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廻天列系における輪廻の格律  作者: トトホシ
廻天列系における逃走の格律

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17/84

17 おまる

   ***


「冷える」


 両手で体を抱いて俺はがたがたと震えた。血どころか骨の髄まで凍っている気がする。


「そりゃ、冷蔵庫に入っていたからな」

「冷凍庫は狭くて入らなかったの」

「ラッキーじゃねぇか」


 ラッキーじゃねぇよ。


 俺はクロイツの顔が茶色くなるまで、首を七秒ほど絞めてあげた。


「どういうことだよ! 少しだけ、サクっとしてグチャっとしてネチョっとしてブスっとやってギリギリっとするだけって言っただろ! 痛くしないって言っただろ!」

「でも、少しだけってとこは、あってたじゃねぇか」

「ぜんぜん合ってねぇよ! 長かったよ! その上ものすごく痛かったよ!」

「悪ィ」


 まったく反省をしていない顔で、クロイツが片手をあげてヘラヘラと笑った。

 なんなんだこいつは! 人を卑猥な言葉を連呼する猥褻インコにしておいて、つらっとした顔をしてやがる!


 俺はちゃぶ台返しをしようとしてテーブルの端をつかんだが、後で片付ける自分の姿を想像して、やめておいた。


「俺に遺伝子の欠陥が見つかったから、手術するんだって言ってたよな。ハムスターやインコは全く関係なくないか」


 こめかみがぴくぴく痙攣する。血管が切れそうだ。ほかにも色々疑問や罵倒の言葉を浴びせたかったが、怒りのあまり思考回路がこんがらがって、うまく言葉が出てこなかった。


「いや、あれは準備運動みたいなもんで」


 絶対嘘だ。殴りかかってやろうと思って拳を握りしめたら、クロイツが俺の足元に視線を向けて目を見開いた。そのまま、あっ、と小さく声を上げて動きを止める。


「ぐわぁ」


 どうしたと思う間もなく、俺の股下から可愛らしい声が聞こえた。


「おまる!」


 足元を見下ろして、俺は思わず声を張り上げた。

 なんということだ、おまる。ずっと別室に隠れていればよいものを、とうとうこいつらに発見されてしまったのか。


 おろおろとする俺を尻目に、シオンがおまるを抱き上げた。頼むから食らってくれるなよ。


「おまる? アンタ、目医者に行ったほうがいいぜ。確かにおまる型だが、こいつはどう見てもアヒルだろ」

「そのアヒルの名前がおまるなんだよ! 俺のペットだ!」

「アンタ……自分がオマタだからって、アヒルになんて名前を……」


 クロイツが心底蔑んだ目で俺を見ている。そんな干からびたミミズを見るような目で見るな。仕方ないだろうが。この名前しか浮かばなかったのだから。悪いのは俺じゃなく、スズメの涙ほどのボキャブラリーしか俺に与えなかったお前だろう。責めるのなら自分を責めろ。なにもかもお前のせいだ。 


「この子、一緒に連れてきたんだね」


 噴火警戒レベル5みたいな顔をしている俺を静めるかのように、シオンがいつにも増して冷静な口調で俺に問いかけた。

 その腕に抱かれたおまるも、ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、心なしかそわそわとしている。何故だかそよそよちゃんまでも、何か言いたげな表情でシオンとおまるを交互に見ている。


「この子、普通のアヒルじゃないね」

「アヒルじゃねぇ?」

「うーん、とても美味しそうなアヒルにしか見えないよ」

「ああ、俺にも非常食にしか見えねぇな」


 クロイツがお得意の意地の悪い笑みを浮かべながら、おまるを指差す。


「ゴルアアアァ! 俺の可愛いおまるを食料扱いするな!」

「この子、アヒノレ、だね」

 

 おまるの嘴をつついて、シオンが言った。


「アヒノレェ?」

「え?」


 なんだその出来損ないの悲鳴みたいなアホっぽい名前は。おまるはどう見てもただの可愛いアヒルじゃないか。


 む、いや、そうか、ただのアヒルじゃない特別なアヒルだとしたら全て説明がつく。他のアヒルよりも可愛くて賢いのはそのせいだ。


 シオンの腕の中で「く、くわぁ」とおまるが鳴く。上目遣いに俺を見上げるそのつぶらな瞳がたまらない。


「アヒノレ、地球のアヒルと酷似。特徴としては地球のアヒルよりも二割七分八厘増しで尻が大きい。イベリコ鳥とトリュフ鳥の掛け合わせにより作られた家禽」


 シオンがすらすらと説明を始めた。

 う~む。相当美味そうで高級そうな鳥たちの掛け合わせらしいが、やはりアヒルにしか見えん。


 そういえば、シオンは「連れてきたのか」と言ったか。確かに、おまるは気がついたら、既にそこにいた。気がついたら、既にここにいた俺と同じ。


 良く考えたら、ありえないよな。気がついたらアヒルが家にいましたなんて。でも、確かに、どういう経緯でおまるがうちに来たとか、いつからとか、全く思い出せない。

 きっと、おまるはクロイツ一味によって、俺と一緒に地球に放たれたのだろう。この途切れた記憶が、そう考えるのが一番自然だと思わせる。


 笑えてくる。俺の記憶はなんて曖昧なんだ。泣けてくる。俺の現実って一体なんなんだ。


 そんな俺が見ておまるが「クワァ」と不安げな声を上げた。こいつはいつも、俺の悲しみやら不安やらを感じ取ってくれるのだ。

 そうだ、おまるはアヒノレなんかじゃない。通常より二割七分八厘増しで尻がでかいことなど気にするものか。俺にとって最高のアヒル。とても賢いアヒル。可愛い俺のおまる。


 シオンの腕の中にいるおまるに触れようと手を伸ばした時、突然何かの気配を感じ取ったように、彼女がはっと顔を上げた。


「クロイツ。そろそろ、まずいかも」

「ああ。奴らもかなり本気みたいだな」


 クロイツが眉間の皺をさらに深くして、忌々しげに舌打ちをした。


 何がまずいって? 何がどうしたんだ? また俺の知らない話をしているのか?


「オマタ、そろそろさっきの続きを」 


 クロイツが俺に近づく。さっきの続きだと? また俺は卑猥なインコにされるというのか? 冗談じゃない。こうなったら、逃げてやる!


 ドッペルゲンガーを信用した俺が馬鹿だった。このままここにいたら確実に殺される。


 ふと顔をあげると、ぼろぼろのいぐさに囲まれて、俺という魂を失った小鳥が力なく横たわっていた。羽に艶もなく、見ているだけでその体の冷たさが伝わってくるかのようだ。確かに死んでいるのだろう。


 俺はさっきまであの中に入っていたのだ。


 魂という電池を失った体は、その瞬間から少しずつ腐ってゆくのだろうか。


 いやだ。こんな最期は嫌だ。まだ死にたくない。俺は逃げる。逃げるんだ。

 近づいてくる男に狙いを定め、俺は全身全霊をかけてタックルを食らわせた。衝突の瞬間ポキっといやな音が彼の腹の辺りから聞こえてきたが、聞こえなかったことにしておく。

 予想外の俺の行動に、彼は思ったよりもあっさりとすっ飛んでいって、十点満点を出したくなるような美しいもんどりを打って、床に倒れこんだ。

 その隙に俺は全速力で駆けだした。


「オマタ~! 今外に出たら危険だよ~!」


 そよそよちゃんが叫ぶ。


「ここにいたって危険だ!」


 俺も負けじと叫び返す。


「わかったから、クロイツにもう少し頑張ってもらって、君をハムスターの回転器具の方にしてあげるから。だから戻って来なさい」


 シオンもわけのわからんことを叫ぶ。


「う~ん。もっと大きいのがいいんじゃないのかな~」

「大きいの……。メリーゴーランド? コーヒーカップ?」


 女子たちよ、なにを言っているんだアンタらは。


 彼らを無視して俺はわき目もふらず部屋から飛び出した。背後でシオンが頓珍漢なことを言いながら、「待って」と大声を張り上げている。


 俺はいい。お巡りさんのままでいい。落し物に鶏が届けられるような、田舎のしがないお巡りさんで十分だ。

 ハムスターでもインコでも回転器具でもメリーゴーランドでもコーヒーカップでもなく、「おまわり毎日ぐーるぐる」とメロディー付きで近所のガキどもにバカにされている田舎のお巡りさんで十分すぎるくらいに十分だ!


 俺の中の欠陥がなんだってんだ。わけのわからないものに変えられるくらいなら、今の俺のままで死んでやる。


 あの体にあの転び方ではさすがにすぐには動けないようで、クロイツに追ってくる様子はない。おまるの身が心配だが、まさかシオンは生きているアヒルの毛を毟って、むしゃむしゃ食べたりはしないだろう。食べ盛りのそよそよちゃんも怪しいし何よりクロイツは一番危険だが、そこも彼女がどうにかしてくれるはずだ。


 転げるように玄関の扉を開けた瞬間、雲ひとつない空に浮かぶ昼の太陽が俺の視覚を奪った。予想以上の眩しさに体中の感覚が麻痺して、俺は言葉通り盛大な音を立てて階段を転げ落ちた。

 突然のことで、流石の俺も受身を取れなかったが、転げ落ちながらもやけに冷静な頭で、走るよりも転げ落ちる方が早いんではないか、とか思ったりした。


 俺は背中から着地した衝撃で、激しくむせこんだ。緊張のせいか、あまり痛みはない。ここで立ち止まるわけには行かない。

 仰向けになったまま視線を俺の部屋に移動させると、まだ宇宙人たちの姿は見えなかった。おそらくクロイツは気でも失っているのだろう。


 電線にとまった雀が、ちゅんと鳴いて潰された蛙のような格好をしている俺を、見下ろしている。


 ちゅん(逃げろ)。ちゅちゅん(早く)。ちゅっこら(ここは私にまかせろ)。


 さっきインコになったせいか、なんとなく鳥の言葉がわかるような気になってしまっている自分が怖い。寝たままの姿勢で敬礼をすると、雀はくちばしを電線に打ちつけて軽く頷いた。


 俺は素早く立ち上がると、土を払うことも忘れ、ぶんぶんと頭を振りながら、必死に太陽の下を駆け抜けた。

 体が熱い。照りつける太陽のせいか、怒りのせいか、興奮のせいかはわからない。ただ今はひたすら逃げなければ。


 頼んだぞ、雀三曹、なんとかやつらをくい止めてくれ。


 おまる。必ず助けに来るから待ってろよ。非常食になんかなるなよ。


 俺は走りながら、冷蔵庫の中身が何日分あったかを必死に思い出していた。

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