昔の話(二)
「あなたの名前はハウス君です。私が困ったときは助けてくださいね?」
彼女は一人、箪笥に向かって語りかけていた。箪笥から返事はない。
彼女がドラえもんひみつ道具大辞典を拾ってから3週間が過ぎた。彼女はその本を穴が開くほど読んで、研究して試行錯誤を繰り返した。そうしてようやくできたのが、このハウス君と呼ばれたものであった。
このハウス君という彼女が造ったモノは置かれた家を把握、掌握。いわば家を一つの生き物にしてしまうと言えば解りやすいだろう。ふんだんに神力を使い空間を操る、モノを固定させる出したりしまったりするなど。このハウス君と呼ばれた箪笥の意志で、ありとあらゆる事が可能なのである。動力は家の中にいる彼女自身の神力であり、いわば彼女が心臓であり主人である。
「これからよろしくお願いしますね。一緒にこの神社を盛り上げていきましょう」
返事はない。だけど彼女には何か伝わるらしく静かに微笑んでいた。
神主は家が生き物になった事などつゆとも知らず、相変わらず食っちゃ寝を繰り返していた。自分がナニカの胃袋の中にいるとも知らずに。
それから3か月の月日が流れた。彼女も神主の生活に慣れたようで太ろうが馬鹿笑いをしようがなんとも思わなくなっていた。なにより、もうすぐ年明けなのだ。彼女はこの時をずっと待っていた。この神社にだって元日にはたくさんの人が来るだろう。とても忙しくなるのは理解していたのだが、それが楽しみで仕方ない。この神主だって元日くらいは神職者らしい振る舞いをすることだろう。
「はーやくこいこいお正月~♪」
彼女はハウス君にもたれながら調子よく歌っていた。
神主が彼女の前で神職者らしい振る舞いをすることは、最後までなかった。
事が起きたのは十二月に入ってすぐである。
彼女はソワソワしていた。この神主が元日のための準備をするのを毎日毎日、今か今かと待ち構えていた。そんな時、一人の来訪者があった。
「すいませーん、お祓いを頼みたいんですがー。誰かいませんかー?」
彼女はばっと反応して神主の方を見た。ついにきた・・。元日が近づくとこういった客が増えるのである。年の節目である新年元旦正月にお祓いをしてその年を気持ちよく迎えようというのだ。
彼女は息を殺し、神主が動くのを今か今かと待ち構えた。だけど、息を殺していたのは彼女だけではなく神主も同様であった。テレビの音を消し、ジッとその場に止まって人としての気配を消していた。
客が誰もいないと判断し、帰っていくのをただじっと待っていたのである。
驚愕。という言葉では、彼女の心中を察するには些か物足りないであろう。有名な神社の神様の娘として生まれた彼女は、神職者というのは人々から頼まれごとをされれば、こんな具合に無下にすることなどそれまで見たことがなかった。誠実に対応するのが当たり前だと思っていた。
客は帰って行った。神主はテレビの音量を元に戻し、ほっと胸を撫で下ろしていた。胸を撫で下ろしていた。胸を撫で下ろしていた。胸を撫で下ろしていた。ムネヲナデオロシテイタ。
彼女はいたたまれなくなり、目に涙をためてそっと部屋から出ていってしまう。
そうして廊下に出た彼女は泣いてしまうのをぐっとこらえていた。もうすぐ元日なのだ・・。その頃になればあの神主もきっと変わるだろう。元日は彼女にとって、もっとも近くにある希望そのものだった。
そんな事を考えていると、なぜだか神主も部屋から出てきたのである。
彼女は神主の姿を見て、事もあろうに期待してしまったのだ。さすがに申し訳なくなって、あの客を今から追いかけるんじゃないかと。
その瞬間、ボヘへへへエエェェェと神主の尻からけたたましく不快な音が鳴り響いた。
彼女は驚きのあまり目をひん剥き、放心して立ち尽くしてしまう。神主は不快な笑みをたたえながら彼女の横を通り過ぎて行った。彼女はまだ、眼前でなにが起こったのかを理解できないでいる。
客をないがしろにしたあげく、認識できていないとはいえ神の前で神職者が放屁するなんて。そんな事・・・あっていいはずがない・・。
彼女はその場にへたりこんでしまった。後ろでバタンッとトイレのドアがしまる音がする。
彼女はついに泣いてしまった。声こそあげないものの、へたりこんだまま涙がポロポロこぼれた。その涙は廊下にしみこみ、ハウス君にまで届いていた。
気が付くと彼女は布団を被って寝かされていた。ハウス君が移動させてくれたようだった。
「恥ずかしい所を見せてしまいましたね。でも、もう大丈夫です。ありがとう。」
彼女は箪笥に向かって腫れた目で健気に笑ったのだった。
神主はトイレに入ったまま、出てくることはなかった。
「え・・・?終わりですか・・・?」
「はい、長いトイレだなーとは思っていたんですが、トイレの鍵も何時しか開いていて、私も神主の事すっかり忘れちゃったんですよね・・・」
いやいやいやいやいや。




