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いじわるフィアンセ  作者: にゃーせ
round 1 そして、戦いの幕が切って落とされた
5/20

 

 あれはわたしがまだ九歳になる前のこと。

 わたしはプリンスことケイン以外にも、ある男性に恋をしていた。

 相手はユーフェミアの婚約者、アウトライム王国の第一王子フィリップ様。

 あの頃、よく部屋で彼の肖像画を眺めている姉の元へ押しかけては、飽きもせず一緒になってその絵を見ていたものだったわ。


「ねえ、ユーフェお姉様、今幸せ?」

 わたしの問いかけに、姉は決まって同じ答えを返してくれた。優しく微笑むユーフェミア。幼いわたしには、彼女の笑顔が喜びに満ち溢れているかのように見えたのだ。

「幸せよ、当たり前じゃないの」

「そうよね……」

 こんなにも素敵な王子様に嫁ぐんだもの。幸せに決まってるわよね。

 わたしは愚かにもそう信じ込んで、うっとりとフィリップ王子の絵を、姉の横で見つめ続けていたのだった。


 絵の中の青年は、ウェーブのかかった肩までの金髪をさりげなく下ろして、青い宝石のような煌めく瞳で涼しげにこちらを見つめていた。

 知的な印象を与える唇は生き生きとした笑みを湛えており、彼が美しいだけでなく聡明さをも兼ね備えていることを物語っていた。


 完璧な王子姿に、わたしは心底ユーフェを羨ましいと妬んだ。そして、いつか自分もユーフェのような王子様の元へ嫁ぐのだと、心に強く誓ったりもしたのだ。


 今思い返すと、本当に馬鹿だったと思う。でも仕方ないわよ、だってまだ、たったの八歳だったんだもの。


 それから月日が経って、ユーフェミアの婚礼の日が近づき、いつの間にかわたしは九歳になっていた。

 アウトライムの素敵なフィリップ王子に会いたくて、わたしは姉の式に参列したいと両親に駄々をこねた。

 末娘に甘い二人は結局、兄と共に出席するのを認めてくれたのだ。

 わたしは喜び勇んで、花嫁の姉や父の名代で参列する兄と旅立つ。

 

 でも、それが間違いだった。

 おとなしくハーディアで嫁ぐ姉を送り出せばよかったと、あとで何回後悔したことか。

 

 ユーフェの花嫁姿は、それはそれは本当に美しかったわ。

 あの時姉は十六になったばかりで、まさに咲き誇る華のように、目映い美を放つ花嫁だった。

 

 だけど……

 

 隣に立つ花婿は違った。

 

 ユーフェミアの横にいたのは、美しい貴公子でも何でもなかったのだ。

 

 遠目からでも、彼の金髪はくすんでいてまとまりなく乱れているのが分かった。要はボサボサ頭ということ。晴れの日だというのに信じられない醜態だった。

 祭壇から振り向いた新郎新婦を見てわたしは更に驚いたけど、子供ながらに大声はまずいと思い我慢する。

 新郎の王子は、絵の青年とは似ても似つかぬ風貌だった。

 痩せて神経質そうな顔立ち。小柄な姉とも体格的に差異がない。と、言うことは男としてはかなり背が低いってことになる。

 彼は確かに青い目をしていたけれど、それはとても小さくて宝石のようには見えなかった。

 豆粒みたいーー、当時のわたしはそう感じたもの。開いているのかどうかさえ、目を凝らして見なきゃ分からないほどだった。

 知的に描かれていた唇は花嫁の美しさに見とれてしまったらしく、だらしなくポカーンと開いたままで……。

 そりゃあ、ユーフェは綺麗だったわよ?

 だからユーフェに見とれるその気持ちも、わたしにだって分かるわよ。だけどあまりに酷いんだもの。あまりに不釣り合いで許せなかったの。

 知性の欠片も感じられない花婿と、横に俯くように佇む花嫁。

 これがどういうことか分かる?

 つまり、わたし達はアウトライムに騙されたってことだわ。

 

 あちらは最初からこれを狙っていたのよ。

 そのために、王子の絵を本人とは全く違う美しいものに謀り、それを肖像画と偽りこちらへ送ってきた。

 麗しい青年の絵に誑かされて、姉は沢山の縁談の中からフィリップ王子を選ぶ。

 結婚式まで二人は会うことはない。

 気づいた時には神の前で誓いを立てた後で……、時既に遅しというわけよ。

 

 このやり方にわたしは激しい怒りを覚えた。このままではハーディアの沽券に関わるって思った。

 式のあとわたしは子供らしさを装って、姉に最後のお別れをさせてとアウトライムの国王に直談判をしてやったの。

 押し問答の末なんとか面会を許され、渋る兄を引き連れてわたしは一人で待つ姉の元へ急いで行った。


 ユーフェはぼんやりとした表情で、通された部屋の中で待っていたわ。その目には何も映ってはないかのように輝きが消えていた。

 無理はないと思ったわよ。何てかわいそうな花嫁なのって。

 わたし達が入ったと同時に頭を下げ退室した侍女を見送ると、わたしは彼女に飛びつきこっそりと耳打ちした。


「ユーフェお姉様、帰るわよ」

「えっ?」

 キョトンとわたしを見返すユーフェミア。

「何を言っているんだ、エミリィ」

 姉だけでなく、兄のラウルフでさえ、アウトライムのやり方を何とも思ってないようだった。わたしには驚愕だったわ。

「だって、フィリップ様はあの肖像画と似ても似つかぬお顔だったじゃない。お姉様は騙されたのよ?」

「そうか? お優しそうな方に見えたけど。ユーフェ姉様にベタ惚れだったじゃないか」

「もう、兄様は出て行って!」

 乙女心と男の美醜に疎い兄を部屋から叩き出し、わたしは沈んだ表情の姉の手を取る。

「お姉様、大丈夫よ。わたしが証人になってあげる。ハーディアに帰ったら教会に婚姻の無効を申請しましょう。わたし達は騙されて結婚式に連れて来られたの。このことを知ったら、教会だってきっとこっちの言い分を分かってくれるわ」

「何言ってるの、エミリィ。冗談は言わないで」

「いいからいいから、とにかくわたしに任せて。それで国に帰ったら、お姉様の初恋の騎士に告白しましょうよ。わたし、断然応援してあげるから」

「はっ?」

 目を丸くして固まるユーフェミアにわたしは詰め寄った。

「ユーフェお姉様ったら、自分のことなのに忘れているの?」

 わたしはその時不意に思い出したのだ。ユーフェミアには心に秘めた想い人が、ハーディアにいたことに。

 あれはその時から遡ること三年前。わたしがまだ六歳だった頃のこと。

 ユーフェミアにせがまれ、騎士の過ごす宿舎棟に付き合わされたことがあった。

「ほ、ほら、忘れた? 厨房を借りてお菓子を手作りして、憧れの騎士様に渡すんだってお姉様張り切って作ったことがあったじゃない」

 結局その騎士の名前は恥ずかしいからって教えてくれなかったけど、宿舎から出て来た金髪の騎士にユーフェは走り寄って行って、彼に自分が作ったお菓子を渡したのを覚えている。

 木陰からこっそり、その勇姿を覗き見ていたわたしの記憶に間違いはない。ユーフェは輝くような笑顔で彼を見上げていた。

 背がすらりと高い騎士様は突然近寄ってきたユーフェに優しく微笑み返し、無理やり渡されたお菓子を嫌がる素振りもなく受け取ってくれてーー。

 残念ながらもう顔とかすっかり忘れてしまったけど、少なくともフィリップ王子よりは、数倍は素敵な人だった筈だ。

「ば、馬鹿なこと言わないでよエミリアナ。あなたったら本当に子供なんだから」

 顔を強ばらせるユーフェミアは、わたしの話を全く取り合おうとはしなかった。

 その頑なな態度に、姉を縛るのはもはや王女としての責任感だけだと感じて、そこにつけ込んだアウトライムにわたしは憎しみさえ覚えたのだ。

「だって、酷い裏切りじゃない。フィリップ様があんなお顔をしていたなんて、これじゃこの先彼を信頼なんて出来ないでしょう?」

 涙が出てきた。まんまと罠にはまった姉が哀れでしょうがなかった。こんな結婚がまかり通るなんて、わたしにはどうしても許せなかったのだ。

「酷いわよ、お姉様の気持ちを踏みにじって……、わたしの、わたしの心もむちゃくちゃよ……」

 ユーフェミアは泣き喚くわたしの背を優しく撫でてくれながら、落ち着いた声で諭してくれた。

「エミリィ、わたしは帰らないわ。アウトライムでフィリップ様と一緒に、この国を一生支えていくつもりよ」

「え? だって、お姉様……」

「わたし、分かっていたの」

 何を?

 泣きじゃくるあまり声も出せないわたしに、ユーフェは穏やかに微笑んだ。

「フィリップ様が本当は、あの絵の王子様とは違うってこと」

 分かってた?

 ど、どういうこと?

 分かっててお姉様は嫁いで来たってこと?


 あまりの衝撃にわたしは腑抜けのようになってしまって、当然のごとくアウトライムに残るユーフェミアを救い出すことは叶わず、何の役にも立たない愚兄と共に、このあと泣く泣くハーディアへ帰るしかなかった。


 その後、ユーフェからは折に触れ手紙が届き、王女にも恵まれそれなりに幸せに暮らしていることは分かったけど、この出来事はわたしに大きなトラウマを与え、それ以降、絵の中に描かれただけの男性に恋をすることはなくなる。


 姉の結婚でわたしは学んだ。

 わたしはユーフェとは違う。騙されて結婚なんて絶対にするもんですか!

 そうよ、わたしに強烈な衝撃を与えてくれたアウトライム王国、そんな国の王子とお見合いなんて断固として拒否してやるわ。


 だけど、どうやって?

 刻一刻と、わたしがアウトライムへ旅立つ日が近づいている。

 目の前へと迫りくる期日に今や焦りしか生まれない。



「何てことかしら、困ったわ」

 日々悶々と過ごすわたしの耳に、ルイーズの悲痛な声が聞こえてきた。

「何が困ったのよ」

 キャリーが「困った、困った」とうるさく騒ぐルイーズをたしなめる。

 わたし達は三人でチクチクとお針り子仕事をしていた。アウトライムへ持参する、産まれたばかりの王子様へ献上する祝いの晴れ着作りだ。

 小さな衣服は可愛くて眺めていると作業がちっとも進まない。だけど、これが仕上がったら嫌でも重い腰を上げなくちゃいけなくなる。自然、わたしの手は止まりがちになり、二人の侍女に任せっきりとなってしまっていた。


「ええ、今ね実家の父から手紙が届いたんだけど……」

 え? 手紙なんて届けられた? 嫌だわ、わたしったら全く気づいてなかったわよ。

 耳を澄ませるわたしの横で、ルイーズはキャリーに向かって愚痴をこぼし始めた。

「それがどうして困るのよ?」

 キャリーは黙々と針を動かしている。今はこのキャリーが一番頼りになる存在かもしれない。

「あのね、父が、近く帰ってきなさいって手紙に書いて寄越したの。エミリアナ様のアウトライム訪問はいい機会だから、お前はお暇をいただいてこちらで婚活をするようにって」

「ええ? 婚活?」

 わたし達は奇声を発して手を止めた。

 赤い顔で黙り込むルイーズを顧みる。

 ルイーズが婚活? 確かにルイーズもいつの間にか二十歳を過ぎてしまったし、恋人はいないし、お父上が心配される気持ちは分かるけど……。

「エミリアナ様、つい最近父が危篤との知らせが実家から送られてきましたでしょう?」

 ルイーズが彼女を凝視するわたしに向かって、怖ず怖ずと声を出した。わたしが頷くと、彼女は口籠もりながらも続ける。

「あれ、嘘だったんです」

「嘘〜ぉ?」

「はい」

 わたしの口からは、はしたないぐらい間抜けな声が出たわよ。ルイーズは主であるわたしの間抜け振りなんかどうでもいいらしく、俯いて事の顛末をポツポツと語り始めた。

「あの時、父はわたしを騙して家へと帰らせ、倍はありそうな年齢の男性との縁談を無理やり押し付けてきたのです」

 何てこと!

 お母様の比じゃないわ、凄いお父上ね。

「その縁談からはなんとか逃げ出したんですが、あれ以来うるさくて。しかも父の持ってくる話の相手と言うのが再婚やら、好色そうな中年の男性やらと酷くてですね」

「困っているわけね?」

「はい……」

 本当に酷い話だと思うわ。ルイーズはまだ二十そこそこなのに、そんな男性ばかりを勧めてくるなんて信じられない。

 かわいそうにルイーズは肩をがっくりと落として、塞ぎ込んでしまっている。父親の暴挙にどうすることも出来ず、逃げ出すことすら出来ないのよ。

「わたしは結婚そのものを嫌だと言ってるわけではないのです。ただ父が勧める縁談は……」

 歯切れが悪い言い方に彼女の本心が透けて見えた。分かるわ、ルイーズもわたしと同じくらい面食いだもの。

「わ、わたしだっていつまでも、一人でいるつもりはございません。ただ、今回のご奉賀に同行出来ないなんて、そんなの我慢ならないんです。口惜しくて口惜しくて諦めきれないのでございます」

 遂にはさめざめと泣き出した侍女に、わたしは胸を反らして叩いてみせた。

「それなら簡単よ、嘘も方便て言うじゃない。付き合っている人がいるとかなんとか適当な返事を出して、婚活の必要はないことを匂わせばいいのよ。向こうは疑いながらも一応は、あなたの話を信じるしかないでしょうからね」

「え、ですが、エミリアナ様……」

「お父上とは離れて暮らしているんだし、あっちも今すぐ確認になど来れやしないわ。その間にアウトライムへと旅立ってしまえば、しばらくは時間が稼げるじゃない」

「殿下……」

 ルイーズが泣くのをやめて、わたしに感謝の眼差しを向けている。今までこんな些細な手立てすら取ってなかったことは驚きだけど、根が真面目なルイーズのこと、嘘をついて両親を騙すことは忍びなかったのだろう。

 そうよ、何も難しいことはないのだ。彼女の両親だって娘を騙して縁談を成立させようと姑息な真似をしていた。こちらばかりが必要以上に清廉潔白でいることも、小狡いことは駄目だと気にやむこともなかったのだ。


「いい、ルイーズ。何も完璧に全てを騙す必要はないのよ。一時だけ敵の目を欺けることが出来れば、それでーー」


 わたしは何かに気がついて言葉を切った。

 ちょっと待って、胸が激しく鳴っている。

 今の話、もしかしてこれって、わたしにも使える有効な方法ではなくて?

 

「そうよ、そうなんだわ」


 あまりにも簡単過ぎて、今まで頭の中に浮かぶことすらなかったやり方。

 だけど、よくよく考えればシンプルこそが一番だわ。簡単過ぎる言い逃れだからこそ、誰の目にも疑うことを躊躇させるのだとしたら?

 あまりにも馬鹿馬鹿しい話だと、いくら何でもこんな出任せ言う筈ないってね。


「遂に見つけたわよ!」

 わたしの叫び声にルイーズやキャリーがびっくりして目を見開いている。

「エ、エミリアナ様……?」

 呆気に取られる侍女の手を、わたしはぎゅっと握りしめた。

「ありがとう、ルイーズ。あなたのお陰でわたしの件までなんとかなりそうだわ」

「あ、あの……?」

 首を傾げる彼女にふふふと笑いかける。

「今は分からなくてもいいのよ。安心してわたしに任せていればいいから」

「は、はあ……、分かりました」


 素晴らしい思いつきに暗澹たる気分が数日振りに晴れやかで清々しいものへと変わっていくのを、わたしはしみじみと噛みしめるのだった。


 まさかその先にとんでもない未来が待ち構えているなんて、露ほども想像することはなく。




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