1 幸福の傷跡
痛いことが気持ちいいこともある。
幼い頃、キャベツから子供が産まれてくるという話を聞いたことがある。母親に真偽のほどを確認したところ、
「そんなわけがない。赤ちゃんは然るべきところから産まれてくるのだ」と言われた。
いや、「しかるべきところ」と母親が言ったわけじゃない。そういうニュアンスだ。つまりそう、然るべきところには然るべき言葉が入るのだ。
そして母はこうも言った。
「然るべきときに、然るべき出会いがあるように、然るべきところに、然るべき物があるものだ」
と。
それにしても、この場合の答えは、幼い子供に対して然るべき答えではなかったのではないかと、今でも時々思う。
然るべき出会い。確かに長年生きてきて、然るべき時に然るべき出会いが訪れてきた。母の言ったことは本当だった。困っている時には救ってくれる人が現れた。全てが良い人だったとは言えないかもしれないが、良いことであれ悪い事であれ、出会った人全てから色々なことを学ぶことが出来たという点で、全ては良い出会いだったのだろう。
そんな母親の話をもうひとつ。
「お母さん頭がいたい」
「絆創膏張っておきなさい」
子供のころの俺と母親の会話だ。
そんな俺が大人になって、ある日みかんを食べながら、こたつでテレビを見ていたときのこと。
「風邪かな、頭がいたい」
「包帯巻いておきなさい」
年の取ったお笑い芸人が、テレビの向こうでそう言った。瞬時に沸くスタジオの観覧席。開いた口が塞がらない俺。体が震えて指の間からぽとりとみかんがひと房落ちた。
なんてこった。ここは笑うところだったのか。
何も知らない幼く純粋な俺は、母親のそのセリフで突き放されたのだと大変傷ついたものだった。その傷は後から受けた様々な傷に埋もれてはいるが、未だ消えてはいない。
母はよく言っていたものだった。
頭が痛けりゃ腹を蹴れ。心が痛けりゃ肉を切れ。腹の痛みで頭の痛みは忘れる。肉の痛みで心の痛みは忘れる。
今考えると、とんでもない母親だ。ありえねぇ。
誤解しないで貰いたいのは、俺は母親が嫌いだったわけではないし、虐待を受けていたわけでもない。心に若干のかすり傷は負ったが表皮常在菌が治してくれる程度の傷で深手ではないし、なにより体に傷は負っていない。
今思い出しても変わっている母親だった。変わっているというか、変というのがふさわしい。しかし、『変わっている』母親は「変わっている」が褒め言葉だったし、むしろ俺はこの殺伐とした感じの母親が好きだった。もちろん今でもそうだ。
けれど、なんだか最近どうにも記憶が曖昧だ。過去のことを思い出そうとすると、高く厚い壁が出来たかのように思考が行き止まり、それ以上記憶をさかのぼる事ができなくなる。
そういえば、母さんは今何をしているのだろう。何処にいるのだろう。考えれば考えるほど頭が痛む。
……やはり駄目だ。思い出せない。
それと、うっすらと記憶の端に現れる、母以外の家族。父親はどうしたのだっけ。兄だか姉だかもいた気がするが、よく思い出せない。それだけではない。一番重要な自分のこともよく思い出せない。
まさか若年性痴呆症か。まずいまずいぞそれはまずい。
俺はどうしてここにいる。俺は何しにここにいる。今までどこで何をしていた。
考えれば考えるほどねじ曲がり、歪み、霞んでいく俺の記憶。
母さん。確かに母さんはいたはずだ。じゃなければ俺は産まれていない。いや、卵が先か鶏が先かって、あれは卵が先だったか? じゃあ母さんがいなくても卵があれば俺は生まれるのか。
……大丈夫だ。俺にはへそがある。
ではどうして母親の記憶がないのだろう。
俺を形作り、俺の成長を陰から支え、見守り、人格形成に多大なる影響を与えたもうた母。そして、共に生きてきた家族たち。うすぼんやりと記憶の水面で波紋に揺れるその笑顔。
果たして、この記憶は、真実か。