11 ググって出直せ
「なあ、それ、痛くねぇか」
「え?」
ドッペルゲンガーが心配そうな声で、膝の上に置かれた俺の手元を指差した。視線を下に向けると、人差し指のささくれから血が滲んでいた。
気がつかなかった。
俺は混乱したり、頭が痛かったりすると、無意識のうちにささくれを毟るくせがあるのだ。一度それに気がついてしまうと、今まで気がつかなかったのがおかしいくらい、途端に傷口が熱を帯びてじんじんと痛くなってきた。痛点が一気に指先に移動していくかのようだ。心臓が指先にあるかのように、どくどくと痛みが波打つ。
「心が痛けりゃ肉を切れ」
遠慮しがちに細い筋を残しながら指先を伝い流れる赤い液体を見て、思わず母親から教わった言葉が口をついた。
「お、それを実行してるってわけか」
「何のことだ?」
「頭が痛けりゃ腹を蹴れ。心が痛けりゃ肉を切れ。これ、母親がいっつも言ってた」
瞬時に脳味噌が凍り付いた。
なんだと。それは、それは母さんが俺に教えてくれた……。まさかこの記憶まで嘘だと、作られたモノだというのだろうか。
「母親は、今、何をしているんだ?」
母親、の前に、俺の、をつけるのが怖かった。クローンって、俺の体だけだろ? まさか記憶までこいつの複製なのだろうか。
もう何だか訳がわからない。ようやく絞り出した声は情けないほどに震えていた。
「アンタは受精卵を母体に戻して作られたクローンじゃない。だから、母親はいない。インビトロで大人まで成長させた。大学入学までの記憶は後付だ。つまり、大学入学以降の記憶は現実のものと思っていい」
へぇ、すごいな宇宙人、そこまでできるのか。じゃあ、俺の母親の記憶は嘘ってことか。俺が母親に負わされた、愛しい心の傷も? それで、それを信じろって?
……ふざけるな。俺の約二十年間だぞ。それは偽りの記憶でした、はいそうですかって、納得できるもんか。
俺は呆れるやら腹立たしいやら悔しいやらで、目の前の人間を思い切り殴り倒したくなった。鳩尾のあたりに、どろどろとした黒いものが溜まってゆく。不安、怒り、焦燥、恐怖。
気がつくと、俺は拳を白くなるほど握り締めていた。ゆっくりと指を解くと、手のひらにはじんわりと嫌な汗をかいていた。
「知っているか、宇宙人。地球人のクローンのイメージはすこぶる悪いぞ。SF小説の世界じゃあ、自分を作り出したオリジナルに復讐するってパターンがわんさかあるんだからな」
「あなおそろしや。地球人て野蛮だな」
怖い怖いと連呼して、降参だというようにドッペルゲンガーが両手をあげた。しかし、言葉と行動とは裏腹に、その瞳には怯えの色なんて微塵も感じられなかった。先ほどのすまなさそうな様子はどこへやら、すっかり開き直ってやがる。
俺は緩めた手の平に血液が回って行くのを感じながら、代わりに顎の筋肉が痛むほど歯軋りをした。
似ていない。似ているわけがない。髪の色も、目の色も違う。目元が似ているとか思ってしまっていたが、それはばぁちゃんたちに、似ているという先行意識を刷り込まれていただけだ。俺がこいつのクローンなわけがない。徹底気的に違うのは性格だ。こいつの言動や雰囲気はフリーダムすぎる。
本当に俺がクローンなら性格とか同じだろ。それでもそうだって言うのなら、証拠を見せてみろ。塩基配列とか白血球の型とか。
ドッペルゲンガーが転がっているカップを拾い上げるついでに無言で立ち上がり、腕組みをして部屋の隅々をチェックしはじめた。落ち着かない。何でそんなに俺の部屋に興味があるんだ。
そういえば、自分のクローンっていう存在にどういう感情を抱くものなのだろう。自分の子供みたいなもんなのかな。部屋をうろつく彼の様子は、独り暮らしの息子の部屋に、女の形跡はないか目を光らせる母親のようでもある。
ドッペルゲンガーの動きを目で追っていると、奴が突然「お」と驚いた声を上げた。そこには一升瓶ほどの大きさで、金色に輝く数個のトロフィーがあった。
「フィギュアスケート? これ、アンタのトロフィーだよな?」
「ああ。大学二年までやってた」
「フィギュアなぁ、今、最も熱い地球のスポーツだろ? お前の記憶に埋めたこと、ちゃんと働いてんだな」
「埋めた?」
「アンタの記憶を作るときに、アマチュア無線で地球のことを勉強したんだ。そしたら、今最も熱く国民の九割がやっているスポーツはフィギュアだっていうもんで」
それは色々おかしいだろ。お前、完全に違う星の電波を受信してるぞ。
「アレクセイ・ヤグディンって、今すごい人気なんだろ」
うむ。リアクションに困る。しょんぼりするくらい中途半端に古い情報だ。いや、俺のキャンデロロもたいがいか。
普通サッカーとかだろうよ。地球で熱いスポーツっていえば。俺はどこから突っ込んでいいのか分からず、がっくりとうなだれた。
「古い? 時差のせいだろ、地球から届く電波の」
と真面目な顔をして言ったこいつの顔を見たら、なんだか先ほどの怒りが、出来損ないの風船のようにしぼんでいった。
とりあえず、もう一度地球上で情報をググってから出直して来い。




