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「つまり、こういうことですか?」
目の前で、アーサーの眉間の皺がどんどんと深くなっていく。
彼はふるふると震える手で額を押さえながら、唸り声を出してきた。
「姉上様のところで偶然ミネア陛下にお会いして、売り言葉に買い言葉の丁々発止をやらかした挙げ句、アンジェラ殿下の養育係を買って出られたと、そういうことでよろしいのでしょうか?」
わたしは勢い込んで頷いた。物わかりがよい筆頭騎士で本当助かるわ。
「ええ、そうよ。その通り。全く持って困っちゃうわよね。何の因果か、こんな事態に巻き込まれてしまって……」
ハハハと愛想笑いを浮かべるわたしに対し、アーサーの顔色は益々悪くなる。あれほど震えていた手も、いつの間にかぴたりと収まっていて、わたしは嫌な予感に逃げ出したくなっていた。
「わたしには巻き込まれたと言うより、ご自身から率先して乱入されたかのようにお見受けしましたけどね。殿下のお話を聞いている限り」
ら、乱入ですって、冗談じゃないわ。確かに自分から頭を突っ込んでいったのは、否定出来ないけど。
「だって、腹立つじゃないの。ハーディアを侮辱されたのよ。ハーディアを代表して来ているっていうのに、目の前で散々扱き下ろされて、指をくわえて黙って見ていろと言うの? 出来るわけないじゃない」
わたしの反論にもアーサーは少しも動じなかった。
愛国心など、どこ吹く風で彼はさらっと言ってのけたのだ。
「それで更に窮地に追い込まれていたら身も蓋もないでしょう。お分かりですか? あなたは、ハーディアの名を地に落としてしまうお約束を、ご自分の独断で勝手にされてしまったんですよ」
ちょ、
ちょっとーー!
「それ、どういう意味よ?!」
今の暴言は何かしら。主であるわたしを堂々と否定したわよ、この男。
「言葉の通りです。分かり易く噛み砕いてご説明した方が、お好みだったのでしょうか、殿下?」
アーサーは平然と皮肉たっぷりの微笑を浮かべてくる。
本当に腹が立つったらないわ! どれだけわたしを馬鹿にしたら気が済むのかしら。
そりゃあ、今回のことは、わたしも自分で自分の馬鹿さ加減に呆れてしまうけれど……。でも、だからと言って……。
あのあと。
ミネア妃と口論の末にとんでも啖呵を切ったあとのこと。
わたしはくらくらとする頭を抱えながら、心配げにこちらを見てくるユーフェに、空元気で大丈夫と大見得を切って、嫌がるアンジェラ王女を引き連れ部屋へと戻って来たのだった。
この道中が、またとっても大変だったのだ。
なんてったって同行相手は、隙さえあれば逃げようとするゴブリンもどき。
子供だと侮ってたらとんでもない目に遭ったわよ。
口と手で激しく抵抗してくるアンジェラを力任せでなんとか押さえ込み、ヨレヨレになって戻って来たわたしを見て、うちの者達は皆、絶句して驚いていた。
そりゃあ、そうよね。生まれたばかりの王子様や姉様とお会いしてくるって、鼻歌交じりの浮かれ気分で出かけて行ったくせに、ヨレヨレのボロボロになって戻って来たんだから。しかも訳の分からないオマケまで連れていたのよ。呆気に取られるのも無理はないわよね。
わたしは今がチャンスとばかりに、茫然自失のキャリーとルイーズにさっさとアンジェラ王女を押しつけて、ーーもとい預けて、遠慮会釈もなく険しい視線を飛ばしてくるこの騎士相手に、ことの成り行きをかいつまんで説明したのだった。
それがほんの少し前のこと。
アーサーは、思ったよりずっとおとなしく聞いていてくれた。だからわたしは、さすが大人だと彼を見直していたんだけど……甘かったわ。
彼が静かだったのは、単に自分の中に怒りを溜め込んでただけだったのよ。
それが遂に爆発してしまったの。そう、今まさにね。
アーサーったら、目の端をピクピクと痙攣させていて、かなりお怒り状態のようだわ。
知らなかった、こんなにも怒りっぽい人だったなんて。物静かで穏やかな優しい人だと、ずっと信じていたのよ。七年も一緒にいたのに、わたしは彼の本性に全く気づかなかったわ。すっかり騙されていたのよ。
まあ、アーサーのことはどうでもいいわ。
とにかく今は疲れたって言いたい。
精神的にも肉体的にもくたくたで、今すぐ横になりたいくらいなの。
「疲れが蓄積して疲労しているのは、何も殿下だけではございません。わたし達も皆そうです」
アーサーの低い声が、上からおどろおどろしく響いてくる。
「ついでに申し上げるが、わたしが激昂しやすいたちと言う訳ではなく、あなたが問題ばかり引き起こされているので、こちらとしても冷静ではいられなくなっているだけです。お間違いなきよう」
「何よ、それ?」
何? 何なの?
何なのよ、いったい。
びっくりするじゃないの、怖いこと言うから。もしかして心でも読んだのかしら、わたしの?
「あのですね、殿下」
わたしがびくびくとしつつ彼を盗み見ていると、アーサーは眉間の縦じわを谷底ぐらいに深くして頭を抱え込んだ。
「ご存知ないようだから教えて差し上げますが、あなたは心で思ってることが全部面に出て丸見えなんですよ。少しは平常心を身につけて、表情ぐらい隠せるようになってください。お願いします!」
「な、何よ、その言い方……」
「ーーお取り込み中、失礼します、エミリアナ様」
アーサーの呆れたような渋い声の向こうから、キャリー達がまさにぐったりとした様子で寝室から出て来るのが見えた。
彼女達に挟まれ、小さな影がモタモタとついてくる。影の正体は何を隠そう、アンジェラ王女だ。そう、わたしの生徒よ。
キャリー達に声をかけられたのをいいことに、わたしはアーサーを無視して侍女達の元へ近寄って行った。
「ご苦労様、二人とも。待ってたわよ」
心の底から待ってたわ〜。
「お待たせ致しました、殿下」
キャリーは汗びっしょりになって、荒い息を吐いている。わたしなんか目じゃないくらい疲れている様子だ。
「とりあえずですが、お顔の汚れ落としとお髪のお手入れをさせていただきました。でも、申し訳ございませんが、これ以上は無理です。アンジェラ様はわたし達に触れられるのがお嫌いらしく、二人がかりでもこれが限度ですわ」
それは今にも泣き出しそうな声だった。
キャリーの後ろには更に悲惨な状態のルイーズがいた。髪はボサボサに乱れ落ちていて、服はしわしわ、口もきけないくらい疲弊しているみたい。だけど、その手はしっかとアンジェラ王女を掴まえているあたり、なかなかどうして見上げた侍女根性だわ。
そして、最後の一人、アンジェラ本人もぐったりとしていた。
どうやらさすがに暴れ疲れたらしく、逃げ出す素振りすらない。わたしを生意気な目つきで見返してくる気配もないんだから相当だ。
小さな少女は、酷く黒ずんでいた顔を二人の侍女達によって徹底的に洗われたのか、見違えるほど綺麗な顔になっていた。
考えてみれば、アンジェラはまだ幼い少女だわ。瑞々しいプリップリッのお肌をしているに決まってる。
ピンク色の艶々とした頬に、同じく艶々とした赤い唇が目に入ってきて、わたしはあまりの変貌振りに開いた口が閉まらなかった。
意外なほど、可愛い顔してるんだもの。びっくりするわよ。
それに、まるで使い込まれた古い箒のようにあちこちに跳ねていた髪の毛も、ふんわりと纏まり肩へと流れるように落ちている。しかも、その髪は明るい金色をしていたのよ。枯れ木のような色だったのに、びっくりでしょ。
切り口はバラバラで長さも一定してないけれど、さすが美しい髪が自慢だった姉様の娘だわ。磨けば綺麗な金髪を取り戻せる気がする。
ううん、たった一回のお手入れでこんなにも回復しているのよ。光沢のある見事な髪の毛を、すぐにもその手に取り戻せるわ。
惜しいのは、形。それだけ。本当にコレ、なんとかしなきゃ……。
服装の方はあいにくと子供用がここにはなかったこともあって、例の汚い作業着のままだった。せっかく首から上が見られるようになったのに、これじゃ劇的な変身とまではいかないようね。
だけど本当、いったい誰の趣味なのかしら、この服は。全く。
「ねぇ、アンジェラ。あなた、どうしてこん格好をしているの」
わたしは一番の疑問を口にした。姉様に聞こうと思ってたのをミネア妃に邪魔され、結局聞けなかった大いなる疑問の一つだ。
わたしの質問にアンジェラはキッと睨みつけてきた。
「言うわけないだろ。馬鹿女なんかに」
か、可愛くない。顔は変わっても性格は変わらないままね。
「あなたの口の悪さは誰が教えたものかしら? 教育のしがいがあることですこと!」
「お前なんかに、何も出来るわけないだろ。結局、僕を侍女に押しつけただけのくせに」
ぐ、痛いとこを……。
「お前とは何よ。口の減らない子ね」
「何回でも言ってやる。お前なんか早くハーディアに帰っちゃえ」
「おあいにく様、まだまだ帰らないわよ」
「帰れ! 帰れ!」
「黙りなさいってば!」
「ーー殿下!」
気がつけば、わたしの肩を誰かが力強く引き止めている。アンジェラの方も、キャリーとルイーズが必死になって抱き止めていた。
「な、何?」
いつの間にか、わたしはアンジェラと、取っ組み合いの姿勢を取っていたようだ。カッと頭に血が登って、幼児と本気でやり合うつもりだったのか、わたしは。
「あなたはアンジェラ様のお手本だ、そうでしょう?」
背後からアーサーがわたしを見下ろしていた。
懐かしい優しげな瞳。安心出来るような広い胸……。
「それが同じレベルで喧嘩などしていては、駄目ですよね?」
アーサーが涼しげな目元を意地悪く細めて、にぃっと笑った。
わたしは一瞬にして顔に血が集まるのを感じる。カッカッと火照り出すのは、アンジェラの言葉にカチンときた時のとは違う熱だ。
アーサーの胸を安心出来る? わたしってば何を血迷ってるんだか。
「分かってるわよ、離して!」
わたしが興奮して大声を出したせいか、キャリーとルイーズの手の力が弱まったらしい。
「バイバイ、間抜けな王女様」
アンジェラはそんな一瞬の隙をついてスルリと二人の間から抜け出し、わたしを小馬鹿にしたような捨て台詞を残すと、部屋から一目散に逃げ出して行った。
「待ちなさい!」
わたしはすぐさまアンジェラの背中を追いかけた。キャリーやルイーズ、ぼけっと成り行きを見守るアーサーにもあとに続くよう指示を出す。
「アンジェラ、待つのよ!」
「べぇ〜だ」
通路の先でゴブリンもどきが、こっちを振り返って舌を出しているのが見える。
ムカッ。
「こ、こらーー」
わたしは夢中で、飛び跳ねて行く後ろ姿を追った。
「あ、あれ?」
ここは、どこかしら?
わたしってば知らない内に外にまで出てしまっているわ。
キョロキョロと辺りを見回しても、さっぱりどこだか分からない。
当然よね、ここはハーディアじゃないんだもの。
周囲は背の高い木々が生い茂る、ちょっとした森って雰囲気だ。至る所に自然発生したような素朴な草花達が生えていて、時折聞こえてくる鳥達のさえずる声と、ひんやりとした空気が、心地よい静かな空間だった。
勿論、これは本当の森なんかじゃない。あくまでも城の庭に造られた人工の『森』でしかない。
だけど、こんな贅沢な庭園を持ってるなんて、アウトライムはやっぱり大国だわ。
それにしても……。
「アンジェラってば、わたしを迷子にするつもりだったのかしら。掴まえたら、こってりとお仕置きしてやらなきゃ……」
わたしが文句を言いつつ、木々の間に造られた道を歩いていると、突然誰かの笑い声が降ってきた。
「アンジェラはここにはおりませんよ」
「だ、誰?」
人がいたの?
「これは失礼」
目の前の大木の影から若い男が姿を現す。
身長はそれほど高くないけれど、なかなか均整の取れた見目のよい青年だ。
ちょっと長めの赤茶けた色の髪と、妙にきらきらと輝く好奇心に溢れた目をしている。
年齢はわたしより六・七歳は上ってとこかしら。
ふ〜ん。
でもま、少しばかり見目がよいと言っても、ケインには完璧に負けてるわね。アーサーにだって、身長その他で今一歩及ばず……ってとこかしら。
わたしがついつい、いつもの癖で目前の不審人物をチェックしていると、当の本人はのんびりと声をかけてきた。
「アンジェラが向かうのはもっと東よりの庭だよ。あの子はそこに大のお気に入りがあるからね」
「あなた、誰よ?」
そうよ、そうそう、そもそもこの人は誰なのよ? わたしの独り言に応えてきたりして、やけにアンジェラの行動に詳しいみたいだけど、なんか気持ち悪い。
「なるほど。そういうあなたはハーディアの王女殿下、エミリアナ様ですね? 聞きしに勝るご婦人だな。ま、僕はそういう女性が好きですけど」
「すっーー」
好きですって?
不審な男はわたしを見てプッと噴き出した。それから、軽い感じで手を出してくる。
「可愛い反応だな、エミリアナ様。僕はアウトライムの第二王子エリクです。あなたに振られた縁談相手ですよ」
初対面だと言うのにあまりにフランクな王子様の登場に、わたしは思わずアンジェラのことも忘れて、彼と固い握手を交わすのだった。




