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「エミリアナ殿下、聞きましたぞ。我が孫アンジェラのご指導をお引き受けくださったとか? いや、まことに申し訳ない」
シャルダン王の第一声に、わたしは思わず口に入れた肉料理を吹き出しそうになった。
慌てて側にある水を無理やり飲み込む。
「え? ええ、まあ……。あの、どちらでそのお話を?」
分かってるけど。誰が話したかなんて、聞かなくても分かってるけど。
わたしが素早く王の横へ視線を向けると、そこに座る人物は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。そう、わたしの目下の敵、ミネア王妃だ。
「我が妃から聞いたのだよ」
王は横の妃に朗らかな視線を送る。
やっぱりと、げっそりするわたしには気づかないらしい。どころか、王妃の嫌みな笑顔にも気づきはしないんだから。
きっと、わたしとミネア妃の間にある禍々しい空気にも、全く気づいていないんだろう。男って本当、こういう時役に立たないわね。
わたしは歯ぎしりしたくなるのを懸命に堪えて、笑い返した。
「ふつつか者ですが、よろしくお願い致しますわ」
うむうむと頷くシャルダン王の横で、ミネア妃は皮肉たっぷりに口出ししてきた。
「陛下、なんでもエミリアナ様はハーディアで素晴らしいご教養を身につけられたそうですよ。アンジェラの教育にも絶対の自信がおありだとか。美しく変身した孫娘に近々お会いすることが出来ますわ。舞踏会が楽しみですわねえ」
ちょ、ちょっとお〜、何よそれ?!
「おお、それはそれは。まこと楽しみだな」
満足げに笑うシャルダン王の隣で、ミネア妃がニヤニヤとほくそ笑んでいる。
王の期待値を上げるだけ上げて、ミネア妃ってば、してやったりって顔してわたしを見ていた。
今日わたしは、突然、王家の昼食の席に招待されることになったのだ。
普段は自室で食事を頂いてるんだけど、たまにはご一緒するのも客人としては当たり前のこと。
同席者はシャルダン王、ミネア妃、それからユーフェの夫ーーフィリップ王太子の三人だった。産後まもない姉様と、アンジェラの姿はここにはない。
それに、この間初めてお会いした第二王子、えっとエリクって言ったっけ? あの、妙な雰囲気の王子様もいなかった。
「ところでーー」
ミネア妃はわざとらしくキョロキョロとしながら、わたしの顔を盗み見てきた。
「今日はアンジェラはいないのかしらねぇ。せっかく陛下に授業の成果をご覧になっていただこうかと思いましたのに。ねぇ、陛下?」
「お、おお……」
王妃に釣られてシャルダン王まで、キョロキョロし始める。に、似たもの夫婦ね。
「それもそうだな、アンジェラはおらんようだな……」
とか言いつつ、わたしの顔をじぃっと見てくるの。すっごく物欲しそうな顔して!
「エミリアナ殿下、あの子がどこにおるかご存知ないか?」
知らないわよ!
わたしだってあれ以来、アンジェラには逃げられてばっかりなんだから。
追いかけても追いかけても、すばしっこく動き回って逃げてくのよ。おかげで、授業のじの字すら始めることが出来てないんだから。大きな声じゃ言えないけど。
「アンジェラ様でしたら、今頃はわたしの侍女達と刺繍の手習いをしている筈ですわ」
ほほほとわたしは優雅に答えてやった。
すぐにミネア妃が食いついてくる。
「ま、まあ、アンジェラはまだ五歳ですよ。刺繍はいくら何でも」
「見よう見まねでいいんですよ、ミネア様。すぐには出来なくても、手習いの時間が無駄になることはありませんから」
内心ドキドキだったけど勿論顔には出さない。それにしてもアンジェラったらどこに行ったんだろう。わたしの嘘がどんどん上手になってくだけじゃない。
「で、ですがね、エミリアナ様。あなたは本当はーー」
「よさないか、王妃。せっかくエミリアナ殿下が骨を折って下さってるのだぞ」
なおも食い下がってきた王妃だったけど、シャルダン王にぴしゃりと押しとどめられた。
「すまないな、エミリアナ殿。妃が失礼なことを言った」
「いいえ」
だってミネア妃の読みの方が正しいんですもの。
「わたしは何も気にしてませんわ」
わたしはにっこり微笑んでみせた。
ミネア妃は気が済まないらしく、息子の王太子をせっつき出す。
「フィリップ、あなたはアンジェラについて何か言うことはないの?」
「母上、わたしは……」
わたしは、あまりの地味さに、全く視界に入ってなかった王太子に視線を向けた。
驚いたことにこのフィリップ王子がまた、とってもとっても丸くなっていたの。身長があまり高くないからコロコロとしていて、今だったらユーフェともお似合いに見えるくらい。
アウトライムの食事は太りやすくなるのかしら。確かにどれも美味しいけど。でも、王妃と第二王子は痩せているんだけどね。
「エミリアナ殿下」
「は、はい?」
食事の手を止めて、フィリップ王子はニコニコと笑っている。
「何か?」
ミネア妃と一緒になって、とんでもないこと言い出したりしないわよね? わたしはこの人にあまりいい印象がないのだ。
「アンジェラは手がつけられないじゃじゃ馬ですが、心根は優しい、いい娘です。どうかあの子をよろしくお願い致します」
と、王太子はわたしに一礼をしてくれた。
「えっ?」
「ちょ、ちょっと、フィリップーー」
横からミネア妃の慌てたようなキンキン声がしたけれど、全然気にならない。
「は、はい……。承知致しました」
わたしもごく自然に礼を返す。
「至らない点も多々あるかとは思いますが、全力を尽くす所存です。こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」
「それは、ありがたい」
拍子抜けするくらい好意的な笑顔の王太子を見て、わたしは初めて、姉様の見る目も捨てたもんじゃなかったと見直した。
おまけに、王妃がギリギリと悔しそうな顔をしていたから、わたしは大満足で昼食を終えたのだった。
***
「はぁ? もう一度、おっしゃっていただけますか?」
戻って来たら、びっくりするくらい部屋の中が荒れていた。
棚という棚は物が散乱していて、床の上にまで色んな物がばらまかれている。
アーサーをはじめ、キャリーやルイーズ、全員が妙に薄汚れていて、おまけにゼェゼェと酷い息切れを起こしていた。
わたしは目を血走らせたアーサーに捕まって、取りあえず昼食時の会談内容を説明していたんだけど、そこで突然彼が大声で叫んできたのよ。
「ちょっと耳の側で怒鳴らないでよ。びっくりするじゃない。あのね、一回言ったら分かるでしょう? どうして何回も同じこと言わなきゃならないの?」
今にも噛みつきそうな勢いのアーサーに負けじと、わたしも大声を出す。いったいぜんたい、この惨状はどうしたわけ?
「そんなことより、この部屋どうしたのよ。何故、あなた達はそんなに汚れているのか、先に教えてくれない?」
アーサーは凄い目でわたしを睨みつけていたけど、やがて諦めたように盛大なため息を吐いた。それから、いけしゃあしゃあと寝言を口にする。
「大元の原因は殿下ですよ」
「わたし? わたしがどうしてーー」
言うに事欠いていなかった者の責任にするなんて、どういう了見よ。
わたしがワナワナと震えていたら、キャリーが遠慮がちに前へ進み出てきた。
「エミリアナ様。この有り様は、先ほどアンジェラ様がこちらにお見えになって、ひと暴れして出て行かれたものですわ」
「アンジェラが?」
何よそれ。
「アンジェラがここに来たって言うの? 自分から? 嘘でしょ」
「本当です。エミリアナ様がお食事に行かれたあと、ユーフェミア様の侍女の方がアンジェラ様をお連れになったのですよ」
あ、なるほど。
びっくりしたわ。アンジェラが自分の意志で来たんじゃなかったのね。
「それで?」
「その侍女の方がお戻りになったあとですわ。アンジェラ様が人が変わったように乱暴におなりになって」
キャリーのあとを、ルイーズが身振り手振りの振り付けつきで続ける。
「そうですよ。アンジェラ様ときたら、キャンキャンと子犬のように吠え立てて走り回り、引き出しという引き出しを全部開けて、中の物をこう、外へバサッと。ねえ、キャリー?」
「そう、そう、そうだわ。やめて下さいと何度もお願いしてついて回ったのに、わたし達の言うことなんか、何一つ聞いてくれませんでした!」
言ってる内にキャリーは興奮してきたらしく、最後は恨み節をぶちかましていた。
「挙げ句の果てに、遂には殿下の大切になさっている肖像画コレクションまで見つけられて」
「えっ?」
ルイーズが言い出したことに、わたしは頭が真っ白になる。
「今、何て言ったの?」
「肖像画ですよ。ほら、殿下がみちみち集めておられた……」
「それが、ど、どうなったのよ?」
「哀れ、肖像画の殿下お気に入りの美男子は、殿下ご自慢の白粉やら紅やらで、ベチャベチャのビチョビチョに汚されてしまいましたわ」
う、嘘ぉーー?
「何てことしてくれたのよ……」
わたしが脱力して床に倒れ込むと、ルイーズがこそりと耳打ちしてくる。
「ご安心ください。アーサー様の姿絵は、わたしがきっちりと死守致しました。殿下の持ち物とは別の場所に保管しておりましたので、敵に見つからずに済んだようです」
ニッと笑ってやり遂げた感満載のルイーズが、「あとでお返し致しますね」と、何やら熟練の密偵のような風格さえ漂わせて、わたしの側から離れて行った。
あのね。
違うのよ、ルイーズ。
アーサーの絵なんか、わたしはどうでもよかったの。そんなものより、一生懸命集めた思い出の美形男性が全滅……? 泣くに泣けない。
だいたいアーサーの絵は、出立の準備のどさくさでどこ行ったか分からなくなっていて、わたしはてっきりなくしたんだと思ってたのに。ルイーズが見つけて荷物の中に入れていたなんて……、本当余計なことを。
「肖像画コレクションとは何ですか?」
背筋がぞくりとするような低い声が、背後からする。
「え、いや別に……」
振り返ったわたしの鼻先に、酷く汚れた、絵の残骸とおぼしき物がぐいぐいと押しつけられた。ちょ、ちょっと。
「その、ふざけたコレクションとはコレのことですか?」
「い、いや、あの……」
アーサーがじろじろと肖像画を見下ろして、嫌みを連発する。
「のん気なものですね。わたし達にアンジェラ殿下を押しつけて、ご自分はこんなものまで旅に持ち込まれるとは」
「い、いいでしょ、このくらい。わたしのささやかな趣味なんだから」
わたしは急いでムカつく相手から、大事なコレクションを取り返した。いやだ、本当にビチャビチャのベチョベチョだわ……。ショック。
「それより、さっきの言い種はどういう意味かしら? わたしがあなた達にアンジェラを押しつけてるって?」
「そうでしょう。あなたが独断でお引き受けした王女殿下のご教育で、実際に振り回されているのはわたし達下の者ばかりです。おまけに今度は刺繍の手習いですか? どうせそれもキャリー殿達にお任せする気満々でしたよね?」
ギクッ。
「ち、違うわ。ちゃんと自分でするつもりだったわよ」
「本当に?」
「ほ、本当よ」
アーサーはわたしを値踏みするかのようにしつこく見つめていたけれど、まあいいでしょうと詮索をやめた。
どうでもいいけど、毎度毎度不愉快な態度を取る男ね。いつまでもわたしがおとなしくしていると思ったら、大間違いよ。
こ、怖いから声に出しては言わないけどね。
「それと、キャリー殿とルイーズ殿ーー」
アーサーは、わたし達のやり取りを不思議なものでも見るように眺めていた侍女達に近づき、今度はそちらに攻撃の手を向けた。
「は、はい」
「何でしょうか、アーサー様……?」
途端、おろおろとしだすキャリー達の前へ、彼はデンと立ち塞がる。
「わたしは、お祝いの品があるので手荷物は少な目にとお願いしていたのですが、覚えておられるかな?」
「あ、ああ」
「そう言えば……」
彼は眉間の縦皺を強い調子で揉んでいた。まずいわ、かなりご立腹の様子じゃない。
「にもかかわらず、何故、訳の分からぬ意味不明品を持ち込む殿下を放置されたのか。放置するどころか、そそのかすとは意味が分からない。お分かりですか? 殿下の不祥事を拭うのは誰でもない、あなた方を含めた我々一同なんですよ」
「ちょっと、アーサー!」
な、何てこと言うのよ。仮にも未婚の娘に向かって。
わたしが火照る顔を隠しつつ、恥知らずの罰当たり騎士に文句の一つでも言おうとしていたら、キャリーがポソリと口にした。
「なんだか、びっくりしましたわ……」
「はあ?」
「何にびっくりするのよ」
その間抜けな反応にこっちが驚くわよ。
だって、わたしのように恥じらって顔を赤らめている訳でもなく、さりとて、説教に傷つきしょんぼりと落ち込んでいる訳でもないんだから。
アーサーなど益々顔色を悪くさせているのにキャリーったら、ルイーズと目配せしあって「だって、ねえ?」と意味ありげにごにょごにょ話していて脳天気過ぎるでしょ。
「言いたいことがあるなら言いなさい!」
キレたアーサーが耐えられなくなったらしく、大きな雷を落とした。すると、キャリーは体をピクリとさせて素っ頓狂な声を出す。
「ア、アーサー様って、こんなに怒りっぽい方でしたの? わたしとルイーズは、もっとこう、穏やかで冷静な優しい方だとばっかり思ってましたわ」
「は? な、何をーー」
珍しくアーサーが目を白黒させて動揺を見せた。
その顔があまりにもいつもと違うから、わたしは堪えきれず噴き出してしまったのだ。
「いやだ、アーサーの顔ったら」
お腹を抱えて笑うわたしを見て、彼の渋面が徐々に崩れていく。平静は色のない頬が、むしろ「凍ってるんじゃない?」って言いたくなるくらい青白く感じる頬が、仄かに赤く染まっていた。
「な、何がおかしいのですか、殿下?」
据わった目で睨みつけてくるけど、全然怖くない。それどころか、おかしくておかしくて仕方なくなる。
「だって、アーサー、あなたの正体、皆にバレてるんだもの。怒りんぼのところ」
「怒りんぼとは何ですか!」
「そういうトコよ……」
ふふふ、わたしのことを馬鹿にするからよ。せいぜい仮面が剥がれていくのを大勢の前で晒すがいいわ。いい、気味。
「正体って何ですの? エミリアナ様」
「それはね……」
「ーー殿下!」
アーサーは大きな声で一喝して、わたし達を一瞬で黙らせた。
「そろそろ、アンジェラ殿下の件を真面目に考えましょう。お遊びは終わりです」
「ええー?」
なあに、もう? もう立ち直ってるの? つまんない。
もう少しこのネタでイジメてやりたかったのに。
「その件ならあてがあるから大丈夫よ」
あーあ、本当につまんない。アーサーがジタバタしているところを、弄りまくってやりたかったのに。ちぇっだ。
「あて?」
「ええ」
わたしは、既に落ち着きを取り戻しているしかめ面の騎士に、内心すっごくがっかりしつつ彼らを見回した。
「実はね、エリク王子からヒントらしきものをもらったの。アンジェラが立ち寄りそうな場所のね」
わたしってばすっかり忘れていたのよね。でも、そのことは、皆には内緒にしとこっと。
だって、これ以上わたしばっかり怒られるの、癪じゃない?




