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「貴国におかれましては、この度めでたくも王子殿下ご誕生の由、ハーディアを代表して、心よりお祝い申し上げまする。心ばかりの品ではありますが、国より持参いたしました。どうぞお納めくださいませ」
わたしは広いアウトライムの謁見室で、この国の王シャルダン王に、ハーディアの使者として祝辞を述べていた。
広い謁見室にはシャルダン王、王妃のミネア様、アウトライムの忠臣と衛兵が数名、それから我がハーディア側の騎士が二人とわたししかいない。高い天井と四方には、美しい天使の絵が描かれていて華やかな気持ちになれる。
ユーフェの結婚式の時も思ったけど、本当にアウトライムは大国だ。我がハーディアのお粗末な謁見室とは違い、煌びやかで豪華で、何て言うかちょっと緊張してしまう。
「これはこれは、エミリアナ殿下、結構な品を申し訳ない。ありがたく頂戴する。長旅をご苦労であった。さぞかしお疲れになったであろう。どうぞゆっくりと滞在なさるがよい。王太子妃や王子もあなたに会いたがっている筈だ。あとで顔を見せてやってほしい」
アウトライムのシャルダン王は恰幅のよい体格を揺らして、機嫌良さげに笑っていた。母曰わく、王太子に念願の世継ぎが生まれたのだ。さぞかしご満悦でいるのだろう。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきたく存じます」
もとより、アウトライムでゆっくりするつもりのわたしだったけど、王のお墨付きを貰えて内心ほくそ笑んだ。これでしばらくは堂々と羽を伸ばせるって訳だ。
きつかった馬車の旅も、アウトライムでの観光その他を思えば何てことはない。旅行って、ユーフェの結婚式以来してないのよね。あの時は何一つ堪能出来なかったんだから、今回は思う存分楽しまなきゃ。
そんなことを考えていた時だった。全く想像もしてなかったところから、わたしに声がかけられたのだ。
「エミリアナ様や、わたしにお聞かせくださいませんか。いったいいつまでこちらに滞在されるおつもりで?」
わたしが内面を完璧に隠して、しおらしい淑女の仮面を貼り付け俯いている前で、シャルダン王の横にいたアウトライムの王妃が口を挟んできたのだった。
「えっ? いつまでとは……?」
王の横に寄り添うミネア妃は、丸々としたシャルダン王とは似ても似つかぬほっそりとした、何て言うか貧相な女性だった。その細い体を隠すように派手な装いをしている。
どうやらどこの国でも王妃と言う存在は、黙っていることが出来ないものらしい。
王妃はにこやかに笑うシャルダン王とは違い、気難しげな含みのある顔で、わたしや一緒に控えるアーサー達をちらちらと胡散臭さげに盗み見ていた。
その遠目に犯罪人でも見るような目つきに、わたしはカチンときて思わず大声を上げた。
「あの、ミネア陛下。今のはどういう意味でしょうか?」
感じ悪い。なあにこの棘のある言い回し。
だってそうじゃない。王がゆっくりとしていいって言ったんだから、ゆっくりに決まってるでしょ。つまりは当分てことだわ。それをいつ帰るのかすぐにも答えろってことは、今すぐ帰れってことと同様じゃないの。
王妃はわたしの顔色が変わったことに、敏感に気がついたみたいだ。今度はあからさまに嫌みな目つきを向けてきた。
わたし達の間に、銀光する見えない刃が二本浮かび上がってくる。その刃が今にも、相手へと向かって一直線に飛んで行きそうになっていた。
王妃は敵意も新たにわたしへと向き直る。
「ええ、ですからね。わたしどもの国にいつまでーー」
「おい、王妃よ」
王妃が顎を上げて胸を反らした一瞬の隙をついて、王が会話を遮った。
「遠路をはるばるいらした客人に何を言ってるんだ。控えなさい」
「へ、陛下、ですけれど……」
シャルダン王はにこやかな笑顔を崩すことなく、妃からわたしへと視線を変えた。それから労るような穏やかな声で話しかけてきた。
「エミリアナ殿下、我が妃が詮無いことをお尋ねした。お忘れください。どうぞ気にされることなくアウトライムでの滞在を楽しんでほしい」
「は、はい……」
「今宵はお身内だけでゆっくりと、旅の疲れを落とされるとよいだろう。王太子妃や王子には明日対面されるとよい」
「……ご配慮、ありがとうございます」
わたしが礼をするとシャルダン王はうむと頷く。王妃はそんな王に不満げにすり寄っていった。
「へ、陛下、お待ちください……っ」
「ーー静かになさい!」
王はいまだ小さな声で不服を漏らす王妃を伴い、無理やり席を立った。そして呆然としているわたしに向かって、手短に退意を切り出す。
「エミリアナ殿下、申し訳ないがわたし達は下がらせてもらう。あとのことは侍従に任せておるゆえ、何でも仰ってくだされ」
「い、いえ。何から何までありがとうございます」
王と王妃が立ち去り、なんとか無事に謁見が終わった。
わたしはふうっと大きく息を吐く。
途中でどうなることかと思ったけど、我が父と違い、シャルダン王は妃にピシャリと言える立派な夫らしい。シャルダン王の機転のおかげで、どうにか切り抜けられた。
それにしても、王妃のあの態度は何だったんだろ。仮にもわたしは義理の娘の妹よ。どういう性格してんだか。
「エミリアナ様、あのような場で素のご自分を見せるのは感心しませんね。あなたはハーディアを代表してアウトライムへ来ているのですよ。それをお忘れなきよう」
城の侍従に先導され、用意された部屋へと向かっていると、後ろを歩くアーサーが突然小声で釘を刺してきた。
わたしがびっくりして振り向けば、彼は涼しげな顔でにこやかにこっちを見下ろしてくる。
ムカ〜! なあに今の。リシェルじゃあるまいし、説教なんてやめてよ。
「あなたねーー」
「シッ、誰が見ているか分かりませんよ。姉上様のお立場も考えて行動してください」
アーサーは澄ました顔のまま、ツンと上を向いた。それ以上言うことはないと言わんばかりに、もうわたしの方をチラリとも見ない。はっ、腹立たしいわね〜!
部屋に着くと、キャリーとルイーズが待ちかねたように近寄って来た。アウトライムの侍従を下がらせて、わたしは倒れ込むように用意された椅子に腰を下ろした。
「疲れた〜」
本当に、今日はめちゃくちゃ疲れたわ。人生で一番骨が折れた日よ、きっと。
「エミリアナ様、ユーフェミア様とのご対面はいつですの?」
「明日以降ですって。今日はゆっくりしたらいいって、シャルダン王が仰ってたわ」
わたしの前にキャリーがお茶を淹れて持ってくる。
「ゆっくりですか……、ところで今日はその、わたし達はどちらを使えばよいのでしょう?」
ルイーズが怖ず怖ずと歩み寄り、キャリーと顔を合わせたかと思うと、フンとお互いに背中を向けた。
なあに、この二人、まだ喧嘩が続いてるの?
「あなた達ねぇ、こんなところでまで険悪になるのはやめてよ。空気が悪くなっちゃうじゃない」
わたしが二人をたしなめると、当の二人が「まあ」と一致団結して噛みついてきた。
「元はと言えば、殿下のせいではありませんか」
「そうですわよ、そうですわ!」
「わたしの?」
どういう意味よ。
「エミリアナ様とアーサー様が喧嘩をなさるから」
キャリーはチラリと部屋の隅に視線を飛ばし、こちらにまるで無関心な風体のアーサーを盗み見た。
「わたしはジャンの部屋を追い出されたんです。二日前の宿に泊まった時に!」
ええっ? それってアノ時のこと?
「ジャンの部屋って、キャリー、あなた……」
な、なあに。二人きりで一部屋で休む気だったの、あなた達? 全く、とんでもない浮かれようだわね。
わたしの動揺など気にもしないで、キャリーは続ける。
「せっかく、久しぶりに彼と水入らずで一緒に過ごせると思ったのに。突然、アーサー様が部屋に入って来られて、結婚前に由々しき事態だとなんとか仰って、自分がジャンの部屋に休むからあなたは出て行きなさいって、いきなり追い出されたんですのよ」
「そ、そうですわ。そのお鉢が何の因果かわたしのところに回ってきたんですから。一人でゆっくりと寝るつもりだったわたしの部屋に、そのあとキャリーがどかどかと乱入してきて、ここで寝るって半狂乱になって騒ぐこと騒ぐこと。わたしの部屋は、一人部屋の狭いベッドしかなかったのに、二人で使うしかなかったんですからね」
「ルイーズの寝相の悪さったら酷いものでしたわ。わたしは何度も蹴られてベッドから落ちたんですから」
「キャリーの歯ぎしりなんか眠れたもんじゃなかったわ。わたしを誰かと間違えて、何度も抱きついてきていやらしいったら」
二人は真っ赤な顔してわたしを振り返った。
「全部、エミリアナ様とアーサー様のせいじゃありませんか。殿下に喧嘩が云々仰ることなど、出来る筈がありませんわ!」
「え〜と……」
手厳しくこちらを追及してくる侍女から目を逸らし、わたしは壁際で静かに傍観している男に問いかけた。
あのね、この騒動の原因はあなたじゃない。何をのんきに他人事然としてるんだか。
「アーサー、あなた。結局ジャンの部屋へ逃げ込んだのね」
アーサーは肩を竦めて反論してきた。
「逃げ込んだのではありません。元々、わたしと彼は同室の予定だったのです。それを宿の主人がわたしと殿下を一緒にと気を回したのを聞き及び、ジャンが勝手に彼女を呼び込んだだけなのですから」
アーサーはにこやかに言い切った。
「わたしは当然の権利を行使しただけです。殿下はわたしに出ていけと仰ったでしょう?」
ぐうっと詰まったわたしを見て、彼は朗らかに笑った。
そんなわたし達を見て、キャリーとルイーズは、おかしなことに仲良く泣き始め出したのだった。
ふう〜、これって、何の騒ぎよ……。
あの日。
わたしとアーサーが言い合いをした、あの不愉快な出来事があった日、彼は嘲笑うようにわたしを冷たく見下ろしたあと、泊まると言っていた部屋を出て行き戻っては来なかった。
どこに言ったのかと思ってたけど、ジャンとキャリーの邪魔をして、そのあとにちゃっかりと居座っていたとはね。
わたしは彼がいなくなった部屋で、一人優雅に伸び伸びと寝てやったわ。
ーーな訳ないじゃない。
腹が立って腹が立って寝られなかったわよ。
だってこともあろうにアーサーときたら、わたしが理想と全く違うと言って馬鹿にしたのよ。彼が好む、ふっくらとした、目も唇も小さくて、おとなしくて控えめな女の子と全然違うとはっきりとね。
どうせ、わたしは痩せてるわ。胸は板みたいだし、目も口も大きくて性格はおとなしくも控えめでもないわ。
だけどそれが何?
わたしは、ちょっと気性に難ありだけど、容姿は美しいと謳われたお母様の若い頃に、生き写しだともっぱらの評判なのよ。何の不満があるって言うのよ。あるわけないじゃない。普通なら。
主の前だと言うのに気にもせずしくしくと泣く二人の侍女と、それを面白がるように見守る涼しい顔をした騎士に、心の中で思いつく限りの悪態をついていたわたしは、こちらに気づかれないようにそ〜と開けられていく出入り口に気がついた。
な、何? 風でも吹いてるのかしら。
不審に思い扉を見つめていると、陰から小さなボサボサ頭が姿を現す。
乱雑に切られた髪の毛に薄汚れた顔の子供が、扉の向こうから頭だけ出して、わたし達の部屋を偵察でもするかのように、じろじろと覗き込んでいた。
ちょっと、何者なの?
「誰よ、お前!」
わたしは大声を出して、汚いその子供へと近寄って行った。
いったい、何? どうしたって言うのよ。
外にいた他の護衛は何してるのかしら。こんな不審者を不問にするなんて信じられない。
「うわっ、見つかった」
子供はわたしに気がつくと大声を出して騒ぎ立て、クルリと踵を返し慌てたように走り去って行った。
わたし達は呆気に取られて顔を見合わす。
だ、誰よ、今の子供?
ハーディアを出てから、ろくでもないことばかり起こってる。
いったいこの国には何が待ってるの?
わたしは湧き上がる不安にアーサーとの賭けも忘れて、彼を縋るように見てしまっていた。




