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「つまり、どういう事なのかしら?」
わたしは顎を上げて目の前に立つ男達を見つめた。
目前の二人が忘れていたとばかりに、慌ててこちらに振り向く。
あのね、わたしは用があって来ているのよ。
忘れて貰っちゃ困るの。なんてったってこっちには時間が全くないんだから。
アーサーが渋々といった風体で身を引く横を、わたしは勢い込んで前へと飛び出した。アーサーが失礼なのはいつものことだから、この際気になんかしてられない。
アウトライムの壮年の騎士、厳しい顔立ちのヘッセンとやらが、逞しい腕を少年の首に回したままわたしを観察するよう見下ろしていた。
ラジェットとか言う名の生意気小姓は、その腕から何とか逃げようと抵抗するがピクリとも動かない。
いいわね、ずっとそうやって締め上げていて。
「どういうことかと申しますと……」
ヘッセンは歯を見せてニヤリと笑った。
ご、豪快な笑顔ね。思わず後ずさりしかけて、負けてられないと踏みとどまる。
「何のことはない。こいつは守係ですよ、エミリアナ殿下。ちょうどよい年頃のがこいつしかいなくてね。少々口が悪いが面倒見はよい奴ですよ。それにアンジーー」
「ヘッセン!!」
突然アンジェラの大声が聞こえてきて、ヘッセンは途端に黙り込む。しまったと言うような微妙な顔のヘッセンが、目線を空にさまよわせつつ口を噤んだ。
ちょっと、どういうこと?
妙な沈黙にわたしが呆気に取られていると、アンジェラが息を切らして間に割込んで来る。
「ラジェは僕の師匠なんだよ!」
わたしを睨みつけながらアンジェラは大声を出した。
「そうだよね、ヘッセン団長?」
アウトライムの騎士団長は、慌てて愛想笑いを浮かべてそれに応じる。
「お、おおう、そうであった。この者はジェイルの、言わば兄弟子であったな」
いきなり説明臭い台詞に変わり、わたしは面食らった。
兄弟子? 守係って言った方がしっくりくるんじゃないの、そこは。
しかもーー。
「ジェイル?」
誰よ、それ?
今はアンジェラと生意気小姓の話をしてたんじゃない。
わたしが意味不明なやり取りに混乱していたら、アンジェラは小憎らしい表情のまま、プイっと顔を逸らして吐き捨てた。
「そんなことより、あんた僕に用があったんだろ? 聞いてやるから場所変えてよ」
こ、この……。どうやら口のきき方がなってないのは小姓だけじゃないのは決定みたいね。
「あなたね、アンジーー」
「早くこっちに来いよ、鈍臭いな。話してなんかやらないぞ!」
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
捨て台詞を吐いてアンジェラが駆け出すと、わたしは呆然としている男達を置いて小さい悪魔を追いかけた。
人の話は最後まで聞きなさいってば。
も、もうあの悪魔に言葉を教えたのはどこのどいつよ!
「つ、捕まえたわよ、お、おとなしくしなさ……い、この、ゴブリンもどき」
ほどなくしてわたしはアンジェラの背中に追いつく。
ちょこまかと落ち着きのない小さな体が、わたしの手から逃れようと暴れ回っていた。
「いったいなあ、離せよ暴力女」
「何ですって?」
「離せってば!」
「離すわけーー、ないでしょっ」
わたしはアンジェラを抑え込み、逃がさまいと全身で動きを封じてやった。まるで野生動物みたいなアンジェラと激しく睨み合う。
これは先に目を逸らした方が負けね。ゴブリンもどきに負けるなんて冗談じゃないわ。勝つのはわたしよ。
わたしは歯を食いしばり、両足に力を込めて踏ん張った。
その時、わたしの集中を削ぐ酷くゆったりとした声が、ため息とともに聞こえてきたのだ。
「いい加減に同じ目線で喧嘩をするのはやめたらどうです、殿下。子供と一緒になって髪振り乱して追いかけっこですか?」
この声はアーサーだ。最近小言ばかりの口うるさいわたしの騎士が、主を助けるどころか嫌味を言い放つ。
「な、何を……?」
「お気づきでないようですからお教えしますが、先ほどから周りの視線を集めておいでですよ」
アーサーの声で我に返ったわたしは、慌てて周囲を見回した。
鍛錬場にいる騎士達のほとんどが、わたしとアンジェラの動向に注目していたのか、訓練をやめ興味深げにこちらを見ている。
そうなのだ。わたしは思ったより彼らから離れていなかったのだ。わたし達の捕物劇は、鍛錬に疲れた彼らのいい見世物になってたらしい。
ヘッセンはニヤニヤと愉快そうに笑っていて、ラジェットとか言う小姓は口をポカンと開けて間抜け面を晒している。
この事態にさすがのアンジェラも恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして一時休戦を言ってきた。
「じっとするから離してよ! お前のせいだからな、暴力女」
前言撤回、これ絶対わたしを煽ってるわね。
「もう、何を言ってるのよ暴力だなんて。こんなか弱いレディを掴まえて、お馬鹿さんね」
わたしはやる気なさげに側に立つアーサーにアンジェラをさっさと引き渡し、「お邪魔致しましたわ。どうぞ訓練を続けて下さいまし〜」と騎士達に告げそそくさとその場を後にしたのだった。
***
「ほら、ここまで離れたんだからもういいでしょう。話して貰うわよ、アンジェラ」
アーサーに連れられて歩くアンジェラは、嘘みたいにおとなしくなっている。
わたし達は、最初にエリク王子とともに鍛錬場を覗き見ていた場所まで戻ってきていた。
目を上げると騎士達が訓練を再開している姿が遠くに見える。誰もわたしやアンジェラのあとを気にしている者はいないようだ。
当たり前か。子供の喧嘩なんかそれほど興味を引くものじゃないわよね。
アーサーじゃないけど、ちょっとみっともなかったかもしれないわ。なんてったってわたしは王太子妃の妹なんだし、あとで姉様に謝っておかなくちゃ。
わたしは黙ったままのアンジェラを見下ろした。
何を聞かれたくないのか知らないけど、ここでなら暴露したって構わないはずだ。
待っていても何ら返事がないのでわたしは再度声をかけようとした。と、その時「エミリアナ様」と背後から低い声がする。
驚いて振り向くと、わたし達の側にエリク王子とルイーズの近づいて来る姿があった。やだこの人、まだここにいたのね。
「随分奮闘されてましたね」
エリク王子はにこやかに笑いかけてくる。いやに嬉しそうな顔つきだ。
ちょっとまた、わたしで笑うつもりじゃ、ないわよね?
「ご覧になってたんですか?」
わたしの問いに彼は当然だと言わんばかりに頷いた。
「ええ。声は聞こえませんでしたが、あなたの勇姿はこの目でしかりと」
彼はそう言いルイーズと目配せし合うと、ふっふっふっと肩を震わせ苦しげに笑い出した。
抑えきれない笑いを懸命に堪えようとしてるけど無駄な努力に終わっていて、返ってわたし恥ずかしいんですけど……。
恐れていた通りだったわ。この人まだ笑ってる。
うんざりしつつ周りを見回すと、それ見たことかと言いたげな不愉快な眼差しに出くわす。
ちょ、何よ、その目!
わたしは慌てて、呆れたように見つめてくるアーサーから顔を背けた。
あ〜痛い。チクチクと刺すように痛い、アーサーの目が。
「コホン」
咳払いをしつつ、笑う男の陰に隠れるように立つルイーズへと視線を向けた。わたしと目が合った侍女は赤い頬を更に赤く染めると、気まずげに下を向いてますます縮こまっていく。
その態度でピンとくる。
ルイーズってば、エリク王子と一緒になってわたしを笑ってたんだわ、間違いない!
「アンジェラ、師匠って何? 兄弟子って何のこと? ジェイルって誰なのよ?」
半分イライラしながら畳みかけるように問いつめてやると、アンジェラはビクリと体を竦ませた。
「う、うるさいな……暴力女なんかに……」
「あなたね、わたしはあなたのお母様の妹なのよ。わたし達は血の繋がった家族と一緒じゃない。いい加減に信用してくれてもいいでしょう?」
「何が家族だよ、僕の家族はお父様とお母様。それから生まれたばかりの弟だけだよ」
アンジェラの瞳に、子供とは思えないほどの暗い色が浮かんだ。
「アンジェラ……?」
あまりに荒んだ眼差しに言葉が繋げなくなる。いったいどうしたって言うのかしら?
わたし達の膠着状態を見かねたのか、エリク王子がアンジェラの前に屈んで囁きかけた。
「なあ、アンジー。僕は君の家族の一員に入れてもらえないのかい? 僕は君を大切な妹だと思ってたんだけど……」
それは破壊力抜群の囁きだったみたい。
「エリク兄様……」
アンジェラは目を丸くして唇を噛みしめる。
「ごめんな……さ、兄様は……家族だよ……忘れててごめんなさい」
今にも泣き出しそうなアンジェラの頬を、エリク王子は両手で優しく包み込んだ。
「ありがとう。よかったよ、君に見捨てられなくて」
「そんなことしないよ。だって兄様は僕の味方でしょ?」
「ああ、もちろん」
エリク王子はすがりついてくるアンジェラの髪の毛に、愛しそうに何度もキスを返した。
「僕が言うのもおかしいかもしれないけどね」
アンジェラはおとなしくされるがままになっている。その姿から、二人は本当に信頼しあっているのが分かる。わたしはエリク王子を少しだけ見直した。ただの笑い上戸のふざけた王子様じゃないみたい。
「エミリアナ様は本当に君を助けたいんだと思うよ。君と君の大事なお母様を、心から心配して守りたいんだよ」
「兄様……」
エリク王子がわたしを見上げてくるから、大きく首を振って同意を示した。つられるようにこちらを凝視するアンジェラにも、大げさなほどに何度も頷いて見せる。
「そうよ、もちろんじゃない。わたしはあなたと姉様を助けたいの。信じて、アンジェラ!」
あの魔女からね。魔女、もといミネア王妃のことよ。
エリク王子は片目を瞑って、うるうると泣きそうな顔のアンジェラに柔らかく微笑みかけた。
「ほら、エミリアナ様もこうおっしゃってる。彼女は君の叔母上だよ。君の味方に決まってるじゃないか」
「う、うん……」
とうとう泣き出したアンジェラを彼はギュッと抱きしめた。
感動的な場面に思わず貰い泣きしそうになりながら、わたしは鼻を啜って我慢した。
そうよ、そうそう、そうなのよ。
わたしはアンジェラの叔母なんだから味方に決まってるじゃない。オバなんだからーー。
って……、ちょっとそれを言ったらあなただってアンジェラのオジサンでしょ? 何が妹よ、ちゃっかり兄とか呼ばせていて図々しい。
失礼しちゃうわね、本当に。




