逃げられないのさ
僕は勢いよく障子を開いた。障子は滑り、少し大きな音を立てて止まる。僕が慌てていることに驚いているのだろう。彼女は目を丸くしてこちらに顔を向けた。
「どうしたんですか?慌てちゃって」
「廊下が全然歩けないんです!」
「歩けない?滑りましたか・・?」
「いや、進まないんですよ!歩いても歩いても!」
彼女は何か得心がいったようで、あーという感じでニヤニヤした。そうして僕から興味がなくなったように、コタツの上に置いてあるお茶をすすって美味しそうにほっと一息つく。
見れば彼女の向かいにはもう一つ湯呑が置いてあり、僕が席を立った後、僕の分までお茶を入れてくれたらしい。ちょっと嬉しかったのだけど、今はそれどころじゃない。僕は彼女の向かいに座り、まだ落ち着かない頭を無理矢理落ち着かせ、何かを知っているだろう彼女から今の現象を聞き出そうとした。
「なにか知ってるんですか?あんなこと初めてなんですけど?」
彼女は目を細め優しげな表情でこう言った。
「本当にトイレに行こうとしましたか?」
「え・・・」
僕は言葉を失う。確かにトイレには行こうとしていない。でも、それがどうしたのだ。進めない廊下との関係が僕には一切見えてこない。
僕が余計に混乱してしまったのが伝わったのだろう。彼女が答えを言ってくれる。
「この家は私が許可した事以外はできないようになっているんです。」
また、僕は言葉に詰まってしまう。家にそんな仕掛けを施せるのだろうか。できるはずがない。だけど、そう考えると辻褄が合ってしまう。つまり、彼女はトイレに行くことは許したが、ここから逃げることは許していないということなのだろう。にわかには信じがたい。彼女はニコニコしていて、僕が心底驚いていることに満足しているらしかった。
「というかトイレに行かないで、どこに行こうとしてたんですか?」
驚いてる最中に投じられたその質問に僕は動揺を隠しきれない。口の中が乾いて呼吸すらままならない早く答えなければ。炬燵の向かいに座るのは最早得体のしれないナニカであり、下手な答えを返せば何をされるかわからない。だけど、混乱している頭ではどうしたって、まともな言い訳を考えられるはずがない。逃げようとしてましたと正直に告白するか?できるはずがないだろう。
「そんなことはどうでもいいんです、あなたのしたいことしかできないなんて、どんな仕組みなんですか?」
「まず私の質問に答えてくださいな」
話は逸らせない。彼女はニコニコしていて、感情が読みづらい。わりと今、人生の中でピンチなのではないだろうか、まさかトイレに行くふりをしただけで、ここまで追い詰められるとは思わなかった。僕は乾いた喉を潤すために彼女が淹れてくれたお茶を飲む。それはとても熱くて苦かった。




