげさまで」
どうやらまたトリップしていたらしい。危ないところだった。頭蓋骨陥没の危機だった。
先ほどまで見ていた記憶は失血からくる妄想なのだろうか。それとも本当の記憶なのだろうか。なんだか良く分からない。つい先ほどまでは、あれほど鮮明に見えていた映像や、聞こえていた声、会話、そして、震えるほどの恐怖といった感情。それが嘘のように、今は全てがとても曖昧でぼんやりしている。
殴られたせいかもしれないけどな。脳震盪ってやつ。よほど思い切り殴られたのか、首まで痛いしな。
「でも、アキの往復ビンタの方が痛かったな、へへ」
と笑うとおまるとシオンが蔑むような目で俺を見た。
おまるはむかつくけど、女の子にそういう目で見られたらなんでか嫌な気はしない、とかそういう場合じゃない。俺はマゾじゃない。




