18 マッハ九で駆けろ
二人に追ってくる気配はない。それでも俺はひたすらに走り続けた。海岸沿いを南に向かって走り抜け、貸しボート屋を横目に曲がり角を左に曲がって、地元のネコも知らないであろう、草の覆い茂る畦道に逃げ込む。ここは稲を守るアイガモと、田んぼの平和を守る俺しか知らない道なのだ。
Bダッシュで走り去る俺の耳に、アイガモ親子の声援が聞こえる。
グエッグエッグエッ。
轟く雷鳴に聞こえないこともない。
『危険! 川に入らない』と書かれた看板を横目で見ながら、いつから川に入ることが危険なことになったのだろう、今日びの子供たちは川遊びもさせてもらえないのかと、現在の風潮を憂いながら川に足を踏み入れ対岸を目指し、捨てられ繁殖したミドリガメたちの甲羅干しに目を細めつつも昨今のペットブームに疑問を投げかけ無責任な飼い主に怒りの炎を燃やし、無事川を渡りきった先にある色あせて破けてしまった議員ポスターの握り拳と自らの拳を見比べ、俺の拳の方が気合いが入っているぞとより一層強く拳を握り一人頷き、日本にはびこった政治腐敗を世に問い、『危険! 石に登らない』と書かれた看板を無視して、畑の脇に積んである大きな石を駆け上がり道路に出た。
今なら、お花を摘んだらファイヤーボールが出せるようになるかもしれない。星まで手が届けば、無敵になれるかもしれない。
俺は足元に生えていたオレンジ色のきのこを素早くもぎ取ると、それを片手に、思い切りジャンプした。
ひと回り大きくなった気がした。
あぜ道を音速で駆け抜け、暗い竹やぶの中をマッハで突破すると、音速を超えてソニックブームが聞こえた。さすがにもうここまでは追ってくることはないだろうと、ひと息つこうとした瞬間、まるで待ち構えていたように、突然目の前に人が現れた。
止まろうとしない俺を避けようともせず、仁王立ちで道の真中に立ちふさがっている。
二人。サングラスの黒づくめ。昨日の逃走中だ。
しまった、いい気分に浸りすぎたか、と思ったがもう遅かった。
「まさかそっちから出てくるとは」
「今からお前の家に行こうと思っていたのだが、手間が省けたな。できれば生け捕りたかったが」
左にいた男が笑いながら、片手に収まるくらいの黒光りした鉄の塊を持ち上げた。
うわー、それ、一般人が持っちゃいけないやつだぁ。
「銃刀法違反、逮捕するぞ!」
即座に叫ぶ俺。
クロイツはこいつらのことを宇宙警察だと言っていたが、思った通り絶対嘘だ。勝手に人の国に入って来て、警察だといって銃を持ち出すなんて、たとえどこの国の警察でも許されるわけがない。それに、宇宙警察というなら地球日本の警察事情を知っておくべきだ。
宇宙人は知らないかもしれないけど、日本の警察は基本的にそれを人に向けてはいけないんだぞ。
心で叫ぼうが奴らには届くはずもなく、目の前の男たちは俺に銃口を向けた。
「もう面倒だ。殺してしまおうか」
銃口の奥は吸い込まれそうなほどに真っ暗闇だった。まるでブラックホールだ。いや、これは吸い込むんじゃなくて、出てくるんだけどさ。とか考えている場合じゃないな。
銃刀法違反男が俺に標準を定める。俺はどうすることも出来ず反射的に目を閉じた。瞬間、耳を聾するほどの轟音があたりにこだまする。
俺は音速で走っていた足を止めることも出来ず、勢いに任せ、砂利道をすべるようにその場に倒れ込んだ。
小川で水浴びをしていたカラスたちが驚き、水しぶきを上げて一斉に飛び立つ。青い空に虹の橋が描かれる。
しばらくの間、俺は頭を抱えて丸くなっていた。残響がいまだに鼓膜を揺らして続けている。至近距離で聞いたためか、あまりの轟音に、脳の深くまでびりびりと痺れているみたいだ。
砂利でのスラインディングは自殺行為だった。石であちらこちらを切ったらしく、手のひらから膝から体のありとあらゆるところが焼けるように熱い。
俺、撃たれたのか。死んだのか。痛みが分散していて、どこを撃たれたか分からない。傷を確認するのが怖い。目を開けるのが怖い。
「バカヤロウ。危険だって言ったろ?」
「……え」
上から降ってきた声は想像もしなかった声、クロイツだった。
恐る恐る顔を上げてみると、クロイツの影が被さった。逆光で表情はよくわからない。差し伸べてきた彼のもう片方の手には、拳銃が握り締められている。状況から判断するに、さきほど轟音をとどろかせたのはこっちの拳銃なのか。
「立てるか? オマタ」
彼の後ろにはおまるをだっこしたままのシオンもいた。そよそよちゃんは家でお留守番でもしているのか、姿は見えない。おまるが心配そうな目をして、じっとこっちを見ている。
俺、生きてる? 直前にきのこを採ったからじゃないか?
「俺、ひと回り小さくなってたりしない?」
「ハア?」
「かなり走って逃げたはずだけど、どうやって俺に追いついたんだ」
「昨日お前が教えてくれた近道を使ったんだよ」
クロイツが人を小馬鹿にしたような表情で笑う。彼に支えられて立ち上がると、足元には男がひとり、手に拳銃を握り締めたまま、芋虫のように転がっていた。胸と腹が血の赤でびしょびしょだ。
えっと、これは、死んでるよな。ちょっと待てよ。本気かよ。えらくダークな展開だな。
クロイツは無言で男を見下ろしている。まるで、道ばたに転がっている蝉の亡骸を眺めているような目。なにも感じていないかのような無表情。
「突然襲い掛かってくるような奴には、それ相応で返すしかねぇもんな」
クロイツは俺を庇うように前に進み出ると、もう一人の男に同意を求めるように笑顔を向けた。視線を向けられた男はクロイツの表情を見て、少しだけ眉を動かしたが、表情はサングラスに隠れて見えない。
「ようやく見つけたぞ。クロイツ・サフェイエス・ぺトラケツァル・N・現欧・ラグナレク・トゥシエ」
あ、こいつ、小学校のころに『長くつ下のピッピ』の本名を意地でも暗記しようとしたタイプだな。
「アンタら、こいつまで狙うってことは、エンピレオではなくアスガルドから来たってことで間違いねぇな」
クロイツの問いかけに男がふん、と鼻を鳴らした。
「それ以外から追われる心当たりでもあるのか?」
「どこの、誰の、差し金だ」
「これから死ぬ相手に言う必要はないな」
「軍か。それとも個人の」
「さあな。依頼主の名前は言えない」
「ビジネスか? なら軍じゃないってことか。確かにアンタらはアスガルド軍には見えねぇな」
クロイツが地べたに転がっている血まみれの男をちらりと盗み見た。「アスガルド軍で使っている銃とも違う」
「詳しいな」
「どうやら俺達を殺したがっている人間は、思ったより多くいるみてぇだな」
クロイツが睨み付けるように相手を見た。だが、目の前の男は気味の悪い薄笑いを浮かべるばかりだ。
「こいつから聞いたのだが」
サングラスが足下に転がっている男をあごでしゃくる。仲間が撃たれたというのに、悔しさとか怒りとかいった感情は、こいつの口調から感じとれない。
「銀眼のちから、使えると言ったそうだな」
「ああ、使えるぜ」
「嘘だな」
クロイツが言い終える前に、サングラスが否定の言葉を口にした。クロイツが眉をひそめる。
「そのボロボロの体で、ルナーも残り少ないのに、力は使えないはずだ」
一体何の話をしているのだろう。クロイツが俺の敵であるならば、こいつらは俺の味方になるのだろうが、そうはてんで思えない。全く話が見えてこない。どっちが悪い奴なのかさっぱり分からない。でも、サングラスたちは確かに俺に向かって発砲しようとしたのだ。だとしたら俺の敵か。でもクロイツも俺をモルモルやぴーちゃんにしたな。どっちも敵か。
戦争みたいにどっちが良いとか悪いとかじゃないって、複雑で難しくて長い話になるのかな。
俺、長い話聞いていられないタイプ。ピッピはピッピでいいタイプ。
腕を組み首を傾げる俺を無視して、クロイツとサングラスが睨みあう。
「まさかお前を追ってきて、もう一人も発見できるとは」
サングラスが俺の方をちらりと見てから、クロイツに視線を戻した。
「なんのことかさっぱりわかんねぇな」
クロイツがはっと笑って口を歪める。
「しらばっくれても無駄だ。地球人を騙せても我々は騙せない」
サングラスが笑う。余裕があるのか銃を構えることもせず、黒い鉄の塊を手のひらで弄んでみせる。
クロイツの体が一瞬銀色に輝いた。しかしそれも一瞬のことで、光はすぐに収束した。見間違いかと思うほどの短い時間だった。
「ほらな? 使えないだろう?」
これ以上楽しいことはないといった風にサングラスが笑う。
クロイツが歯ぎしりをすると、サングラスは薄い笑みを口の端に浮かべたままで、正面から彼を見た。そして、不意打ちで長い脚を蹴りだしてきた。
「うわっ、きったない!」
思わず叫んだ。さすが悪役、姑息だな。
黒く硬そうな靴底に、瞬時に俺も身をこわばらせる。
突然のことでよろめきつつも、クロイツは銃を発砲しつつ、寸ででキックを避けた。
「少しは動けるようだな」
サングラスが笑う。こいつ、嫌な奴だな。




