3 「これに乗れってこと?」
戦場から五十キロほど離れた洞窟に三人と恵美理は身を潜めていた。ニックとゼクスが森から薪を集めて炉を組むと、ニックが一吹きして火をおこす。二人が薪を集めている間、エルディオは岩場近くの渓流から水を汲んで恵美理の血を拭い、薬草を調合して傷口を手当てをしていた。しかし、恵美理はまだ目を覚ましていない。
「どう思う?今回の依頼は失敗か?」
洞窟の入り口で見張りながら、ニックはゼクスに尋ねる。
「情報屋の依頼としては失敗だろうな。情報を渡す前に軍が攻め込んできたんだから」
「よく考えてみれば、あの依頼がいつ情報屋に渡ったかを聞かなくちゃいけなかったんだよな。黒騎士団が現れてもう十日…そりゃ国王陛下も作戦の一つや二つ計画できるよな」
ニックがため息をつく。
「でも、まだチャンスは残っている」
「あの子か?黒騎士団と一緒にいたんだぞ。ちゃんと情報くれるのかな」
ニックが再びため息をつく。すると、洞窟の中からエルディオが落ち着かない様子で現れた。
「あの、お二人とも、よろしいですか?」
「どうした?」
ゼクスが尋ねる。エルディオによると、少女の体は「普通じゃない」という。通常、傷の手当は医療魔法で行うのだが、恵美理の傷は深かったため、今回は薬草を調合してあらかじめ傷口をふさいでおき、その上から魔法をかけることにした。その方が魔力の消費も少なく済み、傷の治りも早いのだという。
「それのどこが普通じゃないんだ?」
ニックが聞く。
「彼女から、魔力が感じられないんです!」
エルディオのように医療魔法を扱う者は、特別な訓練を受けている。エルフ、魔族、魔物の血を引くものは体内に魔力を通す管が存在する。その管は目には見えないが、毛細血管のように全身に分布しており、医師はその管を手で感じ取ることができる。その感覚は訓練を受けなければ体得することができないものであり、ゼクスやニックには分かり得ない感覚なのだ。医師は、この「魔力管」の損傷具合で怪我や病気の度合いを感じつつ、治療を行っている。
しかし、恵美理に魔力管は存在しない。魔力を通す管がないのだから、当然魔力もない。さらにエルディオが言うには、骨や臓器や筋肉は非常に脆弱で、肺に瘴気を浄化する機能が備わっていないというのだ。
瘴気とは魔界にのみ存在し、人間にとって毒ガスの一種で、穢れが空中に放出された粒子と考えられている。魔族やエルフは長い進化の中でこの毒ガスを浄化する機能を肺の一部に備え、呼吸ができるようになった。この機能が存在しないのはエルディオが知る限り、人間しかいないという。しかし、奇妙なのは恵美理が肺に浄化機能を持たないで呼吸しているということだ。
「こんな生物は教科書や書籍でも見たことがありません」
エルディオはきっぱり言い切った。一先ず怪我の治療は完了しているので、後は目を覚ますのを待てばいいそうだが、エルディオは恵美理の体が不気味だという。話を聞いたゼクスとニックも洞窟の中に入り、恵美理の様子を窺う。森の中で見た時とは違い、顔色もだいぶ良くなって呼吸も落ち着いているようだ。
「仮に、この子が人間だった場合、どうなるんだ?」
ニックが不安そうな面持ちでゼクスに尋ねる。
「どうみても密入国だろう。通常は入国した国の法律に従って罰則を受ける。ただそれは、俺達の場合だ。問題なのは、人間はどんなに正当な理由があったとしても、諸外国への渡航が認められていないことだ。セレウス・ミルトン戦争の条約が未だに効力を発揮しているからな…。
ましてウィリアム王は、あの戦争の最前線で戦っていたから、人間を良く思っているとは考えにくい。もしこの子が『人間』だった場合、地下牢に投獄されて数日後に処刑されるだろう」
ごくり、と唾を飲み込むニック。この世界で約千年前に起こったセレウス・ミルトン戦争。その発端は、人間がセレウス人の来賓を人質にとったことだった。マクラウド一族の働きかけにより結束した多国籍軍はミルトンを制圧したかに見えたが、窮地に追い込まれた人間は天上界を奇襲して古代兵器を奪い、セレウスを砲撃した。その一撃で三億人の命が一瞬で消し飛んだだけでなく、セレウスは永遠の穢れに覆われた不毛の土地となり近づくことさえできなくなってしまった。
ウィリアム一行が天上界を奪い返し、ジークが地上戦を勝ち抜いたことで戦争は終結したが、世界は大きな損失を出してしまった。戦争以降、人間はミルトンに幽閉され、他国への渡航や貿易が認められなくなった。だから、ニックやエルディオが嫌悪を示すのはある意味当然なのかもしれない。
しかし、とゼクスは思う。なぜ黒騎士団がわざわざ「人間」を連れてきたんだ?この世界に住む者なら、人間は「罪」の象徴であり忌々しい存在であり、その姿を見ることさえ拒むはず。この子は本当にそんな扱いを受けるべきなんだろうか。まして魔界で生きられる人間なんて聞いたことがない。
「ゼクス、それでも俺は早くウィリアム王に引き渡すべきだと思うぞ」とニック。
今からルクスへ向かえば、夜には到着できる。後は写真やらメモやらと一緒に恵美理を国王陛下に引き渡して、完了。それ以上は関わらないのが一番だ。
それでも、ゼクスは引っ掛かっていた。あの森の中で見た黒騎士団のキャンプは、恵美理以外、特に変わったものは置いていなかった。言い換えれば、恵美理一人のために五十人もの騎士と二十頭のグレートドラゴンが配備されていたのだ。
そこまで厳重に守るには、何か秘密があるに違いない。まして今回の統率者は、黒騎士団で最強の剣士と言われる赤のアレクだ。そう考えると、ゼクスの頭の中にますます「何か裏があるんじゃないか」、そして「それは一体何なのか知りたい」という気持ちが込み上げてくる。
「ニック、俺は…」
ゼクスがそう言いかけた時、恵美理が目を覚ました。驚いて後退するニックとエルディオ。恵美理はゆっくりと瞬きを繰り返し、微睡んだままゼクス達の方に頭を傾けた。洞窟の中に横たわる自分とその隣に見知らぬ男が三人、恵美理にはそう見えた。間違いではない。しかし恵美理はまだ、隣に座る青髪の青年が背中に蝙蝠の羽を生やし、黄金色の髪をした青年が炎に包まれてドラゴンに変化し、その隣にいる少年が自分を得体のしれない生命体だと思っていることなど知らない。
「気が付いたか?」
ゼクスが話しかける。恵美理の頭はまだぼんやりとしていて、その言葉を処理することができない。おまけに体は重石を乗せられたように重く、関節が思うように動かない。恵美理は、何でこんなところにいるんだろう、と自問する。
(そうか、私、ドラゴンに噛まれる夢を見てたんだ)
恵美理は、十日前の夜(といっても恵美理にとっては昨日の出来事のよう)に見た非現実的な世界がそのまま続いているとは全く思っていない。重たい体を必死に動かして起き上ろうとするのを見て、ゼクスはそれを手伝ってやった。
恵美理の意識が徐々にはっきりとしてくる。そして、なぜここにいるのか、なぜ体が重く痛いのか、なぜ隣に見知らぬ男が座っているのかを起きたての脳味噌で必死に考えている。
「大丈夫か?あまり無理をするな」
(ん?)
耳元で聞こえてくる、恵美理には聞きなれない言葉。恵美理は耳のすぐ横にあるゼクスの顔のその深海のように深い青色の瞳を見て、心臓が跳ね上がった。体中の血が沸き立ち、彼の声に激しく反応している。一気に目が覚めた恵美理は胸を抑えた。
「俺はゼクス・ボルライ。魔界南総のセントラル城で公務員をしている。君を見つけた経緯は…少し複雑で話すと長いんだが」
(この人、外国人?英語じゃないよね…)
「君に、色々と聞きたいことがある。この十日間、何をして、どんな物を見たか。できれば、どうして君が彼らと一緒にいたのかも知りたい」
(どうしよう。何を言ってるか全然分からないよ…)
恵美理に不安が募る。その不安な表情を察して、ゼクスも何かを感じ取ったらしい。
「あぁ、すまない。別に君のことをどうこうしようと思ったわけじゃないんだ」
恵美理の背中を支えていた腕を離すゼクス。どうやら、恵美理が不快にと感じているのではないかと思ったらしい。だが、そういうことじゃない。
「ほらな、やっぱりこういう展開だ」
ゼクスの背後からニックの声が聞こえる。
「俺たちが何しても無駄だよ。…なぁ、エル?」
「そうでしょうか。僕としては、魔族の医療魔法が人間にも有効だったんだっていう純粋な驚きと発見があって…」
「そいいうこと聞いてるんじゃないってば」
(??)
エルディオは、恵美理が回復したことを医療従事者として素直に喜んでいるらしい。ゼクスは、その後もいくつか恵美理に質問をしてみたが、やはり何も答えない(答えられない)ため、ニックの言う通りルクスへ連れていくことにした。ゼクスとしては恵美理に対する興味の方が勝っていたが、ウィリアム王に人間を匿っていたと見なされれば、ニックやエルディオに大変な迷惑がかかってしまう。最悪の場合、恵美理と一緒に処刑台行きになるだろう。
三人が荷物をまとめているので、恵美理にもここから出ていくんだろうということは分かった。ゼクスの手を借りて立ち上がり、服を見ると、白いブラウスに血が付いていたり、ブレザーが所々解れていたり、スカートは何箇所か引き裂けていた。恵美理は自分のみすぼらしい姿が恥ずかしかった。それと同時に、もしかして、まだ夢が続いているんじゃないかという恐怖も込み上げた。
(この人たちは、あの黒いマント集団の仲間なのかな?)
恵美理はそう自問して、直感的に否定した。もしゼクス達があの不気味な赤い男の仲間なら、こんなに親切にはしてくれないだろう。恵美理が見たゼクスの瞳には、あの赤い瞳とは違う、深い慈悲があるように思えた。
岩場を軽快に飛び降りるニックやエルディオとは反対に、恵美理は足腰に思うように力が入らず足取りが覚束ない。血が足りていなし、目眩がするし、支えなしに歩くことは困難だった。ゼクスは、恵美理が岩場を下りるまで後ろから支えた。岩場を降り切った所で軽い息切れを起こす恵美理を横目に、ニックは炎に包まれて変化を始める。巨大な炎が噴きあがる光景を見て、恵美理は頭が真っ白になった。ニックが変化した黄金色のドラゴンにエルディオが身軽に跨り、恵美理に向かって手を差し伸べている。
(ちょ、ちょっと待って。これに乗れってこと?)
恵美理は、まだ夢は終わっていない、と理解せざるを得なかった。この人たちはヒトじゃない!あの黒いマントの仲間なのだろうか。もしかして、あの赤い男の所へ連れていくつもりなのだろうか。あの、不気味な赤い男の所に…。そう思うと、体が小刻みに震え始め、足がすくんで動けなくなってしまった。恵美理の様子がおかしいことに気付いたエルディオが、ニックの背中から降り、自分のマントを恵美理に羽おらせた。
「大丈夫ですよ。少なくとも僕たちは、あなたに危害を加えたりしませんから」
そう言って、恵美理の手を引っ張っていくエルディオ。恵美理は拒もうとしたが、エルディオが想像以上に強い力で引っ張るため、ニックに跨らざるを得なくなった。エルディオ自身は強く引っ張っているつもりはなく、これでも手加減しているのだった。
恵美理の頭の中で理解できない世界、通じない言葉、不気味な赤い瞳の男、変身するドラゴン、その全てがつながり合うには時間がかかりそうだ。そして恵美理の脳裏には、殺されるかもしれないという恐怖があった。それでも。
(今は、この人たちに任せるしかない…)
ゼクス達がルクスへ到着したら、恵美理は処刑されることになる。この先の自分の運命がどうなるかなど知る由もないだろう。エルディオが恵美理の後ろへ座る。ゼクスはすでに蝙蝠のような羽を広げて空へ舞い上がり、近くに危険がないことを確認していた。ニックが地面を蹴って飛び立つと、力強い羽ばたきでルクスシティ方面へ旋回する。
順調に進めば、夜にはルクスに到着できるだろう。幸い、黒騎士団の姿はないようだ。そう安心していた移動中の四人の姿を、遥か上空から一頭のグレートドラゴンが見下ろしていることに、誰も気づいていない。