復讐者の目覚め
2013年2月14日、私はこの日を忘れることは無いだろう。この日はバレンタインデー、基本的に女性から男性へチョコが贈られる日だ。本命チョコ、義理チョコ、はたまたホモチョコまでチョコに込められた意味は様々である。私はこの日いつもの様に職場に出勤し、いつものように仕事をこなしていた。昼休み、昼食を済ませに席を立とうとしたとき、一人の女性が私の元に現れた。彼女は私の同僚の一人である。普段、あまり話をしない彼女がわざわざ自分のところに来る理由を考え、仕事の話だと結論付けた私は気持ちを引き締めた。しかし、彼女の口から発せられた言葉は意外な言葉であった。
「今夜空いているなら、ディナーでもどうかしら?」
予想外の言葉に私は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。意中の女性ができたこともなく、また女性から告白されることもなかった私は恋人が今まで居たことがなかった。そのせいか、聞きなれない魅惑の言葉に心を捕まれた。こんな機会は恐らく二度とないだろうと思った私は嬉しさのあまり崩れそうになっている表情を押さえ、普段どおりの態度で彼女からの誘いを了承した。それから昼休みのうちに待ち合わせの時間と場所を決めてレストランの予約を済ませ、その後はその日の仕事をいつもより早めに終わらせて定時に帰宅した。
家についてからは少しでも見てくれが良くなるよう髪を整え、自分のできる限りのお洒落をしてデートに備えた。そしてふとカレンダーを見て、今日がバレンタインだということに気づき、この特別な日に感謝した。
それから待ち合わせ場所に向かい彼女と合流し、着飾った彼女の姿に一瞬見惚れてしまったがすぐに理性を働かせ、あくまで冷静を装って、予約しているレストランへと向った。 レストランに着いてからは、コースで出される料理に互いに舌鼓しながら上司への不満や趣味などの話をしていた。普段職場では終始真面目な表情の彼女が今は柔らかい笑顔で私と話をしている。そんなギャップに心臓の動きがいつもより激しい。周囲には私達の他にもカップルが何組も居て、それぞれが甘い雰囲気を出しながら二人の世界に浸っているようだった。しばらくして一通りコースを堪能し終わり、私達はデザートを食べながら談笑をしていたが、彼女はスプーンを置いて、じっと私のことを見つめてきた。その表情はどこか熱っぽく真っ直ぐ見ているのが恥ずかしくなってくるほどであった。
「ねぇ、あなたは周りのカップル達を見て羨ましいとか思ったりはしないかしら?」
「そっ、そりゃぁ私だって男だ。多少は羨ましいと思う気持ちはあるさ。何かあったのか?」
唐突な質問のないように戸惑ったが、私の正直な気持ちを話して質問の意図を聞いてみた。すると彼女は少し表情を赤らめて恥ずかしそうにしていた。その様子に十代の少女のような可愛らしさを感じてしまう。
「いえ、そういう気持ちがあるなら私のことはそういう対象として見てくれるかしら?それとあなたにこれを受け取って欲しいの」
私の処理能力を超える内容に口をぱくぱくするだけで何も言えず、彼女はそんな私の様子を気にせずに自分のバッグから両手に納まるほどの赤い色の箱を差し出した。戸惑いながら受け取ると彼女は嬉しそうな表情を浮かべ、もじもじしながら口を開いた。
「その……手作りでチョコを作ってみたんだけど家で食べてみて。今の質問の返事は後で良いから……ゆっくり考えて?」
チョコ……そう、手作りチョコ。今まで言動と様子からもしかすると彼女は私に気があるのかもしれないという愚かな考えが浮かぶ。母親以外からもらう初めてのチョコだ。そういう考えに至っても仕方がないのかもしれない。そして私はチョコを受け取り、彼女に心からのお礼を言った。
「ありがとう……本当に嬉しいよ」
その言葉に彼女は今まで満面の笑顔浮かべ、どういたしましてと言った。それからデザートを食べ終えた後、私は手早く会計を済ませて彼女を家に送ろうとした。だが、彼女は「ちょっと恥ずかしいから気持ちだけ受け取っておくわ」と言って一人タクシーに乗り込み去っていった。そして人生初のデートで高ぶった気持ちを深呼吸で落ち着かせた私も静かに家路に着いた。
家に着いて私は寝る準備と着替えをささっと済ませて、彼女からいただいたチョコ入りの箱をテーブルの上に置き、その場に跪いて黙祷を捧げた。そして、恐らく人生で最高の幸せの瞬間だろうと考えながら箱を開け、その中身を見て、何も言えなくなってしまった。あまりの衝撃に思考は停止し、しばらく放心状態に陥った。
箱の中身は……ただの石ころと一通の手紙であった……
放心状態のまま手紙へと手を伸ばし、読み始めた。手紙の内容はデートに誘ったのは私で遊ぶためだったこと、会社で成績を収めている私に対する嫉妬を思わせるような言葉の数々、その他罵詈雑言が手紙には書かれていた。そして手紙の最後には「あなたのようなつまらない人間が女の子からチョコをもらえるわけがないじゃない(笑)」と書かれていて、その一行は私の心を完膚なきまで砕いた。彼女はわざわざバレンタインというイベントを使い、私の心を砕く計画をしていたのだろう。今頃彼女は自宅で私のことをあざ笑っているに違いない。向こうの勝手な逆恨みでここまでされるのか、彼女が見せた笑顔は全て俺を持ち上げて落とすための罠だったのか。
そう考えていくとあの女に対する怒りが湧いてきた。あまりの怒りに叫び、暴れまわりたくなるがそれではあの女の思う壺だろうと考え、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。しばらく深呼吸を続け、ようやく怒りを内側へ押し込めると一息ついた。押し込められた怒りは尚、胸のうちで燃え盛っているが反対に頭の中はクリアになっている。いつもの冷静さを取り戻したところで私はどうあの女に怒りをぶつけようかと考え始めた。昔から私は自分に敵意、悪意を向ける者や害がある者には徹底的に潰している。それは例え女であっても例外ではなかった。
だが、今回はいつもと何かが違っていた。女への仕返しのパターンをいくら考えても『これを実行したところで怒りは収まらないのではないか?』という予感がしてくる。その原因を更に深く考えていくとある結論へと辿りついた。確かにあの女に対する怒りはあるがそれは怒りの一部なのである。今、この怒りが向いている矛先はバレンタインデーというイベントに向けられていた。元々バレンタインデーにチョコを贈るという慣わしはなかった。それを製菓会社はバレンタインが日本で広まり始めたことをチャンスと取り、チョコを贈るという慣わしを作り出した。そしてそのアイディアは成功し今や日本全国に深く根付き、企業はその恩恵を受けている。確かにこの慣わしによって幸せになった者は数多くいるだろう。だが、反対に悲しみ涙する者も多く居るだろう。皆がチョコを貰う中、もらえない者、渡したい相手にチョコを渡せない女性。これは確かに仕方がないことのかもしれない。だが、不用意に悲しみを受けた者が増えたのも確かである。そこには私も含まれて居る。そう考えていくうちに怒りは更に燃え上がり、憤怒となり更に憎悪へと変わっていった。
しかし、この憎悪をぶつけることはないだろう。何故ならば、バレンタインは全国的に深く浸透し、国民的イベントになってしまっている。もはやどうすることもできないのである。仮に私一人で立ち上がり何かを起こしたところで変人で終わるか、ただの犯罪者止まりである。結局のところ、一人の力ではどうしようもない。そう結局は憎悪の炎で自分自身を焼き焦がしていくだけなのだろう。
「……力さえあれば、力さえあればこんな日など無くしてしまえるのに」
「力が欲しいなら与えてあげようか?少年」
突然、背後から声が聞こえて体がびくりと跳ね上がった。すぐに振り返ると、そこには黒のレディーススーツに身を包んだ女性が立っていた。何故オートロック式の自宅に人が入り込んでいるのか?疑問が浮き上がったが、すぐに思考は停止した。程よく実った果実までかかる鮮やかな栗色の髪、心を見透かし魅了するような妖艶な赤い眼、そして静かな笑みに完全に見惚れていた。
「ふふっ、僕に見惚れてしまうのは仕方がないと思うけど話ができないから返事をしてくれないかな?」
その言葉で遠くに行ってしまっていた意識がはっとし改めて状況を確認した。見知らぬ美女が私の部屋に侵入し、力を与えてあげようか?と意味のわからないことを言っている。全く意味が分からない。それにこのマンションのセキュリティは万全なはずだ。
「何故、セキュリティが万全なはずの君の家に突然現れたか不思議に思っているね?その理由は簡単さ、僕が悪魔だからだよ」
可愛らしさと艶やかさを合わせたような声から発せられる言葉はますます私を混乱させている。悪魔?ふざけているのか?全く理解できない説明に苛立ちを隠せない。それに何故この女は私の考えていることがわかるのだろうか?そんな疑問を読み取ったかのように女は口を開く。
「だ~か~ら、僕は悪魔だから。君たち人間の理解を超えるようなことができるのさ。人間の心を読むなんて簡単だよ?そんなに信じられないならこれを見せてあげよう」
女がそう言った瞬間、彼女の背中からスーツを破りながら何かが飛び出た。それは漆黒と呼ぶに相応しい羽であった。羽毛は一切生えておらず見る限り蝙蝠の羽に近いのではないか?人の心を読む力に、蝙蝠のような翼。決して自分が幻を見ているようには思えないし、酔いだってとっくに醒めている。まだ完全に信じきれたわけではないがこの女は正真正銘悪魔なのだろう。それに力を与えてくれるという話が気になる。聞いて見なければこの女の真意も計れない。そして俺は口を開いた。
「とりあえずあんたが悪魔だという事を信じよう。信じるまで話を進める気はないんだろう?」
私がそういうと彼女は嬉しそうな表情を浮かべ、私が座っているところとは反対にあるソファーのほうに移動して、静かに腰を下ろした。
「ようやく本題に移れるみたいで嬉しいよ。それでは本題に入ろうかな。最初に僕が君の前に現れた理由から話そう。僕たち悪魔はたまに人間界に来て人間と契約を交わすんだ。契約の内容は人それぞれだよ?莫大な富が欲しい者や、力を求めた者、死んだ者の蘇生を望んだ者様々さ。だけどね、契約を持ちかける人間は誰でもいいってわけではないんだ。僕たちが契約を持ちかける人間は必ず潜在的に大きな力を持っている者たちなんだ。だから僕は君の前に現れた。ここまでは理解できたかな?」
私は悪魔の説明を聞きながら、考えた。私に大きな力があるだと?到底そのようには思えない。しかし、悪魔が私の元に現れたということは何かの力が眠っているのだろう。ある程度話を咀嚼したところで私は悪魔に話の続きを求めた。
「よし、理解したみたいだし続きを話そう。僕たちと契約の内容はね、君たちの願いを代償と引き換えに叶える事、そして君たちの力を引き出すことなんだ。それによるメリットは契約を交わした願いを叶えた悪魔は力と地位が上がっていくんだ。それに力を持った人間を探すのだって苦労するんだ。僕も偶然君の深い憎しみの炎を感じ取れてここに来たわけだし。まぁ、つまりは君は願いを叶えられて力を引き出し、僕は力と地位が上がる。Winwinな関係だろう?どうだい?僕と契約してみたくは無いかい?」
悪魔の話を聞く限り、こちらにはかなりのメリットがあるようだ。しかし、代償には何を払えば良いのだろうか。だが、願いを叶えてくれるのならば今も胸の内で燃え上がっている憎悪をぶつけることができるであろう。それならば返事は一つだ。
「良いだろう。私はあんたと契約を交わすことにする」
私が契約を承諾すると悪魔は静かな笑みを妖艶な笑みへと変え、ソファーから立ち上がり近づいてきた。やがて、互いに息がかかる距離まで悪魔は私に近づき耳元で囁いた。
「承諾してくれてありがとう。心から感謝の気持ちを述べるよ。さっそく契約を交わしたいんだけど良いかな?君は叶えて欲しい願いを頭に思い浮かべるだけで良い。君の願いを聞いた後、僕達は互いの血を交換しなければならないんだ。だから少し君の血を吸わせてもらうよ。君も僕の首筋に噛み付いて血を吸えば良い。最後に確認するけど君が払う代償はね、寿命の三分の一だよ。それでも良いかな?」
「あぁ、構わない。さぁ契約をしよう」
私は頭の中に願いを浮かべ、決意を固めた。このふざけた慣習は私が潰してやろう……
一年、一年後に準備を整え蜂起しよう。私と全国の悲しみを受けた者たちのために……
二度目の修正しました。