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ばっーー!?
馬鹿女ですって!?
「ちょっと、このゴブリン! 言うに事欠いて何てこと言うのよ」
わたしは大声を上げて、汚いクソガキを捕まえようと手を出した。
あ、あら、クソガキなんて……、随分下品な言葉使っちゃったわ。わたしらしくもない、気をつけなくちゃね。だってわたしは上品なプリンセスなんだから。ほほほほほ……。
コホン。
「あのね、あなたね、わたしにはエミリアナって名前があるのよ。馬鹿なんて言ったら駄目でしょう?」
上げていた手をスッと下ろし、わたしはにっこりと微笑んで見せた。引きつりそうだった口元は、なんとかごまかせたと思う。
にもかかわらず、こちらをじろじろ見ていたクソガキ、もとい綺麗じゃないちびっ子は、にこやかに微笑むわたしを睨みつけ、子供のくせに偉そうな口調で噛みついてきたのだ。
「馬鹿だから馬鹿って言ってやったんだよ、馬鹿女! 本当のことだからって怒るな」
「なあんですってえ?」
前言撤回。いかにわたしが、王女の中の王女だとしても我慢出来ない。そうよ、このクソゴブリンにはきっちりお仕置きしてやらなきゃ気が済まないわ。
「馬鹿じゃないって言ってるでしょっ、言い直しなさい!!」
「何度でも言ってやる。馬鹿、馬鹿、ばかおんなぁ〜」
「こ、このお……」
わたしが躍るゴブリンもどきを捕まえた時だった。ベッドの方から驚いたような声がかかったのだ。
「アンジェラ!」
ベッドの上にはいつの間に身を起こしたのか、ユーフェが目を丸くしてこちらを見ている。
「母様!」
ゴブリンが奇声を上げて、彼女へと走って行った。
えっ? な、何?
置いてけぼりのわたしは、事態の飲み込みが出来なかった。
アンジェラ?
母様?
えええーっ?
このゴブリンは、ユーフェの子供だったの?
嘘でしょう?!
「ごめんなさいね、エミリィ。アンジェラはちょっとお転婆な子みたいで、驚いた?」
ユーフェはにこやかに笑って、ベッドにしがみつく我が子の髪を撫でていた。小生意気な子供はユーフェをわたしから守っているとでも言わんばかりに、肩を怒らせて小さな背中をこちらへ向けている。
そう言えばユーフェには、今回生まれた王子様の前に、結婚してすぐ、確か五年ぐらい前には王女様が生まれていたはず。
と言うことは何? この小汚いゴブリンはその王女様、つまり……、お、女の子だったのお? びっくりし過ぎて息が止まるかと思ったわよ!
「お、お転婆ねぇ……ふ、ふ〜ん……」
わたしはどう見ても汚い男の子にしか見えない王女に、乾いた笑いを送るしかなかった。
だって、信じられないんだもの。ユーフェ姉様は妖精のように綺麗で可憐で、それはそれは目もくらむような美少女だったのよ?
そりゃあ今は、当時の面影がかなり薄れてしまっているけど、でもそんなこと関係ないわ。あんなにも可愛くて優しくて女の子らしかった姉様の娘が、何でよりにもよってこんな……。信じられないのも無理ないでしょ。
ゴブリン、もといアンジェラ王女は、乱雑に切られたボサボサの髪の毛を姉様のベッドに押しつけて、こっちを振り向きもしなかった。
着ている服はどう贔屓目に見ても汚れていて、おまけに男の子が着るようなものだ。
それも一国の王子が着るような、洗練された上品なものなんかじゃない。
例えて言うなら、そう、下働きの子が着るようなボロボロの作業着みたいだった。
「姉様、どうしてアンジェラ様にこんな格好をさせてるの?」
こんなの絶対ユーフェの趣味じゃない。ユーフェミア姉様が、我が子にこんな格好をさせておく筈ないじゃない。
「それはね……」
ユーフェが口を開いた時だった。
「決まってるでしょう? その娘がとんでもなく乱暴で頭が悪いからですよ、エミリアナ様」
突然背後から、耳が痛くなるような甲高い声が割って入ってくる。
「ミネア様」
姉様が目を見開いてその人物の名を呼び、手元に頭を伏せていた王女はビクリと体を堅くした。
ミネア様?
ミネア様って、あの痩せたこの国の王妃様のこと?
わたしは嫌な人物の登場に、後ろを振り向く余裕すら湧かない。
甲高い声の主は、異様な迫力を振りまきながら部屋の中を進んできているようだった。きつい香りが近づいてくる。
「ミネア様、ようこそいらっしゃいました。いつこちらへ?」
姉様は開いていた目を柔らかく細め、わたしの背後に微笑んで問いかけた。表情を崩した姉様と違い、王女の方は益々体を強ばらせたままだ。わたしもだけど。
「今し方ですよ。表にまで聞こえてくる酷い大声に、驚いて立ち寄りました。何て言うか、あなたの部屋はいつもいつも騒々しいですね」
ミネア妃の刺々しい嫌みに姉様は微笑み返す。
「それは仕方ありませんわ、陛下。だって生まれたばかりの赤子がおりますもの。子供は泣くのが仕事です」
「わ、わたしが言ってるのは王子のことではありません。分かっているでしょう、あなただって、何を今更……」
ユーフェの穏やかな反論に、尖った声は幾分口籠もった。
姉様ったら驚いた。いつの間に、こんな鮮やかな切り返しを身につけたんだろう。きっとこのアウトライムで、怖いミネア妃にいくつも嫌みを投げられ揉まれていったのね。ハーディアのユーフェはほんわりとした、敵意とは無縁のお姫様だったもの。
それにしても、きつい匂いと声の持ち主は、かなり近くまで来ているようだった。声がやたらと近い。
最悪だわ。振り向きたくもないけれど、挨拶しない訳にもいかないじゃない。
「これはミネア様、ご挨拶が遅れ申し訳ございませんでした。姉との再会が嬉しく、ついついはしゃぎすぎてしまったようです。みっともないところをお見せしてしまい、お恥ずかしい限りですわ。本当に礼儀もわきまえず、申し訳ございませんでした」
わたしは覚悟を決めてミネア妃の方へ顔を向けた。ついでに腰を落として、淑女の礼もしておく。
相変わらずギンギンに着飾ったアウトライムの王妃が、胸を反らしてすぐ側に立っていた。
び、びっくりしたわよ。思ったより、ずっと近くにいたんだもの。
わたしは愛想笑いを浮かべて、目の前のミネア妃を盗み見る。
作り物とは言え笑顔のわたしと違い、こちらを睨みつけてくるアウトライムの王妃様は、あろうことか十五のわたしとそう変わらない身長だった。目線の高さが同じで激しく嫌なんだけど、逃げるわけにはいかない。
「エミリアナ様、あなたがお元気なのはわたしとて存じておりますよ。それもハーディアのお血筋なのでしょうから、仕方ありませんけどね」
ミネア妃は唇をいやらしく歪めて、馬鹿にしたように笑った。彼女はわたしの顔をゆっくりと見回したあと、冷ややかな視線を姉様に移し、それから、ベッドの側でいまだ固まったままの孫娘へと変えていった。
「ただ、我がアウトライムには、いささか荷が重すぎるように感じますわ。それがハーディアの大らかな気風でいいところなんでしょうけど、我が王宮には似合わないと言うか、馴染まないと言うか……。わたしの息子達はね、二人とも健康な男の子でしたけれども、こんなにもやんちゃな、手がつけられない暴れん坊ではありませんでしたもの」
「は?」
どういう意味?
ミネア妃の口にした言葉の意味が、よく分からないんだけど……。
戸惑うわたしを置いて、王妃は益々抑揚をつけ言い切る。
「ハーディアの血が混じったせいかしら。王太子妃もおとなしそうな顔をして、頑固で融通がきかなくて驚きましたわ」
ほほほと、ミネア妃は少しもおかしくなさそうに笑い声を上げた。当然のように笑っていない意地の悪い目元は、姉様ではなくて孫のアンジェラ王女に向けられていた。
「おまけに王女ときたら口も汚い不作法者で、檻の中に飼っている動物の方が、礼儀のなんたるかを少しは心得ておりますよ」
「嘘つき!」
突然アンジェラ王女は顔を上げて叫んだ。
「おばあ様の嘘つき! 一番酷いことを言うのは、おばあ様じゃないか!」
アンジェラ王女はベッドから離れると、ミネア妃に向かって握り拳を振り回しながら近づいて行く。
「おばあ様の嘘つき! おばあ様の嘘つき! 大嫌いっ!」
王女はミネア妃のドレスをぶんぶんと拳で叩いて泣き出した。
「ま、まあ……、なんてことを」
王妃が顔を青くしてふるふると全身を震わせ出す。
「なんてこと、王女が暴力を振るうだなんて前代未聞よ……」
「嫌い、嫌い、おばあ様なんか大嫌いっ! 意地悪なおばあ様なんか大嫌いだ!」
「やめなさい、アンジェラ。ミネア様、お許しください」
ユーフェ姉様が慌ててベッドの上掛けを剥ぎ取り、こちらへと転げ落ちそうになりながら駆け寄ってきた。ユーフェの慌て振りにわたしもつられて、騒いでいる祖母と孫に夢中で手を伸ばす。
「そうよ、アンジェラ様、王妃様に何てことしているの! いい加減にしなさい」
わたしは急いで王女の腕をひっつかまえて、小柄な体を後ろから羽交い締めにした。
「離して、離せよ、馬鹿女」
「黙るのよ!」
着ているドレスがもみくちゃになるのも構わずわたしが腕に力を込めてやると、王女は観念したのか、嘘のように大人しくなった。
「うっうっ、うう……」
静かにはなったけど、目に涙をいっぱい溜めてふうふうと荒い息を吐き、王妃を睨みつけるのはやめようとはしない。
その姿を見てミネア妃は眉間に皺を寄せ、顎を上げるとフンと鼻を鳴らした。
「真面目で優しいフィリップの娘が、こんなに粗野で横暴な性格だなんてーー」
彼女は姉様やわたしをじろり睨みつける。王女に負けず劣らず、酷い敵意が剥き出しだった。
「絶対にハーディアの血のせいですよ。ええ、そうに違いありません」
その一言に頭の中が真っ白になった。
どういうこと? この騒動の原因は、ハーディアにあると言いたいの?
はあ〜?
ハーディアは関係ないでしょう。何言ってるの、この人。
真っ白になった頭の中に、今の理不尽な言いがかりに対する怒りがメラメラと湧いてくる。
ハーディアの、愛すべき人々の顔がたくさんたくさん浮かんできて、消えていった。
彼らは誰も、そうよ、あの憎たらしいアーサーだって、こんな酷い顔を戦時でもないのに他人に向けはしない。
「ハーディアは素晴らしい国ですわ、ミネア陛下」
わたしはユーフェが何かを察知して止めようとするのを無視して、ミネア妃の前へ進み出た。手の中にいたアンジェラ王女は脇へと追いやり、背中に隠す。
内側から奮い立つ収まりそうもない怒りをなんとか隠して、目を細めるミネア妃の前へ仁王立ちになった。
「確かに田舎の小国で、大国アウトライムに比べたら見劣りしてしまうかもしれませんけど、その分優れた人材が揃っています。それには自信がありますわ」
「人材?」
「はい」
そうよ、麗しの騎士ケインを始めとする、ハーディア屈指の武勇に優れた騎士団。行儀作法に人一倍うるさくて、わたしを手加減なく教育してくれたリシェル率いる侍女達。
彼らはどこに出ても恥ずかしくない人達だ。まあ、キャリーとルイーズに関しては、いまいち不安だけど……。
「今日のわたしを導いてくれたのは彼らのおかげです。それこそ、お転婆少女だったわたしが、ここまで娘らしく成長出来たのですから疑いようもありませんでしょう?」
わたしはにっこりと微笑んで小首を傾げて見せた。いつもの自分よりずっとずうっと、上品に振る舞えたと思う。
わたしがどうだとばかりに胸を張ってやると、ミネア妃は呆気に取られてこっちを見ていた。
「エミリアナ様、あなた……」
「ええ、これ以上にはないくらい、立派なレディになれましたわ、わたし」
ミネア妃は打ちのめされて沈黙している。
ふふ、ぐうの音も出ないみたい。
分かるわ〜、生きた証が目の前にいるんですものね。いかにこの嫌みな王妃様だとて、何も言えなくなる筈よ。
「エ、エミリィ……?」
ユーフェが怖ず怖ずと口を挟んできたけど、いいから黙ってと目で合図を送る。
「ハーディアの教育に間違いはありません!」
調子に乗ったわたしは、駄目押しのように言い切ってやった。あれほどキャンキャン喚いていたミネア妃が、顔を伏せて立ち尽くしているのが見えた。
やったんだ。ついにわたしは、このかんに障る気に入らない相手を言い負かしてやったんだ。
まあね、わたしにかかればざっとこんなもんよ。別に喜ぶほどのことじゃないわね。
「なるほど、ハーディアの素晴らしい教育にわたしも感服致しました」
俯いていたミネア妃はそう言うと、顔を上げて口元を綻ばせる。
ん?
なんだかいやに自信たっぷりの気になる言い種に、わたしは思わずビクついた。
「じかにその教育をその身に受けられたエミリアナ様なら、アウトライムの些細な問題など造作もないんでしょうね」
ミネア妃が笑ってる。凄く凄〜く、嫌な笑い方だ。
「も、勿論ですわ!」
わたしは虚勢を張って叫んだ。だけど内心は尋常じゃないくらい心臓が跳ね上がっている。
な、何? 何企んでるの、この人。わたしは優位に立っていたんじゃなかったの?
「よかったわ〜。それじゃ一つ、お願いを聞いてほしいのですけどーー」
魔女、もといミネア妃は、優雅に扇を手のひらで弄びながら、わたしを注意深く見つめてきた。
「な、何でしょうか……?」
聞きたくない、聞きたくもないわよ、そんなお願いなんか。でも、今更引くに引けない。これはわたし、引いては父や母、と言うよりハーディアの沽券に関わる事態になっちゃってるんだもん。
わたしは半泣き寸前だった。
「実はね、今度王宮主催で国内外から招待客を招いて、王子誕生の祝賀舞踏会を開くのです。その席でアンジェラの御披露目も兼ねたいと、わたしと陛下はかねてより考えていたのですよ」
わたしの内心なんか見え見えだと言わんばかりに、ミネア妃はクスクスと笑い声を立てた。
「わたしの言いたいこと、お分かりでしょう、エミリアナ様?」
「え、いいえ……」
残念ながら、はっきりと分かってしまった。王妃が何をわたしに無茶振りしてくる気か、全部、ぜぇ〜んぶ分かってしまっていたのよ。
「それはですね、あなたのその素晴らしい手腕で、どうかわたしのかわいそうな孫娘を、完璧な淑女に変身させてほしいと言うことです。完璧なあなたの完璧なご指導なら、聞き分けのない野獣のような暴れん坊のアンジェラも、さぞかし麗しい乙女となって、華麗なダンスをお客様にご披露出来るでしょうから」
「だ、ダンスぅ……?」
思わず裏返った大声が出る。
「ええ、舞踏会ですもの、何か?」
ミネア妃の勝ち誇ったような声が追い討ちをかけてきた。
「い、いえ」
嘘でしょう?
ダンスですって?
ダ、ダンスですってえ……?
わたしの何より嫌いで苦手な、あの《・・》ダンスのこと〜?
「なんだ、そんなことでしたの。簡単ですわ、お任せください、ミネア様」
わたしは無意識に背中のアンジェラ王女を手繰り寄せ、彼女の小さなボサボサ頭をくしゃくしゃにかき回して応えた。
アンジェラが迷惑そうに唸り声を上げていたけどやめられない。だって、手を動かしてないと、とんでもないことを口走ってしまいそうだったんだもん。
「楽しみだわ〜、舞踏会が」
王妃が顎を突き出して笑ってくるから、反射的にわたしも突き返してやる。
「ええ、ええ、本当に。わたしも楽しみですわ」
「ホホホホホ」
「おほほほほ……」
姉様とアンジェラの呆れたような視線が、チクチクと全身を突き刺していた。
わたしは心の中で、自分の迂闊さと口の緩さを嘆くけれどどうしようもない。
も〜、どうしてわたしはこんなにも考えなしの負けず嫌いなんだろう。後悔しても出てしまった言葉は返ってこないと言うのに。
だけど仕方ないじゃない、そうでしょう?
この時のわたしに、他に何て言えたと言うのよ?!




