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「び、びなんし……?」
突然、大きな声を張り上げたわたしにびっくりして、リアン王子はビクッと後ろへ体を後退させた。
そんな王子に向かって身を乗り出すように近づいていくわたし。不思議なことに、逃げる相手は追いかけてしまう性分みたい。全然タイプじゃないのにね。
「ええ、そうですわ。中でも、黒髪に褐色の瞳を持つ方に途方もなく惹かれてしまいます」
目をつぶると、愛しい面影がまぶたの裏に浮かんできた。
何を隠そう、これはわたしが一番最初に好きになった人。
当時のわたしの護衛騎士で密かにプリンスとあだ名をつけた、美しくて優しい最高の騎士だったわ。
残念なことに、わたしの侍女に略奪されてしまったんだけどね。
「神がお造りになったかのような、美しく逞しい体をされた方には激しく胸がときめきますの」
これは次に好きになった人よ。城に出入りする若い鍛冶職人だったの。
ある日騎士に剣を届けに来ていて偶然見かけ、彼の彫像のような肉体に一目で心を奪われてしまったのよ。
残念ながら身分が違うため、泣く泣く諦めたんだけどね。王女って、とてもつらい立場だと思うの、そう思わない?
「金髪に青い瞳の方もいいですわねぇ〜」
これは鉄板でしょう? 物語の王子様は大抵このタイプよ。この手の方にもわたしは、何人も出会っては失恋してを繰り返してきたの。あ〜、せつない思い出だこと。
「愁いのある、人生に疲れたような笑顔を見せる方も、思わず後をついて行きたくなるほど、強く惹きつけられますわ!」
これは、最近城に訪れていた外国の特使の方よ。随分年上の方だったけど、大人の魅力に溢れた素敵な方だったわ。
彼に会いたくていつも姿を捜していたら、いつの間にか帰国なさっていたの。
だけど、おかしいのよね。まだお帰りになる予定ではなかった筈なのにどうしてかしら……?
王子は目の色を変えて迫ってくるわたしに、怯えたような視線を寄越してきた。
だけど興奮していたわたしには、リアンの表情など、はっきり言ってどうでもよかったの。
「時にリロード王国のリアン王子様」
わたしは王子を逃がさないように、彼の身に着けているマントを、机のこちら側から手を伸ばしてしっかと握り締めた。
何故か王子は青い顔でぶるぶる震えてたから、安心させるように微笑んで見せる。
わたし、笑顔には少し自信があるの。にっこり微笑んだら、大概の人はお願いを聞いてくれるから。だからこの時もいつもの手を使って、可愛く頼んだだけだったのに。
「貴方の周りに美男子はいらっしゃるかしら。わたしにご紹介して下さらない? ええ、勿論、あなた以外の男性よ」
わたしの完璧笑顔を見た王子の反応は、いつもとまるで違っていた。
彼は両目を見開くと鼻を広げて大きく息を吸う。
それから大口を開けてか弱い貴婦人さながらの、絹を裂くような悲鳴を上げたのだった。
「ぎゃああああぁぁぁ!」
のどかな午後の庭園に、リアン王子のカン高い絶叫がいつまでも、しつこいくらいに響き渡っていた。
***
「エミリィ、あなた、どういうつもり?」
目の前で、我がハーディア王国王妃マルグリット、つまりわたしの母が目を吊り上げて怒っている。
「リアン王子は、あまりの恐ろしさに、その……失禁してしまったそうよ。あちらの侍女がこっそり教えてくれたわ」
「あら、それは大変だったこと」
わたしは、その光景を思い浮かべてニヤニヤしてしまった。リアンてば、子供でもないのにチビったのね。恥ずかしい奴。
でもよく考えたら、わたしの顔が怖いってこと? 失礼しちゃうわ。
だが母のマルグリットは、そんなわたしの態度に大層不満な様子で、お小言は続く。
「エミリィ、笑い事じゃないわよ! リアン様はね、あんな怖い思いは初めてした、殺されるかと思ったと仰って、先程こちらが止めるのも聞かずお帰りになられたのよ。予定では、暫く滞在される筈だったのに」
「そう……良かったじゃない。あちらからお断りされたのでしょう? 手間が省けたわ」
わたしの態度にカッとした母は、目を剥いて大声を上げてきた。
「何を言ってるの、エミリィ! あなたの縁談に響くでしょう? このことがリロード国から漏れでもしたら、あなたに求婚なんて一件だって来なくなるわよ?」
「望むところだわ。不細工な求婚者なんて、一人だっていらないの。わたしは自分が好きになった方に嫁ぎたいのよ。妥協はしたくないわ、絶対に」
「エミリィ……」
目の前から呆れたような視線が突き刺さってくる。その顔は、我が娘ながら誰に似たのかとか考えている感じだ。
おあいにく様、お母様。わたしはあなたにそっくりなんですって、皆言ってるわ。
「それにお母様酷いじゃない。わたしの好みはご存知の筈よ? 何で、リアン王子なの? わたしがお受けすると本気で思ってらしたわけ?」
母は、罰が悪そうな顔でブツブツとぼやき始めた。
「それは……、仕方なかったのよ。リロード王国より、半分脅迫じみた結婚の申し込みが来たんですもの。あちらは大国だしそう簡単には断れないわ、そうでしょう? 後でリアン様のお噂を聞いて、あちらも必死なのは分かったけどね。何しろあのご面相じゃあねえ? なかなか結婚は難しいでしょうねえ……」
オホホホとのん気に笑う母を睨みつける。そのご面相した男に、娘を売りつけようとしたのはどこのどいつだ?
わたしの怒りを感じ取ったのか、さすがに母は笑いを引っ込めた。
「ええと……、勿論あなたの理想は知っていたから、まずいとは思ったのよ。だけどあなたの騎士が、絶対承諾させてみせると太鼓判を押すから……」
え? 今何て仰ったの?
「お母様、わたしの騎士が何ですって?」
「えっ?」
母はしまったとでも言いたげに顔色を変えると、慌てて今の言葉を否定し始めた。
「あら、やだ。そんなこと言ったかしら? 騎士なんて、一言も言ってないわよ、わたし……」
「嘘言わないで! 今はっきりとこの両耳で聞いたのよ!」
何てことかしら。わたしは信頼していた騎士に裏切られたと言うの?
「それは……おかしいわね、わたしは言ってないのに……」
母のマルグリットはシドロモドロになりつつも、決して認めようとはしない。全く、とんでもなく往生際が悪い性格なんだから。
「誰か! 外にいるアーサーを呼んできて!」
わたしは部屋の外で待機している当の騎士を、問い詰めてやることにした。何が承諾させるよ、臣下の身で厚かましいったら。
「お呼びでしょうか、エミリアナ殿下」
一人の騎士が、わたしの前に膝をついて控える。
鋼の鎧を身に付け、かしこまる姿はなかなか凛々しくて美しい。
陽光を弾く金髪の下に覗く鼻はすっきりと整っていて、俯いているため今は見えない顔立ちも、悪くないことをわたしは知っている。
彼の名はアーサー・ヘルマン。わたしの騎士の中でも古株の、今や筆頭に位置する男だ。彼との付き合いも、かれこれ七年になる。この男よりもっと古くから仕えてくれていた者達は、皆、配置換えかなんかでわたしの元から巣立っていった。
わたしの初恋、愛しの『プリンス』ケイン・アナベルも、兄である王太子ラウルフレッドの元へと行ってしまったの。剣の忠誠を誓ったわたしへの忠義には、これからも一点の曇りはないとケインは宣言してくれたけど、彼の出世のためだものね、わたしも泣く泣く諦めたわ。
だってわたしはいずれどこかへ嫁ぐ身よ。いつまでも縛りつけてはいられないでしょう。何せこの七年の間に、ケインたらポンポン子供を作って今や五人も抱えているし、生活が〜とか彼を追い立てるうるさい嫁もいるしで、仕方ないじゃない。一家の大黒柱として、どんどん男を上げていかなきゃ。
そこへいくと、このアーサーって騎士は妙な奴だわ。
だって、言っては何だけど第三王女の護衛だなんて、パッとしない閑職にいまだに留まっているのよ? 年齢だって確か二十五ぐらいにはなっている筈だし、結婚とか身を固める様子も噂も聞かないし、出世と言うか、将来をどう考えているのか全くもって不明なの。
まさかわたしの嫁ぎ先にまでついてくる気じゃ、……ないでしょうね?
「アーサー、あなた、わたしの縁談を安請け合いしたって本当なの?」
「何のことですか?」
アーサーは顔を上げてにこやかに微笑んだ。
うっ、ケインほどじゃないけど、こいつもなかなか爽やかな男振りしてんのよね。特に今はとびっきりの不細工王子を見たあとだったから、いつにも増して格好よく見えちゃうじゃない。
「何のことじゃないわよ、あなたわたしの家臣のくせに、主の縁談に口出ししてくる気なの?」
「まさか」
アーサーは目をパチクリと瞬かせ、フッと顔を崩した。
「殿下がよいお相手を見つけられることを、わたしが心より祈っているのは確かでございますが、それをどうのこうのとわたしの立場で……、そんな差し出がましい口を挟むわけないではございませんか」
「だって……、お母様が……」
「陛下には、ご心配は無用ですとお伝えしただけです」
「どういうこと?」
やっぱり何か言ってたってこと? 今のは聞き捨てならないわよ。
アーサーはふわりと頬を緩めて、優しく微笑んだ。それから涼やかな声ではっきりと口にした。
「殿下は素晴らしいレディにおなりになりました。慌てなくとも必ず近いうちには、良縁を結ばれることでしょう。わたしはそのことをご安心くださいとお伝えしただけでございますよ。他意はありません」
「そ、そう……」
わたしは結局何も言えなくなって、口を噤む羽目になってしまう。
アーサーっていつもこんな感じで、わたしの気分を落ち着かせてくれるの。
おだやかで優しくて人当たりがよくて、ムッとしたり不機嫌になったりそんな嫌な顔は全然見せなくて、大抵の願いなら黙って聞いて受け入れてくれる。
例えば着せ替えごっことか、お芝居の物真似とかね。
と、言うことは、やっぱりわたしの気のせいだったのかしら。彼に限って変な根回しとか悪巧みとか、とても考えられないもの。
今もアーサーがあまりにもスラスラといつものようにわたしを誉めてくるから、収まりそうもなかった怒りでさえ、すうっとどこかへ消えていって、代わりに何とも言えないこそばゆさにいたたまれなくなり、わたしは慌てて彼を下がらせることにしたくらいだから。
「も、もういいわ。ついでにわたしはもう部屋に戻るわね」
「はい、かしこまりました」
いそいそと、退室のため扉へと急ぐわたしとアーサーを見た母のマルグリットが、ハッとして呼び止めてくる。
「お、お待ちなさい、エミリィ。話はまだ終わってはないのよ」
わたしは喚く母から逃げるように足を速めた。
「ごめんなさい、お母様。今日はわたし疲れちゃった。お小言は今度改めて聞くわ」
母がぎゃあぎゃあと大声で追いかけてくるのを無視して、無理やり扉を閉める。それから一気に走り出した。マナーとかドレスとか気にしてらんない。追いつかれたら困るもの。
あ〜あ、それにしても……
結婚が決まるまで、こんな日々が続くのかしら。ちょっと憂鬱、何とかしなきゃ。
ケインとリシェルの恋については、シリーズの表題にもなっております「気まぐれプリンス」をご覧ください。まだ八歳のエミリアナも出ています。
宣伝でした(汗)。