1 「今週の依頼はどれ?」
魔界の王都、北総ルクスシティの大通りであるブリックストリートは、金曜日の夜になると一際活気だつ。仕事帰りのサラリーマンたちが居酒屋やバーを何軒もはしごし、OL達は合コンの話で盛り上がり、学校帰りの学生の姿も見られる。通りの両脇に並ぶ屋台は週末の夜だけの名物。フレック鶏のローストやモンズ豆の串焼きを格安で食べられるのは、屋台ならではだ。
そんな大通りの店や屋台を行き交う人々の間を、一人の青年が足早に通り過ぎた。深緑色のマントを羽織っているが、その下から作業着姿がのぞく。肩にかけた大きな鞄の中でドライバーやナットが擦れてカチカチと音を立てている。
青年は馬車に気を付けながら大通りを横切って反対側へ渡り、路地裏に入った。通りのにぎやかな雰囲気とは一転して青年の靴音が響くほど静まり返り、明かりも疎らで薄暗く、不気味な感じさえする。青年は複雑に入り組んだ路地を迷いもせず歩き続け、ある雑居ビルに到着した。地下へ続く階段を駆け降りて大きな木製の扉を開けると、ドアベルの音が店内に響いた。
「お!いらっしゃい、ニック。今日もいい情報が入ってるよ」
青年――二ゼル・クェルフェン(愛称ニック)――にオーナーがグラス拭きのクロスごと手を上げた。店内に置かれた五つのテーブルは満席で、大ジョッキ片手にライフルや剣、弓を脇に置いた大男たちが自分の武勇伝を自慢しあっている。ニックは重たい鞄を下ろすとカウンターに腰を下ろし、ウィスキーを注文した。フードを脱ぐと黄金色の髪と同色の瞳をした端正な顔立ちの青年だと分かる。ニックがマントを脱いでいる間に、オーナーはグラスをカウンターに置いていた。
「今週の依頼はどれ?」
オーナーは背後にあるコルク製の掲示版の右上と中央あたりを指さした。ニックはウィスキーを一口飲み込む間に依頼内容のチェックを完了する。
「どれもパッとしないな」
「世の中が平和すぎるのさ。お前さんらみたな優秀なハンターには稼ぎが悪いかもしれねぇな」
ニックは週末になるとモンスターハントで副収入を得ている。金曜日の夜は王都内の情報屋へ出向いて依頼をチェックし、割のいい依頼はその場で、判断に迷う時はリーダーに相談して引き受けている。この日はニックの目に留まるような依頼はない。
「他はないの?」
店内に溢れる大男たちの笑い声に紛れてニックが尋ねる。オーナーはニヤリと笑うと、ズボンのポケットから四つ折りになった紙を一枚差し出した。ニックはそれを受取るとその中身を確認する。
「難易度マックスだな」
オーナーは依頼内容に一言付け加えた。
「こんな依頼見たことないぞ。依頼主はウィリアム・マクラウドじゃないか!」
オーナーが指を立てる。ニックははっとして横目で店内を確認した。
「そうさ。ちょっとしたコネで手に入れたんだ。なに、国王陛下も昔は下町で俺らみたいな情報屋やバーテンと仲良くしてたのさ。お前さんは知らんだろうが、今でも陛下はお忍びで馴染みの店に来るってもんだ。その店主が陛下の話を聞くうちに、この依頼になったわけだ」
「マジかよ」
「お前も暗黒の森のことは知ってるよな?」
ニックが頷く。十日前、ルクスシティの東南に広がる暗黒の森に突如、黒騎士団が現れたというニュースが駆け巡った。彼らは黒衣を纏った竜騎士団で、魔界各地を荒らしまわっている。その指揮官は燃えるような紅い髪と瞳をしたアレクと呼ばれる男。横行する彼らの行為に、国王であるウィリアムは手を焼いていた。
今回、黒騎士団が現れたのはルクスから直線距離にして約二十キロという近距離で、城内は大騒ぎになったそうだ。ウィリアム王も厳戒態勢を敷き、ルクスの警備を強化している。何回かスパイを送り込んで詮索も行ったのだという。
「だが、帰って来た奴は一人もいないそうだ。殺されたか、傷を負ったところを魔物に食われちまったか、捕虜にされてるかは分からんがな」
幸い、黒騎士団側に目立った動きはない。しかし、彼らが現れてからすでに十日が経過しており、ルクス住民の不安も大きい。ウィリアム王も事態の収拾を図りたいが、黒騎士団に関する情報が少なすぎて兵士を送り込めず、お困りの様子。
「アフスベルク様の力を借りればいいんじゃないの?」
「それがな、大精霊様は別件でそれどころじゃないらしい。詳しくは知らんがな」
王の内縁の妻であり、時の精霊でもあるディアは、黒騎士団が魔界に現れた同日、眷属からの知らせに憤慨した。今は破壊された「時の門」の修復に手こずっているのだが、その犯人が黒騎士団のアレクである事実は、死の精霊ノインとの約束によってウィリアムに伝えられることはなくなってしまった。
ニックはもう一口含んで紙に目を落とす。依頼の内容は、黒騎士団に関する情報―――騎士の人数、ドラゴンの数、装備、食料の備蓄量、統率者は誰か、目的などを持ち帰ること。その報奨金はコルク版の依頼とは桁違いだ。相手が黒騎士団であるならまっとうな金額にも見える。
「その分死ぬ確率も高いがな。…どうする?」
オーナーが目を覗きこんでくる。ニックは、取りあえず保留にしたい、遅くとも明日の明朝には連絡できると言った。
「構わんよ。自分の命は大切にな」
ニックは胸ポケットからメモ帳を取り出して依頼内容と報奨額をメモし、ズボンから銀貨を取り出してオーナーに支払うと、店を後にした。再びブリックストリートの人ごみの中に紛れ込むと、今度はエアポートへ向かう。途中、屋台でローストされたサラクイン(犀のような魔物)のトルティーヤを買い、食べながら移動した。
エアポートの前では二人がすでに待っていた。一人は青い髪のスーツ姿の青年。もう一人は金髪の学生服姿の少年だ。ニックの姿を捉えた少年が笑顔をみせる。
「ニックさん!お帰りなさい。いい依頼はありましたか?」
「まぁ、焦るな。取りあえず家に帰ろうぜ。ゼクス、俺、酒飲んじゃったから操縦頼む」
ニックは青い髪の青年――ゼクス・ボルライ――に言った。ゼクスは軽くため息をついて「そう言うと思った」という顔をしている。ゼクスと少年――エルヴィス・D・オークフェン(愛称エルディオ)――とニックはエアポート内に入って離陸許可を取ると、自分たちの飛空艇に向かう。
飛空艇は立体駐車場のような地上三十階、地下二十階構造のビルの中に整列している。広大なビル内の移動はエレベーターと遊歩道が助けとなる。飛空艇に乗り込むとゼクスが慣れた手つきでエンジンに点火し、計器をチェックする。操縦桿を握ってしばらくすると、船内に管制塔から離陸時間と滑走路番号の指示が流れた。
八方の放射状に伸びた滑走路の先から垂直離陸した後は、行き先を入力すれば目的地まで自動操縦で運んでくれる。三人を乗せた船は夜空に飛び立っていった。
「やっぱり俺の船は最高だ」
ニックは眼下に広がる夜景を眺めながら呟いた。この飛空艇はニックが製作したもの。自慢の作品に揺られて夢見心地のニックに操縦席から低い声が聞こえてくる。
「ニック。お前が眠る前に依頼の内容を聞きたいんだが」
「何で俺が眠たいって分かるんだよ」
「どうせ情報屋へ行く前にも何軒か飲み屋をはしごしたんだろう?それに普段なら、こっちが聞かなくてもペラペラしゃべりだすのに、今日は静かだ。お前は酔うと無口になるからな」
ニックが呻く。
「ニックさんが酔っぱらうなんて珍しいですよね。どのくらい飲まれたんですか?」
「う~ん、赤ワイン一本とボトルキープしてたウォッカを三杯とウィスキー一本と…」
「もういいです」
エルディオが話を遮って本題に戻した。
「それで、いい依頼はありましたか?」
「あぁ、あることにはあったんだけど」
「けど?」
ゼクスの青い瞳が左に動く。エルディオも興味深々だ。ニックは情報屋で聞いてきた依頼内容を二人に伝えた。初めは稼ぎがいいだけかと思っていたら、その内容を聞いてエルディオの表情が曇る。
「どうするリーダー?俺的には引きうけてもいいかなって思ってるんだけど」
ニックはゼクスの方へ首をかしげた。ハントをするときは、ゼクスがリーダーなのだ。ゼクスは無言で悩んでいるようだった。エルディオは危険すぎると引き受けには反対してニックとなにやら議論になっている。二人ののやり取りが続く間に、飛空艇は自宅に到着した。
三人の自宅は、北総と南総の境界線にあたるアシュタロス山脈の麓にある。街から離れた森の中にぽつんと立つ白壁が目を引く一軒家だ。地上に見えている部分は文字通り家だが、地下には武器庫と飛空艇の格納庫が備え付けられている。建物はゼクスの所有であり、ニックとエルディオは同居している。自宅に到着した三人は、一先ずリビングに入って情報を整理することにした。
まず、黒騎士団とマクラウド一族は対立関係にある。マクラウド一族とは、ウィリアム王とその兄ジークを中心とした巨大勢力のことで、ジークは地上界ラフォリィ国王でもある。その面々は錚々たるもので、両国の王に加え、ルクス大聖堂に仕える大司祭ラカリーニ(ジークの娘)、魔界軍の大将アシュー、時の精霊ディア(ローラの娘)、地上界ラフォリィ国王妃アランシア(エラル国王の娘)、ジークに仕えるグリフォンであるフェザー、地上界エラル王国の大司祭ローラ(ジークとウィリアムのいとこ)、ローラに仕える氷狼シロ、そして死の精霊ノルグランセ・インリディラの計十名である。
一方、黒騎士団は新勢力でありながら着々と勢力を伸ばしている、自称「義賊団」と名乗る集団だ。彼らは王の目が届きにくいのをいいことに、地方の領主や地主たちの家を襲って金品や食料を略奪して回り、それを民にばらまいている。標的になった建物は跡形もなく焼きつくされるか破壊され、関係者は全て殺されている。
貧しい者たちに支持を受けるものの、貴族や領主たちの反感を買って幾度か小競り合いも起こしている。しかし黒騎士団は貴族たちの私兵・騎兵を悉く返り討ちにしてしまっていた。
中心メンバーは四天王と呼ばれる四人の騎士。四天王には固有のカラーがあり、跨るグレートドラゴンの鎧兜には必ずその色の飾り羽があしらってある。赤のアレク、緑のジハード、青のミュレル、橙のルシータ。中でも黒騎士団の総指揮官であり、最強の剣士と言われるのが赤のアレク。彼が跨るグレートドラゴンはドレイクと呼ばれており、獰猛な性格で有名だ。
この荒くれ者たちをウィリアム王が放っておくわけはない。しかし、どんなに魔界全土を捜索しても彼らのアジトは未だに見つからず、四天王やその組織についても詳しいことは分かっていない。
貴族に任せきりにするわけにもいかず、ウィリアム王自ら攻勢を仕掛けた事もある。勝敗は五分五分といったところで、ウィリアム王に少し軍配が上がっている程度。もちろん、ウィリアム王が兄ジークに助けを求めれば、完全にマクラウド一族の勝利なのだが。
「ところで、黒騎士団はどうして突然、暗黒の森に現れたんでしょうか?」
エルディオの言うことはもっともであり、わざわざ敵対関係にあるウィリアム王のお膝元であるルクスシティの近くに黒騎士団が現れるメリットはないはずだ。
「十日間も何をしてるんでしょうか?」
確かに十日もいたらすぐに怪しまれるし、普通はすぐに撤退するはずである。
「スパイの詮索が失敗したということは、四天王がいるとうことでしょうか?」
ウィリアム王も馬鹿ではない。相手が黒騎士団なのだから、優秀な人材を選んで送り込んでいるはずだ。にもかかわらず、一人として帰ってこないということは、騎士団側に四天王かそれに匹敵する騎士がいると考えていいだろう。
暗黒の森は巨大な木々が生い茂り、凶暴な魔物が多い。仮に依頼を引き受けたとしても低い草木が少ないため身を隠せる場所は少なく、魔物と戦闘になれば騎士達に気付かれる恐れがある。依頼内容をクリアするためには慎重に近付かなくてはならない。逆に、その環境によってスパイが失敗したようにも思えた。
「依頼内容が『騎士団の撃退』じゃないだけマシだよな」とニックが言う。
あくまで今回の依頼内容は情報収集である。無理に戦う必要はない。ニック曰く、「チラ見してさっさと帰ってこようぜ」とのことだった。
「でも、もし見つかったらどうするんですか?殺されるかもしれないんですよ」
「その時は適当に話をでっち上げとけよ。俺たちの格好を見ればハンターだって分かるんだしさ。仕事で偶然通りがかっただけなんです、って」
「それ、『依頼主を恨むんだな!』って言われる、一番危ないパターンだと思います」
作業着をつまんで話すニックにエルディオは冷ややかな言葉をかけた。
「俺はニックの意見に賛成してもいい」
今まで黙っていたゼクスが口を開いた。エルディオは「えぇ!?」と驚きの声を上げた。
「黒騎士団に近づくだけなら、きちんと準備をすればさほど難しいことではないだろう。それは陛下が送り込んだスパイも同じだったはずだ。俺が気になるのは、何故スパイは黒騎士団に近づいておきながら、引き返さなかったということだ」
「あ…」
「俺の単純な思い付きかもしれないが、陛下のスパイは、黒騎士団のキャンプで『何か』を見てしまったのではないかと思う。その『何か』のせいでスパイは帰れなくなった。それは黒騎士団が何が何でも隠し通したい、極秘情報なんだろう」
ゼクスはさらに続ける。
「その『何か』は、訳あって今はそこから動かすことができない。おそらく厳重に守られている。そして、それこそが黒騎士団の目的であるように思うんだがな」
「なるほど。スパイは王から黒騎士団の目的を掴んでこいと言われているから、そいつを見ないわけにはいかなかった」
「もしくは、それを持ち帰ろうとした」
「そして騎士達に気付かれて帰れなくなったんですね…」
「恐らくな。だから俺は、ニックの『チラ見』に賛成だ。必要以上の詮索はよそう。報奨額は多少減るかもしれないが、相手は黒騎士団だからな。まともに戦って勝てる相手じゃない。危ないと思ったらすぐに引き返そう」
話がまとまった所で、ニックは情報屋のオーナーに電話をかけ、正式に依頼を引き受ける旨を伝えた。三人は早速、明日の出発に備えて準備を始めた。