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「本当にエミリアナにも困ったものだわ。もう十五にもなるというのに婚約もせずに遊びほうけていて。わたしがこの娘の年には、とっくに結婚を決めていたと言うのにね」
朝食の席では毎度のことながら母の愚痴が始まる。少し前までは兄の王太子の素行についてだった。現在はわたしの縁談について、母の心配は次から次へと尽きないらしい。
「縁談なら王太子のラウルフレッドもまだ決まってないじゃないか。末っ子のエミリアナよりラウルフの方がーー」
父の国王クリストバルが、わたしを気遣って助け舟を出してくれる。だけどあまり当てには出来ない。だってお父様とお母様の力関係なんて、どこをどう見てもお母様の方が上なんだもの。
「まあ、あなた。男と女は違いますよ。ラウルフは二十一になったばかり、まだまだ子供のようなものですわ。それにラウルフはあなたのあとを継ぐのですよ。おいそれと結婚を決めてしまうのは却って危険だわ。じっくりと吟味して、素晴らしい王妃候補を見極めなくては」
「そ、そうか……?」
「そうですよ」
強引に我を通す母に、やっぱり父は負けてしまった。まあ、そんな気はしていたから別にがっかりはしないけど。
「とにかくエミリィ、真面目に考えてちょうだい」
「は、はあい」
のん気にしている場合じゃなかった。いつの間にか魔女のように怖い顔をした母が、こっちを凄い目つきで睨みつけているじゃないの。
「何ですか、その返事は? ふざけているなら許しませんよ」
今朝の母はどうやら本気らしい。いつもの緩い部分がすっかり影を潜めている。
「ふ、ふざけてなんかいないわよ。ちょ……、ちょっとびっくりしただけで……」
わたしは慌てて果実水を飲み込んだ。喉につかえて激しくむせる。胸を叩いて咳をするわたしを、母はにこりともせずに見つめているだけだった。
こ、こわ……。
料理なんて悠長に食べてる場合じゃないんじゃない? 今すぐこの場を抜け出したいんだけど、どうしよう。
もう誰の助けも得られやしないのは明白だ。お父様は我関せずになってしまったし、兄様なんか最初から笑いっぱなしで明らかに面白がってるだけだしね。
辺りを窺いつつ席を立つきっかけを探していたら、不機嫌そうな声がわたしを牽制してきた。勿論、そんなことをするのはこの場には一人しかいない。
「あ〜あ、本当に嫌になるわ。寝不足は美容の大敵なのに、わたしは心労で夜もおちおち眠ることができないんですからね。アウトライムのユーフェミアから男子が産まれたと、長い間待ち望んでいた知らせがようやく届いたと言うのに、エミリアナのお見合い騒動のせいで喜びが半減してしまったわ。身近にこんな目障りなたんこぶがあったら、せっかくのおめでたい話もすっかり霞んでしまうと言うものよ」
はあ〜と、母のマルグリットはこれ見よがしにため息をつく。
たんこぶ? それってもしかしなくてもわたしのことなの、お母様?
て言うか、それよりもーー。
「お母様、今の話は本当なの? ユーフェお姉様に赤ちゃんがお産まれになったって本当のこと? 嘘みたい、信じられないニュースだわ。嫌だ、わたしったら何にも知らなかったじゃないの」
「ええ、本当よ。今初めて言ったんですから、知らなくて当たり前でしょ。エミリィはお馬鹿さんね」
「お母様!」
クスクスと父と兄が肩を震わせるなか、わたしは立ち上がるのをやめて、椅子に座り直した。
近隣の大国アウトライム王国に、すぐ上の姉ユーフェミアが嫁いだのは六年前。わたしは兄と一緒に結婚式に参列したからよく覚えている。
姉はそのあと、確か五年前に王女を産んで以来、子供を授かっていなかった。それがとうとう、世継ぎの王子を産んだということらしい。素晴らしい吉報だった。
「素敵ね、お姉様もさぞやお喜びでしょう」
ユーフェは何も言ってはこなかったけど、王女を産んで以来懐妊の知らせはなく、母はかなりやきもきと気を揉んでいた。それから察するに、姉がアウトライムで肩身の狭い思いをしていたのは、まず間違いないだろう。
王族の結婚は政略であることが多い。姉は大国の第一王子様に嫁いだ。両国間の力関係は明らかにあちらの方が上で、姉に求められていたのは、何を置いても後継ぎの王子を産むことだった筈だから。
「そりゃそうですよ。この度の男児誕生を、あちらでは国をあげて祝福している筈です」
と、めでたい話をしているくせに母の顔色は今ひとつ冴えない。つまり、わたしがたんこぶだから?
「そう、本当によかったわ。お姉様もきっとホッとなさっているわよね。ああ〜、久しぶりにお会いしてお話ししたいわ。赤ちゃんにも、上の王女様にもお会いしたいし……、て、あの……、どうなさったの、お母様?」
大げさな身振り手振りを交え、母の気を逸らすべく奮闘していたわたしを、何故か当の母は目を見開いたままピクリとも動かず固まって、じいっとこちらを凝視していた。
何だか嫌な予感がする、何故かしら。
「エミリィ、あなた。今何て言ったの。もう一度聞かせてくれる?」
「え? だ、だから、お姉様に会いたいなって」
「そう」
いつの間にか、母は目をきらきらと輝かせて笑っていた。さっきまでの仏頂面はどこへやら、ふんふんとまるで口笛でも吹くような陽気な顔で父の方を向く。
そして、名案を思いついたと言うように、やおら口を開いた。
「ねえ、あなた。エミリアナに頼みましょうよ」
「えっ?」
何をなの?
言い知れぬ不安におののくわたしの前で、両親は何やら相談を始める。
「エミリアナに?」
父は母の提案に顔をしかめた。
「しかし、エミリアナはまだ子供じゃないか。それに君が言うように未婚の娘だ。道中何かあったらどうする?」
な、何なのよ、道中って。
「大丈夫ですよ。護衛もちゃんとつけるし、アウトライムはそんなに遠い国ではありません。エミリィの騎士達は皆とても優秀ですからね、あなただってよくご存知でしょう?」
寄せ集めばかりですけど……。てか、何の話をしてるのよお母様。
しかしーーと、いまだ思案顔の父を放って、母はわたしに笑顔を向けてきた。
「エミリィ、あなたユーフェミアに会いたいと言ってたわよね?」
「え? ええ……」
それが何か?
わたしは知らずごくりと喉を鳴らす。
「ならばあなたにお願いがあるの。男児誕生のお祝いを届ける使者となって、アウトライムへ行ってほしいのよ。お父様の名代としてね」
「わたしが?」
「ええ、頼める?」
「も、勿論よ!」
何だ、そんなことだったの? 脅かさないでよ、びくびくしちゃったじゃないの!
「行くわ、行く行く。ぜひ行かせて!」
わたしは興奮して叫び声を上げた。
母の気が変わったら大変だ。夢中になって「行く行く」叫んだもんだから、だんだん声もかすれてくる。
それにしても驚いたわ。母が今のような表情をした時は、決まってよくない悪巧みと相場が決まっていた。だから、今回も絶対とんでもないことを言い出す気だと身構えたんだけど、それは杞憂に終わったらしい。
それどころかアウトライムへ行けだなんて、すこぶる素晴らしい思いつきじゃないの。
押し寄せる縁談話から、一時とは言えわたしを解放してくれるなんて、本当にお母様とは思えないぐらい名案中の名案だったわ。
母のマルグリットは快諾したわたしを満面の笑みで見返したあと、渋面を浮かべる父に鳥がさえずるような軽やかな声で話しかけた。
「ねえ、あなた、アウトライムには婚約もまだの王子がおられた筈だわ。エミリアナとのお見合いをあちらに打診してみましょうよ」
な、何ぃ?
「お、お母様……、今何と?」
父はわたしの驚愕を無視して母に問い返す。
「エミリアナをアウトライムの弟王子とお見合いさせる気か?」
「ええ、そうですよ」
母もわたしを無視して父にたたみかけた。
「確かに次代の王ではない第二王子が相手では、ハーディアに生むべき利益はあまりないですけれど、エミリアナにそういう面で期待など、もうとても出来ないわ。そうでしょう? こうなったらもういいではないですか。相手が誰でも構わない、贅沢は言えませんよ。この娘がどなたかに嫁いでくれれば、一日も早くよい方と縁を結んでくれればそれで……、そうは思いません、あなた?」
そう言ったきり、涙ぐんだように目頭を押さえ沈黙する母に父は絶句した。
「マルグリット……」
感極まって泣き出した自分の妻に、父は大層感服したらしく感慨深げに頷く。
「君の、言うとおりだな」
ちょ、ちょっと、お父様。
だ、騙されてる、騙されてるわよお父様!
お母様にそんな殊勝な気持ちなんかないわ。全て計算づくの演技なのよ、長年連れ添っていて分からないの?
わたしは焦って声を絞り出そうとするけれど、からからに干上がった喉からはたんの絡まった咳が出てくるだけで、二人の気を引く言葉は一向に出てこないのだった。
「あなた……」
「マルグリット」
安っぽいお芝居みたいな両親の姿を、呆然と眺めているしかないわたしに、兄がニヤニヤと口元を緩めながらとどめの一言を言い放ってくる。
「諦めろ、エミリィ。お前じゃあの方達には勝てないから」
い、嫌よ!
必死に拒否して見せたのに兄はますます笑うだけで、何の便宜も図ってくれる気はないらしかった。
「アウトライムへの旅行を楽しんでくればいい。六年前だろ、前回行ったのは」
ユーフェお姉様の結婚式の時のことだ。
脳裏に当時の記憶が蘇り、激しいトラウマが呼び起こされた。
嫌だ、嫌だ。何とかしなきゃ。
アウトライムへお見合いに行くなんて、絶対にやめさせなくては。
わたしは途方に暮れながらも、良案を見つけるべくなけなしの頭脳を総動員して、懸命に解決策を探していた。