妥協
ある休日のことである。俺は家にいてもやることがないので新宿で映画を見てきた。しかし、その映画はあまりにもつまらなく、帰りの電車の中で今日一日を無駄にしたという気持ちでいっぱいになり、落ち込んだ。せっかく自分磨きをしようと思っていた休日なのに。
暇があったら自分を磨こう。
普段からそのような考えを持っているが、実際に暇な休日に自分磨きの行動をしたことはほとんどなく、いつもダラダラと過ごすか、今日みたいに娯楽を求めて街に出るかしかしていない。そうして、休日が終わると、ああ今日も俺は自分を磨き自分に自信を付けるチャンスをみすみすと逃したのだ、と自分を責め始める。その次の日の仕事は最悪の気分で望むこととなる。
少し前までは、古くからの友人と会い、お互いの近況報告をし合い、思い出話に花を咲かせる休日を過ごしていたはずだ。お互いに、社会に出ることはこんなにも辛いことなのか、と愚痴をこぼし合った。
しかし、人付き合いのよい友人はすぐに社会に馴染むことができ、人とうまく会話ができない俺は、なかなか社会に溶け込むことができず、休日毎に友人が楽しそうに会社の話をするのに嫌気が差した。
友人に嫌気が差したのではなく、社会へと馴染むことのできない自分に嫌気が差し、さらに、会社の話をすると俺の機嫌が悪くなるからと、気を遣い始めた友人にも嫌気が差した。おれは人に気を遣われる困った奴なんだ、とやめておけばいいのに俺は自分を責めた。
自分を責め始めてから俺は、妙な強迫観念で自分を縛り、自分の落ち目を回復させようと躍起になった。
「俺はこれから努力をして社会に馴染むのだ、君に負けぬぐらい社会生活を充実させてやるのだ、それまでは君に会わないと決めた。いつも君に気を遣わせてしまい悪かった。だが、三ヶ月後、三ヶ月後はみてろよ、俺は君よりも素晴らしい社会生活を送ってやる。」
こう言い放ったあと、友人は一瞬怪訝な表情になったあと、すぐに笑顔になり、「待っているぞ」、と強く肩を叩いて、励みを与えてくれた。
今思うと俺はなんとアホみたいに恥ずかしいことをしていたのだろう。
俺は結局三ヶ月の間に充実した社会生活を送ることはできなかった。それもそのはずだ、充実した社会生活を過ごすのだ、社内の人間とコミュニケーションを取るのだ、と強迫観念を持たせガチガチに自分を縛り付けてはコミュニケーションも糞もあったものではない。
早く社会に馴染まなければいけない、と思えば思う程、自分の喋っている言葉や行なっている行動が社会人として自然なものなのかと気になってしまい、上滑りした言葉や行動しかできなくなってしまっていた。明日はうまく喋れるようにしょう、と思えば思うほど
自分が空回りしているのを感じ、理想と現実との差が大きく開いているのを感じるようだった。
友人はこうなることをなんとなく分かったのだろう、だから俺が宣言したとき一瞬怪訝な表情をしたのだ。こいつはまた無茶なことを言い始めた、お前はもっと分を知れ。そう思ったのだろう。しかし、ここでこいつに水を差したらまた落ち込んで面倒なことになりそうだ、そう思った友人は笑顔でおれに励みを与えてくれたんだ。
本当に自分は困った人間だ。
みんなが普通にやっていることができないなんて俺はなんてダメな奴なのだろう、と何度自分を責めたかわからない。
友人と俺はお互い、同じような環境で育って来たはずなのにどうしてこのような差ができてしまったのだろうか。そう考えると、やはり俺の努力不足なのではないか、と自分を責める意見しか出てこない。
「はい、もしもし。」
その声が俺の負の感情の連鎖を断ち切り、急に現実の世界へと意識を向けさせた。男が携帯電話で話し始めたのだ。車内は帰宅ラッシュで混んでいが、俺が座っている席からちょうどその男の顔を確認することができた。この男は、仕事の話だったら多少の電話は許されるとでも思っているのかそのまま電話で話し続けた。俺よりも歳を食っているいい大人なのに、マナーもわきまえられないのか。すぐに電話をかけ直す旨を伝えてさっさと電話を切れよ。そして次の駅で降りてかけ直せばいいだろう。
この男よりはおれは立派な人間になろう。電車を降りて電話をかけ直す手間も惜しむような奴より立派な人間になってやろう。
人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだ。俺はこんな人間になりたくないと強く思い、急に、やってやるぞ、という気持ちが芽生えてきた。こういう人間の上へと絶対に立ってやる。
たとえ友人と対等な立場に立てなくても、社内の人間とコミュニケーションが取れなくても俺は死ぬわけではない。そういう気概で頑張っていこうじゃないか。
強い野心を持ち、実行するという努力をし続ければ偉業を達成した先人達へ到達することも不可能ではない。と、衝動的な向上心に酔いしれた。
が、瞬時に我へとかえった。
いや、違う。こんな突発的なやる気など何も意味を持たない。と、甘い考えをした自分自身に対して大きく落胆し同時に軽蔑もした。
自分は、何もしていない何も成し遂げていないことの焦りに対して、落ち込むことや深く考えることを面倒だと感じ、このような成功できるはずがない大きな目標を掲げまやかしの希望に目を向けているにすぎない。何を実行するか、どれだけの努力をし続けるのかなどの具体的な目標は考えておらず、ただ努力し成功している自分の姿に夢を馳せているだけだ。
ああ。何が、たとえ友人と対等な立場に立てなくても、社内の人間とコミュニケーションが取れなくても俺は死ぬわけではない、だ。このような考えをしている時点でもう努力などできるハズがないのだ。自分に取っての最悪の出来事を、死、というものにすることによって自らのハードルを下げ、最後の逃げ道を作っている。最低ラインを下げることによって自分を安心させようとしているだけじゃないか。そうやって、まだ最低ラインじゃないから大丈夫、まだ大丈夫だ、と俺はズルズルと堕落していき、目標と現実の差はどんどんと開いて行くんだ。
ああ、なんでおれはこうなってしまったのだろう。今、せっかくなにかをやる気になり行動しようと意気込み始めたのにすぐに、そんなことはできっこない、とあきらめ自分の中で目覚めつつあったやる気を自ら削いだのだ。そう、このようにニヒリズムに浸りかっこつけて諦めていればもしその突発的な目標が達成できなくても俺は傷つかないからな。要は自分は弱虫で、自分が傷つくかもしれないというリスクを背負って目標に挑戦するという覚悟と勇気がないのだ。
電車はいつの間にか品川駅に着き、乗客は大勢降りて行った。そのとき、先ほど電話していた男も降りて行った。よく見ると片手に花束を握っていた。
なんだ、あの男のほうが立派ではないか。
おれは誰にも気付かれないように泣き始めた。
この作品は芥川龍之介の短編作品である「みかん」に影響を受けて作った短編小説です。「みかん」はたった5ページしかなく、しかも登場人物も2人、そして物語も日常を切り取っただけで動きもほとんどありません。それにもかかわらず、何を言いたいかも伝わってきて、大きなカタルシスを得ることができます。私はそんな、物語に大きな出来事がなくても、これだけ面白くすることができるということに感銘を受け、本作品に挑戦させていただきました。