12 初めまして。貴方のことはよく知っています
「フィギュアスケートって、一見ただつーっと滑ってるだけに見えるけど、体力使うのか? アンタ、筋肉とかはついてるほう? さっきはえれー足が速かったよな」
ドッペルゲンガーが俺を見て首を傾げる。俺は服を着込んでいると細くは見えるが、筋肉質なほうだと思う。いわゆる、細マッチョ系。
しかし、なぜそんなことを聞くのか。これも遺伝子をいじくって筋力強化してやった賜物とでもいうのか。言っておくが、これは俺の努力の結果だ。毎日早朝のジョギング十キロ、腹筋五十回、腕立て三十回、背筋百回の賜物だからな。
この田舎町は過疎地だからか今のところ凶悪犯罪はないし、別にこんなに体を鍛えこまなくてもいいような気もするのだが、筋トレは俺が小さい頃からの(ドッペルゲンガーの話が本当なら、俺の小さい頃は嘘の記憶ということになるが)癖になってしまっている。
毎日やらないと、あっという間に筋肉が衰えていきそうで怖い。いざとなったときに、大切な人を守れなくなるような気がして怖い。
俺は服の袖を二の腕までたくし上げ、見せ付けるように力こぶを作ってやった。やつは「ふーん」といいながら俺の腕を見つめたまま顎に手を当て、深刻な顔で何かを考え込んでいる。さては俺の肉体に恐れをなしたか。
ペルゲンガーの腕はどんなものかと思ったが、だぶついた服のせいで、その腕の太さは分からなかった。
けれども、服の袖から覗く、その手首の異常な細さが目に付いた。何かおかしいと思い、その体をよくよく観察してみたところ、痩せているというよりは、栄養失調を思わせるほどにやつれているといった方が正しいことに気がついた。何日間も寝ていない人のように眼下にクマもあるし、目も落ち窪んでいるようだ。頬もげっそりとこけている。
俺は力こぶを作った腕をそのままドッペルゲンガーの方に伸ばし、考え込んだままでいる奴の手首を掴んだ。いきなりの行動に驚いたのか、彼は咄嗟に俺の手を振り払おうとしたが、それを制してそのまま反対側の二の腕も掴みとった。
うわっ。げっ。
その細さといったら、まるで朽ちた木のようだった。力を入れたらパキリと折れてしまいそうだ。宇宙人ってこんなもんなのかな。一般的にグレイと呼ばれているような、頭がでかくて手足が異常に細いイメージそのまんま。だけどこれじゃただの骨皮筋衛門だ。
「んだゴルァ。手ぇ放しやがれ」
痛く掴んだつもりはなかったのだが、気を悪くしたらしいドッペルゲンガーが、ものっすごいドスの利いた声ですごんできた。顔も悪役っぽくて、わりと怖い。俺もこんな声と顔ができるのか。よし、やってみよう。
それではひとつと咳をしてから、顎を上げつつ目を細めて、見下ろすように睨み返してみたが、奴はぜんぜん怯まなかった。
「アァ? 何のマネだテメェ」
うおっ。こうかはぜつだいだ。逆の意味で。
しかし、凄んでくるドッペルの顔には、近くで見なければ分からないような、新しくはないが治りきっていない、擦り傷やら切り傷やらが沢山あった。首や、よく見たら手首にもだ。まるで茨の道を抜けてきたみたいだ。
俺が何を見ているのかに気がついたのか、ドッペルの顔色が変わった。その表情にただならぬ雰囲気を感じとった俺が、力を緩めてしまった瞬間を奴は見逃さなかった。素早く俺の手を振りほどき、渾身の力を込めて両手で俺を突き飛ばしつつ、その反動で飛び退くように後ろに逃げたのだ。
俺は二三歩後ろによろめいたが、思ったほど痛くもない突きだった。そんな微弱な力では、この肉体に傷なんぞつけられるはずもない。
なるほどどうやら、力の面においてこいつはおそろしく弱い。『逃走中』からの逃走からもわかるように、ひょろ男とかもやしとかいうレベルではない。想定するに、かろうじて今動いてます、みたいな感じだ。アレキサンダーのお友達、ぜんまいの切れかけたネズミのお人形さんだ。
「お前がいきなり自爆するとか反則技を使わない限り、俺、オリジナルのお前に取って代わる自信あるぞ」
「うるせぇ」
目の前の男は苛々したように舌打ちをして悪態をついた。
俺に腹を立てている、というよりは、知られたくないことを知られて焦っているみたいだ。確かに、力では勝てないことがばれるのは大きいだろう。これだけ散々でかい態度をとってきたのならなおさらだ。
始めから怪しいニオイのする奴だとは思っていたが確信した。
そう、こいつ、かなり怪しい。
科学者だから体力ないというのはわかるが、いくら『逃走中』たちから逃げてきたとはいえ、こんなに傷だらけになるものだろうか。
死線を掻い潜ってきた戦士と言うよりは、命からがら牢獄から逃げ出してきた脱獄犯といった感じだ。
「お前……」
何か俺に隠していないか。
「こんにちは~。クロイツ、いる~?」
そう問いただそうとしたその時、険悪な雰囲気をかき消すように、玄関から元気な子供の声が聞こえてきた。ついで、とことこと無断で上がり込んでくる足音。その足音が部屋の前で止まり、ドアの隙間から小さな女の子がひょいと顔を出した。あれ? この女の子は……。
「そよそよ!」
ドッペルゲンガーが声を上げた。
「久しぶりだよ。さっきクロイツが階段を上がっていくのが見えたから、来てみたんだよ」
女の子が金色の髪をふわりと揺らして、にこりと笑った。
「元気だったか、そよそよ」
「クロイツはなんだかとってもやせ細った気がするよ」
二人が手を取り合い再会を喜んでいる。なんだかよくわからない状況だが、もっとよくわからないことがある。
「二人、知り合いなのか?」
一体全体どういうことだ。俺はまだ小学生くらいであろう少女を困惑したまま見下ろした。
長い睫毛にふっくらとした唇、朱鷺色の頬。宝石のように大きく艶やかな瞳。そよそよと呼ばれたこの女の子、ちょっとそこらへんにはいない感じの可愛らしい子だ。
が。
この子は隣の部屋に住んでいる女の子じゃないか。
「こいつはそよそよ。お前が何か不具合を起こさないかどうかの監視役として、一緒に地球に来ていたんだ。ちなみに、そよそよから情報を得て、お前がここにいることを知ったんだ」
「こうして正面から会うのは久しぶりだよ。でもそよはずっと草葉の陰から覗いていたよ。さっきも怪しげな動きをしているのを見ていたよ。誰もいないところでまじめな顔をして両手をばたつかせている姿、戦慄が走ったね。でもそよは行為の意味を問い詰めないよ。人それぞれ性癖というものがあるからね」
悟ったような顔をする幼女に俺の顔が赤くなる。穴があったら入りたい。
「それにしても、監視役ってのは人聞きが悪いんだよ。そよはひっそりと見守っていただけで……」
ドッペルゲンガーの言葉に釈然としな様子で、女の子が小鳥のように小首を傾げた。
「あ、ちょとこっち来い、そよそよ」
「なんなんだよ?」
ドッペルゲンガーが女の子の腕を引っ張って部屋の隅へと連れていき、肩に手を置いてしゃがみ込み小声でぼそぼそと話始めた。
「あのな、かくかくのしかじかで……」
「え~。それは大変なんだよ」
「だから、……することとして」
「ん~、なかなか難しい問題だね」
「それで……して。あの、名前も……で」
「えっ。随分ややこしいことをするもんだよ」
「あいつがそう言ってきかなくて。それで……ってわけで」
「わかったよ。合点承知だよ」
ドッペルゲンガーと女の子が同時に立ち上がった。
そよそよと呼ばれた女の子は、良く見てみると瞳は濃い緑色で、金髪は普通の外国人とは違って空の色を映したように青みがかっている。ちょっと普通じゃない雰囲気だ。
つまりこの二人、確かに見た目は日本人ではない。けれど、だからといって宇宙人かと問われれば、その通りだとも言えない。ちょっと不思議な外国人だと言われれば、そうにも見えるのだ。
もしかすると、先ほど言っていた助手ってこの子のことなのだろうか。こんな小さな子、まさかピノコか。
「それにしてもシオンは遅いな」
「シオン?」
「さっき言ってた助手だ」
なに。宇宙人がもうひとりいるということか。どうなってんだ地球のセキュリティは。
怠惰な地球に色々モノ申したいが、それよりも気になっていることがあって、俺は人形のように可愛らしい少女に向き直った。
「あの、ところでさ、えっと、そよそよ……ちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「なんだよ?」
「窓辺に置いてあったあの鳥頭人体のフィギュア、あれなに」
「あれはね、トト神様だよ。エジプトの偉い神様だよ。先月、大丸三越に来てた黄金のエジプト展で買ったよ。チキウはけったいなものが多くて楽しいよ」
そよそよちゃんが嬉しそうに両手を広げてみせる。
「そうなんだ……」
やたらと地球を満喫しているな、宇宙人め。
しかし、まさか同じアパートに宇宙人が住んでいるだなんてな。はは。管理人どうなってんだこのやろう。
「ここでよかったみたいだね」
「えっ」
管理人を呪っていると、突如として部屋の外から声が聞こえてきた。そよそよちゃんに気をとられて気がつかなかったが、声のした方を見ると、開け放たれたドアの向こう側に人が立っていた。
また不法侵入者か。もう誰が来たって驚かないぞ。




